第十三話 決意
「ツクヨミ……」
アマテラスが促すと、ツクヨミが静かに前に出た。そして僕たちに向き直った。
「元の世界へお送りします。よろしいですか?」
ツクヨミの言葉に、僕とタマモはうなずいた。
「ブラン殿。次元転移を行う前に、あなたに謝罪しておくことがあります」
ツクヨミが静かに僕の耳元で言った。
「謝罪……?」
「はい。実は、あの稲荷像……私が仕掛けを施しました」
「ツクヨミ様が……?」
「次元粒子適性の高い者が触れると……次元転移するように……」
驚いたが、納得もした。なぜ八百万に飛ばされたのか……その謎が解けた。
「なぜそんなことを?」
「スサノオと対峙できる力のある方を捜していたのです」
ツクヨミの漆黒の瞳が僕を見つめた。
「もしかして……八百万は、次元統制院と同じように、地球のことを昔から知っているのですか?」
ツクヨミは静かに首を横に振った。
「次元統制院? その存在は存じません。……地球もこの次元宇宙には存在しない、別次元の宇宙に存在しており、詳しいことまでは把握しておりません」
――別次元の宇宙⁉――。
……父さんが言っていた「ブラックホールの先は、別の場所へつながっている。それは、別次元の宇宙につながる可能性もある」と……。
「八百万には、昔から別次元へ通じる座標が存在しています。あの稲荷神社もその一つです」
「……他にも座標があるんですか?」
「ええ。ブラン殿の星には何カ所かあります」
そこまで話すと、ツクヨミが一息いれる。
「それと……スサノオが戻ってこなかったのは、乱暴が過ぎるスサノオを、姉上がとても強く叱責したのも理由の一つかもしれませんがね……」
アマテラスに聞こえない小声で付け足すと、ツクヨミは口元を緩めた。
「そして、タマモ殿……」
ツクヨミが今度はタマモの顔を見た。
「稲荷の里を守れなかったお詫びです。……お守りです。もし必要になれば使いなさい。八百万へ戻って来られます」
ツクヨミはタマモに、一枚の転移護符を渡した。
「ありがとうございます……ツクヨミ様」
タマモは大切そうに転移護符を受け取った。
その様子をアマテラスが静かに見守っていた。
「お待たせしました。次元転移を始めますよ」
ツクヨミは僕たちをじっと見つめた。
僕とタマモは顔を見合わせた。タマモが小さくうなずく。
「はい。お願いします」
ツクヨミがゆっくりと手を掲げた。彼の指先から紫黒の粒子が広がり始める。
「では、行きます……『ブラックホール』……」
その瞬間、紫黒の光が僕たちを包み込んだ。次元転移が始まった。
体が宙に浮いたような感覚。視界が歪み、一瞬白く、そして黒く、光と闇が混ざり合った……。
朱に染まった赤鳥居が視界に飛び込んできた。神社の石畳の上に立っている。稲荷像の前に戻ってきた。
隣に立つタマモを見た。彼女は辺りを不思議そうに見回しながら、狐耳と尻尾を動かしていた。
……どうしようかと、一番懸念していた狐耳と尻尾を見ながら考えた。
……帽子と長いスカートで隠せるか?……いや不安だ。……駄目もとでタマモに聞いてみる。
「タマモ。こっちの人たちは、みんな僕のような耳で、尻尾はないんだ。……耳と尻尾を隠せたり……する?」
「……はい、ブラン様」
タマモはうなずくと、目を閉じて五次元粒子を操作した。
次の瞬間、狐耳はベージュ色の髪と同じ色のお団子ツインテールの髪になり、ふさふさの尻尾は綺麗に消え去った。
見た目だけでなく、もふもふした感触も変化しているようで、触ってみると普通の髪の毛だった。
……尻尾も確認しようとして、無意識のうちに、お尻を触り……そうになった……寸前で手が止まった。
(あ、危なかったぁ……)
「おおぉ!……すごい。完璧だね。このまま維持できるの?」
……なんだか僕の声は不自然に大きかった。
「少しだけの部分変化なので、長時間このままでも大丈夫です!」
タマモは少し得意げに微笑んだ。
スマホの電源を入れて再起動すると、驚いたことに時間が七時間ほどしか経っていなかった。……八百万では一週間近く過ごしたはずなのに。
次元が変わったことで、時間が歪んでいるのか? それとも僕たちの体感時間が加速していたのか?
「とにかく、ステラとソフィアが心配してるだろうから早く帰ろう」
「はい。ブラン様」
タマモはこくりとうなずいた。
家に帰り玄関を開けると、案の定ステラがリビングから飛び出してきた。
「ブラン! 朝起きたらいないからビックリしたよぉ!」
彼女は僕に抱きついてきた。
「心配したんだからね!」
僕の胸に顔を埋めて、ぐりぐりと擦りつける。
「ステラ、ごめん。ちょっと色々あって……」
そう言いかけた時、ステラはタマモの存在に気づいた。
「あ……れ? この子……誰なの?」
ステラが僕から少し離れてタマモをじっと見る。
タマモは僕の後ろに隠れるようにして顔を覗かせている。
「ソフィも連絡をもらって急いで来ました! ブランがいないって聞いて……」
奥からソフィアも小走りで現れた。
「ブラン! 大丈夫ですか! えっ? ……その方は?」
すると、彼女もタマモを見て目を丸くした。
僕はタマモの頭を優しく撫でながら言った。
「大事な話があるんだ。二人ともリビングへ行こう」
タマモを連れてリビングへ移動した。
タマモを連れて、ソファに並んで座り、ステラとソフィアがその向かいに座った。
「実はね……」
ひと呼吸置いてから話し始めた。
「神社で次元転移が起こって、僕は別次元へ飛ばされたんだ。そこでこの子……タマモを救い出して、一緒に戻ってきた」
「次元転移⁉」
ステラが声を上げる。
「別次元⁉」
ソフィアも驚きの声を上げた。
「ちょっと待ってよブラン! どういうこと⁉」
ステラが詰め寄ってくる。
タマモがピクッと反応する。
「大丈夫だよ。この二人は僕の仲間だから安心して」
タマモに微笑みかけた。タマモは少し緊張した面持ちでうなずくと、丁寧に頭を下げた。
「皆さん初めまして。タマモと申します」
僕は二人にタマモを紹介した。
「タマモは特殊な一族の生き残りでね…………」
稲荷の里のことや、オロチのこと、アマテラス、ツクヨミ、そしてスサノオとの出会いについても、かいつまんで説明した。
タマモは僕のそばから離れず、静かに僕の言葉に耳を傾けていた。
「それで……タマモは狐耳と尻尾があってね……彼女も、次元粒子操作能力を持っているんだ」
その言葉にステラとソフィアが「え?」と固まる。僕はタマモに合図した。
タマモは僕の横で立ち上がると、そっと目を閉じた。粒子を操作する集中力を高める。
次の瞬間、お団子ツインテールの髪が揺れて無くなり、ベージュ色の髪の中から狐耳がぴょこんと現れた。そして背後からはふさふさの大きな狐尻尾が一本現れた。
「ええええええ⁉」
ステラが叫び声を上げる。
「お狐様ですわ⁉」
ソフィアも目を丸くした。
「驚かせてごめんなさい。……これが本当の姿なんです」
タマモは恥ずかしそうに耳をピコピコさせながら、申し訳なさそうに言った。
「タマモちゃん……すごい……」
ステラは口をぽかんと開けたまま、狐耳と尻尾を交互に見ている。
「次元粒子操作能力……タマモさんもデバイス無しで……」
ソフィアは興奮したようにつぶやいた。
「はい。九尾という粒子操作に長けた力を受け継いでいます」
タマモは少し得意げに微笑んだ。
「触ってもいい?」
ステラがそーっとタマモの狐耳に手を伸ばす。
「はい……どうぞ……」
タマモは恥ずかしそうにうなずいた。
「わあ! 柔らかい! 本物の耳だ! 大きいね!」
ソフィアも近づいてきて、恐る恐る尻尾に触れた。
「もふもふですわぁ……気持ちいい……」
「うふふ……」
タマモは嬉しそうに笑った。
ステラが満面の笑みで僕を見た。
「ブラン! この子も一緒に住むの?」
「うん。部屋は父さんの書斎を使ってもらおうと思う」
「やった! 新しい仲間だね!」
ステラは喜びを隠せない様子でタマモに抱きついた。
「よろしくね、タマモちゃん!」
「よろしくお願いします……ステラさん、ソフィアさん」
タマモは少し戸惑いながらも、丁寧に挨拶した。
「タマモさん! よろしくお願いします」
ソフィアも笑顔で応えた。
「ブラン様も、改めましてよろしくお願いいたします。これからお世話になります」
タマモはこちらを向き、会釈をして微笑んだ。
「タマモ。その『様』っていうのは、こっちではやめよう。僕たちは『様』をつけて呼ぶことはあまりしないから」
タマモは少し戸惑ったように「えっ」と小さく声を上げた。
「でも……ブラン様は……」
「ブランでいいよ。それに、もう僕たちは家族みたいなものだろう?」
タマモは、ぱぁっと顔を輝かせた。
「ブラン……家族……」
タマモが小声でつぶやいた。
「ブラン!」
そして彼女は嬉しそうにともう一度呼んだ。
「じゃ、あたしは『ステラ』で!」
「ソフィも『ソフィ』でお願いしますわ!」
ステラとソフィアも乗っかってきた。
「……それじゃ……うちも『タマモ』って呼んでください」
タマモが少し照れながら答えた。
僕はステラとソフィアに向き直った。
「二人には心配をかけてごめん。でも、僕はもう大丈夫だから」
アッシュがいなくなってから、落ち込んでいた僕を支えてくれた二人に、感謝の気持ちを込めて続けた。
「アッシュが守ろうとしたものは、僕が守るって決めたんだ。だから、アッシュの分も僕がみんなを守る。……みんな、これからも僕と一緒に……」
ステラは目に涙を浮かべながらうなずいた。
「うん! 当たり前だよ。ブランは一人じゃないんだから!」
ソフィアも涙ぐみながら微笑んだ。
「ソフィも、ブランの力になります。全力で……」
タマモも僕の手をそっと握りしめた。
「うちも……ブランと一緒にいるよ。何があっても……」
彼女は真剣な眼差しで言った。
「……みんな、ありがとう……」
僕は頭を下げた。……そして、これからやろうとしていることを口にした。
「……実は、エターナルの次元統制院へ行って、審判の中止を頼みに行こうと思ってるんだ」
みんなの顔を見ながら決意を伝えた。
「次元統制院へ⁉」
ステラが驚きの声を上げる。
「そんなことができるんですの?」
ソフィアも目を丸くした。
「次元統制院へ行く方法は……リュミさんに協力してもらえば、可能だと思う……」
「リュミさんって……次元統制院の人だよね。……この前は助けてくれたけど、そんな都合よくいくかな?」
ステラが首を傾げる。
「うん。でも、リュミさんは僕に協力してくれるって、言ってくれたんだ。それに……彼女は僕の母さんのことを、とてもよく知っていて……」
ステラとソフィアが「えっ?」という顔をしている。
僕は、母さん……エレナ・ノワールがリュミエールにとって大切な存在だったことを三人に話した。
「ブランのお母さまが……リュミさんの師匠だったなんて……」
ソフィアが驚きを隠せない様子でつぶやいた。
「リュミさん……ブランのお母さんのことを尊敬していたんだね。……やっぱり教会に来ていた天使だったんだ……」
ステラが理解したようにうなずいた。
「だから、彼女なら、僕たちを次元統制院へ連れていってくれるかもしれない」
うなずきながら拳を握りしめた。
「リュミさんは、審判をやめるよう進言すると言ってくれたけど、いつまでもこの状態が続くとは限らない。……次元統制院に行って直接話をすれば、何かできることがあるかもしれない」
そう言うと、握った拳に力が入る。
「もし、審判を止められないとしたら、みんなの未来が消えてしまう。……僕はまだ、抗ってもいない。……だから、このまま諦めたくない」
僕の言葉に、三人は静かにうなずいた。
「わかったよ。……ブランが行くなら、あたしも行く。ついて行くよ!」
ステラが立ち上がった。
「ソフィも行きますわ。……ソフィは……ルナちゃんのような子供たちを守りたいです!」
ソフィアも力強く言った。
「ブランが行くなら、もちろん、うちは一緒です。……どこへでも、どこまでも、お供いたします」
タマモも決意を込めて言った。
みんなの顔を見回した。ステラの希望に満ちた笑顔。ソフィアの優しい眼差し。タマモの真っ直ぐな瞳。そして、いないはずのアッシュの背中が見えたような気がした。
「みんな……ありがとう……」
審判で、地球が壊滅的な被害を受けると聞いても、正直なところ、今まで実感を持って想像できなかった。
……けれど、仲間の、家族の、僕たちの未来が消えてしまうのは許せない。これだけは、はっきりわかった。
数日ぶりの大学のカフェテリアで、リュミエールに声をかけると、彼女は少し驚いたように振り返った。いつもの白衣姿でコーヒーを片手に持っている。
「リュミさん……」
彼女の前に立った。
「大事な話があるんです。今日の夕方、家に来てもらえませんか?」
リュミエールは顔を上げた。彼女は一瞬驚いたように目を見開いたが、すぐに落ち着いた表情に戻って、カップをテーブルに置いた。
「わかったわ。夕方伺います」
銀色の瞳が僕をじっと見つめた。その視線には心配の色が滲じむ。彼女は何か言いたげな顔をしながら、静かにうなずいた。
「ありがとうございます」
深く頭を下げた。そして立ち去ろうとした時、リュミエールが呼び止めた。
「ブラン……」
振り返ると、彼女は少し躊躇うように口を開いた。
「もう大丈夫なのですか?……心配しました……」
「……はい。色々ありましたけど……大丈夫です」
笑顔で答えると、リュミエールは、ほっとしたように微笑んだ。
「よかったです。では……また後で」
そう言うと、彼女は立ち上がって、研究棟へと向かって歩き出した。
夕方になり、リュミエールが約束通り家に来た。インターホンが鳴り、玄関を開けると、彼女はいつもの白衣姿ままで立っていた。
「こんばんは」
リュミエールは少し緊張した面持ちで挨拶した。
「こんばんは。入ってください」
僕は彼女をリビングへと案内した。
リビングに入ると、ソファにはステラとソフィアが座っていて、奥の椅子にはタマモが座っていた。
「あら……」
リュミエールは驚いたようにタマモを見た。彼女の視線はタマモの頭に向けられたが、すぐにタマモの顔に戻った。
「はじめまして。うちはタマモと申します」
タマモは立ち上がって丁寧に挨拶した。
「……はい。よろしくお願いします」
リュミエールは少し戸惑った様子だったが、すぐに冷静さを取り戻した。
「私はリュミエールと言います。……タマモさんは、この星の方ではないのですか?」
「あれ……?」
タマモは焦ったように、頭を手で押さえた、それからお尻を押さえた。
「えっと……見えるんですか?……変化させてるのに……」
「はい。……私には五次元粒子操作が見えてます。粒子認識能力が高いためでしょうか」
リュミエールは静かに答えた。
「リュミさん。お話したいことがあるんです」
「そうでしたね。どうしましたか?」
彼女は真剣な表情で僕を見た。
「僕は昨日の夜、次元転移を経験しました……」
僕はタマモを見ながら話し始めた。
「神社の稲荷像に触れた瞬間、気づいたら別次元に飛ばされていたんです」
「別次元……?」
リュミエールは目を見開いた。
「はい。八百万という別次元の星に……そこで、タマモと出会いました」
「八百万……」
リュミエールは驚いたようにタマモを見た。
「別次元……それは興味深いですね」
「そこで………………」
昨日みんなに話したように、かいつまんで説明した。そしてタマモの境遇も話した。
「タマモは特殊な一族の生き残りで……彼女も粒子操作能力を持っているんです。能力を開放すると、七次元粒子操作『エスカレーション』を操ることができます」
リュミエールはタマモをじっと見つめた。
「タマモさんが、そのような特殊な存在であることはわかりました。その『変化』の粒子の安定度合い、必要最小限の粒子で実行できる精緻なコントロール、非常に高い粒子操作能力を感じます」
彼女はそう言うと、タマモから僕へ視線を戻した。
「そして……ブラン。……あなた、もしかして、覚醒しましたか?」
リュミエールは僕の瞳をじっと見つめていた。
「……覚醒……?」
驚いて聞き返した僕に、リュミエールはうなずいた。
「あなたのエレナ様と同じ銀色のその瞳……あなたも、エレナ様と同じ粒子操作能力を身につけたのではないですか?」
彼女の言葉に、驚きながらもうなずいた。
「はい。確かに、八百万へ行った時から……」
「やはり……エレナ様の血を引くあなたが、覚醒するのは必然かもしれませんね……」
そう言って、僕の銀色の瞳を見るリュミエールは、嬉しそうに笑みをこぼした。




