33話 打ち砕かれる希望と幻と
エルマーたちは、制御室で作業している大人たちに気づかれぬよう注意しつつ、「気象調整装置」の出入り口に近付いた。
施設内は空気調整の魔導具により気温や湿度が快適に保たれているが、出入り口付近の温度は、かなり低下している。
思い切って扉を開け、彼らは外に出た。
本来であれば、そろそろ夏が近づき日差しも強くなる時期にもかかわらず、空には厚い雲が垂れ込め、外気は冬のように冷え切っている。
ゲラルトの姿をした「ウィンデクス」は、呪文の詠唱が一段落したのか、「気象調整装置」から立ち昇る光の柱を見上げながら満足そうな顔をしていた。
エルマーとイザーク、そしてロルフを前衛とし、その後ろにヨーンとアヤナを隠すようにして、彼らは佇んでいるウィンデクスに近付いていく。
「おや、小童どもが何の用だ? おとなしく建物の中に隠れていれば、多少は命を長らえただろうに。ほほう、既に防御魔法をかけてあるとは、用意のいいことだ」
先に口を開いたのは、ウィンデクスだった。彼は、十歩ほどの距離まで接近したエルマーたちを、その赤く光る目で見た。
――同じ赤い目でも、ゲラルトさんが俺を見る目は、いつも優しかった。こんなに禍々しい感じなんかじゃなかった……やはり、別の何かが憑りついているというのは、本当なんだ。
エルマーは、ごくりと唾を飲んでから口を開いた。
「あんたに用はない。俺は、ゲラルトさんと話をしたい」
「面白いことを言う……ああ、お前はゲラルトが気にかけていた甥というやつか。あの男は、失った妹の代わりにお前を幸せにしたいと色々骨を折っていたようだな。まぁ、それも全て無駄になる訳だが」
ウィンデクスの言葉に、エルマーは、びくりと肩を震わせた。
「なぜ、あんたはゲラルトさんに憑りついているんだ」
「あの男と初めて遺跡で出会った時……奴は世の中に対する苛立ちを抱えながら、力を欲していた。私は、遺跡の外に連れ出してもらう代わりに、あの男に少しばかり力を貸してやったのだ。奴に気づかれぬよう、私の都合のよい方向へ誘導しつつだがな」
ウィンデクスが、ゲラルトそのままの顔に再び醜悪な笑みを浮かべた。
「最初から、ゲラルトさんの身体を乗っ取るつもりだったのか?!」
「そうとも。この男は、生まれつき大きな『魔素の器』を持っている。私が力を揮うにも格好の人材という訳だ」
そう言いながら、ウィンデクスが手にした杖を振り上げた。
エルマーたちは、誰からともなく同時に魔法防御の呪文を詠唱した。
彼らの周囲に淡く輝く光の壁が幾重にも展開され、降り注ぐ雷を散らした。
「ゲラルトさん! 目を覚まして! こんな奴の言いなりになってはいけない!」
エルマーは叫んだが、ウィンデクスは顔色一つ変える様子もない。
「無駄だ。この男の自我が目覚めることはない。とはいえ、お前らのような連中は聞き分けが悪いと相場が決まっている。少しばかり遊んでやろう」
ウィンデクスが杖をエルマーたちを向けながら、呪文の詠唱を始めた。
「やはり、傷つけずにというのは無理か。エルマー、覚悟を決めろ」
イザークの言葉に、エルマーは歯を食いしばった。
――そうだ。甘いことを言っていては俺たちが倒される。あいつを、戦闘不能にすればいいんだ。
「炎の呪文を!」
エルマーは言うと同時に、自分の知る最大級の火属性呪文を詠唱した。イザークとロルフも、それに続く。複数の魔術師による戦術、「斉唱」だ。
後方では、ヨーンとアヤナが魔法防御の呪文を詠唱し続けていた。エルマーたちを覆う光の壁が、一層堅固なものになっていく。
三人分の「斉唱」から生み出された巨大な火球がウィンデクスを飲み込んだ。しかし、彼もまた魔法の防御壁をまとっているのか、眩しそうに目を細めただけだった。
同時に、ウィンデクスの杖から放たれた雷がエルマーたちの周囲に降り注ぐ。
魔法防御の壁を幾重にも展開し、それでもなお伝わってくる、全身を針で刺されるような痛みと衝撃に、エルマーは驚いた。
――これが、本物の戦闘、そして「高位の魔術師」というものか……!
不意に、温かく柔らかなものに包まれるような感覚がエルマーたちの周囲に湧き上がった。
アヤナが、高度な治癒呪文を詠唱したのだ。彼女を中心に、美しい光の粒子が広がっていく。
痛みがもたらす恐怖により強張っていた身体が力を取り戻していくのを、エルマーは感じた。
火球が唸りをあげ、雷光が閃き、天空からは氷の槍が降り注ぐ――激しい魔法の応酬が続く光景が、まるで現実とは思えぬ世界を作り出していた。
――もしかしたら、こちらが押している……いけるか?
エルマーがちらりと考えた瞬間、彼は凄まじい衝撃と共に自分の身体が弾き飛ばされるのを感じた。
冷たい地面へ捻じ伏せられるように倒れたエルマーは、慌てて身を起こした。少し動いただけで、全身を殴打されたごとく痛みが走る。
「……なにが……起きた……?」
傍らでは、やはり倒れ伏していたイザークが、よろよろと身を起こしている。
はっとして周囲を見回したエルマーは、ロルフとヨーン、そしてアヤナも地面に打ち倒されているのに気づき、戦慄した。
震えながら身を起こしたアヤナが、顔を顰めつつ治癒の呪文を詠唱した。柔らかな光に包まれたエルマーは、身体中の痛みが引いていくのを感じた。
「くそっ、五人なら何とかなると思ったのに」
「もしかして、あいつ、全然本気じゃなかったとか……?」
治癒呪文の効果か、ロルフとヨーンも起き上がっている。だが、その顔からは血の気が失せ、戦意を喪失しかけているのが見て取れた。
「……勝てると思っただろう? 希望が打ち砕かれた人間というのは、実にいい顔をするものだ。私も、せっかくのスーツが焼け焦げてしまったがね」
余裕綽々といった風情で佇んでいるウィンデクスが、にやにやと笑いながらエルマーたちを見下ろしている。
――端から遊んでいたんだ。猫がネズミをいたぶるみたいに……だけど、こいつが古代魔法文明時代に排除された理由というのが、何となく分かった気がする……
エルマーは、勿体ぶってスーツの汚れを払うウィンデクスを睨んだ。
「まだやる気か? 澄み切った、覚悟のある目だ。実に苛々するほどにね。駄目だと分かっても最後まで抵抗する姿、見届けてやろうじゃないか。もっとも、さっきまでの戦闘で激しく消耗しているだろうから、魔法を撃てるのは、あと一発か二発といったところだろうが」
ウィンデクスの言うとおり、エルマーたちは消耗が激しく、すぐさま立ち上がることすらできない状態だ。
エルマーは絶望的な状況の中、必死で次の手を模索していた。
――そもそも、ゲラルトさんの目を覚まさせるというのが第一の目的だ。なにか……なにか彼の心を動かせるようなものはないのか……
その時、エルマーは「気象調整装置」の操作権限を得る合言葉を思い出した。
――ゲラルトさんは、俺を産んだ母さん……妹の名を合言葉にするほど、大切に思っている……だとすれば。
エルマーが呪文を詠唱すると、彼の前に一人の女性の姿が現れた。
殺傷力どころか実体すら持たない幻、だが、その姿は――エルマーが肖像画でしか見たことのない実母、フリデリーケのものだった。
「なんだ、苦し紛れの幻術か。虚仮威しなら、もっと恐ろしげな怪物でも出せばよかろう」
ウィンデクスの嘲笑する声が、辺りに響いた。




