9.素晴らしいお店だ
客引きの女に連れられるがまま娼館へと足を踏み入れたルークは、スパイダーの金庫番での出来事など忘れて、これから起こるであろう体験に胸を馳せていた。
「なんか、意外と普通の酒場っぽい感じだなー……でも可愛い子がいっぱい〜」人間はこれほどまでに鼻の下を伸ばすことが出来るものなのかと感心する程にだらしない表情を浮かべるルーク。
薄暗い店内は一見ただの酒場のような雰囲気だが、しかしどのテーブルでも客の隣に女が座り、酒を注ぎながら過剰とも言えるスキンシップをとる様子が見て取れた。
「ふふ、楽しくお酒を飲んで気に入った子がいたらあそこの階段から2階へ上がるのよ〜」ルークを案内する女が部屋の角にある階段を指さしてそう言った。
「そういうシステムなんすね〜素晴らしいお店だ〜」
「ちなみに、もちろんいきなり階段を上がっていっても構わないのよ〜」妖艶な3つの瞳がルークを見据えた。
「ま、マジっすか……えへへ、じゃあ早速お姉さんと……」
「あら、光栄だけどいいのかしら? 私なんかよりももっと美人な女の子もいるのよ?」ルークの足がピタリと止まった。
(な、なんだと!? このお姉さんよりももっと美人!? でもそれって割増料金とかかかるんじゃ……いや、金はあるんだしどうせなら1番綺麗な姉ちゃんとイイコトしたい!! 俺ぁ多分だけどまだイイコトしたことねぇ気がするし、だとしたら記念すべき初めては最高の思い出にしたい!! はい決定!!)ルークの猥雑な思考はものの数秒でまとまった。
「この店で1番の美人を頼むぜ……大丈夫、金は持ってる」これが、女を助けた金で女を買う男のキメ顔であった。
「あらぁ、何て男らしくて素敵なのかしら! ふふ、じゃあとびっきりの美女を手配するから2階の1番奥の部屋で待っていて」
「はーーーい!!」ルークがスキップで階段を駆け上がって行く。この姿を見て一体誰が記憶喪失で身寄りの無い男だと想像出来るだろうか。
【5分後】
「──ご指名頂いたシャルロッテです。入ってもいいですか?」ドア越しの鈴の音の様な声に、ルークの肩がびくりと跳ねた。
「あ、はい!? どどど、どーぞお入りください!!」ルークは確信していた。シャルロッテという名前の高貴な響きに、今耳にした小鳥のさえずりの様な慎ましい声……その持主──
(きっと没落貴族のご令嬢とかが金に困って、止むにやまれずこんな店で春をひさいでいるに違いない!! なんてこった!! うひょひょい!!)
「──失礼します」扉の奥から現れたのは、怪しく輝く瞳を額に宿し、薄紫の美しい髪を腰まで伸ばした筋肉質のクマのような女だった。
「………………え?」品のない妄想でフル回転していたルークの脳が、急停止した。
「ふふふ、シャルロッテです。こういうお店の経験がないらしいですけど、いきなりオーガ専門店に来るなんて……豪鬼なお方」大木のような身体をよじり、シャルロッテは少し照れたようにルークを見つめた。
「………………え?」ルークの思考は停止したまま……もちろん身体も停止しているため、直立不動でベッドの前に立ち尽くしている。
「ふふ、緊張していらっしゃるんですね。私がほぐしてさしあげます」手首と首をボキボキ鳴らしながら近づいてくる女を見て、ルークは気づいてしまった。顔も体格も、今日出会ったあの偉丈夫の騎士、ボリスにそっくりであることを。
「ちょ、まった!? なんかおかしい! なんかおかしな事になってんぞ!!」筋骨隆々の大男に迫り寄られるような恐怖に、意識が覚醒したルークは堰を切ったように騒いだ。
「──何か問題かしら?」突然扉から現れた案内役の女がそう言った。
「あ、よかった。お姉さん! なんか手違いがあったみたいで……凄いのが来ちゃったんすけど!?」
「……手違い? 言われた通りにこの店で1番の美女を手配したんだけど……」女は不思議そうな顔で首を傾げた。
「いやいや、美女ってのは……ほら、こう……もっと、ね?!」縦にも横にもルークの倍はありそうなシャルロッテの前で、本音を口ごもるルーク。それを見て女が何かを察したように口を開いた。
「あー、えっと……私たちオーガはね、強さが美しさの基準になるのよ。だからこのお店で1番の美女っていうと、1番強いシャルロッテになるわけ」
「や、やだもう、1番強いだなんてぇ」シャルロッテが照れたように上腕二頭筋をぴくぴくと動かした。ルークの左眼の下まぶたも、それを見てぴくぴくと痙攣する。
「……あの、ちょっと急用思い出したんで……帰ります。お金は払いますね」ルークの様相は階段をスキップで駆け上がっていた時に比べて酷く悲惨なものだった。
「あの、剣士さん。またお時間ある時に来てくださいね……わたし、頑張りますから!」シャルロッテはそう言うとルークの両肩を強かに掴み、身体を持ち上げると優しく啄むような口付けをした。
「……んんんッ!!!」ルークの声にならない悲鳴が上がる。おそらくファーストキスだった。
* * *
「……くそ、まさかあんなひでぇ目に遭って3シルバーも取られるとはよぉ。モーマウの串焼き1000本買えたじゃねぇか」ルークは大きく膨らんだ革袋を見つめて呟いた。幸いにもオーガの娼館が1ゴールドのお釣りを用意できたため、アルエから貰った金貨の内1枚は銀貨97枚となった。
「大切なものを色々失っちまった気がするけど、とりあえず気を取り直して宿を探さねぇとな……さすがに野宿はきつい」ルークは気を取り直して、傍の店前で酒をあおっている男に声をかけた。
「なぁオッサン。ちょっと聞きたいんだけどよぉ、この辺に宿屋ってあるか?」
「あぁ? なんだお前、ここは初めてか? 人に物を尋ねる時は酒の1杯でもおごるのが礼儀ってもんだぜ」酒で顔を赤く染め、お世辞にも清潔感があるとは言えないみすぼらしい姿の男が、ルークを鼻で笑った。
「ったく、世知辛いとこだぜ」ルークは言いながら執行官の女に貰った方の革袋から適当に硬貨を取り出して、男のテーブルに叩きつけた。
「へっ……おいこっちに1人追加だぁ!! 酒2つ持ってこい!!」男が店の中に向かって叫んだ。
「おいオッサン、別に一緒に飲みてぇわけじゃねぇよ」ルークは男の正面の椅子に腰掛けてそう言った。
「なんだお前、酒飲めねぇのか」
「いや………………酒は飲め……ん? 飲めねぇのか?」ルークはしばし考え込んで、目の前の男が飲んでいた酒を凝視した。
「アッハッハ、変な子だねぇ。分からないならとりあえず飲んでみな」給仕服に身を包んだ恰幅のいい女が、テーブルに酒を置いてそう言った。
「……じゃあ、飲んでみるか」ルークは木製のジョッキを口に運び、緩やかに傾けた。
「ほぉ、いい飲みっぷりじゃねぇか」男が新しい酒を片手にルークを見守る。
「……ぶはぁ、めちゃくちゃ美味いじゃねぇかよ!」ジョッキを一息に飲み干して、ルークは感激したようにそう言った。
「カッカッカ、どうやらいける口みてぇだな! よし、酒追加だぁ!!」
「おいオッサン、酒もいいけど宿屋も教えてくれよ!」ルークはテーブルにあったナッツを口に放り込みつつ、男に抗議するようにそう言った。
「ああ宿屋か、どれくらいの期間泊まるつもりだ? あとお前の懐事情によっても紹介してやれるとこは変わってくるぜ」
「期間はとりあえず1週間くらいだな、ボロボロじゃなけりゃあ値段は安めがいいなぁ」アルエが統治するこの街に根を下ろすつもりでいたルークは、数日中に家探しをする腹積もりだった。
「よぉし、それならいい宿屋に心当たりがあるぜ。ここから近いし俺が案内してやるよ」
「マジかよオッサン、アンタ良いやつだなぁ! おい、こっちに酒追加ー!」見知らぬ土地で記憶もなく、単身投げ出されたルークだったが、持ち前の適応力は凄まじかった。
「そういやぁお前、ここらじゃ見かけねぇ面だがどっから来たんだ?」早々に運ばれてきた酒を飲みながら、男がルークに尋ねた。
「それがどうも記憶喪失ってやつでよぉ、気がついたらエヴァンスガーデンってとこに居たんだよ」
「エヴァンスガーデンだぁ? なんでまたそんなとこに、10年も前に冬にのまれた街だぜ。テキトー言ってんじゃねぇだろうな」
「嘘じゃねぇよ、この剣と外套もそこで見つけんだぜ」ルークは胃の中に酒を流し込み込みながら、男に数刻前の出来事を話した。
「そういやぁその剣、随分懐かしいもん持ってんなぁ……って、おいおいよく見りゃその外套も、黒狼騎士団の団章が付いてんじゃねぇか」男はジロジロとルークの身体を見回してそう言った。外套自体が漆黒のために目立たないが、肩の部分に黒いオオカミのマークがしっかりと縫いとめられていた。
「なんだよオッサン、なんか知ってんのか?」
「その剣な、30年か40年か前に流通してた違法物品だぜ。ホワイトシェル製の聖剣っつー触れ込みで闇ルートで捌かれてたやつだ」男はツマミをボリボリ食べながら話を続けた。
「で、黒狼騎士団ってやつも昔あった騎士団だ。何かと問題ばっか起こして、もうとっくに解散しちまったけどな」カッカッカ、と男は笑った。
「……うげぇ、そんないわく付きの物に包まれてたのかよ。道理で街のヤツらの目が冷てぇわけだぜ」城を出た後、城下の人々に向けられた視線をルークは思い返していた。無論肌や髪の色も奇異の目線を集める要因ではあったのだが、総合的に不穏な輩がいると認識されていたのだ。
「それにしてもオッサン物知りなんだなぁ! 伊達に歳食ってねぇってか」
「カッカッカ! 何を隠そうこの俺様がその剣を作って捌いてた元黒狼騎士団の団長だからなぁ!」
「まさかのオチ!!!!」




