第十七話 アッシュの約束
「私のことは自分で話しましょう」
セラフィは少し間を置いてから、静かに口を開いた。
「次元統制院で称号を得ると……その称号が名前となります。私の元の名は……セレナ。エレナの双子の姉です」
僕は息を呑んだ。……母さんとあまりにそっくりなので、そうかもしれない……とは思ったけれど。
「次元統制院のメンバーが、他の星において職務上の接触で、必要以上に個人的に親密になることは禁止されています」
セラフィは少し寂しそうに続けた。
「だから、エレナは……私にも何も話しませんでした。ですが……エレナが、地球にとても愛着を持っているのは感じていました。接触している人々の影響なのだろう……とは思っていましたが」
セラフィが僕をじっと見つめる。
「しかし……愛する人がいて、子供がいたことは、……エンジェルに聞くまで、知りませんでした」
僕は言葉を失った。……母さんは、そんなにも大きな秘密を抱えていたのか。
双子の姉にすら隠さなければならないほど、厳格な規則だったのだろう。……話すことができず、辛い思いをしていたのかもしれない。
「大切な妹、エレナの子のブラン。……あなたは、私にとっても、大切にしたい存在だと思っています」
セラフィの銀色の瞳が、僕をまっすぐに見つめた。その眼差しは慈愛に満ちていた。
「……ありがとうございます」
深く頭を下げた。セラフィの言葉を温かく感じた。
「……俺も驚いたぜ」
しばしの沈黙のあと、アッシュが少し緊張した面持ちで、口を開き、僕の方を向いた。
アッシュは少し照れくさそうに笑った。……そして、あの日からの出来事を教えてくれた。
** アッシュ サイド **
「ほらほら、アッシュ! 隙があるわよ!」
エレナは軽やかにアッシュの拳をかわす。その動きは舞うようで、全く隙がない。
「ちっ……!」
悔しさに思わず舌打ちし、さらに踏み込む。だが彼女のしなやかな動きに翻弄され続けた。
護身術の訓練が終わると、エレナは汗を拭いながら微笑んだ。
「すごいわね。アッシュは飲み込みが早い。身体能力も高いし、……何より折れない心が強いわ」
俺は照れながら頭を掻いた。
「いや……師匠が……いいからですよ」
エレナはくすりと笑った。
「ふふ。『師匠』って呼んでくれるようになったのね。嬉しいわ」
「だって……エレナさんは……師匠みたいな存在だから……」
この前までは「おばさん」と呼んでいたことを思い出し、今となっては恥ずかしい。
「でも、本当はもっと呼んでほしい言い方が、あるんだけどなぁ……」
そう言いながら、エレナが俺の顔を覗き込んでくる。
(……母さん……)
心の中でそう呟いた。でも、声には出せなかった。顔が熱い気がする。
エレナは優しく俺の頭を撫でる。
「あなたは本当に強いわ。心も体も。ブランとはまた違う強さを持っている」
エレナに褒められると、心が温かくなるのを感じた。
「なんだか、ブランが小さい頃よく見ていた、テレビの正義のヒーローみたいよ」
そう言いながら、エレナが微笑みかけてくれる。俺はこの微笑みを受けることがとても好きだった。
「師匠、何でブランは剣術道場に通わせてるの? 師匠が教えてあげればいいのに?」
「ブランにはあの子の強さがある。……でも、とても優しい。優しすぎるところがあるの。……あの子が私に向かって、拳を本気で打ち込めると思う?」
納得した。たしかに母親相手じゃブランは本気を出せないだろう。鍛錬にならなそうな気がした。
「優しすぎるところが、時々心配になるのよね。……だから、剣術道場にも通わせてるんだけど。……アッシュ……もし、あの子がくじけそうになったら……あなたも支えてあげてね」
俺は目を見開いた。エレナが俺に何かを頼むなんて初めてだった。
「……俺が……ですか?」
「ええ。アッシュなら、きっとできるわ。ブランのこと……お願いね」
胸が熱くなるのを感じた。エレナに頼られたことが嬉しかった。
「任せてくれ! 俺が……必ず守るよ!」
俺は力強く答えた。エレナは満足そうに微笑んだ。
「ありがとう。……アッシュがあの子のそばにいてくれるだけで、私も安心よ」
エレナに頼られた喜びと責任感が胸に広がる。そして、拳を握りしめた。
(俺が……絶対に守る)
同い年のブランのことが、なんだか弟のようにも思えた。
(――夢か――)
……懐かしい、そして大切な思い出の夢だった……。
瞼を開けると、見慣れぬ天井が視界に広がっていた。柔らかな光が部屋を照らし、どこか甘い香りが漂っている。
……どこだ、ここは?
「うぅぅ。なんだか、体中がきしむような感覚がする」
体を起こそうとすると、全身に鈍い痛みが走った。胸の辺りが特に熱を持っている。
覚えのある感覚……ドミニオンのジャッジメントを防ぎきれなかった時の痛みだ。
「ブラン……ソフィア……ステラ……」
仲間の名をつぶやきながら記憶を辿る。
最後に見たのは、倒れた俺に駆け寄って、涙を流しているみんなの姿。
(……俺は死んだはずだ。……いや、まさか)
あの時、意識を失ったのに、誰かの声が聞こえたような気がする。体が動かなくなって、暖かな光に包まれたような気がする。
……師匠エレナに会ったような気がした。……あの優しい笑顔と温もりが蘇る。
その時、部屋のドアが静かに開いた。
「……アッシュ! 目が覚めたのね……よかった」
安堵の声の主はリュミエールだった。
いつもの凛とした佇まいだが、ここは彼女の自宅だろうか。
目に映る家具や装飾品は見たこともない珍しい物ばかり、可愛らしい小物や花がたくさん飾られている。
女性の部屋。……いや、女の子っぽい部屋だ。
「リュミさん……? ここは……?」
「エターナルの私の部屋よ。あなたが倒れた後に連れてきたの」
彼女は静かにベッドサイドへ歩み寄り、椅子に腰掛けた。
「倒れていた……? 俺はドミニオンに……」
言葉を紡ぎながら、記憶が鮮明になっていく。
あの時、胸を貫かれた衝撃。血が流れ出し、意識が遠のいていく感覚。確かに死を覚悟したはずだった。
「ええ。……あのままでは助からなかったわね」
リュミエールは真剣な眼差しで俺を見つめた。
「でも、意識を取り戻した……セラフィの『リ・バース』が間に合ったのね。……肉体を再構築する力よ。あなたは一度死んだはずだけど、セラフィのおかげでこうして生きている」
その言葉を聞いて、全身に鳥肌が立った。
一度死んだはず……それが現実だ。……死の淵から引き戻されたのか。
「セラフィ……?」
俺は思わずその名を口にした。初めて聞く名前だった。
「意識が戻った報告と感謝を、お伝えに行きましょう」
リュミエールは、目を覚ました俺をセラフィの元へ連れて行った。
次元統制院の一角にある静かな一室で待っていると、扉が開き入ってきたのは銀髪の美しい女性。
……彼女を見た瞬間、思わず息を呑んだ……。
「セラフィ。アッシュが目を覚ましました」
リュミエールが丁寧に頭を下げる。セラフィと呼ばれた女性は穏やかな微笑みを浮かべた。
「よかった……アッシュ。よく頑張りましたね」
その声と表情はまさにそのもの。思わず口から出たのは……。
「――師匠――?」
セラフィと呼ばれる女性は、師匠エレナそっくりだった。
銀髪に銀色の瞳。凛とした雰囲気。彼女が生きていたら、こうなっていたんじゃないかと思うほど似ていた。
「師匠……?」
リュミエールが驚いたように俺を見る。
「……すみません、つい……」
恥ずかしさで、顔が熱くなる。師匠と呼んだのは、エレナにだけだった。彼女以外にそう呼んだことはなかった。
「私はエレナの双子の姉です。……あなたは、エレナのことを師匠と呼んでいたのですか?」
セラフィが静かに微笑んだ。その笑顔はどこか懐かしそうだった。
「はい……ノワール家で、お世話になっていた時に……」
少し照れくさくなりながら答えた。
「そうですか……実は、私はエレナのノワール家での生活の様子を知りません。……少し教えてもらえませんか」
セラフィの瞳が優しく緩んだ。
「……はい」
少し考えた後、俺は話し始めた。
「エレナさんは……いつも笑顔で優しかったです。俺が初めてノワール家に来た時、家族を失って寂しかったんですけど……エレナさんはいつも気にかけてくれて……」
言葉を紡ぎながら、ノワール家での思い出が鮮明に蘇ってきた。……エレナが作ってくれた料理の匂い。ブランと一緒に遊んでいる姿を見るエレナの笑顔。
「エレナさんからは、護身術を教わりました。体の動かし方とか、心構えとか……。エレナさんは熱心に教えてくれて……俺のことを『あなたは心も体も強い』って褒めてくれました」
セラフィの表情が微かに柔らかくなった気がした。
「『大切なのは心だ』って……。心が弱ければ、力も生かせないって、教えてくれたんです」
エレナの言葉を思い出すと、胸が熱くなった。
「エレナさんは、ブランのことをとても大事にしていました。ブランは優しすぎるところがあるからと言って、いつもブランのことを心配していて。……俺はエレナさんから『ブランのことお願いね』って頼まれたんです」
その言葉を口にした時、胸の奥が熱くなった。
エレナに頼られたあの日のことを思い出すと、今でも力が湧いてくるようだった。
俺の話を聞いて、セラフィの表情が驚きに変わった。
「エレナが……そんなことを」
彼女は静かに目を閉じた。
「……あなたも、エレナにとって大切な存在だったのですね」
セラフィの声はどこか感慨深げだった。
「そうでしょうか……」
少し戸惑いながら答えた。
「ええ。……エレナがあなたに託した言葉には、きっと深い意味があったのでしょう」
セラフィの言葉に、俺は無言でうなずいた。
リュミエールの家に戻ると、彼女は俺に紅茶を淹れてくれた。……柔らかな香りが部屋に広がる。
温かい湯気が立ち上るカップを手に取りながら、彼女は静かに話し始めた。
「実は……エレナ様は私の師匠でもあったのですよ」
その言葉に、俺は思わずリュミエールを見つめた。
「エレナ様は……優しくて強い方でした。どんな時も希望を失わず、いつも前を向いていた」
彼女の言葉は静かだったが、そこに込められた思いの深さが伝わってきた。
「エレナさんは、リュミさんの……なんの師匠なんだい?」
「次元粒子操作の師匠でした。……エレナ様は私の師匠であり……そして恩人でもあるの」
リュミエールの目には、懐かしさと尊敬の色が浮かんでいた。
「私は昔、……迷っていたの。この力をどう使うべきか。……そんな時、エレナ様に出会った。エレナ様は私に道を示してくれた。……そして、エレナ様の弟子として認められた時、とても嬉しかった」
リュミエールの目が、遠くを見つめるように細められた。
「尊敬してたんだな……」
俺は静かにうなづいた。
「そうね。……尊敬して……憧れて……そして、お慕いしていました」
意外な言葉に、思わず聞き返した。
「……先生のことを、生徒が憧れて好きになる、みたいな感じだった……とか?」
「そうね……確かにそうかもしれないわ。……それは叶わない想いだったけれど」
リュミエールの表情が微かに曇った。
「……でも、私にとっては、もっと大切な存在だったの」
リュミエールは優しく微笑んだ。
「アッシュも……エレナ様から、何か大切なものを教わったのでしょう?」
「……そうだな。俺もだ」
師匠エレナの言葉は今でも胸に響いている。
「アッシュ……」
リュミエールが真剣な眼差しで俺を見つめた。
「あなたも、エレナ様の思いを受け継いでいるのね。……ブランを守りたいという……」
リュミエールの言葉に、胸が熱くなった。
「『審判』のことを……話さなければならないわね」
リュミエールの表情が厳しくなり、そして、彼女は静かに口を開いた。
「そんなことが……そんなこと……許されるわけがねぇ」
彼女が話す審判の内容は驚愕だった。恐怖を覚えずにはいられなかった。
「そして、ブランが……審判の中止を訴えるために、次元統制院へ行きたいと言っているわ」
「ブランが……?」
エレナに頼まれた言葉が脳裏をよぎる。
(……ブランのこと、お願いね……)
胸の奥が熱くなるのを感じた。俺は拳を握りしめた。
「……俺は……もっと強くなる! リュミさん……俺に……次元粒子操作を教えてくれ!」
「え?」
リュミエールが驚いたように俺を見た。
「俺は、守りたいんだ。……ブランを……そしてステラやソフィを」
リュミエールはしばらく黙っていたが、やがて静かにうなずいた。
「わかりました。……私があなたを鍛えましょう」
リュミエールの厳しい指導のもと、俺は次元粒子操作の訓練に励んでいた。
最初は上手くいかないことばかりだったが、日に日に感覚が研ぎ澄まされていくのを感じる。
デバイスの六次元粒子の反応が、遅く感じることさえしばしばあった。
「今日は、ここまでにしましょう。……アッシュ、見てください」
リュミエールが静かに俺のプロテクトウォールを指差した。
それは青く透き通った半透明の壁となっていた。……以前は橙色の半透明だったのに。
「粒子の密度と安定性が大幅に向上しています。色も変わりましたね。訓練の成果が出ています」
リュミエールは驚き混じりに微笑んだ。
彼女の褒め言葉に、胸が熱くなった。エレナにも認めてもらえたような気がした。
訓練が終わり、リュミエールは静かに口を開いた。
「アッシュ……大事な話があります」
彼女の表情が厳しくなる。
「ブランたちが、やってくる日が決まりました」
「いつなんだ?」
「三日後です」
その言葉に、全身に緊張が走った。
「彼らが次元統制院へやってきたら、何が起こるかわかりません。いざという時は『ムーブメント』であなたをブランの元へ送り出します。……あなたには近くで待機してもらいたいのです」
リュミエールは、真剣な眼差しで俺を見つめた。
「アッシュ……あなたならきっとできる。信じています」
リュミエールの言葉に、俺は力強くうなずいた。
「ああ……必ず守ってみせる」
確かに、ブランたちが次元統制院へきたら、何か起こるかもしれない。
俺は、エレナとブランとの約束を、守らなければならない。
……「俺が守る」と言ったあの約束を……。
** **
話しを終えると、アッシュはリュミエールをちらりと見た。
「俺……リュミには、本当に世話になったんだ」
「そうですね。アッシュは頑張っていましたね。みんなを守る力を身につけると言って……」
そう言うリュミエールの姿は、まるでアッシュの姉弟子のようだ。
……アッシュとリュミエールの、今までとは違う距離感が、僕には羨ましく見えた。




