カンボジアの街角で
カンボジアの都市シェムリアップ。ひと仕事終えた俺はのんびりと大通りを進む。シェムリアップは同国内では有数の都市ではあるのだが、さすがに東京と比べれば古さが目立つ。だが何度も来ていれば、そんな異国の街並みも、薄いビールも、癖の強い香草と川魚の料理も悪くない。
この後の一杯を思い浮かべながらも、俺はまずとある店へと向かっていた。商店が立ち並ぶ一角。ここにはしばらく前に見つけた散髪屋がある。路上にまで散髪用のイスや看板が並んでいる用品店で、一見すると散髪自体をしてくれるようには見えないのだが、頼めば髪も切ってくれる裏技みたいな店だ。
先日「ここで散髪は出来るのか?」と訛のある英語で聞いてきたおかしな日本人を店主も覚えていてくれたのか、すぐに席へと案内してくれる。
とはいえ、今日は髪を切ってもらうつもりはない。今日の目的、それは『耳かき』だ。ベトナムの散髪屋では一般的に行われているサービスで、髪のついでにやってくれる。このサービスは元来、耳かき好きだった俺には夢のようなサービスで、月に何度か街中をふらりと歩いては耳の中を掃除してもらっている。ちなみに値段はピンキリだが物価の関係で日本よりも総じて安い。
ここの店の価格は30,000VND。日本円なら180円くらいだ。日本のメイドさんなら30~40回。耳かきのサロンなら70~80回は施術してもらえるような値段で耳を掃除してくれるのだから、全くもって素晴らしい国だ。
ほとんど用品店のような店内には一つだけ散髪用として置いているイスがある。俺はそこに座るとリクライニングが倒れていくままに身体を任せた。たまたま目を付けただけの店なので、この若い店主がどういった施術をするのかは分からない。その辺りの冒険も醍醐味の内なのだ。
店主はまだ若い眼鏡をかけた男だ。慣れていない英語で陽気に接客してくれる姿には好感が持てる。
さて如何ほどの腕前か
背もたれに体重を乗せながら施術を待つ。店主は俺の頭の高さに合わせるように粗末なプラスチックのイスを足元置くと、道具を手に取り構えた。
最初に現れたのは、細く平たいヘラのような刃物、穴刀だ。耳の毛を剃るために使われる刃物で耳掃除をする店では、あちこちで見られるアイテムだ。
それが俺の耳の穴へと、すっと差し込まれる。
ん……ちょっと怖いか?
ニコニコとした表情とは対照的に、店主の手つきは思ったより素早かった。
耳の中でジョリジョリと耳毛が剃り落とされていく音が響いている。
鮮やかな手つきなのだが、何というか耳を触る動きが妙にせっかちな所為なのか、ちょっと怖い。
ひょっとしたらハズレの店だったのかもしれない。
そんな疑念が首をもたげた時だった。
「!!!」
柔らかな感触が耳の中を支配した。
これは梵天か!?
梵天――耳かきのお尻についている、鳥の羽毛で作ったホワホワの毛玉のことだ。
穴刀と比べて、それこそ一般的なお宅でも見られるようなアイテムのはずなのだが、俺は最初、それが梵天だという確信が持てなかった。
何しろ、とんでもなくその動きが速かったのだ。
通常、梵天というと、そのフワフワの感触を活かして、耳の中を優しく撫でるように使う。だというのに、この店主と来たら指の関節をフル稼働させながら超高速でグリグリと耳の穴の中をかき混ぜ始めたのだ。
「おぉぉぉぉぉぉぉっ」
思わず声が出る。
驚嘆のためだけではない。何しろこの超高速梵天。驚くほど心地が良いのだ。
これは……気持ちいいぞ!??
恐らくは指先の捻りが加えられているのだろう。梵天を構成する羽毛。その無数とも呼べる毛先がゴワゴワと音を立てながら、耳の中で回転する。
思わず「Verry good」と口に出てしまった。色々な散髪屋を回って耳掃除してもらったが、これは初めての経験だ。
早い。
とにかく早い。
耳の穴を梵天でグルグル回すのは基本といえば基本なのだだが、ここまで手つきが早いのは初めてだ。
「おぉぉぉぉぉぉぉぉぅっ」
ゴワゴワという音を立てて毛玉が暴れまわる。
指の捻りと、手首の捻り。それらが柔軟に使われているのだろう。実際には、柔らかい梵天が、僅かな動きで耳の穴の中を動いているだけなのだが、まるで脳を直接揺さぶられるような心地よさだ。
これはスゴイ。俺は「Verry skilful」と称賛の声を上げる。
店主はそれを聞きニコリと笑うと、持っていた梵天を耳かきに持ち換えた。日本の一般的なご家庭に置いてある竹製のものではない。よくしなる極細金属の先に小さなスプーンがついた物だ。それを手に店主は構える。
ん、これも……速い!?
先端がスルリと忍び込む。次の瞬間、ワイヤーが耳の中で暴れ始めたのだ。
先ほどの梵天と同じく店主の手つきは速い。
ワイヤーの先についた小さなスプーンは先端が耳壁に引っ掛かったかと思うと、すぐに弾んで別の場所を攻め立てる。ワイヤ―のしなりを利用しているのだ。
これも気持ちがいいぞ
不思議だ。
手つきは優しくないのに、まるで痛くない。あまり奥は攻めないのだが、その代わりに手前の部分を細かく繊細に掻き出してくれる。
掘り起こすのではなく、擽るような、そういう施術だった。
チクチクと痒い部分を突くようにワイヤー耳かきは耳道を刺激する。そうして入念に入口付近を攻め立てて「もっと奥までやって欲しい」というタイミングを見計らって、持ち替えた梵天がゴワゴワと耳の奥にまで侵入していく。
それが何度も繰り返されていった。
「お、おぉ~~~~~~ぉ」
細かい動きと一緒に声が漏れてしまう。
この店主、本当に上手いな。今までに出会ったことのないタイプの施術者だ。
本当に不思議だ。
とにかくめちゃくちゃ気持ちいい。
そんな時だ。
「ん?」
店主がベトナム語で何か言っているのだが意味は分からなかった。
たぶん耳かきの太さが変わったのだろうか? 先ほどと音が違う。
そうしてよく分からぬまま、先ほどまで入口付近しか掻いてくれなかった耳かきが奥の方にまで侵入していく。
これは――
ガリッ……っと、今日一番の大きな音が鳴る。
同時に痛みにも似た快美感が背筋を走り抜けた。明らかに今日一番の衝撃。耳かきの先端は明らかに大物を捉えていた。それがジリジリと音を立てて耳の外へ引きずられていく。
「お、おお…………」
老廃物が取り除かれていく快感に恍惚とする。しかし衝撃はこれで終わらなかった。
剥がれた耳垢の大きさを想像して悦に入った、その瞬間。わずかな心の空隙を突くようにして、ゾワリ……と、あの梵天が容赦なく耳の穴に潜り込んだのだ。
「ん!!!?」
耳垢の剥がれた直後の、痒みと、疼きが発する部分。そこを雑に捉えながらゴワゴワと音を立てて梵天は回転する。
これは堪らない。
痒い部分を掻いてくれるという原始的な欲求が満たされ、俺の精神は法悦で満たされた。
ゴワゴワ……ゴゴゴッ…………
梵天は高速で回転しながら優しく耳穴を蹂躙していく。
あぁ、この店は当たりだ。
これだから耳掃除はやめられない。
その後も両耳をしっかりとやってもらい、軽く耳を指で弾かれて終了。
「ああ、今日は美味いビールが飲めそうだ」
まだフワフワとした足取り。ビールを一気飲みすれば、さらにフワフワとするだろう。
そんな益体もないことを考えながら、俺はシェムリアップの繁華街へと消えていった。
<了>
ここの耳かき動画が好きで良く見るんですが、この人何者なんでしょうね?
https://www.youtube.com/@ShunRelaxChannel
いちおうこの作品のモチーフなんですが、設定やら何やらは全部筆者の妄想です。




