6話 誇りと怒りと
エルマーは、ロルフとヨーンに手伝ってもらいながら、荷解きをした。
四人部屋では、一人に与えられた空間には当然限りがあって、持ってきたものを収納するには結構な工夫が必要だ。
「そうだ、衣装棚を見てごらんよ。制服のローブとブレザーが入ってるはずだよ」
ヨーンに言われて、エルマーは自分の衣装棚を開けてみた。
細い衣装棚の中には、エルマーの為に用意されたローブとブレザーの上下が二組ずつ吊るされている。
「明日の入学式以降は、基本的にローブさえ羽織っていれば、その下は私服でも構わないってさ」
「ブレザーのほうが、毎日何を着るか悩まなくていいよね。私服じゃあ、じいやがいないから、自分で服を選ばなくちゃいけないな」
ヨーンの言葉を受けて、ロルフが小さくため息をついた。
「じいやって……本で読んだことはあるけど、実在するものなんだね」
「もちろんさ。じいやは、僕の世話から護衛まで何でもできるんだ」
エルマーが目を丸くしていると、ロルフは誇らしげに言った。
「こいつ、本当に大丈夫なんだろうか……」
ヨーンが、やや呆れた様子で肩を竦めた。
その時、机に向かって本を読んでいたカールが口を開いた。
「そろそろ、食堂へ行かないか? 君たちも、お腹すいてるだろう?」
彼の言葉を聞いて、エルマーは壁に掛けてある時計を見た。間もなく、食堂が開く時間だ。
カールの後について、エルマーたち三人も食堂へ向かった。
「標準寮」と「特別寮」の間に建てられている食堂は、大きなホールのようだった。
幾つも並べられたテーブルでは、先に来ていた生徒たちが和やかに話しながら食事をしている。
その中でも、十七、八歳になるであろう六年生たちは、エルマーから見れば成人と変わらない。
――彼らは授業のことについて話しているみたいだけど、何を言っているのか全然分からないや。俺も、あんなふうになれるんだろうか。
最上級生になった自分の姿を想像しながら、エルマーは首を捻った。
「食事の場は、『標準寮』と『特別寮』共通なんだ。食べ物は、あそこに並んだ料理台にあるから、好きなものを食べられるだけ取っていい。残すのは行儀が悪いから、腹の減り具合で調節して。一度で足りなければ、お替りすればいいからね。席は、どこでも自由に使って大丈夫だ」
カールが説明しながら、生徒たちが並んでいる料理台を指差した。こういった食事の形式は、エルマーにとって初めての経験だ。
料理台の上には、パンやスープの他に、肉料理や野菜のサラダ、焼き菓子や果物など甘いものまでが揃っている。飲み物も、お茶や珈琲、果汁など種類豊富だ。
――学費その他費用全額免除だから、俺は、この食事代も払わなくていいのか。改めて考えると、大変なことだな。成績を落とさないように頑張ろう。
少しではあるものの、エルマーは特待生であることの重圧を感じた。
その時、一人の上級生がカールに近付いてきた。
「やぁ、カール、ちょうどよかった。生徒会のこと、向こうで話したいんだが」
「分かった。……それじゃあ、僕は彼と行くから、君たちは自由に食事してて」
軽く手を振ってから、友人らしき生徒と去っていくカールを見送ると、エルマーたちも料理台のほうへ向かった。
「ここの料理、なかなか美味しいし、何より、お替り自由なのがいいね。うちの料理人も腕はいいけど、僕には量が物足りないんだ」
「お坊ちゃんも、育ち盛りってやつか」
前日から滞在しているロルフとヨーンは、余裕のある様子で話し合っている。
彼らと歩きながら、物珍しさに周囲を眺め回していたエルマーは、見覚えのある顔に気づいた。
黄金色の髪に淡い褐色の肌、澄んだ湖のような瞳――入学試験の日に会った、異国の少女だった。
その姿は、夏の日差しを受けて咲き誇る向日葵を思わせた。
傍らには、友人だろうか、やはり新入生らしい小柄な少女が寄り添っている。二つに分けて三つ編みにした砂色の髪と菫色の瞳が生み出す対比が印象的だ。
異国の少女が向日葵なら、こちらは春の野に咲く菫のようだと、エルマーは以前読んだ小説の一節を思い出した。
エルマーのことを覚えていたのか、異国の少女も、目が合うと小さく手を振ってみせた。
彼女に話しかけてみようと、エルマーが一歩踏み出したとき、一足早く動いた者がいた。
「なんだ? 毛色の違うのがいるな」
異国の少女に話しかけたのは、背丈も横幅もエルマーより大きい、小太りな少年だった。傍らには、取り巻きらしき二人の少年を侍らせている。
私服姿であることから、彼らも新入生だと分かる。
にやにやと笑っている小太りな少年の表情を目にして、エルマーは、ひどく不快な気持ちを覚えた。
――あの顔、ギュンターが俺に嫌なことを言おうとしている時にそっくりだ……
「お前、ちゃんと風呂に入ってるのか? そんな薄黒い身体でさ。貧乏人のくせに、こんな所へ来てるのか?」
下品な表情で聞くに堪えない言葉を投げつける小太りな少年を、異国の少女は淡々と見ていた。一緒にいた小柄な少女は、怯えた顔で異国の少女の後ろに隠れている。
言葉が分からないのかもしれない――エルマーは一瞬そう考えたものの、異国の少女が入学試験を突破するだけの語学力を持つであろうことに気づいた。
「あなたは毎日お風呂に入っているのですか」
異国の少女が、流暢な共通語で言った。年齢に比して落ち着きのある、澄んだ声だ。
「当たり前だ。僕はグレゴール・ロスラー、父さんはロスラー商会の会長だぞ。貧乏人と一緒にするな」
グレゴールと名乗った小太りの少年は、得意そうに異国の少女を見下ろした。
「そうですか。毎日お風呂に入っても、心は綺麗に洗えないのですね」
彼女の言葉に虚を突かれたのか、グレゴールの顔から表情が消えた。
「……なんだと! 女のくせに生意気な!」
二秒ほどかかって言われた意味を理解したのだろう、顔を赤くしたグレゴールが拳を振り上げた。
「やめろ!」
エルマーは、異国の少女とグレゴールの間に割って入った。
彼の中には、保身も見栄もなかった。そこにあるのは怒り――過去の自分と今の状況を重ね合わせて生じた怒りだけだった。
「おい、無茶するなよ」
「加勢するぞ」
ヨーンとロルフも、慌ててエルマーの後に続いた。
「なんだ、お前らは。邪魔するな!」
突然現れたエルマーを、グレゴールが睨んだ。
二人の間には歴然とした体格差があるものの、エルマーは怯まずに言った。
「見た目とか生まれとか、自分ではどうしようもないことで人を貶めようとするな! まして、女の子に手を上げるなんて、恥ずかしくないのか?」
「は、それくらい、父さんが揉み消してくれるさ。お前も痛い目に遭いたいみたいだな」
グレゴールが歯をむき出して笑った、その時。
「愚か者ッ! 国際問題になるぞ!」
凛とした少年の声が響いた。
エルマーとグレゴールは、同時に声の主を見やった。
そこに佇んでいたのは、長く伸ばした淡い金髪に、冷たい灰青色の目をした細身の少年だった。
やはり新入生らしいが、女性とも見紛うような美しい顔立ちと、気品を感じさせる立ち姿は、彼が普通の者ではないことを物語っている。
「イ、イザーク様……」
金髪の少年を見たグレゴールは、先刻までの尊大な態度が嘘のように、恐縮する様子を見せた。
イザークと呼ばれた少年が、異国の少女を見やった。
「その方は、ルーク王国の王族であらせられる、アヤナ・ルーク殿だ。これが、どういう意味か分からない程、貴様は愚かなのか?」
ルーク王国の名は、エルマーもよく知っていた。
――かつては山岳地帯の小国と言われていたが、近年になって「魔結晶」の豊富な鉱山が発見された国だ。ゼーゲン王国の重要な交易相手で、仮に「魔結晶」の輸出入が停止されたりすれば、我が国の魔法産業に大きな影響が出る……
一方、グレゴールはイザークに鋭く見据えられ、身を縮めている。
「そ、それは……知らなかったので」
「知らなければ、何をしてもいいとでも思っているのか」
「す、すみません」
「謝罪する相手が違うだろう」
叱りつけられたグレゴールは、異国の少女――アヤナに向かって頭を下げた。
「すみませんでした」
言うが早いか、グレゴールは足早にその場を立ち去った。
すれ違いざま、彼が小さく舌打ちする音を、エルマーは聞いた。
取り巻き二人も、慌ててグレゴールの後を追っていく。
「我が国の者が失礼しました」
イザークが、アヤナに向かって丁寧なお辞儀をした。
「いえ、私も一言多かったので。ありがとうございます」
アヤナが言うと、イザークは、失礼しますと言いつつ去っていった。
「あなたも、ありがとうございます」
思わぬ状況に、ぽかんと口を開けていたエルマーは、アヤナの声で我に返った。
「い、いや、あいつの言葉で腹が立っただけだから……まさか、君が王族だなんて思わなかったけど」
アヤナの姿を間近で見たエルマーは、顔が熱くなり、頭がぼんやりするような感覚を覚えた。
「あなたは、私が何者なのか知らなくても庇ってくれました。それが嬉しいです」
微笑みながら言うアヤナの姿が、エルマーには眩しく感じられた。
「本当、あなた、すごいわね。私も、何か言い返してやりたかったのに、怖くて何も言えなくて……」
小柄な少女が、エルマーを見上げて言った。
「私は、パウラ・バウムガルテンよ。アヤナとは、寮で同室なの。あなたは?」
「エルマー・ハイゼだ。よろしく」
「あ、あなたね、入学試験で首席だった人って! すごく、すごいわ!」
パウラの言葉を聞いて、ヨーンが、くすりと笑った。
「有名人が、ますます有名になりそうだね。ルーク王国のお姫様を救うなんてさ」
「友人である僕たちも鼻が高いという訳だね」
ロルフも、にこにこしながら言った。
「エルマーさん、それにお友達の方たちも、夕食をご一緒させていただいてよろしいですか?」
アヤナの言葉に反対する者などいるはずもなく、エルマーたちは再び料理台へ向かった。




