第六話 次元統制院
家に着くと、ソフィアが手早く紅茶を淹れてくれた。
その香りがリビングに広がると、ようやく全員の緊張が少し解けたようだった。
「あの……ステラ……」
僕は思案の末に切り出した。
「今回は無事だったけど……ルナが襲われるのは危険すぎるよ。教会に迎えを頼もう」
ステラはカップを置きうつむいた。ルナはそんなステラの手をぎゅっと握っている。
「うん……わかった。教会に連絡してみるね」
ステラはゆっくりとうなずいた。
電話を終えると、ステラが少し困った顔で戻ってきた。
「あの……教会からの返事なんだけど……」
ステラは言いにくそうに切り出した。
「ルナはそのまま、あたしに預けるって……。あたしが教会に戻ってくる時に、一緒に連れて帰って来てほしいって……」
「えっ?」
僕たちは驚いた。
ルナはステラにしがみついたまま、嬉しそうに微笑んでいる。
「……ブランが襲われたって、説明したんだけど……あたしとルナが襲われるとは、思ってないみたい……」
「もしかして……教会は、事態をあまり深刻に、捉えていないのかな……」
僕は首を傾げた。
「確かに、大学のデータに載ってるのは、ブランとアッシュとソフィだから。ステラとルナちゃんが、直接狙われることはないと思うけど……」
ソフィアも首を傾げる。
僕はしばらく思案して、ルナに声をかけた。
「……とりあえず、これからのことを考えよう。……ルナは学校とか長い間、休んで大丈夫なの?」
するとルナは、小走りで部屋からリュックを取って戻ってくる。
「大丈夫だよ!」
ルナはそう言いながら、リュックから学習用タブレットを取り出して笑った。
「……あはは」
僕は承知するしかなくなっていた。
「あれ、そういえば……ステラは……学校は?」
確か高校生になった歳のはずだ。
「あたしたちは、オンデマンド授業を受けていたので……どこでもできるんだけど。……持ってこなかったので……帰ったら、夏休み返上で、勉強します……」
ステラは、視線をそらしながら、うつむいてしまった。
「ルナの方が、しっかりしてるな」
アッシュが追い打ちをかける。僕も思わず笑ってしまう。
「うぅ。アッシュは意地悪です! ブランまで……笑うとこじゃないです!」
こうして、ルナもステラと一緒に、両親の使っていた部屋で、しばらく寝泊まりすることとなった。
「ようこそ。ルナ」
「よくきたな。よろしくな」
「ルナちゃん、いらっしゃい!」
「みんなに迷惑かけちゃだめだからね」
今日は、アッシュの提案で、ルナの歓迎会を開いている。
ルナの歓迎会は、僕たちの間にあった最後の壁を一気に崩したみたいだった。
「アッシュ、あたしの歓迎会は、やろうなんて、言ってくれなかったじゃん!」
「当たり前だ!……誰が不審者の歓迎会なんかやるんだ」
アッシュとステラの不毛なやり取りも、なんだか軽快になってきた。
そこにソフィアが加わって、ルナを挟んだ和やかな時間が流れる。
ソフィアがルナの頭を撫でている様子は、我が子を慈しむ母親のようで、ルナも安心しきった顔でソフィアに甘えている。
ステラはステラで、ルナが喜んでいるのが自分のことのように嬉しいらしく、ずっとニコニコこしている。
「姉ちゃんが二人になったな」
僕はルナの頭をクシャクシャっと撫でながら笑いかけた。
「うん!」
ルナがうなずきながら、嬉しそうにステラとソフィアを見ている。
すると……もう一度、交互にステラとソフィアを見ている。……特に胸のあたりを……。
「でも、ソフィアお姉ちゃんは、ちょっとママみたい……」
「……ルナぁ。どんな基準なのよ!」
視線に気づいたステラが、むくれながらルナをくすぐっていた。
「ソフィ」
アッシュがソフィアの顔をまじまじと見た。
「何でしょう?」
「お前さ……最近なんか変わったよな」
「えっ⁉」
ソフィアがアッシュを見て、一瞬固まった。……妄想が、僕にバレた時と、同じ顔をして驚いていた。
「前は、なんて言うか、もっとオドオドしてたのに。……今は、堂々としてるっていうか……」
「そ……そうでしょうか……?」
続いたアッシュの言葉を聞いて、ソフィアはホッとした様子で返事をした。
「ああ、多分。……少なくても、俺たちといる時は、そうみえるぜ」
彼の言葉に、ソフィアの表情が緩み、目を細め照れながらうつむく。
「ソフィと意見を交わすのは僕も楽しいよ」
僕も笑顔で賛同する。
「ありがとうございます。……皆さんといると、本当に楽しいですから。……言いたいことが言える、感情を表に出せる、ソフィもそんな気がします……」
「そうだね。ソフィは思ってることを……」
僕がそこまで言いかけた時に、ソフィアがハッとした顔でこっちを見て、「シーッ、シーッ」っと、人差し指を立てて口にあてている。
僕以外のみんなも、妄想のことは、何となく気づいているのでは?
そう思ったが、ソフィアが気にしているようなので「うんうん」とうなづき言葉を止めた。
歓迎会の後片付けをしていると、ソフィアが小声で話しかけてきた。
「いいなあ。……ソフィもみんなと一緒に住みたいです。ルナちゃん可愛いですよねぇ。自分がこんなに子供好きだったなんて、知りませんでした……」
ルナの無邪気な笑顔に心を奪われたのか、少しうつろな目をしながら続ける。
「ルナちゃんみたいな可愛い子が増えるなんて。……ブランに似たら、きっと優しい女の子ですよね。……もしアッシュに似たら、やんちゃな男の子でしょうか。……むふふ……」
後半は完全に、いつもの空想……いや、妄想の世界に入っている……。
すると、横からステラが僕の袖を引っ張ってきた。
「ブラン、ちょっと……伝えておきたいことがあるの……」
少し真剣な表情で切り出した。
「この前、リュミさんがルナを助けてくれた時のことなんだけど……」
彼女は言葉を選ぶように少し間を置いた。
「なんか、最初はデバイスつけてる影響かと思ったんだけど。……あの時のリュミさんの感じ、昔教会で大天使の啓示をいただいた時の感覚に、すごく似てたんだよね。……なんでだろ。……やっぱり、リュミさんって……」
ステラの言葉に、ハッとした。
そうか……リュミさんの微笑みを見て、優しくて懐かしい感じがしたのは……母さんの微笑みに感じが似ていたんだ……。
「うん。……今度リュミさんに、それとなく話してみるよ」
ステラにはそう答えた。
みんなが解散した後、ソファーに座り、さっきのステラの言葉を思い出して、どうやって確認しようか考え込んでいた。
しばらくするとアッシュがやってきた。
「家族が増えたみたいだな」
ぼーっとしていた僕に、アッシュが冗談めかして言った。……その目は優しかった。
(そうだ。真実がどうであれ、この家族のような仲間たちを奪われるようなことは、絶対にさせない……)
僕は心の中でつぶやいた。
休日の午後、僕たちは、広いドーム状のスペースの中央付近に立っていた。
ソフィアがカスタマイズしたデバイスを装着したアッシュとステラは、少し緊張した面持ちで粒子の流れに集中している。ソフィア自身も目を閉じて深呼吸を繰り返していた。
「アッシュ、プロテクトウォールの感覚はどうだい?」
僕はアッシュに歩み寄った。
「ああ、前より粒子が集まるのが早い気がする」
アッシュが手を掲げると、周囲の空気がわずかに歪むように見えた。
「試しにやってみてくれ」
アッシュの言葉に応じて、僕はエレメンタルソードを構え振り下ろした。
すると、粒子の光剣がアッシュの前面に形成された薄い粒子の壁に阻まれて霧散した。
「おお。……本当に完全遮断だ!」
ステラが目を丸くして拍手した。
次にステラが前に出た。
彼女は軽くジャンプすると、まるで瞬間移動したかのように数メートル先に立っていた。
「やった! アクセラレーション成功だよね!」
ステラは嬉しそうに手を振った。
ソフィアが最後に前へ出た。
彼女は深呼吸をすると、周囲の粒子が徐々に一点に集まり始めた。
……そして一瞬の閃光と共に粒子が弾け飛び、周囲に爆風が生じた。
「コンデンスフレア……爆発威力の調整は練習が必要ですね」
ソフィアは額の汗を拭いながら言った。
ソフィアが全員のカスタマイズデバイスを完成させた。
僕たちは試用のため、会社の人たちのいない休日に、ソフィアの父親の会社の運用試験室へ来ていた。
ソフィアから配られたカスタマイズデバイスには、それぞれに、適性の高い次元の粒子操作に特化した機能が追加されている。
大学から借りたデバイスでは、無作為の次元の粒子を運動させていただけだが、カスタマイズデバイスは特定の次元の粒子だけ操作することで、その次元の粒子特性を発揮していた。
アッシュは六次元粒子操作に特化。
ソフィアは九次元粒子操作に特化。
脳波データが無いステラは、多くの人が一番高い適性を示す三次元の粒子操作に特化されていた。
「僕は……エレメンタルソードで、何かあった時は攻め込むよ」
「俺のは防御特化か。前で守る役目だな」
アッシュが腕を組む。
「アッシュのプロテクトウォールは、もっと厚く広く、粒子を展開できるはずです。アッシュの適性は、六次元一極集中で、かなり高レベルでしたから」
ソフィアが説明する。
「あたしはアクセラレーションで支援かな。ねぇソフィ、もっと遠くまで飛べるの?」
ステラが首を傾げた。
「えっと、前後・左右・上下の各方向の空間粒子をショートカットして移動しているのですが、こちらも各方向の粒子操作を訓練すればもっと距離を延ばせると思います」
ソフィアはそう答えた後、つけ加えた。
「……あと、自分ではなく、代わりに他のもの……他の人を飛ばすこともできます。……もしも、この前のようなことがあったら、……ルナちゃんを……」
ソフィアがステラを見つめる。
「ありがとう。ソフィ」
ステラがうなずく。
「ソフィは、相手を牽制して、動きを封じるつもりですが。……いざと言う時は、吹き飛ばすくらいはする覚悟です」
そう言って、ソフィアが最後に僕を見た。
「ブランのエレメンタルソードにも、出力調整をしています。前よりも八次元粒子の収束率が高くなってますよ」
僕もうなずいた。
「それにしても、ソフィはすげえな。こんなの作っちまうとは」
アッシュはカスタマイズデバイスを気に入った様子だ。
「あたしは前に家で、デバイスを見せてもらった時から、すごいと思ってたもん!」
続いてステラもソフィアを褒める。
すると、ソフィアの機械マニアのスイッチが入ってしまった……。
「ありがとうございます! 実は、このカスタマイズデバイスは、この前見せた調整用と違って、新型をベースにしていて、なのでこれもグラフェン素材を採用してあって…………」
とにかくこれで、今度何かあった時の、僕たちの対応と連携は確認ができた。
昼休みの研究室は静かだった。
教授は昼食に出かけ、この研究室にはメンバー以外の学生もこない。
(……今日こそは……)
僕は意を決してやってきた。
リュミエールは机の上に広げた資料を片付けながら、僕のほうをちらりと見た。
「話があるって、なにかしら?」
その声はいつも通り冷静で理知的だったが、僕の心臓は早鐘を打っていた。
この質問をすることで、何かが変わってしまうかもしれない。
けれど、ここ数日ずっと思っていた、確認しなければならないと……。
「リュミさん。……リュミさんって、普通の人じゃないですよね?」
僕の問いに、リュミエールは一瞬だけ動きを止めた。そして、ゆっくりと顔を上げた。銀色の瞳が僕を真っ直ぐに見つめる。
「何故そう思うのですか?」
「デバイスなしで、次元粒子を操作できますよね?」
リュミエールの表情がわずかに揺らいだ。それは初めて見る彼女の動揺だった。
「……君は、どこまで知っているのかしら?」
「ほとんど……僕の憶測です。……だから聞いています」
リュミエールは深く息を吐いた。
そしてしばらくの沈黙の後、彼女は静かに語り始めた。
「……私はエターナルという星から来たました。次元統制院という組織の一員として」
エターナル? 次元統制院? 聞き慣れない言葉に困惑した。けれど、彼女の話は止まらない。
「次元統制院の者は、デバイスなど使わなくても粒子操作ができます。それが我々の能力だから……」
「じゃあ、リュミさんは……」
「私は、次元統制院では、三次元粒子操作を司る『エンジェル』の称号を持つ者です」
その言葉に、息を呑んだ。……エンジェル?……ステラが言っていた天使のことだろうか。
「でも……リュミさんはなぜここに? 何を目的に?」
リュミエールは一呼吸いれた。
「私は、この星の次元科学を観測するために派遣されました。次元粒子技術の発展が、正しい方向へ向かっているか、見守る役目を担っています」
「それはいったい……?」
そう言いながらハッとする。
「もしかして、軍事転用ですか」
「……はい。次元粒子技術は素晴らしい技術です。でも悪用されれば、恐ろしい兵器となります。……そして、ザフィールはついに、次元粒子技術を兵器化することに取り組み始めてしまいました」
リュミエールは悲しげに目を伏せた。
「必要であれば、介入することを、次元統制院は検討しています」
(介入って?)
問いかけようとする僕を遮るように、リュミエールは、もう一つの気になっていたことを言葉にした。
「そして……君の母エレナ様もまた、次元統制院の者でした。彼女は、四次元粒子操作を司る『アークエンジェル』の称号で呼ばれていました」
(母さんが……次元統制院の……アークエンジェル? もしかして啓示を与えた大天使だった?)
大天使の可能性は考えていたが、次元統制院の者であったと聞き動揺してしまう。
「エレナ様には重要な使命がありました。研究が進もうとしていた次元科学、その次元粒子技術を正しく使うよう導くことです」
リュミエールは淡々と説明を続ける。
「使命のためエレナ様は、次元科学の解明を果たそうとしていた、君の父アルバン・ノワールと接触して導こうとしました。また、次元粒子技術の確立後は、軍事的野心を強めていたザフィールにも諫めるべく啓示を行っていました」
ここまで話すと、彼女は僕をじっと見つめた。
「地球とエターナルは、光の速度でも到底移動できないほど、遠く離れた場所にあります。次元転移でしか行き来できませんが、エレナ様は頻繁に次元転移を行い、長年にわたって、ほとんどの時間を地球で過ごしていました……」
一息いれて、彼女の表情が柔らかくなった。
「次元統制院では、派遣先で必要以上に個人的な関係を持つことは禁じられています。でも、……エレナ様にとって大切なのは……愛する人と、そして愛する子と、共に過ごすことだったのです」
リュミエールの銀色の瞳が優しく輝いた。その光は……確かに母さんの微笑みに似ていた。
リュミエールの話はあまりに衝撃だった。僕は午後の授業を受けることなく、家に帰ってしまった。そして部屋で頭の中を整理していた……。
「父さんは、母さんのことを知ってたのかもしれないな……」
父さんと母さんの会話を思い出しながら、そんな気がしていた。
その時、スマホの着信ホログラムが起動した。
ソフィアからメッセージが浮き上がり映し出される。
「アッシュと学校帰りなのですが、きっと後をつけられています。距離を取りながら、逃げるように移動しています。神社へ行きますので、合流お願いします」
神社なら家のすぐ近くだ!
「ステラ!」
急いでステラを見つけて、メッセージをみせる。
「ルナ。ちょっと出かけるから、家で留守番お願いね。外に出ないで待っててね!」
ステラがルナに声を掛ける。
「うん」
返事をするルナを横目で見ながら、ステラと神社へ向かって走りだした。




