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次元世界〜三次元を超える権能〜  作者: Blanc Noir


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第三話 救出

 研究室に着き、デバイスのあるブースに飛び込む。


 もう遅い時間だったが、そこにはリュミエールがいた。


 いつも冷静な彼女は、僕らの血相を変えた様子を見て、すぐにただならぬ事態だと察したようだ。


「どうしましたか? そんなに慌てて」


「リュミさん! デバイスを貸してください! すぐに!」


「許可書は?」


「今はそんな場合じゃありません! ソフィアが……ソフィアがさらわれたんです!」


 僕は必死の訴えに、リュミエールの目がわずかに見開かれた。


「……わかりました」


 彼女の視線が一瞬、ステラに注がれた。


「持出し許可書は、こちらで後から処理します。責任は私が取ります。ただし、あなた方は絶対に無茶なことはせず、無事に戻ってきてください。それが条件です」


 そう言って、複数のデバイスが収納されたケースを開けてくれた。


「ありがとうございます!」


 感謝の言葉もそこそこにデバイスを掴んだ。二個ではなく三個持ち出したが、リュミエールは黙って貸してくれた。


 デバイスをそれぞれ手首に巻きつけ、屋上へ駆けあがった。


「ステラ、使えるな?」


「うん!」


 ステラはうなずくと、意識を集中し始めた。彼女の周りから、微かに金色のオーラのような粒子が滲み出ている。


 ソフィアのデバイスの反応を探るために、僕とアッシュもデバイスをフル稼働させる。


 粒子認識モード……空気中に漂う微細な粒子の流れを掴もうとする。視界には様々な色彩の粒子が流れ始める。


 特定の粒子反応を探すのは容易ではなかったが、三六〇度ぐるりと見渡していると、南の方角に、不自然で人工的な粒子の揺らぎのようなものを感じた。


 ……そう思った時。


「……あっちです! あっちの方角から微かに……キラキラした温かい粒子が流れてる気がします!」


 ステラが南の方角を指差した。それは街の外れにある古い倉庫群が立ち並ぶ地域だった。


「よし、行くぞ!」


 僕らは外に出ると、自動運転のタクシーに乗り込み倉庫群へ向かった。


 ステラが時折意識を集中させて「こっち……もっと右……」と指し示す。その繰り返しで、徐々に目的地が絞り込まれていく。


「ステラすげえじゃないか。ブラン並みの粒子認識じゃないのか」


 アッシュが珍しく……いや、初めてステラを褒めている。


「僕より正確に粒子認識してるよ!」


 僕もソフィアのデバイスの粒子反応が近づくのを感じていた。


 近くまで来たのを感じ、タクシーを降りて歩きながら探していた。


「……感じる。ソフィアさんのデバイスの粒子。……向こうの建物」


 ステラの視線が建物の方向へ向く。その顔は確信に満ちていた。


 建物を確認すると廃工場のようだ。慎重に近づき、倉庫の裏手に回って窓から様子をうかがった。


 薄暗い倉庫の中には二人の人影が見えた。


 そして、隅の椅子に縛られているのは間違いなくソフィアだった。ぐったりしてうつむいているが、その金髪は間違いようがない。


 「!」ステラが思わず声を上げそうになる。それを僕は手で制して様子をうかがった。


 僕らは息を殺して誘拐犯たちの会話を聞いた。




「ああ……あの娘の父親はリーベル社のCEOだ。デバイスの核心技術との交換を要求すれば断れない……」


「……次元粒子技術の軍事転用で、従来兵器とは比較にならない力が……」


「これでザフィールの軍事力は……」


「そうだな……世界の軍事バランスは一気に変わるぜ……」




(デバイスの核心技術を要求?……次元粒子技術の軍事転用?……世界の軍事バランス?……)


 確か「ザフィール」という国は天然資源が豊かで、二大超大国「ヴェクサリア」と「クラウンウェル」に対抗しようとしている成長著しい国だ……。


 間違いない。彼らの狙いは、ソフィア個人でも、身代金でもなく、彼女を通じて次元粒子装置の技術を手に入れることだ。



「危険だからここで待ってて。必ずソフィアを助けるから」


 ステラを倉庫の入口で待たせた。彼女は不安そうにうなずきながら祈るように言った。


「ブランくん……アッシュさん……気をつけてね……」


 ステラのソフィアを見つめる目には涙が光っていた。



 僕とアッシュは倉庫の薄暗い内部へ静かに侵入した。


 犯人は二人。一人はソフィアの前に立ちはだかる男で、もう一人は少し離れた場所で見張りをしている。


 ソフィアは椅子に縛られている。意識はあるようだが、ぐったりとして反応が鈍い。顔色も悪い。おそらく何か薬を飲まされたか注射されたのだろう。


(急がなければ……!)


 僕らは物陰に隠れながら、じりじりとソフィアの元へ近づこうとした。犯人たちは会話に夢中になっている。チャンスは今しかない。


(……あと少しで、ソフィアにの後ろに回れる)


 そう思った瞬間だった。


「誰だ!」


 見張りの男が鋭い声を上げた。僕らの気配に気づいたのだ。もう一人の男もハッとして振り返る。見つかった!


「ちっ!」


 アッシュが舌打ちする。次の瞬間、見張りの男が猛然と殴りかかってきた!


(――しまった――!)


 ソフィアとその横にいるもう一人の男に気を取られ、僕は一瞬反応が遅れた。


「うおおっ!」


 アッシュが僕の前に飛び出し、敵の拳を紙一重でかわした。そのまま腕を掴み、重心を崩して体を回転させる。


 次の瞬間、男の体は宙を舞い、鈍い音とともに床に叩きつけられた。アッシュの鮮やかな投げ技だった。


「ぐはっ……!」


 男は呻き声を上げ、そのまま気絶して動かなくなった。


 だが、もう一人の男が素早く懐に手を入れた。


「来るな! 動いたら、どうなるかわかってるだろうな!」


 男が取り出したのは銃だった。小型の自動拳銃がこちらを向いている。その銃口は冷たく光り、僕たちを射貫こうとしている。


(……銃……!)


 全身の血が逆流するような恐怖。心臓が喉から飛び出しそうだった。足がすくむ。


 でも、ソフィアがそこにいる。


(――助けなきゃいけないんだ! やるしかない!――)


 恐怖を押し殺し、必死に思考を巡らせる。デバイス……粒子運動操作……。


 以前、父さんが語っていた理論が頭をよぎった。次元粒子は三次元事象への干渉が可能だ。その応用範囲は物理法則にさえ及ぶ!


 やってみるしかなかった。腕に巻かれたデバイスを握りしめた。意識を集中させる。


(あの銃が金属製である以上……粒子運動のエネルギーを操れれば……!)


 指先から腕へ、そしてデバイスへと流れる粒子エネルギーを感じる。


 それを敵の銃へ向け、集中させる。


 イメージする。――銃身の周りの次元粒子を激しく揺さぶり、加熱させるイメージを──!


 次元粒子が拳銃の周りに流れ集まっていく。キラキラ光りながら収束されて渦巻いた。


「ぐああっ⁉」


 犯人の悲鳴が上がった。


 彼が構えていた銃が突如として熱で赤くなり、「バキン!」という音とともに、内部から弾け飛んだのだ。


 高温で溶けた銃身の一部が床に落ちて、焼け焦げた臭いを立てている。


「な……なんだ今の……⁉」


 男は火傷した手を押さえながら、後ずさりして逃げ出した。




 急いで僕とアッシュはソフィアの元へ駆け寄った。隠れてたステラも走ってくる。


「ソフィア! 大丈夫か⁉」


 縛られたロープを解きながら、ぐったりしている彼女を抱きかかえようとすると、虚ろだった青い瞳がかすかに動いた。


「……き……来て……くれたんですね……」


 弱々しい声。そして、彼女の瞳が僕を捉え……その顔に驚きと……それから安堵の表情が浮かんだ。


 ほんのりと頬が赤くなっているようにも見える。


 彼女の唇がかすかに震えた。


「……ありがとう……ございます……王子様……」


(……王子様?)


 困惑する僕の横に立ったアッシュを見たソフィアの瞳が見開かれた。今度は明らかに顔全体がぼーっと赤くなった。


「え……? あれ……もう一人の……王子様……?」


 そうつぶやいたかと思うと、彼女は電池が切れたかのように、僕の腕の中でゆっくりと瞼を閉じた。


 規則正しい寝息が聞こえてくる。どうやら気を失ってしまったらしい。


「……おいブラン。王子様って何だよ?」


 アッシュが怪訝そうに眉をひそめる。


「さあ……」


 僕も首をかしげてみる。


(ソフィア……いったいどんな幻覚を……)


 だが、そんな疑問も束の間。外からはパトカーのサイレンが近づいてくるのが聞こえた。どうやら通報した警察が到着したようだ。


 腕の中に彼女の体温を感じた。……生きている……本当によかった。


 安堵と疲労で膝が崩れそうだった……。




 パトカーに同乗して、ソフィアを家まで一緒に送ると、両親が飛び出てきた。


 父親は涙をにじませ深々と頭を下げ、母親はソフィアを抱きしめ泣き崩れていた。


 両親の元へは既に脅迫電話が入っていたらしい。


 リーベル社への直接的な要求で、娘の命と引き換えに、次元粒子装置の技術情報を渡せというものだ。……犯人たちの要求は想像通りだった。


「あなた方三人は、我が家の大恩人です。お礼はどんな形でも……」


 そこまで言ってもらえたが、僕たちは疲れもあって丁重に辞退した。


「ソフィアさんが無事ならそれで十分です」


 そう言って家路についた。帰り道、僕らはほとんど無言だった。


 疲れがどっと押し寄せ、アッシュは歩きながら寝てしまいそうだ。ステラもふらふらしていた。


 家に着くと、僕はそのままベッドに倒れ込んだ。時計を見たら午前四時半、空が薄っすら白み始めているのが窓越しに見える。


 シャワーを浴びる気力もなく、すぐに意識が闇に沈んでいった。




 目が覚めると既に正午を回っていた。


 シャワーを浴びて着替えていると、ちょうどアッシュが起きてきた。彼もまた泥のように眠っていたらしく、目の下にうっすらクマができている。


「おう……生きてたか」


「おはよう。そっちもな」


 僕らは苦笑いを交わし合った。


 キッチンからは微かに湯気が立ち昇っている。


 ダイニングテーブルでは、ステラが朝食なのか昼食なのかわからない食事を整えていた。ステラは僕たちを見てパッと顔を輝かせた。


「あっ! 起きたんだね! もうお昼過ぎてるよ! 食べられる?」


 彼女は昨日の出来事が嘘のように元気だった。何があってもいつも明るく感心する。


 テーブルにはサンドイッチとサラダが並んでいた。僕ら三人は席についた。


 まずは腹ごしらえだ。昨夜から何も食べていなかったので猛烈な勢いで食べ始める。


「ステラ……昨日はすげぇ助けになった。正直驚いた」


 食事の合間にアッシュが言った。


「えへへ。なんかアッシュさんが優しいかも!」


 ステラが素直に喜ぶ。


「でも、ソフィアさんを助け出したのは、ブランくんとアッシュさんだよ!」


「いや、ステラのあの粒子認識能力がなければ、ソフィアを見つけられなかった。あの時、正確な場所を示してくれなかったら……」


 僕も本心からそう思った。


「そんなぁ。粒子認識は上手くできても、粒子操作はブランくんみたいにはできそうにないよ」


 ステラは照れくさそうに笑った。



「ところでさ、ステラ」


 僕はふと思い出して尋ねた。


「ザフィールから来たって言ってたよね。次元科学については何か知ってるの?」


 ステラの手が止まった。


「次元科学はよく知らないけど。……実はね」


 彼女は少しうつむいて言った。


「ソフィアさんを助けた後、ちゃんと言おうと思ってたんだ」


 そして彼女は顔を上げ、真剣な眼差しで僕らを見つめた。


「あたしがここに来た、本当の理由を話すね」


「ここに来た理由?」


 僕とアッシュは思わず顔を見合わせた。


 ステラは深呼吸してから語り始めた。


「あたしはね、ザフィールにある教会に引き取られて育ったの。お父さんとお母さんになってくれた両親は教会で働いていてね……」


「お祈りする、あの教会か?」


 アッシュが驚いた顔で尋ねる。


「うん。あたしが育った教会はね、昔から『大天使』と呼ばれる存在からの啓示を預かる役割を担ってきたんだ。両親はその啓示を受けることが多い家系でね」


(……天使……)


 僕の脳裏にリュミエールの姿が浮かんだ。……なぜかイメージした天使の姿が彼女だった。


「五年前、次元科学の研究が発表されて……アルバン・ノワールさんの記事の写真に写っていた女性が……そっくりだったんだ」


 そう言いながら、彼女は遠くを見るような目になった。


「研究発表と同じ頃に、啓示を与えてくださった大天使の姿と……」


(……まさか……父さんの記事に写っていた女性って……)


 彼女の言葉に、僕は息を呑んだ。


「そして、ひと月ほど前に司祭様が『教会に天使が来ていた』と言ったの。……特に啓示があったわけではなかったけど、司祭様たちは『前回の啓示を守っているか、確かめに来られたんだ』って言ってた」


 ステラは真剣に話し続ける。


「だから教会から……アルバン・ノワールさんのところ……つまり、ブランくんの家に派遣されて来たの。……そして、その女性を探して、大天使なのか確かめる。……もしそうだったら、啓示をより理解できるものがないか探すために」


「……それで僕のところに来たのか」


 やっとわかった。彼女は僕の母さんが大天使かもしれないと思って聞いてたんだ。


「うん。それが……あたしがここに来た本当の理由」


 ステラはうなずいた。



 部屋の中に沈黙が落ちた。ステラが語った教会と大天使の話は、あまりにも突然で、現実味が薄かった。


(……母さんが大天使なんて……そんな訳ない……)


 しかし彼女の真剣な表情は嘘ではないと思わせるものだった。


「じゃあ……お前はその『大天使』のことを調べるために、この家に来たわけか?」


 沈黙を破り、アッシュが口を開いた。


「うん……そういうことになるかな」


 ステラは少し申し訳なさそうにつけ加えた。


「でもね、今はブランくんもアッシュさんも大切な友達だから。目的が別にあっても……それは変わらないよ」


 ステラはそう言ってにっこり笑った。その笑顔はいつもの彼女らしくて、僕らはホッとした。


「調べごとをしたいだけなら。まぁ、いいじゃん」


 アッシュが肩をすくめた。


「それじゃ、もうしばらく居るってことかな」


 僕もステラの笑顔に返事をした。


「うん! よろしくね!」


 ステラはすっきりした顔だった。



「さてと……とりあえず、今日はゆっくりしようぜ。明日からまた大学だ」


 アッシュがサンドイッチの最後の一切れを口に放り込んだ。


「そうだね。ソフィアも学校来れるといいな」


 僕はソフィアのことが気になった。


「ソフィアさんはきっと大丈夫だよ。明日は王子様に会いにやってくるよ!」


 ステラの言葉を聞きながら、僕も彼女がいつも通り学校に来てほしいと思った。


 でも確かに、あの気を失う時の「王子様」発言は一体何だったんだろう?……そう思いながら、ソフィアが話していた絵本のことを思い出していた。




 窓から差し込む月明かりが、部屋の壁に影を落としていた。


 ……ソフィアは無事だった……。


 ……ステラの事情もわかった……。


 安堵した僕はベッドの上で仰向けになり、天井を見つめながら、昔のことを思い出していた。




「どうして海の水はしょっぱいの?」


「どうして空の色は青色なの?」


 どうして? どうして? と小さい頃、僕は父さんによく質問していた。父さんは何でも教えてくれた。


 父さんは何でも知っている。そう思っていた。


「宇宙の果てはどうなってるの?」


 この質問をしてから、父さんは次元科学のことを色々教えてくれた。




 そして、三年前のあの日、僕は走る車の後ろ座席でうとうとしていた。父さんが運転して、母さんは隣に座っていた。


 急に大きな音がして、車が大きく揺れたと思ったら、母さんが僕の横の扉を開けて外に放り出していた。


 その瞬間、車は爆発を起こしていた。僕は地面を転がりながら、遠ざかり炎に包まれていく車を見ていた。


 まるで映画のスローモーションのように、脳裏に焼きつき、ずっと離れない光景だった。


 父さんと母さんが亡くなってしばらくして、父さんの研究データが消失していることに気がついた。


 それからは、単なる事故とはどうしても思えなかった。


 だから、次元科学大学に入る前から、暇さえあれば父さんの研究資料を読み漁り、次元科学理論について学んだ。


 きっと次元科学が何かの手掛かりになる。そう思いながら、事故の真相を調べてきた……。




「……ブラン」


 突然、ドアの開く音とともにアッシュの声がした。


「アッシュ? どうしたんだ?」


 慌てて起き上がる。


「いや……ちょっと、昔のこと思い出してな」


 そう言いながら、アッシュはベッドのそばに座り込んだ。


「僕もだよ……さっき、ステラから、父さんの記事のことを聞いたからかな」


「どんなことを思い出したんだ?」


 アッシュが静かに尋ねた。


「……事故のこと、また思い出してたよ」


「そっか。大丈夫か」


 少し心配そうな顔をするアッシュ。


「大丈夫……」


 僕はそう言って、事故の日から、僕に寄り添ってくれてきたアッシュのことを思い返した。


「……事故の時、留守番してたアッシュが病院に駆けつけて、僕を家に連れて帰ってくれた……」


「……きっと、事故じゃないって言ったら、俺も一緒に調べるって信じてくれた……」


「……勉強、好きじゃないくせに、俺も次元科学大学へ行くって言って、頑張ってくれて……」


「ありがとう。アッシュ」


 独り言のようにつぶやく僕の言葉を、アッシュは黙って聞いていた。



「……俺さ」


 僕が話し終えると、今度はアッシュがぽつりと言った。


「ノワール家に引き取られて、しばらく経った頃、師匠が俺に護身術を教えてくれただろ」


「……師匠……母さん?」


 思わず聞き返した。そういえば、アッシュはいつからか、母エレナをそう呼んでいた。


「ああ……」


 アッシュは照れくさそうに頬を掻いた。


「俺の母さんは、俺が生まれてすぐに死んだから、母さんってものを知らねぇんだ。だけどノワール家の母さん……エレナさんはいつも優しくしてくれて……俺にとっては、母さんみたいな存在だった」


 僕は黙って聞いていた。アッシュの言葉には隠された感情が滲んでいた。


「だから、師匠って呼んでたんだ。『母さん』って呼ぶのは恥ずかしくて……でも、特別な呼び方がしたくてさ、護身術習ってる時に思いついたんだ」


 アッシュの言葉に胸が熱くなった。母さんがいない今の僕には、彼の気持ちが痛いほどよくわかった。


 僕はアッシュが護身術を習っていた頃の光景を思い浮かべた。


 ……その時、ハッとした。母さんが不思議に思えたことを思い出したのだ。


 母さんがアッシュに技を教える時、一瞬だけ彼女の動きが加速するような……そんな感覚を覚えたことが何度かあった。


 ……そうだ。それに父さんの研究室で話してる時も、何度か不思議に思った。


 研究者であるはずの父さんが、母さんに意見を求めていた。素人には到底理解できないものに聞こえた。


 しかし、母さんはいつも穏やかな笑みを浮かべて話していた。まるで全て理解したうえで、アドバイスでもしているかのように……。



「どうした……ブラン?」


 思いふけっている僕にアッシュが声を掛けた。


「ううん。なんでもないよ」


 そう答えると、アッシュが元気づけるように言った。


「事故の真相に近づいてるよ。でも、もう家族を失ったりしない。お前は俺が守ってやるぜ」


「あはは。頼りにしてるよ。アッシュは僕の正義のヒーローだよ」


 僕はアッシュを見て微笑んだ。




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