第十二話 「武」の象徴
アマテラスが今度は僕に呼びかけた。
「ブラン殿」
彼女は、僕の額にもそっと指を当てた。
「やはり……あなたには、特別な力があるようです」
「え?」
「あなたは、とても高い粒子操作能力を持っているのに、使いこなせていないのです」
アマテラスは僕をじっと見つめる。
「腕に着けている補助装置などなくても粒子操作できるはずです」
「そうなんですか⁉」
驚いた。……今まで粒子操作には、デバイスが不可欠だと思っていたのに。
……でも、言われてみると、オロチと対峙した時に使った……四次元粒子操作モーメント……は、デバイスを使っている気がしなかった。
「今回の依頼のお手伝いです」
そう言うと、再び、五次元粒子が淡い桃色に輝きながらアマテラスの指先に集まっていく。
「……ガイダンス……」
「えっ⁉ 何かが……」
アマテラスが唱えると、僕の頭の中で、粒子操作の術式のようなものが見えた気がした。
「あなたには『武御雷』という八次元粒子操作方法を、脳波で直接伝えました。あなたが武御雷を使いこなせれば、きっとスサノオも言うことを聞いてくれるでしょう」
そう言いながらアマテラスは微笑んだ。
……武御雷……僕は頭の中で、再び粒子操作をイメージした。
「さて、ツクヨミ……彼らを送り出してあげなさい」
アマテラスが弟を呼んだ。
「はい」
ツクヨミは静かにうなずき、僕たちに向き直った。
「スサノオがいると思われる地は『天が淵』です」
「天が淵……?」
「ええ。最後に討伐任務に就いていた地です。彼はおそらくその地域にいるでしょう」
「どうやって行くのですか?」
タマモが尋ねた。きっと歩くには遠い場所なのだろう。
「私は十次元粒子操作を専門としています。あなたたちを次元転移で送り届けます」
ツクヨミは続けて説明した。
「まずは、オロチ討伐依頼のあった地点まで転移させます。そこからは徒歩で探していただくことになります」
「わかりました」
僕がうなずくと、ツクヨミは僕に一枚の護符を渡した。
「こちらをお持ちください。これは都への転移護符です。事が済みましたら、帰還の際に使ってください」
「ありがとうございます」
僕は慎重に受け取った。
「ブラン様……」
タマモが僕の服の裾を引っ張った。
「なんだい?」
「うち……必ず役に立ちますからね!」
「うん、頼りにしてるよ」
僕の言葉に、タマモが嬉しそうに微笑んだ。
アマテラスが静かに歩み寄ってきた。
「ブラン殿、タマモ……どうかご無事で」
彼女の金色の瞳には期待が込められていた。
ツクヨミが静かに手を掲げた。彼の指先から紫黒の粒子が広がり始めた。
「準備はよろしいですか?」
僕とタマモは顔を見合わせてうなずいた。
「では……行きます……『ブラックホール』……」
ツクヨミが静かに唱えた。
その瞬間、紫黒の光が僕たちを包み込んだ。体が宙に浮いたような感覚。視界が歪み、光と闇が混ざり合った。
スサノオの居場所を探し始めて三日目。
タマモが僕の負担を減らそうと、献身的に聞き込みをしてくれた。その情報収集のおかげで、ようやく住んでいる家が特定できた。女性と一緒に暮らしているという。
ここがスサノオの住まいだろうか? そう思いながら玄関を叩くと、中から静かな足音が聞こえ、そっと扉が開いた。
そこに立っていたのは、栗色の柔らかな髪を持つ女性だった。
彼女は僕たちを見ると、驚いたような表情を見せたが、すぐに穏やかな微笑みを浮かべた。
「いらっしゃいませ。どちら様でしょうか?」
「失礼します。アマテラス様から依頼を受けまして……スサノオ様にお会いしたいのですが」
僕がそう告げると、彼女の表情が一瞬曇ったが、すぐに平静を取り戻した。
「スサノオ様は外出しておりますので、家の中でお待ちください」
そう言って中へ招き入れてくれた。
「まあ……どうぞ召し上がってください」
彼女が淹れてくれたお茶は、上品な香りがした。湯気とともに立ち上る緑茶の香りが鼻をくすぐる。作法の心得のある育ちのよさそうな女性のように感じた。
「ありがとうございます」
僕は湯呑みを手に取った。
タマモも緊張した面持ちでお茶を一口すすっている。
「スサノオ様には、どのようなご用件で?」
彼女が静かに尋ねてきた。その瞳には少し警戒心が混じっている。
「アマテラス様のご依頼で……スサノオ様をお迎えに参りました」
僕がそう言うと、彼女は少し驚いたように目を見開いた。
「アマテラス様が……」
彼女はしばらく黙っていたが、やがて小さく息をついた。
「申し遅れました。私はクシナダと申します。スサノオ様の妻です」
「クシナダさん……」
タマモが小さくつぶやいた。
その名は、スサノオの居場所を情報収集している時に聞いたことがある。ここ天が淵に現れた大蛇をスサノオが討伐した際、救われた女性の名だ。
「スサノオ様は、この地にオロチが出た時に、私をお助けくださり……『またオロチが出たらいけないから』とおっしゃって、ここで一緒に暮らし始め、夫婦になりました」
クシナダは窓の外へ目をやりながら語った。その横顔には穏やかな愛情が滲んでいた。
クシナダが夕食の用意をすると言って台所へ行った後も、しばらく待っていたが、スサノオは戻ってこなかった。
僕とタマモは顔を見合わせた。
「もうそろそろ日も暮れるし、出直そうか」
僕が先に口を開いた。
「そうですね。また明日参りましょう」
タマモが立ち上がると、ちょうどクシナダが部屋にやってきた。
「お帰りですか?」
彼女は僕たちを見て微笑んだ。
「はい。改めてお伺いします」
僕が答えると、彼女は玄関まで見送ってくれた。
玄関の外へ出たその時だった。
少し先に、黒いざんばら髪の猛々しい大男が歩いて来るのが見えた。
その姿は見るからに荒々しく、近づくにつれて、全身から威圧感が放たれているのがわかった。
「あれが……スサノオ……」
僕が思わずつぶやくと、タマモが僕の袖をぎゅっと掴んだ。その威圧感に彼女の手は少し震えていた。
スサノオは僕の姿を認めると足を止めた。
その黒い瞳が鋭く光り、まるで獲物を見定めるように、僕をじっと見据えている。
「おい……」
スサノオが低い声で唸るように言った。その声には明らかな敵意が含まれていた。
「なんだお前は?」
スサノオが一歩踏み出す。その動きは風を切るような速さだった。次の瞬間、彼は僕の目の前に立っていた。
「スサノオ様! お待ちください」
クシナダが慌てて声を上げたが、スサノオは目を向けることもなく僕を睨みつけていた。
「ここへ何しに来た? 見慣れぬ奴め……」
スサノオの声には、疑念と警戒心が入り混じっていた。
その目は僕の装いから武器に至るまで一瞬で観察し、敵かどうか判断しようとしているのがわかった。
「僕はブランと言います。アマテラス様のご依頼で……」
僕が説明しようとすると、スサノオはそれを遮るように、更に一歩踏み込んできた。
「アマテラスだと? 姉者が俺に用事がある訳なかろう……姉者の名を騙るとは」
彼の顔に苛立ちの色が浮かんだ。
スサノオが右手を掲げた。その手のひらに白銀の粒子が渦巻き始める。
「――草薙剣――」
彼がそうつぶやくと同時に、粒子が一気に凝縮し、白銀の刃を持つ剣の形となった。その八次元粒子の収束は、驚くほど高濃度に凝縮されて、まるで実体のある刀身のようだった。
「えっ⁉」
タマモが僕の後ろで悲鳴を上げた。
僕は咄嗟にエレメンタルソードを展開した。
スサノオの放つ殺気は桁違いだった。彼が一歩踏み出しただけで地面が震え、空気が凍りつくようだった。
次の瞬間、スサノオが目の前に現れた。その動きの早さは予想を超え、僕が反応する前に草薙剣が振り下ろされていた。
――キーンッ!――。
金属がぶつかるような高音が響き渡る。
エレメンタルソードでかろうじて受け止めたが、その衝撃で腕が痺れ、エレメンタルソードの粒子が離散しそうになる。
「……っ!」
歯を食いしばって堪えるが、スサノオの力は想像以上だった。押し込まれる剣の重みで膝が地面に触れる。
「ふん……この程度で姉者の名を語るとは」
スサノオが冷ややかに言い放つ。その瞳には敵意しか見えない。
「ち、違います! 僕は本当にアマテラス様の依頼で……」
僕が言い終わる前に、スサノオは更に踏み込んできた。草薙剣の軌道が変わり、今度は横薙ぎの一撃が来る。
「くっ!」
必死に後方へ跳び退く。
しかし追撃は止まらない。スサノオの剣戟は鋭く重く、一つひとつが致命傷になりかねない威力だ。
「ブラン様!」
タマモが叫ぶ。その声には恐怖と心配が混じっていた。
「邪魔だ!」
スサノオの怒号と共に、彼が草薙剣を一閃させると、周囲の空気が切り裂かれるような音がした。
それは明らかに物理法則を超えた一撃だった。
ギリギリでそれを避けたが、風圧だけで体が吹き飛ばされそうになる。
「……手強い……」
思わず口から漏れた言葉。
スサノオの力は僕の予想を遥かに超えていた。エレメンタルソードでは到底太刀打ちできない。
「そんな偽物の剣で俺に挑むとは愚かしい」
スサノオが嘲笑うように言った。その瞬間、草薙剣から放たれる圧力が更に増した。
「ブラン様! いきます!」
そんなスサノオを見たタマモの声が響く。同時に彼女の体が淡い光に包まれていた。
その姿は、先日アマテラスから力添えを受けた時のように美しく成長し、背後には八本の粒子の尾を加えた九尾が揺れている。
「タマモ!」
僕はスサノオから視線を外すことなく、声で合図を送る。
「はい!――エスカレーション――」
タマモが大きな声で叫ぶように答える。
同時に、彼女の尾から放出された薄紫色の七次元粒子が、僕の体を包み込んだ。
その瞬間、粒子認識する感覚が研ぎ澄まされていく。
(……これなら!……)
八次元粒子が渦巻きながらどんどん収束していき、白金の煌めきを増していく。今までとは比べ物にならないほどの、粒子収束の精度と凝縮だ。
「――武御雷!――」
収束された粒子は、白金に輝く稲妻となって、一直線にスサノオに向かって疾走する。
「なんだと? これは!」
スサノオが草薙剣で薙ぎ払おうとする。
――バリッ、バリッ!――。
しかし、今度は草薙剣が武御雷を完全に受け止めきれず、剣が歪んだ光を放ち始めた。
「押されている……だと……⁉」
スサノオの顔に驚きの色が浮かぶ。
彼が咄嗟に距離を取ろうとした瞬間、武御雷が草薙剣を砕いた。
「ぐっ……貴様! なんだその力は……」
スサノオがよろめきながら後退する。
その隙に僕は一気に踏み込もうとした。……その瞬間。
「スサノオ様!」
クシナダが二人の間に飛び込んできた。
「もう、おやめください!」
彼女の声にスサノオは動きを止めた。
クシナダの緑色の瞳には涙が浮かんでいた。
「あなたが傷つくところなど、見たくないのです……あなたは私の命の恩人です」
その言葉に、スサノオの表情が変わった。怒りは消え、その姿はまるで大きな岩のように動かず、ただ静かに立っていた。
「あなたが怒りに飲まれそうな時は、私がそばにいます」
クシナダの声は柔らかく、しかし強い意志が込められていた。
その言葉にスサノオの瞳が揺れた。折れた草薙剣は粒子となり、彼の手から消えた。
「俺は……お前を守るために、ここに残ると決めたのだ」
スサノオの声が低く響いた。
「わかっています。だからこそ……あなたが、本当に守るべきものを思い出してください」
クシナダの手が、スサノオの荒れた腕に触れた。その指先は微かに震えていた。
「姉上と兄上が、あなたを待っています。……あなたは私だけでなく、もっと多くのものを守ることができる方です」
クシナダの声に、スサノオは黙ったままだった。その大きな体が微かに震えているように見えた。
「……すまん」
スサノオがゆっくりと膝をつき、彼女の手を取った。その瞬間、二人の間に流れる空気が変わった。
クシナダの静かな強さが、スサノオの荒々しい心を、静かに包み込んでいるようだった。
「都へ戻ろう。……だが、条件がある。お前も一緒だ」
スサノオの言葉に、クシナダが嬉しそうにうなずいていた。
スサノオが僕に向き直った。
「ブラン殿……貴殿のその力、見事であった。失礼を詫びよう。……姉者は、俺が怒ると手がつけられんと、くどくどと言っておったから、使いをよこすとは思わなくてな」
その瞳には先ほどまでの敵意はなく、静かな敬意が宿っていた。
「姉者と兄者への伝言だ。『スサノオが戻る』と伝えてくれ」
「承知しました」
僕は安堵とともにうなずいた。
「それから……これを姉者に渡せ。それが俺が戻ることの証だ。これは俺の『武』の象徴、俺が嘘を言ってないと信じるだろう」
スサノオは草薙剣を再び実体化させると、それを僕に差し出した。
「ありがとうございます」
恐る恐るその剣を受け取った。
(他人に渡すことができるほどの、粒子の実体化!……すごいな……)
白銀の刃を持つ剣は、粒子であるにもかかわらず、手に取った瞬間重みを感じた気がした。それはスサノオが、相手を認めた重みのような気がした。
「では、都へ移り住む準備だ。クシナダ、荷物をまとめるぞ」
スサノオが踵を返した。
クシナダが静かに微笑みながら、スサノオの後を追った。
僕とタマモは顔を見合わせ、依頼完了とばかりに、お互いにうなずき合った。
転移護符を使うと、イセの都の門前に立っていた。
僕は深呼吸をした。スサノオが都へ戻る決断をしてくれたことに安堵していたが、これからアマテラスとツクヨミに報告すると思うと緊張した。
「あの……」
タマモが不安そうに僕の袖を引いた。
「スサノオ様の引越しを待たずに、うちらだけでアマテラス様たちのところへ……?」
「うん。スサノオ様は戻ると約束してくれたし」
僕はタマモの袖を引く手を握った。
「行こう」
僕たちはアマテラスの神殿へと向かった。
神殿に着くと、ツクヨミがすでに門前で待っていた。
「転移護符が発動したようでしたので、お待ちしておりました」
ツクヨミは静かに言った。
「姉上がお待ちです……」
彼の漆黒の瞳が僕たちを静かに見つめる。
ツクヨミの後について歩き始めた。
本殿へ向かう道すがら、タマモがそっと言った。
「ブラン様……スサノオ様はやっぱりすごかったですね」
「うん。彼の力は圧倒的だった。……それと、彼が戻るのを決めてくれたのは、クシナダさんの存在が大きかったね」
「そうですね。……大切な人がいると……強くなれますよね……」
タマモは僕をじっと見てうなずいた。
本殿に着くと、黄金の髪飾りをつけたアマテラスが玉座に座り、静かに待っていた。
その金色の瞳は僕たちが入室すると細められた。
「お帰りなさい、ブラン殿、そしてタマモ」
アマテラスの声は柔らかかった。
タマモは小さく頭を下げた。その仕草には少し緊張が見えた。
「スサノオ様の件ですが……」
僕は「草薙剣」を献上して、報告を始めようとすると、アマテラスが先に口を開いた。
「伝えなくても結果はわかります。この草薙剣を見れば……上手くいったのですね」
アマテラスの視線が、手に持つ草薙剣に注がれた。
「スサノオは本当に戻るつもりですね。しかし、……あの武辺者が、妻を娶るとは……」
僕が詳細を報告すると、アマテラスは小さく笑った。
「はい。準備ができ次第、都へ来ると仰っていました」
「そうですか。……では、この剣はあなたに差し上げましょう」
アマテラスは満足そうにうなずいた。
「え?」
「草薙剣を粒子還元できれば、再度、顕現化するイメージを作ることができます。あなたなら使いこなせるでしょう」
僕は驚きながらも、献上した草薙剣を再び受け取った。
「草薙剣の粒子還元を、行ってみてください」
アマテラスに促され、僕は集中する。
白銀色の粒子が手から溢れ出し、剣を包み込む。剣が光の粒子となって消え去った瞬間、不思議な感覚がした。スサノオの意志が宿っているかのようだった。
「次は、再構築を」
再び集中する。白銀色の粒子を集め、スサノオが振るっていた剣の姿をイメージする。粒子が凝縮し、再び草薙剣が現れた。
「見事です……」
アマテラスは微笑んだ。
「ありがとうございます」
僕は頭を深く下げた。
報告が終わり、アマテラスへ元の世界に戻りたいと伝えると、彼女はツクヨミへ視線を送った。
「準備を……」
ツクヨミが静かにうなずいた時だった。タマモが突然声を上げた。
「待ってください! うちも……ブラン様について行きたいです!」
タマモの声には、強い決意が込められていた。
アマテラスとツクヨミの視線がタマモに注がれる。
「タマモ……」
驚いて僕もタマモを見た。
「うち……ブラン様と一緒にいたいんです! もうここには、家族も里の知り合いも誰もいません……でもブラン様のおかげで、また生きる力が湧いてきました……だから……」
タマモの目には、涙が浮かんでいた。彼女の言葉に、胸が締めつけられる思いがした。
「タマモ……地球は安全じゃないかもしれないんだ」
僕はそう答えながら「審判」のことが頭をよぎる……。
「それでもいいんです!」
タマモは大きな声で答える。
「それに、きっと、タマモには住みやすい世界とは言えない……」
稲荷族のタマモにとって、地球で生活するということは……きっと大変だ……。
「それでも、ブラン様がいるなら……うちはどこへでも行きます! 父さまや里のみんな……家族と過ごした幸せな気持ちを……思い出させてくれたから……」
タマモは必死に訴えた。
その言葉に僕は驚いたが、タマモの決意は固かった。
僕は彼女の言葉を胸の中で繰り返した。
(……家族と過ごした幸せな気持ち……)
それは……心に響く言葉だった。
「……わかった。一緒に行こう!」
僕はタマモの手を握った。
それを見たアマテラスは、少し考えていたが、やがて静かにうなずいた。
「よいでしょう。あなたたちの旅立ちを祝福します」




