第十五話 再戦
「準備は整いました。三日後、次元統制院へ向かいます」
リュミエールの銀色の瞳は、普段の冷静さの中に、微かな緊張を宿していた。
リビングには、僕とタマモ、ステラ、ソフィアが集まっている。全員が息を呑み、彼女の言葉に耳を傾けた。
リュミエールは静かに事前の状況説明を始めた。
「エターナル星には、国という概念はなく、星全体が統一国家のようなものです。そして、その管理を行っているのも次元統制院です」
(……八百万と同じだ……複数の国にわかれて、統一されていない地球の方が、イレギュラーなのか?)
「エターナルの人々は、普通に次元粒子を認識しています。しかし、粒子操作までできる人は限られます。その中でも、特に優れた者が次元統制院に所属しています」
「粒子操作が上手い人だけが集まってるってこと?」
ステラが確認するように尋ねた。
「そうです。……そして、三次元から十一次元までの各次元操作のトップ九人には、各次元を司るものとしての称号が与えられ、彼らが次元統制院の最高議会を構成しています」
「……各次元を司るもの……審判の中止を決めるのは、その九人全員が集まる場所なんですね」
ソフィアがドミニオンを思い出したかのような顔をした。
「そうです。……彼らの合議によって、審判の行使の有無が決定されます。……ただ現在は、四次元粒子操作を司る称号を与えるに足る能力を満たす者がいないため、一人不在です。よって八名です」
「つまり、僕たちの計画を、その八人全員に、認めさせなければならないということですね」
「そうです。……実質、私を除く七名ですね」
リュミエールは補足しながらうなずいた。
「先日お話した、特に影響力のある三名についてですが……」
そう言いながら、リュミエールが僕をじっとみる。
「十一次元を司るセラフィは、冷静沈着で公正な判断をする方で、私も信頼しております。慈愛深き方でもありますので、大きな被害をもたらす審判を回避できるなら、賛同してくださるでしょう」
今度は、リュミエールはタマモを見て話し始める。
「次に、十次元を司るケルビムですが、知識を追い求める探求心旺盛なご老人です。彼のことを『長老』と呼ぶ人もいる最も古参のメンバーです。……事前に、別次元からの来訪者タマモさんの話をすると、それはもう興味をそそられておりました」
リュミエールの言葉に、タマモがピクリと耳を動かした。
「それでこの前、うちがいればって言ってたの……?」
「ええ。次元転移を操るケルビムにとって、タマモさんの別次元の情報を得ることは、非常に魅力的でしょう。……長老として敬意を払い、意向を尊重する者も多いので、タマモさんの存在が、この交渉の決め手となるかもしれません」
「うち……大丈夫かな……ちゃんとブランの役に立てるかな」
タマモは不安そうに僕を見た。
「もちろんだよ。……タマモがいなければ、そもそも、計画自体が成り立たない。君の力が必要なんだ」
僕の返事にタマモはこくりとうなずき、僕の手を握った。その小さな手が微かに震えているのが伝わってきた。
リュミエールが話を戻す。
「そして、九次元を司るスローンですが、……彼は権威を重んじます。次元統制院による審判の行使を支持しており、現時点ではすんなり賛同してくれるとは思えませんので……」
「他の者たちが賛同して、認めざるを得ない状況を作るしかない、ということですね」
僕は思わず、口をはさんでしまった。
「……そういことです」
リュミエールはにこりと微笑んだ。
「でも……あたしたちは、どうすればいいんだろう?……あたしたちに、できることってあるのかな?」
ステラが心配そうに口を開いた。
「ソフィが……ブランたちのそばにいても……足手まといになってしまうのではないかと……」
ソフィアも不安そうになる。
二人の声には、戸惑いが滲んでいた。
ステラとソフィアは、自分たちは審判の中止に役に立つのだろうかと、葛藤を抱えているようだ。
「そんなことないよ」
僕は状況をイメージして少し間を置いた。
「デバイスは、もしもの時に必要になる。ステラとソフィアの『アクセラレーション』は、いざという時に僕たちを逃がしたり、敵の攻撃をかわしたりするのに不可欠だ」
「そう……かな」
ステラは少し自信なさげに笑った。
「そうですね……もしも……」
ソフィアが遠慮がちに言った。
「……最悪の場合、地球に逃げ帰る手段が必要ですよね……あまり……考えたくないけど……」
ソフィアの言葉に、リュミエールが静かに割って入った。
「ブラン、ソフィアの言うことは一理あります。審判の中止が認められなかった場合……次元統制院は、皆さんを排除しようする可能性は否定できません。その際に撤退する手段は必要です」
……撤退……。
その言葉が僕に重くのしかかる。
「リュミさん。……次元統制院は、そんなに危険な場所なんですか?」
リュミエールを見つめると、彼女は少し考えるように目を伏せた。
「次元統制院は目的の達成を第一としています。そのためには、時に冷徹な判断も下します。特に、審判という重大な決定を邪魔する行為と判断されれば……」
彼女は一度言葉を切った。……その意味に、僕は息をのんだ。
「僕たちは次元統制院と対立するかもしれない、ということですか……」
「その覚悟が必要です。……でも、もしそうなった時は、私があなたたちを地球へ戻してみせます」
リュミエールの目には強い決意が宿っていた。
そして彼女は、やるべきことを見失いかけていた二人に、視線をやった。
「ステラ、ソフィア、もしも私が助けられない時に、万一のことがあったら、みんなが無事に逃げられるようお願いしますね……」
「はい!」
ステラとソフィアは同時に返事をした。
「みんな……どうしても戦闘が避けられない時は、必ず……僕が活路を開いてみせるよ」
リュミエールの言葉に、僕は改めて覚悟を固めた。
三日後、ついにその日を迎えた。
「お留守番お願いね、ルナ。スマホつながらない場所に行くから、もし何か困ったことがあったら、ザフィールの教会へ連絡してね」
ステラが優しく声をかけると、ルナは少し怪訝な顔をした。
「ちゃんとお留守番できるよ。……お姉ちゃん」
いつもと違う雰囲気に、ルナの小さな肩が、不安そうに小さく震えている。
「そうだよね。ちゃんとお留守番できるよね」
ソフィアがルナの頭をそっとなでる。
僕はステラとソフィアをみて小声で言った。
「大丈夫。ルナを一人にしたりなんかしないよ」
ステラは驚いたように僕を見つめ、そして安心したように微笑んだ。
「……うん。そうだね」
「行ってくるね! ルナ」
ステラが今度は明るく声をかけた。
「うん! 行ってらっしゃい!」
いつもの声に、安心したようにルナは手を振った。
家を出る時、僕はもう一度振り返った。ルナがまだ玄関で手を振っているのが見えた。
(絶対に……無事に、みんなで帰ってこよう)
そう心の中で誓った。
リュミエールが僕たちを連れて行ったのは、彼女が普段生活している、大学の近くのマンションの一室だった。
扉を開けると、驚くほど柔らかな雰囲気に包まれた空間が広がっていた。
壁には柔らかい色使いのイラストが飾られ、棚には小さな装飾品が可愛らしく並び、大きめの……ぬいぐるみもある。
意外と女の子っぽい、かわいい雰囲気の部屋に、僕たちは思わず目を丸くした。
「えっと……リュミさんの部屋って……なんか、すごく可愛いですね」
僕が思わず口にしてしまうと、リュミエールは一瞬固まり、頬を赤らめた。
「……そ、そんなことはありません! 私は次元統制院のエンジェルとしての威厳を保つために、……ただ、生活感のない部屋では気が滅入るから、……その……」
普段は冷静沈着なリュミエールが、慌てた様子で言い訳を始めた。
ソフィアは「うんうん」と同意した顔をしている一方で、ステラが、そのあまりのギャップに、思わず吹き出して言った。
「リュミさんって、普段はあんなに凛々しいのに、実は可愛いものが好きなんですね!」
「そっ、そんなことより!」
リュミエールは平然を装うかのように、話を強引に戻した。
「次元統制院へ向かいます。皆さん、こちらへ集まってください」
リュミエールは、胸元にある、紫黒の宝石があしらわれたクロスのネックレスに手を添えた。……宝石が微かに輝き始める。
「私は次元転移を使えませんので、次元統制院の座標を登録した『次元転移結晶』を使います」
(……ツクヨミがタマモに渡した護符と似たようなものか……)
僕はそう思いながら、リュミエールのそばへ行く。
「皆さん、手をつないでください」
僕たちは輪になるように手をつないだ。
リュミエールがネックレスの宝石に意識を集中した。
「――ブラックホール――」
そうと唱えると、クロスが紫黒の光を放ち始めた。
次の瞬間、視界が一瞬白くなり、すぐに今度は真っ暗になり、体が浮遊するような感覚に包まれた。
まるで宇宙空間に放り出されたような……。時間の感覚さえ曖昧になる。数秒のような、数分のような……。
そして唐突に視界が開けた。……そこは荘厳な建物の前だった。
白亜の石材で作られた巨大な門には、複雑な粒子構造式が彫り込まれており、門の左右には次元の守護者を模した彫像が鎮座している。
……空気そのものが澄み渡り、厳かな緊張感が漂っていた。
「ここが……次元統制院」
僕がつぶやくと、ステラが小さく息を呑んだ。
ソフィアは少し怯えたように僕の袖を掴んだ。
タマモは周りを見回し、八百万とは異なる文化を感じ取っているようだった。
「さあ、中へ……」
リュミエールが静かに促し、僕たちは建物の中へと足を踏み入れた。
内部は更に圧倒的だった。広大なロビーには粒子エネルギーを利用したと思われる柔らかな光が満ち、床や柱には高度な次元技術を思わせる幾何学模様が刻まれている。
正面のカウンターには、制服を着た職員が数名座っており、僕たちが近づくと一人が立ち上がった。
「エンジェル様」
職員はリュミエールを見て、うやうやしく頭を下げた。
「来訪者を連れてのご入館となりますので、手続きが必要です」
「アークエンジェルの子と別次元からの来訪者を連れてきました。確認してください」
職員は少し驚いた表情を見せたが、すぐにコンソールを操作し始めた。
「確認できました。アークエンジェル様のご子息一名と別次元の来訪者一名……確かに許可されています」
職員は僕とタマモに視線を向けた。
「ただ……人数が合わないようですが。入館者は二名のはずでは……」
今度はステラとソフィアに職員が目をやった。
「彼女たちも含めて許可を取っています」
リュミエールは静かに返答した。
職員は少し戸惑った様子だったが、再度コンソールを確認した。
「ケルビム様の追記?……重要情報提供者につき必ず連れてくること……」
そうつぶやくと入口のロックを解除した。
「失礼いたしました。どうぞお入りください」
「……さあ。行きましょう」
リュミエールは僕たちを促し、奥へと進み始めた。
建物の中をしばらく歩くと、広い円形の中庭に出た。
白亜の大理石が敷き詰められた中庭は静寂に包まれ、中央の噴水は水ではなく七色に輝く粒子が噴き出している。
リュミエールが静かに、僕たちを先導しようとした、その時だった。
「――待て――」
低く響く声が中庭に響き渡った。声のした方を見ると、三人の人影がこちらへ向かってくる。
先頭に立つのは、青白い長髪を後ろで高く束ねた痩身の男、忘れもしないドミニオンだ。鋭利な青白い瞳が僕たちを見据えている。
隣に立つもう一人の見知った顔の女性、エクスシアは冷静にこちらを観察している。
そして、その後ろには、赤髪をオールバックにしている壮年の男性がいた。赤い瞳は常に険しく、威圧感を放っていた。
背筋に冷たいものが走った。近づくにつれ、彼から放たれる圧倒的な粒子エネルギーと威圧感は、ドミニオンとも違う異質なものだった。
「エンジェル」
赤い瞳が射貫くようにこちらを見ながら、重々しい口調でリュミエールを呼んだ。
「貴様の提案は聞いている。地球の次元粒子技術を無かったことにするという、暴挙を画策しているそうだな」
リュミエールは毅然と背筋を伸ばし、赤い髪の男と対峙した。
「はい。その通りです。……スローン」
「ふん。審判によって、地球を滅ぼすのが筋だろう。なぜそれを止める」
スローンの赤い瞳が燃えるように光った。
「しかも、部外者をこんなに連れ込みおって。その中には、別次元からの侵入者もいるそうだな」
スローンの視線がタマモに向けられた。タマモは僕の後ろに隠れるように身を縮こませた。
「タマモは別次元から来ましたが……僕の大切な仲間です」
タマモを守るように前に出た。
「ほう……」
スローンは僕に視線を移した。
「そのアークエンジェルの力は借り物。そんなもので次元統制院に楯突くつもりか?」
その言葉に僕は眉をひそめた。
確かに僕の力は、覚醒して授かったものだ。きっと、母さんの血筋から受け継いだのだろう。それを借り物と言われれば否定できない。しかし……。
「借り物だろうとなんだろうと……」
僕は毅然として答えた。
「僕には守りたい人たちがいる。そのためなら何だって使う」
そうだ、母さんがそうしたように。
「面白いことを言うな……」
スローンの眉が微かに動いた。
「スローン……ブランの力を侮らないでください。彼はすでにその力を使いこなしている。ならば……その力を認めることは当然です」
リュミエールが静かに口を開いた。
「ふん。確かにその少年の力は気になるな……」
スローンが僕を見つめる。
「……では、この目で確かめさせてもらおうか」
「スローン! そんなことは許可されていません!」
リュミエールが制止しようとした。
「許可? 我々は次元統制院だ。自分の力で権威を守るのに何の許可がいる?」
スローンは一歩前に出た。
「それに……エンジェル。お前が連れてきたこの部外者たちの存在が、既に我々の権威を乱している」
「スローン……」
リュミエールの声にはわずかな緊張が混じっていた。
「我も興味がある」
低く響く声が割って入った。ドミニオンだ。
「この前見た限りでは、計画を認めるに足る力があるとは思えん。我も確かめたい」
「私もドミニオンと同意見です」
エクスシアが静かに言った。
三人の目には明確な闘争心が宿っていた。スローンとドミニオンだけでなく、エクスシアの瞳にも穏やかながらも強い意志を感じる。それぞれが僕たちを値踏みするように見つめている。
リュミエールは静かに僕のそばに立った。彼女の表情は普段の冷静さを保っていたが、その目には緊張が走っていた。
「リュミさん……」
僕は彼女の反応を確認した。
「……まだ、私の出番ではありません」
リュミエールは静かに首を振った。
「ここは……あなたたちの力を示す場です」
彼女の言葉には、僕たちを信じるという強い意志が込められていた。
リュミエールの瞳を見つめながらうなずき、無言で返事をする。
「もう一度、力を試すチャンスをやろう」
そう言いながらドミニオンが前に出た。
「……わかった」
僕はうなずいた。そして仲間たちの方を見た。
「ステラ、ソフィア、タマモ……下がっていて」
「ブラン!」
ステラが心配そうに声を上げた。
「ドミニオンとは……僕一人でやる……」
(ドミニオンだけは……僕が……)
心の中で、もう一度つぶやいた。
草薙剣を展開して白銀の刀身を実態化させる。そしてデバイスを握りしめた。更に、白金のきらめきを帯びた粒子を刃に覆わせる。
デバイスの新しい効果を得て完成させた、草薙剣が光剣をまとうパワーアップバージョンだ。
「戦闘空間を確保します。――ガーディアン――」
エクスシアが静かに唱えた。彼女の体から、青い粒子の壁が放射状に広がり、中庭全体を覆う結界を形成した。
空気中に漂う粒子が変質し、まるで別次元の空間が生まれたかのようだ。
「中庭での戦闘は外部に影響させません。存分に確認してください」
エクスシアは淡々と告げた。
ドミニオンが戦闘態勢に入る。
スローンはそれを傍観している、まるで品定めでもするかのように……。
僕とドミニオンの粒子操作が始まった。周囲の粒子が二人を中心に渦巻き始める。
草薙剣を構え、意識を集中した。体が熱くなり、全身に粒子の活性化を感じる。
ドミニオンが動いた。彼の青白い瞳が鋭く光る。
「――ジャッジメント――」
彼の手のひらから青白い雷撃が放たれた。それは真っ直ぐに、僕めがけて飛んでくる。
以前の僕なら防ぎきれなかっただろう。……だが今は違う。
剣を振り上げ、軌跡を合わせる。雷撃と一直線に構えた瞬間――。
「――武御雷――」
草薙剣の周りに集まり渦を巻いた八次元粒子が、剣を振り下ろす瞬間に、白金の稲妻となって走り出し、ドミニオンの青白い稲妻とぶつかった。
――バチッバチッ――。
衝突音を上げて、白金と青白い光が弾け飛び、二色の粒子が花火のように飛び散った。
「やるな……」
ドミニオンの口元にわずかな笑みが浮かんだ。
「みんな! 回避に徹してくれ!」
僕の叫びに、ステラとソフィアはすぐ理解して、タマモを連れて後方へ退避する。
タマモは不安そうに僕を見つめていたが、僕がうなずくと、彼女もステラの手をしっかりと握りしめていた。
(……僕の力を……必ず認めさせてみせる……)
「ジャッジメント!」
再びドミニオンが放つ青白い稲妻。
「ジャッジメント! ジャッジメント!」
今度は連続で放たれる稲妻。雨のように降り注ぐ雷撃の嵐。
再び剣を構え、意識を集中させた。モーメントの感覚を呼び起こす。体が熱くなり、全身に逆立つような粒子認識が活性化していく。
「――モーメント!――」
次の瞬間、雷撃の嵐は速度を落として、ゆっくりと迫って来る。僕は剣を振るい、一つひとつ叩き斬っていく。
飛散する稲妻の破片が周囲に飛び散り、地面や空中の結界に衝突して光を放つ。
「アクセラレーション!」
ステラがタマモの肩を抱き、ソフィアと共に瞬間移動で、稲妻の破片を避けている。彼女たちの動きは以前に比べて驚くほど速く、的確になっている。
訓練で会得した……モーメントの重ね掛けを発動させるべく、再度、四次元粒子の流れに集中する。
「……モーメント……」
周囲の時間が更に遅くなり始め、素早かったドミニオンの動きが止まっているかのように見える。
(これなら!)
一気に踏み込み、ドミニオンとの距離を詰める。剣を振るい、ドミニオンの首筋めがけて振り下ろす。
……時が正常に戻った瞬間……僕の剣先が、ドミニオンの首筋寸前で止まっていた。
彼は微動だにせず、青白い瞳で僕を見据えている。
「見事な時間操作だ。……それが、貴様の真の力であるか」
低く響く声。彼の目には驚きと評価の色が浮かんでいた。
それを見ていたスローンが圧倒的な威圧感を再び放つ。
「ならば、私も試してみよう」




