第十四話 準備
「リュミさん。……審判の動向を教えてもらえませんか?」
僕は意を決して尋ねた。
「……はい。審判については保留となりました。次元統制院では、様子見という結論が出されています」
リュミエールは答えながら、一瞬表情を曇らせたが、すぐに冷静さを取り戻した。
「……保留……」
その言葉に、僕はほっと息をつく。
「ですが……次に何か問題が起きれば、審判は実行されるでしょう」
リュミエールは厳しい表情でつけ加えた。
「次に、何かが起きれば……」
ステラが不安そうにつぶやいた。
ソフィアも心配そうに眉を寄せている。
「実は……ブランから『次元統制院へ行って話をしたい』と聞いて以来、私も何か方法はないかと考えていました……」
リュミエールはそう言いながら、少し考えるように間を置いた。
「何か方法が⁉」
僕が希望を込めて尋ねると、リュミエールは静かにうなずいた。
「審判の判断基準の一つである『次元粒子技術』、その知識を地球から無かったことにしてしまうのです」
「えっ?」
みんなが揃って驚いた声を上げた。
「どういうことですか?」
ソフィアが怪訝そうに首を傾げながら尋ねた。
「五次元粒子操作『ガイダンス』は、思考干渉によって記憶や概念を操作できます。……ガイダンスで次元粒子技術の知識を全て抹消してしまえば……」
リュミエールはみんなの顔を見ながら答える。
「でも……そんなことが……できるんですか?」
ステラが困惑したように尋ねた。
「理論上は可能です。……ただし、大きな問題があります。……思考干渉に齟齬が起きないように、同時に、広範囲で、多数の人間に実施する必要があります。……しかし、通常のガイダンスでは処理が追いつきません」
リュミエールは一息いれて説明を続けた。
「……そこで、モーメントによって時間を遅らせ、複数回の思考干渉をほぼ同時に行います。……併せて、ガイダンスとモーメントそれぞれにエスカレーションによる能力強化を行い、広範囲で多数の人間を対象可能にするのです」
「なるほど……それなら……」
ソフィアが考え込むようにつぶやきながら、少し顔を曇らせた。
「実行には……ガイダンスとモーメント、そしてエスカレーションを扱える者が二名、この四名を揃えなければなりません。……しかも次元統制院で称号を持つレベルの者を……」
そう言いながら、リュミエールが少し厳しい表情になる。
「しかし……モーメントとエスカレーションの使い手が足りなくて、行き詰まっていました。……でも……もしかすると……」
そこまで言うと、リュミエールが僕の顔を見た。
「……確かに」
僕は返事をしながらタマモを見た。
「僕はモーメントを使えるようになっている。そして、タマモがエスカレーションを使える」
「そうです……。ブランとタマモさんが加われば……実行できるかもしれません」
リュミエールはうなずいた。
「つまり……地球から次元粒子技術に関する知識を、地球から抹消できてしまう、ということですか?」
ソフィアが息を呑み、目を伏せた。
「もちろんリスクはあります。関係する人々の記憶や知識が変化することで、何らかの影響が出る可能性があります。物理上の痕跡の処理も必要です。……しかし、まだ次元粒子技術が、限られた範囲の人しか接触のない今なら……」
リュミエールは冷静に答えた。
「……審判は回避できる!」
ステラは希望が見えたように言った。
「ただし、審判の中止には……次元統制院の承認が必要です。この計画を認めさせなければなりません」
リュミエールは次なる課題を示した。
「リュミさん……やっぱり僕は、次元統制院へ行かなければなりません。この計画を認めてもらうためにも」
僕はつぶやきながら、リュミエールを見据えた。
「次元統制院は、私たちの提案を簡単に受け入れるとは限りません。反対する者もいるでしょう……」
リュミエールは慎重な表情で答えた。
「それでも……やらなければなりません。僕たちの未来を守るために」
僕は強い口調で言った。
「次元統制院へいけば、危険が待ち受けているかもしれません。……それでも、行きますか?」
リュミエールは真剣な表情で問いかける。
「はい。行きます」
僕は強くうなずいた。
「あたしも行くよ!」
「ソフィも行きますわ!」
「うちも一緒に行きます!」
僕の言葉にみんなが続く。
リュミエールはしばらく黙っていたが、やがて静かにうなずいた。
「わかりました。私も協力します。……ブラン、あなたたちを次元統制院へ連れて行きましょう」
彼女は決意を込めた声で言った。
「本当ですか⁉」
僕は思わず声を上げた。
「準備をいたしますので、しばらく時間をください。……次元統制院内に、事前に計画提示を行います」
リュミエールは静かに微笑みかけながら言った。
「できるだけ、賛同を得られるようにしておきたいのです。特に影響力の大きい、十一次元、十次元、九次元の粒子操作を司る称号を持つ三人には……」
そう告げてから、リュミエールはタマモを見る。
「残念ながら、九次元粒子操作を司るスローンの賛同を得るのは難しそうですが、……タマモさんがいれば、十次元粒子操作を司るケルビムの協力が、得られるかもしれません」
「うち……?」
タマモが首を傾げる。
「はい。次元統制院で、タマモさんのいた別次元のことを聞かれたら、できるだけ話すようにしてくださいね」
リュミエールがタマモに微笑んだ。
「わかりました……」
タマモは訳がわからない様子のままうなずいていた。
話し終えると、リュミエールは立ち上がった。
「準備ができたらまた来ます。その時までに、ブランたちも準備をしておいてください」
「わかりました。……リュミさん……本当にありがとうございます」
僕は深く頭を下げた。そしてリュミエールを見つめた。
「私にも目的があります。……エレナ様の遺志を継ぐために……私もブランを守りましょう」
リュミエールは僕をじっと見つめ返した。
「リュミさん……」
立場を超えて助けようとしてくれる、彼女の言葉に、僕は胸が熱くなった。
リュミエールの次元統制院での事前準備を待つ間、僕たちも次元統制院行きの用意をしていた。
……ザフィールは次元粒子研究の破綻により、もう僕たちを狙うことはないはずだ。……ひとときの何事もない穏やかな日々だった。
タマモは八百万から地球へ来て早々に、僕の家にある本を読み漁り始めていた。
「タマモ、何をそんなに熱心に読んでるの?」
尋ねるとタマモは顔を上げて答えた。
「こっちの世界のこと……八百万にはない知識ばかりなので……ちゃんとブランの役に立てるように」
タマモの横には参考書から料理本、小説など手当たり次第に積み重なっていた。
「確かに、文明レベルというか、科学分野は地球の方がだいぶ発達してるからね。……次元粒子認識は、地球の人にはできないけれど」
少し考えてから、タマモに渡したスマホにAⅠ検索の情報精査機能を契約して、使い方を教えてあげた。
「これで、スマホに聞けば何でも、きちんと正しくレクチャーしてくれるよ」
タマモは目を輝かせた。
「わぁ! ありがとう。ブラン!」
それからというもの、タマモはAⅠ検索に夢中になり、地球の文化や科学について、ものすごい勢いで学んでいった。
ステラは、粒子操作トレーニングのやり方を、僕に教えてほしいと言ってきた。
「あたしも、できることを増やしたい!」
そう意気込んで毎日練習を始めた。
最初は苦戦していたものの、彼女の潜在能力の高さは明らかで、徐々に粒子の扱いが上達していった。
そして、アクセラレーションで、自分ともう一人連れて、一緒に瞬間移動できるようになっていた。
「ステラ、すごい上達速度だね」
「えへへ……ブランの教え方が上手いんだよ!」
ステラは嬉しそうに笑った。
ソフィアは、カスタマイズデバイスの改良作業に没頭していた。
彼女は自宅と僕の家を往復し、改良作業を終えると必ず家に来て、ルナをまるで我が子のように愛でていた。
「ルナぁ、今日も可愛いですわぁ」
「ソフィ姉、くすぐったいよぉ」
ルナが笑いながら身をよじっている。
……いつもどおりのソフィアだが、僕には気になっていることがあった。
それは、計画を実行すれば、次元粒子技術の記憶が、ソフィアからなくなるということ。
……次元粒子技術はソフィアが情熱をかけてきたもの。……まさに改良を進めているデバイスにも心血を注いでいる。
リュミエールから次元粒子技術を抹消する話を聞いていた時のソフィアは、確かに、悲しげな顔をしていた……。
「ソフィ。……君の中から、きっと、次元粒子技術がなくなる……ごめん」
僕は計画を進めると決心した。……だから、ソフィアにはどうしても伝えておきたかった。……すると。
「ブラン! ソフィだって、もう覚悟は決めてます! だって……次元粒子技術より、ルナの方が大切でしょ!」
まるで、母親が子供を叱りつけるように言われた。……そして、彼女は僕に微笑みかけてくれた。
「ごめん。……ありがとう」
僕は反射的に、もう一度「ごめん」と口にした……叱られた子供のように。……そして、彼女に感謝した。
ルナは、タマモともすぐに仲良くなって、時折リビングの大型モニターの前で、一緒にゲームをしていた。
「うぅぅ。全然うまくいかないのです……」
初めてゲームに挑戦するタマモは、ルナに手も足も出ず、うなだれている。
「ここは、こうするんだよ!」
ルナが得意げにやってみせている。タマモの地球の娯楽知識は、ルナが先生になっていた。
僕は、四次元粒子操作を重点的に訓練していた。デバイスは無しで。
モーメントは自在に使えるようになっていた。時間の流れ……四次元粒子の流れの速さも思い通り調整できている。
(……よし、これなら。……タマモも九尾になった時の粒子操作量は圧倒的だ。……きっと計画も実行できるだろう)
最後の課題は、ガイダンスを使う者に、モーメントを同調させて、効果を共有することだ。
三次元粒子に比べ四次元粒子は他人に同調させるのが難しく、近年、次元統制院でも、同調まで四次元粒子を操れたのは、アークエンジェルの称号もつ母エレナだけだったらしい……。
「タマモ。モーメントとエスカレーションを重ねる練習したいんだけど」
声をかけたが、タマモはAⅠ検索での調べ事に夢中になっている。話しかけても気づかないほど集中していた。
「……おーい。タマ」
少し大きな声で呼ぶと、ハッと気づいたタマモが、顔を上げて僕の方を見た。
「はい、ブラン。……ごめんなさい、気がつきませんでした」
そのやり取りを見ていたステラが真似をして呼びかける。
「ねぇ、タマ。…………タマちゃん?」
しかし、タマモがあからさまに無視した。
「ちょっとタマモ! なんで無視するのよ!」
「……『タマ』は猫を呼ぶ時によく使う名前だと学んだ。うち、猫じゃない」
タマモがプイと顔をそむける。
「今、ブランには返事したじゃない?」
ステラは首を傾げる。
「ブランはいいんです!」
タマモは真顔で答えた。
「タマモぉ、なんでよぉ」
ステラがタマモにすり寄って頬ずりする。
「ステラは、うちのこと子供扱いしすぎよ。年下なのに」
すると……タマモが反発する。
「えっ、あたしが年下? えぇ、タマモって何歳?」
驚きの声を上げるステラ。
「二十歳」
タマモは静かに答えた。
「えぇー!」
今度は横で聞いていたソフィアも一緒になって、驚きの声をリビングに響かせた。
「嘘でしょ⁉ 中学生くらいの歳だと思ってた……」
ステラが信じられない、という顔でタマモを見つめる。
「……変化……」
そう唱えて、見つめられる視線を横目で見ながら、タマモは成長した姿になった。背丈も胸も少し大きくなって、美しい女性が現れる。
「おお! すごい! タマモって大人の姿になれるんだ!」
ステラは目を丸くして拍手した。
「すごいですわ……」
隣にきて見ていたソフィアも感嘆の声を上げた。
「粒子操作能力を蓄えるために、普段はこの姿なんです。……変化……」
タマモは元の姿に戻った。
「わぁ! 戻った! すごいね、タマモ!」
ステラが興奮してタマモに抱きついて頬をスリスリする。
「ステラは、またそうやって……」
タマモは少し困ったような顔をした。
「あたしが、年下……」
ステラがつぶやいた。
「うん」
タマモがうなずく。
「あたし年下……」
ステラがもう一度つぶやく。
すると、タマモはソフィアの胸元を見てから、ステラの胸をじっと見た。
「さっき、ソフィみたく揺れたりしないけど、ステラより大きかったでしょ」
タマモが「ふん」と鼻を鳴らし両手を腰にあてる。
僕はそのやり取りを見て、思わず吹き出して笑ってしまった。
「むぅ……あたしはこれからなんです!……ブランも笑わない!」
ステラは首を振って、なかなか受け入れられない様子だ。
(なんだか……アッシュとステラもこんな感じでよくやってたな……)
笑いながら、ふとそんなことを思い出していた。
……あの日以来、笑ってアッシュのことを思い浮かべたのは……初めてだった。
……家の中は明るい笑い声に包まれていた……。
夏休みの朝、家の中は静かだった。
僕はデバイス無しでの粒子操作訓練を毎日続けていた。
手のひらに意識を集中させると、銀色の瞳を通じて周囲の粒子が以前より鮮明に見える。
母さんから受け継いだこの力。モーメントに続いて、草薙剣と武御雷もデバイス無しで発動できるようになっていた。
ソフィアのデバイス改良へは、エレメンタルソードのような、特定次元の操作機能は無くなっていいので、粒子認識そのものを向上させる機能がほしいと頼んでいた。
次元統制院へ行って、必ず計画を認めさせなければならない。そのためには、母さんに劣らないモーメントの使い手として、認められなければならない。
ふと視線を上げると、リビングでルナがオンデマンド学習に励んでいた。
彼女の真剣に勉強する横顔を見ていると、これ以上長く、この家に留まらせるのも考えものだと思い始める。そろそろ教会に戻るべきかもしれない……。
そんなことを考えていると、ソフィアがいつものように訪ねてきた。
夏休みに入ってから、彼女の滞在時間が伸び、デバイス改良も機材がいらない調整作業は、我が家でやるようになっていた。
しばらくすると、彼女はちょっとエレガントな作業衣を脱ぎ捨てて、工具箱を広げたまま安堵の表情を浮かべた。
「ブラン!、ステラ!、ついに完成しましたわ。最終調整完了です」
ソフィアの声がリビングに響く。僕たちは庭に出てソフィアを囲んだ。
「まず、ブラン用のカスタマイズデバイスですが……」
ソフィアが真新しいデバイスを手渡してくれる。
手に取ると、これまでより軽い。液晶画面も小型化され、「Particle Recognition Boost (Passive)」と表示されている。
「次元粒子認識に特化して改良しましたわ。エスカレーションのように強力ではありませんが、瞬間的な強化ではなく、常に軽度に認識力を底上げする仕様です。これで、デバイス無しでの訓練成果が、更に活かせるはずです。……今回の自信作ですわ」
次にステラにデバイスを渡す。
液晶画面には「Accelerate」「Protection Wall」と二つの機能が並んで表示されていた。
「ステラのデバイスは、元々のアクセラレーション機能に加え、プロテクトウォールも使えるようになってますわ。……脳波検査の結果は五次元と六次元の適性が高かったので……」
「そうだね。……プロテクトウォールは、誰か使えるようにしておきたいよね」
ステラは早速腕輪を装着し、液晶をタップしてみせる。彼女の周りに淡い橙色の粒子膜が一瞬だけ形成された。
「あとは、ソフィのカスタマイズデバイスです」
最後に、ソフィアが自分のデバイスを手に取る。
液晶画面には「Accelerate」「Condense Flare」と表示されている。
「ソフィは、サポートに回れるアクセラレーションを加えています。……ブランのように粒子適性が高くないので、コンデンスフレアでは、これ以上のお役に立てないと思って……」
ソフィアは少し寂し気に説明する。
「本当はソフィのデバイスに、プロテクトウォールを入れようとしたのですが、残念ながら六次元適性が不足していて無理でした。……ブランはどの次元の粒子でも扱えそうなのに……」
ステラがソフィアの顔を覗き込む。
「ソフィ。ダメだよ、ブランと比べたら。デバイス無しで粒子操作できちゃうくらい特別なんだから……」
横でずっと話を聞いていたタマモが口を開く。
「そうですよ。ブランが特別な人なんです!」
声をかけずにはいられなかったようだ。
「ソフィ……」
僕は彼女が渡してくれたデバイスをじっと見つめた。
そうだった……ソフィアはもともと気が弱そうで、自信なさげなところがあったのに、僕を励ましてくれる姿を見せてくれるうちに、すっかり忘れてしまっていた……。
「ソフィが、デバイスをカスタマイズしてくれなかったら、僕たちは何も始められなかった……ソフィだけができたんだよ」
ソフィアの肩に手をおいた。
「……ソフィだけができること?……そっか……ソフィもちゃんと、ブランの仲間ができてたんですね。……そうなんですね……ありがとう。……ブラン」
ソフィアの目に涙が浮かんだ。
「……泣いちゃった」
ステラが優しく、ソフィアの背中をさする。
タマモも歩み寄った。彼女の周りに粒子が集まり始める。
「うちも……みんなの役に立ちたいです。仲間になりたいです」
タマモは変化して九尾になった。
そして、彼女の尾から放たれた淡い紫色の光が、ソフィアの足元にあった……花のつぼみ……の周りへ包み込むように流れていくと、小さな花火のように弾けた。
すると驚くことに、つぼみが一気に花びらを開き、ソフィアの足元に小さな花が咲いた。
「わぁ! すごい! きれい!」
リビングから見ていたルナが、目を輝かせて駆け寄って来る。
「タマモ! それってエスカレーションなの?……まるで手品みたい」
ステラが拍手する。
「うん。エスカレーションをもっと使いこなして、色々役に立てることができないか、研究してるの」
タマモは照れくさそうに笑った。
「タマモのことも頼りにしてるよ」
僕は無意識にタマモの頭を撫でていた。
……嬉しそうな顔で尻尾を揺らしてくれるので、二十歳と知った後も、ついつい頭を撫でてしまう……。
「さて……今日はここまでにして、みんなで夕食でもどうかな?」
みんなを見回した。
「そうだね! 今日はあたしが作るわ!」
ステラが勢いよく立ち上がる。
「うちも手伝います」
タマモが元の姿に戻った。
「ソフィもお手伝いしますわ」
ソフィアも笑顔が戻っている。
「ルナもお手伝いする!」
ルナも元気よく手を挙げ、みんながキッチンへ向かう。一緒になって楽しそうに準備を始めている。
みんなの温かい笑顔を見ていると、この先もずっと、いつまでも、この幸せな時間を大切にしたいと思った……。
しばらくして、リュミエールが家にやってきた。
彼女の訪問は、その時が来たことを告げていた。




