10話 学ぶ日々の始まり
入学式の翌日から、エルマーたちも本格的な授業を受けることとなった。
これまでに触れたことのない「魔法」の授業は、エルマーにとって何もかも新鮮だ。
「皆さんも知っているように、我が国では免許制度により魔法の使用が管理されています」
そう言いながら、魔法基礎理論の担当教師は、手にした杖の先端を黒板に滑らせた。
教室の前方に設置された黒板は、実は魔導具であり、専用の杖で触れることにより文字が書けるという。
黒板には、教師が共通語で書いた「白金・金・銀・銅・錫」の文字が、薄らと光りながら浮かび上がっている。
「免許は呪文の難度や危険度によって、五段階に分かれています。白金が最も上です。皆さんは、卒業までに銀等級までの免許取得が義務付けられています。学科試験の成績が良くても、免許を取得していなければ卒業できないので注意してください。また、免許試験は飛び級でも受けられるので、自信のある人は挑戦してみるのもいいでしょう」
教師が言い終わったとき、ロルフが手を挙げた。
「先生、免許を持っていない人は魔法が使えないということですが、実技を練習する時は、どうするのですか?」
「いい質問ですね。皆さんは入学した時点で『仮免許』扱いになります。したがって、授業において実技や実験などを行う際は魔法が使えます。ただし、他者に加害する目的で魔法を使うことは重大な禁止事項です。場合によっては退学など重い処分もあり得るので、くれぐれも悪戯に利用しようなどとは考えないでくださいね」
退学という言葉に、教室内の空気が一瞬ぴりりと緊張した。苦労して入学した学院から追い出されるなど冗談ではない――生徒たちの気持ちは同じなのだろう。
「残念なことですが、社会には無資格で、しかも犯罪に魔法を使う人たちもいます。もちろん、発覚すれば厳重な罰を与えられます。魔法は便利ですが、危険なものでもあると、皆さんも心に留めておいてください」
――田舎では呪文の詠唱によって魔法を使う人を見かけることが殆どなかったし、魔法を悪いことに使うという発想がなかったな……都会は違うということか。
教師の言葉は、確実にエルマーの世界を広げていった。
魔法基礎理論の後には、魔導具の構造や作動の仕組みなどを学習する授業が行われた。
数人ずつの班に分けられたエルマーたちに、簡易な魔導具が配布され、その内部構造を調べるというものだ。
「蓋を開けると綺麗な結晶が入っていますね。それが『魔結晶』と呼ばれるものです。空間から取り込んだ『魔素』を様々な形に変換する際、触媒の役割をします。魔導具には必須の物質ですが、産出される地域は限られている希少な物質です。代用できる物質もなくはありませんが、『魔結晶』は少量で大きな効果がある為、魔導具の軽量化、小型化には欠かせません」
魔導具は魔法の心得のない者も魔法の恩恵に与れる便利な道具――それくらいの認識しか持たなかったエルマーだが、説明を聞くうちに、もっと詳しいことを知りたいという気持ちが湧いてきた。
午前中の授業が終わり、エルマーは、ロルフやヨーン、アヤナたちと昼食を摂りに食堂へと向かった。
教室と食堂は若干距離が離れており、普通に歩けば、移動時間はそれなりにかかる。
しかし、校内には所々に道のりを短縮できる「魔法の扉」が設けられている為、すぐに移動できるのだ。
「これが、食堂へ繋がる『魔法の扉』か」
エルマーは、少し躊躇ったあと、「魔法の扉」をそっと開けた。その向こうには、見覚えのある食堂が広がっている。
「わぁ、本当に食堂へ繋がってるんだ」
「すごい技術ですね」
ヨーンとアヤナも空間を繋ぐ魔導具を見るのは初めてなのか、驚きの声をあげている。
「いっそ、寮の部屋と食堂や教室も『魔法の扉』で繋いでくれないかな。そうすれば、朝も、ゆっくり寝てられるじゃないか」
ロルフが言うと、一同の間に笑いが起こった。
「『魔法の扉』一つ設置するには、それなりの費用がかかるらしいし、全員が欲しいと言ったら大変なことになりそうだね」
「いい考えだと思ったんだけどな」
エルマーの言葉に、ロルフは残念そうな顔をした。
食堂には、パウラも「魔法理論学科」の友人たちと共に来ていた。
「みんなも、一緒に食べない?」
パウラに声をかけられ、エルマーたちは彼女らと合流した。
「そちらでは、どんな授業を受けているの?」
テーブルに着いたエルマーは、パウラたちに尋ねた。
「基本的な魔法の構造とか、魔導具の仕組みについて、とかかな」
「今のところは、僕たちと変わらない感じだね」
温かい牛乳を飲みながら、ヨーンが頷いた。
「でも、『魔法科』は、そのうち魔法の『実技』もあるんでしょう? いいなぁ」
「私たちは、どんなに頑張っても魔法を発動できないもんね」
パウラと彼女の友人たちが、心底羨ましいという顔で言った。
「僕も、理屈ばかりじゃなくて、早く自分で魔法を使ってみたいよ」
「でも、理屈が分からなければ、魔法を正確に使えないのでは?」
ロルフの言葉に、アヤナが疑問を呈した。
「僕は、大体なんでもカンでやるから……身体で覚えるっていうかさ」
「ロルフって、もしかして、かなり大雑把なんじゃ……」
少し呆れた様子で、ヨーンが呟いた。
「家族には、お前は大らかだとは言われてたよ」
「物は言いようだな」
そう言って笑い合う友人たちを眺めているだけで、エルマーは楽しかった。
魔法学院の授業には、魔法に関することだけでなく、数学や文学、地理や歴史など一般的な学問を学ぶものもある。
更に、教養を身に着けるという名目で、美術や音楽といった芸術科目も含まれていた。
「魔法学院なのに、絵を描かされるとは思わなかったよ」
数々の彫刻や絵画が飾られている美術室で、ヨーンが配布された写生帳を前に、唇を尖らせている。
「芸術科目は、総合成績に含まれないんだろ? 時間が、もったいないよ」
「この学院の卒業生は、大学を卒業した人と同等に扱われると聞いています。相応の教養を身に着ける必要があるということでしょう」
渋い顔をしているヨーンを、アヤナが宥めている。
彼女の言うことは正しいのだろうと思いつつ、エルマーも戸惑っていた。
「それでは、最初の授業では、皆さんに自画像を描いてもらう。配った鏡を見ながら、写生帳に鉛筆で自由に描いてくれ」
絵の具であちこち汚れているスモックを着た、六十に手が届くと思われる美術教師が言った。長く伸びた癖のある白髪を首の後ろでまとめ、見るからに気難しそうな芸術家という風情の彼からは、質問など許してもらえなさそうな雰囲気が感じられる。
自画像と聞いて、エルマーは気分が重くなるのを感じた。長い間、黒髪と赤い目が不吉だと蔑まれてきた彼は、鏡を見るのが嫌いだった。朝、身だしなみを整える際も、できるだけ鏡を見ないようにしている。
この学院に入学してから、外見について否定的な言葉を投げつけられることはなくなったが、「自分は醜い」という刷り込みは簡単に拭われるものではない。
「エルマー、気分でも悪いのですか?」
エルマーが膝の上に広げた写生帳を前に俯いていると、隣に座っているアヤナが心配そうに言った。
「いや、大丈夫だよ。ただ……俺、鏡を見たくないんだ」
「そうなのですか? そんなに整った顔立ちなのに」
アヤナの言葉に、エルマーは驚いた。
「整って?」
「なに? エルマー、自分が結構いい男って気づいてなかったの?」
「初めて会った時、僕も『かっこいい』って言ったじゃないか」
ヨーンとロルフも、不思議そうにエルマーの顔を見た。
彼らは余計な世辞を言う人間ではない――エルマーは思い切って、自分の前に置かれた鏡を正面から見た。
そこにあったのは、長い間心に思い描いてきた「自分の顔」とは異なり、均整のとれた目鼻立ちを持つ、自身の顔だった。
「納得しましたか?」
エルマーの様子を見ていたアヤナが、そう言って微笑んだ。
「そうだね……思っていたほど、ひどくはないや」
――俺は、なんてつまらないことで悩んでいたんだろう……いや、みんなが、鏡を見る勇気をくれたんだ。
気持ちの軽くなったエルマーは、鏡を見ながら、写生帳に鉛筆を滑らせた。
授業時間が残り少なくなった頃、美術教師は生徒たちの写生帳を集め、一人一人の作品に簡単ではあるが講評を与えていった。
「これはロルフの作品か。技術的にはまだまだだが、大胆で個性的な作品だ。こちらのヨーンの作品は、きちんと描こうという気持ちを強く感じられる真面目な絵だが、もう少し思い切りの良さを加えると更に良くなるだろう。アヤナの作品は、柔らかな筆致で見る者の心も優しくなりそうな絵だな」
美術教師は、決して貶すことはせず、それでいて的確に作品の特徴を言い表していく。生徒たちの間にも、いつしか和やかな空気が生まれていた。
「エルマーの作品は……」
エルマーの写生帳を手にした美術教師の動きが止まった。彼は、そこに描かれた絵を矯めつ眇めつ何度も見てから、再び口を開いた。
「きみ、どこかで絵を習ったことがあるのかい?」
「いえ……小学校の授業で時々描いていただけです」
美術教師の意図が読めず、エルマーは狼狽えた。
「普通なら多少は見られる『迷い線』が全く見られない、かつ正確に対象の形を捉えている……きみは、見たものを見たままに描ける能力があるということだ。絵描きの多くが、喉から手が出るほど欲しい能力だよ。陰影を付けたりなどの技術はまだまだだが、むしろ線描だけで描き切っているのは凄い」
エルマーの絵を皆に見せながら、美術教師は少々興奮したのか早口で言った。
「ああ、彼のように描ける人のほうが稀だから、同じようにできなくても問題ない。できない者は、知識と技術で補えばいいんだ。それも、私の授業で教えるからね」
美術教師の言葉で、何人もの生徒が、ほっと息をついた。
今までの人生で、これほど褒められた経験のないエルマーは、嬉しさというより戸惑いと恥ずかしさで真っ赤になっていた。




