14話 友情を穢す者
入学して初めての定期試験を終え、教室内の緊張した空気も薄らいでいた。
一日の授業が終わり、エルマーは友人たちと共に帰り支度をしている。
「やっぱり、エルマーが一番だったね。さすがだよ」
ヨーンが、まるで自分のことのように嬉しそうな顔で言った。
「でも、結局はイザークと同点で同率一位なんだけどね」
友人の手放しな賞賛に照れ臭くなり、エルマーは苦笑いした。
「ヨーンもアヤナも学年で十位以内に入っているじゃないか。僕は中間より少し上くらいだけど」
ロルフが、小さくため息をついた。
「ロルフは、科目によってはエルマーと並ぶ成績だったではありませんか」
慰めるように、アヤナが言った。
「得手不得手の差が激しいから、平均されると中間くらいになってしまうのか。次は、苦手科目を重点的に勉強したらどうかな」
「そうですね。授業のない日にでも、みんなで集まって勉強会などしては?」
エルマーの言葉を受けて、アヤナが胸の前で両手を打ち合わせた。
「エルマーに教えてもらおうと思ってるなら、やめといたほうがいいよ」
「あら、どうしてですか?」
ヨーンの言葉に、アヤナが目を丸くした。
「前に数学で分からないところを聞いたら、『問題をよく見て、答えが頭に浮かぶようにするんだ』って言われたんだけど、僕には無理だったよ」
そう言って、ロルフは笑った。
「だって、そうとしか説明できないというか……」
肩を窄めるエルマーに、ヨーンが助け舟を出した。
「勉強ができるのと、教えるのは別の才能なんだよ」
「そうかもね。ヨーンの説明は分かりやすいから、案外、先生に向いてるかも」
エルマーは、いつものように雑談を楽しんでいたが、ふと用事を思い出した。
「ごめん、先に帰っててくれるかな。借りてた本を図書室に返しに行かないと」
「了解。じゃあ、また食堂で落ち合おう」
友人たちと別れ、エルマーは図書室へと向かった。
学院の図書室は、小学校のものとは比較にならない広さと膨大な蔵書を誇るものだ。
小学校では図書室の本を全て読み尽くしてしまったエルマーにとって、在学中には読み切れないであろう量の書物が並ぶ図書室は、夢の国と言えた。
借りていた本を受付に返却したエルマーは、次に借りる本を探しに、書棚の森へ入り込んだ。
魔法に関するものはもちろん、他の学問について書かれたものや、古今東西の文学まで、あらゆる分野の本を前にする度、エルマーは眩暈を感じるほどに、わくわくした。
ずらりと並ぶ背表紙を、うっとりと眺めながら通路を歩いていたエルマーは、その先に、見知った者の姿を認めた。
黒いローブに映える淡い金髪の後姿――イザークだ。小脇には、既に数冊の書物を抱えている。
「やぁ、イザーク。きみも本を探しているのかい」
エルマーは思い切って声をかけた。
「ああ、きみか」
振り向いたイザークが、一瞬微笑んだように見えた。
「試験も終了したし、息抜きに読めそうな本を物色していたところだ。……私と同率一位とは、流石だな、エルマー・ハイゼ」
「きみみたいな人がいて、俺も張り合いがあるよ。ところで、どんな本を読むんだい?」
エルマーは、イザークが抱えている本に目をやった。
「今回は、英雄の冒険譚や、市井の民の生活が描かれた小説などを借りるつもりだ。……意外そうな顔をしているな」
「え、いや……もっと難解な本を読むのかと思っていたから」
見透かされたような気がして、エルマーは頭を掻いた。
「たまには、自分が置かれた場所とは異なる世界に浸りたくなる時もあるさ」
イザークが、肩を竦めて言った。
「そうか、俺も、面白そうなものを探してみるよ」
それでは、とエルマーはイザークと別れ、再び本を探す旅に出た。
――そういえば、イザークは一人でいることが多いんだろうか。まぁ、俺も最近までは人の多いところが好きじゃなかったけど。
「……エルマー・ハイゼくんだね?」
書棚に並んだ背表紙を眺めつつ考え事をしていたエルマーは、何者かの声で思考の世界から引き戻された。
彼の傍には、いつの間にか三人の見知らぬ少年が立っている。
最も近くにいた、痩せぎすの少年が口を開いた。
「僕は、二年生のジモン・フィッシャーだ。きみと同じく、特待生として学費免除を受けている。彼らも、成績優秀者として学費減額制度を利用しているんだ」
ジモンと名乗った少年は、同級生らしい二人を見やりつつ言った。
「少し話したいことがあるから、一緒に来てくれないか」
上級生による突然の申し出に、エルマーは即答できなかった。
「安心したまえ、別に何もしやしないよ」
エルマーの警戒心を感じ取ったのか、ジモンが微笑んでみせた。
とりあえず話は聞いてみようと、エルマーは彼らに誘導されて図書室の奥へと進んだ。
通路の奥まった部分まで来ると、ジモンたちは立ち止まった。
エルマーの後ろは袋小路になっており、正面にジモンたちがいる為、閉じ込められたと取れなくもない状態だ。
「きみ、貴族や他国の王族と親しくしているようだね。さっき話していたのも、貴族の子弟だろう?」
ジモンの言葉を聞いたエルマーは、彼が何を言おうとしているのか見当がつかなかった。
「はい……友達ですから」
「特待生の学費免除枠でありながら、貴族にへつらっているとは情けないよ。きみには、もっと気概を持ってほしいものだ。他の学費減免者に対して示しが付かないとは思わないのかね」
「別に、へつらってなんかいません。俺は彼らと仲良くしたいし、彼らも、そう思ってくれているというだけです」
「本当に、そう思っているのかい? 彼らが下に降りてくるように見える時、それは我々のような民草を憐れんでいると気づかないのか?」
そう言って、ジモンは大袈裟にため息をついた。
「なッ……!」
友人たちとの関係を穢されたような気がして、エルマーは鳩尾の辺りに熱く不快なものが込み上げる感覚を覚えた。
「近代化の波を受けた我が国が、絶対王政から議会制政治を取り入れ、貴族以外の市民にも参政権が認められて百年近くが経とうとしている。しかし、貴族たちは未だに既得権益を貪っている有様だ。また彼らに取り入って自分だけが甘い汁を吸う者も絶えない。階級間の格差をなくし、この状況を変えていかなくてはならないと思わないかね?」
「人々が等しく豊かになるのは良いことだと思います……でも、それとこれとは別だと思います。貴族や富裕層の人たちも、全員が同じではないでしょう。あなたたちは、俺に、どうしろと言うんです」
ジモンに畳みかけられながらも、エルマーは絞り出すように答えた。一刻も早く、この不快な空間から抜け出したかった。
「さっきも言ったように、貴族たちにへつらうのを止めて欲しいだけだよ。学費減免生は、同じ境遇の者と交流するべきだ」
エルマーは、思わず息を呑んだ。イザークが「富裕派」の生徒から人間関係へ口出しされた際に見せた怒りが、今なら自分のこととして理解できた。
「きみたち、下級生を囲んで何をしているんだ」
ジモンたちの背後に、もう一つの人影が現れた。
「……カール先輩?」
そこに立っているのは、エルマーと同室の三年生、カール・ミュラーだった。
「いえ、ただ話をしていただけですが」
「そうかな。エルマーは、ずいぶんと困っているように見えるけど」
カールは穏やかな外見で迫力があるとは言えないものの、やはり相手が上級生ということもあってか、ジモンたちは勢いを削がれた様子だ。
「おい、この人、たしか生徒会役員だ」
「余計なことを言われると面倒だな」
ジモンたちが、カールを見ながら、ひそひそと言い合っている。
「僕は、エルマーに急ぎの用事があってね。ちょっと借りていっていいかい?」
「あ、はい、どうぞ」
カールの言葉で、ジモンたちが渋々と道を開けた。
「それじゃ、行こうか」
ジモンたちの間から抜け出してきたエルマーの肩を抱くようにして、カールは、その場から離れた。
「カール先輩、急ぎの用事って……」
「あはは、嘘も方便というやつだよ」
言いかけたエルマーに、カールが微笑んだ。
「君たちが、書棚の奥まったほうへ行くのが見えてね。変な雰囲気だったから気になって、ついていったんだ」
「そうなんですか。助かりました。……あの、俺たちの話、聞いてました?」
「途中からだけどね」
「俺が、あんなことを言われてたって、他の子には言わないでもらえますか。きっと、みんなが嫌な気持ちになるから……」
エルマーは、唇を噛んだ。
「もちろん、そんなことを触れ回ったりはしないよ。ただ、『富裕派』と『学費減免派』は代々仲が悪いらしくてね。これからも面倒なことがあるかもしれないけど」
「俺は、自分が好きな相手と仲良くしたいだけなのに……」
「学院の卒業生である、『ライヒマン商会』のゲラルト・ライヒマン会長は、学費免除の特待生としては、初めて生徒会長の座に就いた方だそうだよ」
「そうなんですか?」
突然、話題に出されたゲラルトの名にエルマーは驚いたものの、その事実に心が揺れるのを感じた。
「それ以前は、生徒会役員の全てが貴族や資産家などの富裕層だったというけど、それをライヒマン氏が変えたということだ。きみのような優秀な子が頑張れば、また少しずつでも状況を変えられるかもしれないよね」
「俺が、できること……そうですね、考えてみたいと思います」
カールの話を聞いているうちに、エルマーの波立った心は次第に鎮まっていった。




