34話 封印
エルマーたちを嘲笑っていたウィンデクスの顔が、突然苦悶するかのように歪んだ。
「……な……なんだ……剥がされる……だと?!」
ウィンデクスは、頭を抱えるようにして呻くと蹲った。
彼の全身が、見る間に紫色をした炎に包まれる。
「やめろ……! こんなはずでは……!」
禍々しい紫色の炎に包まれながら地面を転げ回るウィンデクスを前に、エルマーたちも呆然としていた。
不意に、彼を包んでいた炎が、苦しげな咆哮と共に、その身体から剝がれた。
ゲラルトの身体から離れた紫色の炎は、成人男性ほどの大きさの人間に似た輪郭を取り、ゆらめきながら佇んでいる。
「おのれゲラルトめ……自我を意識の底に沈めていたはずなのに、抵抗して私を追い出すとは……これでは力を揮えないではないか……」
紫色の炎が、低い男の声で言葉を発した。この炎が、「ウィンデクス」そのものなのだろう。
一方、地面に倒れ伏し、ぐったりとしていたゲラルトが身を起こすのを見て、エルマーは彼に駆け寄った。
「ゲラルトさん……!」
「……話は後だ」
話しかけようとするエルマーを制し、ゲラルトが、ふらつきながら立ち上がった。
彼は手にした杖をウィンデクスに向けると、呪文を詠唱し始めた。
膨大な魔素の動く気配から、エルマーは、ゲラルトが高度な呪文を使おうとしているのだと気づいた。
「封印!」
ゲラルトの詠唱が終わると同時に、ウィンデクスの周囲には半透明の結晶を思わせる壁が無数に出現した。
瞬く間にウィンデクスを包み込んだ壁は、折りたたまれるように収束していき、拳二つ分ほどの大きさをした紫色の結晶と化した。
「だ、出せ! なにをする気だ!」
地面に転がっている結晶からは、微かにウィンデクスの声が聞こえてくる。
「……一時的に、奴を閉じ込めてあるが、長くは持たない。きみたちの魔法で、あの結晶を早急に破壊してほしい。私は、これが限界だ……」
激しく息を切らせながら言うと、ゲラルトは膝から崩れ落ち、再び地面に倒れた。
「みんな、まだ魔法を撃てる?」
エルマーは、仲間たちを振り返って言った。
「あの結晶を破壊すればいいのだな」
立ち上がったイザークが、そう言って頷いた。
「あと一発くらいなら、なんとかなるさ」
「残りの力、あいつに全部叩き込んでやるよ」
ロルフとヨーンも、力強く答えた。
「私も、行けます!」
アヤナの言葉を皮切りに、エルマーたちは呪文の詠唱に入った。
「やめろ! 古代魔法文明の知識や技術、私はまだまだ全てを伝えていないぞ! 惜しくはないのか?!」
結晶の中ではウィンデクスが喚いているが、もはや誰一人として耳を貸す者はなかった。
エルマーとイザーク、そしてロルフの斉唱による超高温の火球が、ヨーンの土属性魔法で造り出した岩塊が、そしてアヤナが放った白く輝く光の槍が、次々とウィンデクスを閉じ込めた結晶に降り注ぎ、そして――――
「そんな馬鹿な――――!」
ウィンデクスがあげた断末魔の声と共に、結晶は砕け散り、粉々になった。
結晶の欠片が急激に風化し霧散する様を、ぼんやりと眺めていたエルマーは、我に返るとゲラルトのもとへ駆け寄った。
「ゲラルトさん! 大丈夫ですか」
エルマーに抱き起こされたゲラルトが、薄らと目を開けた。ほんの短い間に彼はやつれ果て、灰色だった髪は真っ白になっている。
「……やったのかい?」
掠れた声で、ゲラルトが言った。
「はい。結晶は、みんなで破壊しました」
「そうか……迷惑をかけて、すまなかった。きみが見せてくれた妹の姿……あれのお陰で、私は自分を取り戻すことができたんだ」
ゲラルトの赤い目から、一筋の涙がこぼれた。
エルマーも、目の奥が熱くなり、胸が締めつけられるような感覚を覚えた。
「会長! みんな! 大丈夫ですか?!」
その時、「気象調整装置」の扉が開いたかと思うと、ゲラルトの秘書であるステファンが飛び出してきた。
「学生の皆さんには隠れているよう言ったのに、いつの間にかいなくなってるし、かと思えば外で魔法戦闘が始まっているし、肝が潰れるかと思いましたよ」
ひと息に捲し立てたステファンが、ゲラルトの姿を見て目を剥いた。
「会長、そのお姿は……今しがた魔導通話機の回線が復旧して、本社に連絡がとれました。もうすぐ救急隊も来ますので、それまでご辛抱ください」
「少しばかり、消耗が激しくてね。すまないが、私を中央制御室まで連れていってくれないか」
「し、しかし、安静になさったほうがよろしいかと」
「その前に、『気象調整装置』で乱してしまった天候を整えなければならないだろう」
「……承知しました」
エルマーは、ステファンと共にゲラルトを支えながら、中央制御室へと戻った。
職員たちも、外部の様子を映し出す板で状況を知ったらしく、安堵した表情を見せていた。
「会長、元に戻られたのですね」
「ああ……みんなには、申し訳ないことをした。『気象調整装置』の復旧作業は、どれくらい進んでいる?」
「やっと半分ほどかと」
「この短時間で、そこまで行くとは。さすが、我が商会の職員は優秀だ」
そう言いつつ、ゲラルトはステファンに支えられて制御盤の前に座ると、魔導炉や魔素変換装置の動作を正常な状態へ戻す操作を行った。
「魔導炉の出力低下……そのまま維持してくれ」
「了解、出力は安定しています」
「魔素変換装置は使用術式を変更、晴天用へ」
「了解、術式変更は正常に行われました。これより運転を再開します」
ゲラルトの指示により、職員たちが「気象調整装置」を操作していく。
「ああ、空が晴れていきますよ」
アヤナが、外の様子を映している板を見上げて言った。
いつしか厚く垂れこめていた雲は消え、初夏の明るい空が戻っている。
「僕、正直言って死ぬんじゃないかと思ったよ」
ヨーンが、そう言って小さく息をついた。
「もう、すごく心配したんだよ。でも、みんなが無事で本当によかった」
ハンカチで涙を拭いながら、パウラが言った。
「貴重な経験をしたとも言えるな。二度と御免だが」
イザークは、肩を竦めた。
「僕は……ちょっとだけ面白かった……かもしれない」
「きみの神経が羨ましいよ」
ロルフの言葉に、ヨーンが呆れた様子で答えると、一同に笑いが起こった。
「エルマーは、やはりヴィハーンのように賢く強いですね」
アヤナが、エルマーを見上げて言った。
「きみが、傍にいてくれたからさ」
エルマーも、アヤナを見つめ返した。
短時間ではあるが、ゼーゲン王国全土に及んだ異常気象は当然注目される話題となった。
国による調査が入り、表向きはライヒマン商会が建造した「気象調整装置」の起動実験における事故と発表された。
その陰で、ゲラルト・ライヒマンは魔法管理省所属の研究員時代、古代魔法文明遺跡から私的に遺物を持ち出した罪に問われた。しかし、かつて彼の援助を受けた各方面の有力者たちによる減刑歎願が相次ぎ、その結果、執行猶予付きの懲役という、実質的にはほぼ無罪に近い判決が下った。
だが、長年に及ぶ「ウィンデクス」の憑依と、それに対する抵抗によりゲラルトは消耗し、商会の会長としての職務を全うできない状態に陥っていた。
彼は魔法管理省の監視を受けながら、療養施設での生活を余儀なくされた。
ライヒマン商会は、突然のゲラルト引退に混乱した。それを収束するべくゲラルトが後継者に指名したのは、彼の甥にあたるエルマー・ハイゼだった。




