26話 ある夏の日のできごと
夏期休暇が始まって一週間ほど経った頃、エルマーはヨーンやアヤナ、そしてパウラと共に、王都郊外にあるロルフの実家、ヒルデブラント家を訪れた。
エルマーたちの間では、夏季休暇の数日をロルフの実家で過ごすのが恒例となっているのだ。
「何度見ても、立派な屋敷だねぇ」
目の前にそびえ立つヒルデブラント家の屋敷を見上げ、ヨーンがため息をついた。
「ご先祖の頑張りのお陰だって、父上が言ってたけどね」
そう言って、ロルフが屈託なく笑った。
「皆さんは、夏季休暇の課題は済ませたのですか?」
「三分の二くらいかな。寮に帰ったら、続きをやるよ」
アヤナの問いに、エルマーは答えた。
「もう、三分の二……さすがは、エルマーね」
パウラが、驚きに目を丸くしている。
「まぁ、ここにいる間は、課題のことは忘れてもいいんじゃないかな」
「そうそう、楽しまないとね……問題集は持ってきたけど」
ロルフとヨーンの言葉で、一同の間に笑いが起きた。
そうこうしていると、ロルフが「じいや」と呼ぶ白髪の執事が、数人の使用人たちを伴い、エルマーたちを出迎えた。
「坊ちゃま、おかえりなさいませ」
「お荷物は、皆さんがお泊りになるお部屋まで運ばせますので。では、客間までご案内いたします」
使用人たちに荷物を預け、エルマーたちは執事に客間まで案内された。
掃除の行き届いた廊下には塵一つなく、品のよい内装に重厚な様式の調度品が醸し出す、いかにも貴族的な雰囲気に、エルマーは緊張した。
客間では、ロルフの両親と大学生だという兄が揃ってエルマーたちを迎えた。
紅茶と旨そうな焼き菓子の載った台車を押してきた執事が、優雅な手つきで給仕していく。
「どうぞ、ゆっくりしていってね。お菓子も沢山あるから、遠慮せず食べてね」
「息子も、最近は、しっかりしてきたようだが、お友達に世話をかけてるんじゃないかね」
貴族ながら気取らず気さくなロルフの両親は、エルマーたちの緊張を解そうとするかのように、朗らかな笑顔を見せた。
「いえ、ロルフには、いつも助けられています」
「そうか、あの甘えん坊だった弟が、成長したものだね」
ロルフの兄が、エルマーの言葉を聞いて微笑んだ。父親似できりりとしたロルフに対し、兄は母親似で優しげな顔立ちだ。
だが、両親の特徴を受け継いだ兄弟は、やはり濃い血の繋がりを感じさせる。
――兄弟がいるというのは、どんな気分なんだろう。少し羨ましいな。
そんなことをエルマーが思っていると、ロルフの母が口を開いた。
「そうそう、ロルフ、今日はレベッカ嬢もいらっしゃるから、そのつもりでね」
ロルフの母の言葉に、エルマーたちは首を傾げた。
「ああ……レベッカというのは、僕の許嫁だよ」
首を傾げていたエルマーたちは、ロルフの言葉を聞いて、飛び上がらんばかりに驚いた。
「そ、それは初耳だね」
エルマーは、やっとのことで言葉を絞り出した。同い年のロルフに「許嫁」がいるという事実は、彼にとって遠い国の出来事のように感じられた。
「特に言う必要もないかと思って。でも、今日、彼女も来るなら、みんなにも紹介するよ」
「だとしたら、私たちがいては、お邪魔ではありませんか?」
ロルフは無邪気に言ったが、アヤナが心配そうに問いかけた。
「ほんとのところ、二人きりだと何を話していいか分からないしさ。女の子の間の流行りものとか、よく知らないし」
言って、ロルフは顔を赤らめながら頭を掻いた。
ひととおりの挨拶が済むと、ロルフの家族たちは、それぞれ用事があると言って客間から出て行った。
「でも、子供の頃から許嫁がいるなんて、さすが貴族というか、なんだか物語の中みたいね」
紅茶に添えられた焼き菓子を頬張りながら、パウラが言った。
「そういえば、アヤナは王族だけど、やっぱり決まった相手はいるの?」
ロルフの問いかけに、アヤナが慌てて首を振った。
「いえ……今のところは、いません」
彼らのやり取りを前に、エルマーは胸の中が波立つのを感じたが、アヤナが否定するのを聞いて、何とはなしに安堵した。
「そうか、貴族や王族は、家同士の都合とかも考えなきゃいけないもんね。レベッカ嬢って、どんな人?」
「僕と同い年で、綺麗だし、賢い子だよ。子供の頃は、時々会って一緒に遊んだりしたけど、別々の学校へ通うようになってからは、滅多に会わなくなってね」
――よく知らない相手と、将来を共にすることが決まっているというのは、どんな気持ちなんだろう。貴族には、彼らなりの大変さがあるんだな。俺なんて、自分の将来すら決めあぐねているというのに。
ヨーンとロルフの話を聞きながら、エルマーはゲラルトの顔を思い出した。数か月に一度くらいの頻度で、彼とは食事を共にするなどの付き合いが続いている。
押し付けるような言い方はしないものの、ゲラルトはエルマーを自身が経営する「ライヒマン商会」へ招きたいと思っているらしかった。
――ゲラルトさんに従えば、俺は何の苦労もなく「ライヒマン商会」で働ける……普通に採用試験を受けたなら、倍率はかなり高いという話なのに。俺も決して嫌な訳ではないし、そのほうがゲラルトさんも満足してくれるだろう。でも、心のどこかで、それでいいのかという疑問が消えないんだ……
それが若さゆえの意地のようなものなのか、あるいは別の何かであるのか、エルマー自身も判然とはしなかった。
「失礼します。レベッカ・アイヒベルク様がお見えになりました。こちらへお通ししても、よろしいでしょうか」
使用人が来客を告げる声で、エルマーは思考の世界から戻った。
「ありがとう。ここに来てもらって」
ロルフが答えると、使用人は、承知しましたと言い残して部屋を出た。
数分後、使用人に案内され、レベッカが姿を現した。
亜麻色の髪に深い青色をした瞳が映える、勝気そうだが美しい少女だ。
「やぁ、久しぶりだね、レベッカ」
ロルフが立ち上がって、彼女を迎えた。
「ごきげんよう、ロルフ様。お久しぶりですね」
レベッカは、にっこりと笑ってエルマーたちを見回し、上品なお辞儀をした。
「この方たちが、おば様からお聞きした、ロルフ様のお友達ね。私はロルフ様の許嫁、レベッカ・アイヒベルクです。今はシェーンハイト女学院に通っています。よしなに」
「シェーンハイト女学院って、貴族のお嬢様が行く全寮制の学院よね。とっても厳しいって有名よ」
「よく知ってるねぇ」
「制服が可愛いから憧れる子も多いのよ」
パウラとヨーンが囁き合っている。
ロルフはレベッカを自分の隣に座らせると、エルマーたちを級友として紹介した。
「お二人が、そうして並んでいると、お似合いですね。エルマー、そう思いませんか」
「うん、そうだね」
アヤナの言葉に、エルマーは素直に同意した。背丈が伸びて大人びてきたロルフと、美しいレベッカが並んでいる様は、一幅の絵のようだと、彼は思った。
レベッカは、最初に挨拶して以降、にこにこと微笑んでいるだけで、自分から口を開くことはなかった。
アヤナやパウラが気を遣ってか、時折話題を振っても、難しい話は、よく分からないからと曖昧に微笑むばかりだ。
ロルフが、レベッカと二人きりだと何を話していいか分からないと言っていた理由が、エルマーにも分かるような気がした。
皆が雑談や盤上遊戯に興じ始め、しばらく経った頃、レベッカがエルマーに近付いてきた。
「あの、お話したいことがあるので、少しバルコニーに出ませんか」
そう言って、彼女はエルマーの腕をとった。
ロルフはヨーンとのゲームに夢中で気づいていない様子だ。
アヤナは少し驚いた顔でエルマーを見やったものの、はっとしたように目を逸らした。
エルマーは一瞬動揺したが、自分の腕に触れているレベッカの手が震えているのに気づき、彼女についていくことにした。




