22話 即興斉唱
「お前らが負ければ、練習場は引き続き俺たちが使わせてもらう、ただそれだけのことだ。どうする?」
支配者が睥睨するごとく、ニクラスは口を噤んでいる一年生たちを見下ろした。
――彼らは、俺たちに譲る気など端からない……無理難題を押しつければ、俺たちが諦めると思っているんだ。
歯を食いしばりながら、エルマーは次に発する言葉を探していた。
「ひ、ひどいです! 習得した呪文の数も段違いなのに、一年生が、四年生に勝てる訳ないです! 最初から、譲る気なんかないんでしょう!」
エルマーよりも先に口を開いたのは、パウラだった。恐怖の為か顔に血の気はなく、肩を小刻みに震わせているものの、その菫色の目には怒りが宿っている。
「なんだ? お前、そのローブは『魔法理論学科』のじゃないか。魔法を発動することもできない奴に、ここで口を利く資格などないぜ」
ニクラスは嘲笑うように言ってから、パウラを睨んだ。
エルマーたち「魔法科」のローブには黒地に金色の縁取りが施されている。しかし、「魔法理論学科」のものは縁取りが銀色の為、一目で区別がつくのだ。
「そ、それは失礼千万です! 撤回してください!」
そう言いながら、ヨーンが涙ぐむパウラを庇うように前へ出た。ロルフも、彼に続いてパウラを背後に隠した。
「魔法を学びながら、魔法技術を支える方たちの大切さを理解していないとは、情けないことですね」
パウラの肩を抱きながら、アヤナもニクラスを見据えた。
「ぴいぴいと喧しいヒヨコどもだな。やるのかやらないのか、はっきりしろ。なんなら、俺と、一年生二人の一対二でも構わないぜ」
「おい、そんなこと言って大丈夫か」
ニクラスの言葉に、四年生の一人が些か不安そうな顔を見せた。
「なに、まだ斉唱も習ってない一年生が何人いても無駄だろ」
同級生の心配する声を、ニクラスは笑い飛ばした。
「――分かりました。あなたとの勝負、受けさせてもらいましょう。一対二で、構わないのですね?」
少し考える様子を見せていたイザークが、口を開いた。
「てっきり逃げるかと思ったが、やるってのか。じゃあ、誰が出るか決まったら練習場に入ってこい」
ニクラスは余裕の笑みを浮かべたまま、二人の四年生と共に練習場の中へと戻っていった。
「本当に、やるんですか。相手は四年生ですよ」
「星組」の生徒たちが、青ざめた顔でイザークを見た。
「ここまで虚仮にされた上に、泣き寝入りしろというのか。万に一つでも望みがあるなら、私は、それに賭ける。いや、万に一つよりも確率は上だ。エルマー・ハイゼ、私と共に戦え」
イザークの視線を受けて、エルマーは頷いた。
「俺も、同じことを考えていたよ。失うにしても、手を尽くしてからでないと、きっと後悔すると思う」
「彼とですか……?」
「星組」の生徒たちの何人かが、納得いかないという表情を見せた。
「私と互角の力を持つと思われる者は、エルマー・ハイゼしかいないだろう。『対人魔法戦闘』の授業で、先生からも彼の話を聞いたはずだ」
「ええっ? あの先生、『星組』でも、俺の話をしてたの?」
イザークの言葉にエルマーが赤面する一方、「星組」の生徒たちは押し黙った。
「あの先生を本気にさせるとはな。ところで、きみは教科書の全てに目を通すくらいは、当然しているだろう?」
「うん……暇なとき、手元に何も読むものが無ければ教科書を読んでるよ」
エルマーが答えると、イザークは満足そうに頷いた。
「それなら、さっき、あのニクラスとかいう上級生が言っていた『斉唱』のことも分かるな?」
「複数の魔術師が、同時に同じ呪文を詠唱する、集団戦では基本の一つと言われる戦術だよね。その効果は、単純に二人なら二倍というものではない……とか」
「うむ、我々が知る範囲の呪文で勝とうとするなら、それしかないだろう」
イザークは自信ありげに頷いたが、エルマーは戸惑った。
「待って、『斉唱』自体の存在は知っているけど、実践したことはないし……結構な練習が必要って教科書には書いてあったよ」
「君の詠唱に私が合わせればよかろう」
――イザークほどの奴が、俺を信頼してくれているということか。俺も、その信頼に応えたい。
「……分かった。覚悟を決めるよ」
エルマーの言葉に、イザークが我が意を得たりとばかりに頷いた。
「きみが使用可能な呪文の系統は? 私は、治癒系を除いた全ての系統に適性がある」
「俺と同じだね。あとは、何の呪文を使うかだけど……」
二人は、いつしか周囲の同級生たちの存在すら忘れ、作戦を練った。
「それじゃ、行こうか」
イザークとの作戦会議を終え、エルマーは練習場入り口の扉に手をかけた。
「待ってください」
アヤナに呼び止められ、エルマーは足を止めた。彼女の柔らかな両手が、エルマーの顔を挟む。
突然のことに驚いて動けずにいるエルマーの眼前に、アヤナの顔が迫ってきた。思わず目を閉じたエルマーは、互いの額が軽く触れあうのを感じた。
「ルーク族の、勝利を運ぶおまじないです」
再び目を開けたエルマーは、アヤナの微笑みを目にして、身体に力が湧いてくるような気がした。
「ありがとう」
「何をしている、行くぞ」
アヤナと見つめ合うエルマーに、イザークが怪訝そうな顔で言った。
「あなたにも、おまじない、必要ですか?」
「要らん!」
アヤナに声をかけられたイザークは、肩を竦めると、足早に練習場の中へ入っていった。
その様子が、何とはなしにおかしくて、エルマーは、くすりと笑った。
練習場の中では、十人ほどの四年生たちが、広い室内に二つ設けられた試合用の区域で代わるがわる模擬戦を行っている。競技会に向けての追い込みというのは、本当なのだろう。
「本当に来たのか。てっきり、逃げ出すと思ったぜ」
練習場へ入ってきたエルマーとイザーク、そして他の一年生たちの姿を見て、ニクラスが目を丸くした。
「俺とイザークが、あなたと対戦します」
「いいぜ、来な」
エルマーがニクラスを見据えると、彼は不敵な笑みを浮かべた。
ニクラスに手招きされたエルマーとイザークは、試合用の区域に入った。
「ニクラスと対戦か。一年生二人では厳しいんじゃないか」
「あの二人、学年では首席らしいぞ。とはいえ、可哀想な気もするな」
「あまり苛めるなよ、ニクラス~」
四年生たちは、見世物を前にした客のごとく、はしゃいだりエルマーたちを囃し立てたりと賑やかだ。
そんな空気の中、エルマーとイザークは、ニクラスと十歩ほど離れて向き合い、魔導具で防御壁を展開した。
「それじゃ、開始の合図はお前がやれ」
ニクラスに指差された「星組」の生徒が、びくりと身体を震わせ、何度も頷いた。
三人が杖を構えて戦闘態勢に入ると、辺りの空気が張り詰め、静寂が訪れる。
「では……始め!」
やや上ずった声による開始の合図で、戦いの幕が切って落とされた。
ニクラスが呪文を詠唱すると、彼の杖の先端に巨大な火球が形成された。明らかに、一年生が習う呪文より高度なものだということが見て取れる。
一方、エルマーとイザークの斉唱が終わった瞬間、二人の前方に淡く輝く光の壁が展開された。魔法攻撃を防ぐ防御壁だ。
次の瞬間、ニクラスの放った火球が防御壁に命中する。
「あの火球を受けたら防御壁は持たない! 次で終わりだ!」
四年生の誰かが言った言葉とは裏腹に、散ったのは火球だけで、防御壁は健在なままだった。
――すごい、同じ防御壁の呪文でも、斉唱だと効果が段違いだ!
自分たちの呪文の効果に驚きながらも、エルマーは間髪入れず新たな呪文を詠唱した。
イザークとの斉唱で生み出されたのは、先刻ニクラスが放ったものを凌駕する、巨大な火球だった。
瞬きする間もなく、唸りをあげて膨張する火球がニクラスを飲み込んだ。エルマーたちの防御壁が残った為、計算が狂ったのか、反応が遅れたらしい。
「うわあッ!」
ニクラスの短い悲鳴のあと、炎は揺らめきながら消滅した。呆然とした顔で佇む彼の周囲に、防御壁が残っていないのが分かると、一年生たちは歓声をあげた。一方、四年生たちは驚愕と落胆の入り混じった様子で肩を落としている。
「あと一発くらいは必要かと思ったが……我々の勝利だな」
イザークが、エルマーを見ながら片方の口角を上げた。
二人の「魔素の器」が大きなものである為、魔法の威力が増大したのだろう。
「しかし、やったこともない斉唱を、ぶっつけ本番でやるなんて……きみって、結構無茶する人なんだね」
エルマーも、手の甲で額の汗を拭いつつ笑った。
「なに、きみがいたから可能だった戦術だ」
そんなイザークの言葉を、エルマーは嬉しく感じた。
「こんな……こんなの認められるかッ! おかしいだろ、この時期の一年生が斉唱を使ってくるとか!」
我に返ったニクラスが、拳を振り上げながら、エルマーとイザークを怒鳴りつけた。
「とにかく、約束ですから練習場は譲ってもらいます」
今にも殴りかかってきそうなニクラスに向かって、エルマーは毅然とした態度で言い放った。
一触即発と思われた、その時。
練習場入り口の扉が開き、何者かが入ってきた。
「こちらの練習場で騒ぎが起きていると聞いてきましたが、何があったのですか」
現れたのは、エルマーも知る、対人魔法戦闘を担当する教師だった。
その後、練習場にいた生徒たち全員が、生徒指導室で教師たちに事情を聞かれることとなった。
正式に練習場の使用許可を取った下級生を不当に排除したということで、ニクラスたち四年生は厳しく叱責されたらしい。
しかし、エルマーとイザークもまた、教師から注意を受けた。
「今回は何もなくて幸いでしたが、斉唱も、十分な訓練を行わなければ魔法の暴走が起きるといった事故に繋がります。こういう時は、まず教師に相談すること、いいですね」
生徒指導室から解放されたエルマーは、イザークと共に寮へ向かう廊下を歩いた。
「……結局、今日は対人魔法戦闘の練習、できなかったね」
エルマーが小さく息をついた時、イザークが、突然くすくすと笑いだした。
「ふふ、だが、上級生というだけで威張り腐っていた輩を凹ませてやったのは、爽快だったではないか」
「まったくだ」
イザークの言葉に、エルマーも笑った。田舎で、いじめっ子たちに嫌がらせをされていた頃には、このような気分を味わうことがあるなどとは想像もしていなかった。




