7.とんだお門違いだぜ
「ルーク殿、本当にここまででよろしいのかな? 気を遣っていただかなくとも城下の案内程度なら適当な者を見繕いますぞ?」城門の前までルークを見送り来たボリスがそう言った。
「いや、宿屋にはもう当てをつけてあるし、自分であっちこっち探検するからいいや。コレさえあれば何の憂いもねぇしなー」ルークはニコニコしながら懐をぽんぽんと叩いた。革袋越しに微かに、だがしっかりと魔的な黄金の音色が響く。
「……ルーク殿、いつの間に宿屋の当てを?」宜なるかな。ボリスは片眉を吊り上げて訝しむような目を向けた。記憶喪失を語るルークが初めて訪れた地で、宿屋に当てがあるなどと言うのだから当然である。それに対し、ルークは煩わしさを隠そうともせずに答えた。
「んだよ、さっき城を探検してる時に目隠しのねぇちゃんから教えてもらったんだよ。西の『ヴォルフストリート』ってとこならよそ者歓迎の宿屋があるってよぉ。あ、ついでに金ももらったぜ」ルークは自慢げに腰の辺りをぽんぽんと叩いた。外套で隠れたベルトに括り付けられている革袋から、先程と似ているが、やはり異なるの音色が響く。
「……ふむ、そういうことであれば納得ですが、それはそれとして少し目を離した隙に『執行官』から金をせしめていたとは……なかなかどうしてルーク殿は世渡り上手のようで」ボリスは呆れたように笑った。
「そういやぁ『執行官』ってなんなんだ? 仕事柄だって名前も教えてくれなかったけどよぉ」せしめる、という辺りに多少の反感を覚えつつも、ルークはボリスに質問した。
「執行官とは聖騎士同様、騎士王直属の国家保安部隊ですな」
「保安部隊? 聖騎士とは何が違うんだ?」
「簡単に言うと聖騎士は国家に仇なす魔獣や各諸王国軍を相手にする部隊なのです。一方で執行官は自国内の問題に特化し、主な任務の内容は罪人の捕縛や処刑、他国のスパイを見つけ出して拷問したりと、まあ俗に言う汚れ仕事を請け負ったりすることもある部隊な訳でですな……」ボリスは威厳のあるアゴヒゲを掴むように撫でながらそう言った。
「あー、つまり逆恨みとかされる可能性があるから無闇に名前を名乗れないってことか?」
「いかにも。実際、罪人絡みの逆恨みが転じて執行官の首には裏で賞金がかけられていたりもしますからな。いくら常人より強いとはいえ、聖剣使いであるわけでもなし。顔と名前が割れていてはおちおち町も歩けますまい」ボリスはまるで己のことのように呻吟し、瞳を細めた。
「なるほどなぁ、納得したぜ。執行官ってのは大変なんだな」ルークは城で出会った執行官の事を思い出しながら言った。尾行しただけで喉元にナイフを突き付けるなんて大袈裟だと思っていたが、今の話を聞くとむしろ当然の対応に思えた。
「……それにしても、本当に陛下からのお誘いを断って悔いは無いのですかな? 陛下から直々に騎士団へ勧誘されるなどとんでもない誉れですぞ」ボリスが言った。
「そりゃさっき聞いたぜオッサン……んで、興味ないって言っただろ。生活に困らねぇ金がどっさりあんだから、わざわざ命の危険を晒すようなマネはゴメンだね」
──玉座の間でアルエから勧誘を受けたルークは、しかしその誘いをけんもほろろに一蹴した。自分が置かれている状況と状態を考慮した結果。ルークは命の危険が伴う聖騎士団に入団はせず、しばらくは報礼金を使って身の振り方を考えることにしたのだった。
「──それに、部下になっちまったらほら、なんかこう……恋愛対象? から遠ざかっちまう気がすんだよなぁ」ルークは大柄なボリスの肩に手を置いてそう漏らした。
「なっ、ルーク殿、それはつまり……陛下に気があると?」ギョッとした様子でボリスが聞き返した。
「おうよ、あんな美人俺は初めて見たね。いや、初めて見た人間が美人のアルエだったわけで……ん? まぁとにかく、俺はアルエに惚れたぜ。アルエと付き合えるってんなら騎士団だろうがなんだろうが入れるんだけどなー」鼻の下を伸ばしたルークが言った。
「……ふむ、他人の色恋沙汰に野暮を言うのはどうかと思いますが……いや、やはり野暮ですな」ボリスは自分の肩に置かれた手の上に自分の手をポンと置き、呆れたようにそう言った。
「まあ何日かしたらひょっこり記憶が戻るかもしんねぇし、しばらくはアルエをデートに誘う方法でも考えとくぜ。オッサンも応援してくれ!」ルークは自分の右手に重ねられたボリスの手の上にさらに左手を重ねてそう言った。
「それはそれは、ハッハッハ」ボリスは自分の手を引き抜いて空笑いし、そしてほんの小さく嘆息した。
* * *
王都ベリアルは栄えていた。都市の中心、最も高い場所に構える城を出て城下を見渡すと、美しい街並みが目に飛び込んできた。傾斜を降りながら街を行くルークは興味津々にあちらこちらに視線をやり、時には足をやり、気ままに観光した。
城から東西南北の城下へ向けて放射状に伸びる4つのメインストリート。その大通りに沿って色々な店が建ち並び、人々が行き交っている。ただ──
「……見ろよあの髪、よそ者がこんなとこで何をうろついてるんだ?」
「……黒い外套に、あの剣……いったいどういうつもりだ……」
ルークは街を散策し始めてすぐに、自分が招かれざる客である事を思い知った。道行く人々がルークの髪や身なりを怪訝な顔で見ては、口々に冷ややかな言葉を呟いた。記憶のないルークでもすぐさま自分がこの場所において圧倒的な『異物』であると認識できた。
(……情報集めるにしても、まずは『西』だな)
ルークは外套の下、腰に刺した剣が出来るだけ目立たないようにすると、奇異の視線に追い立てられるようにヴォルフストリートへ向かった。
* * *
「………………おおぉ」
城下西の大通りを下へ下へと進んだルークが辿り着いたのは、明らかにこれまでとは趣が違った場所だった。白石で舗装された大通りの地面すら、『ヴォルフストリート』というアーチを描く通り看板を境に赤茶や黒味がかった石材に変わっている。また、異質なのはそれだけではない。むしろ建物の建材など取るに足らないとさえ思わせる『異質』は、ルークの眼前をせわしなく行き交っていた人々である。
「……な、なんだこりゃ」
ルークが思わず呟いてしまうのも無理はなかった。アーチの向こう側には、これまで奇異の視線を投げかけてきた純白の民とは明らかに違う者達がいた。というか、明らかに人間ではない者達がいたのだ。
赤褐色の肌に薄紫の髪……だけではなく、驚くことに額に眼がある者。金髪金眼で背中から翼が生えた者。人間離れした巨躯で、さらに巨大な獣に跨る者。
おおよそ見渡した限りで、ルークが『まとも』だと思える者など殆ど見当たらなかった。
エヴァンスガーデンでアルエが自分達のことを人間族と呼称していた事から、ルークはある程度の察しは着いていたが、やはりいざ目の当たりにすると感動と恐怖が入り混じったような不思議な気持ちなった。
(……これが人間族以外……ってやつか?)
ルークはこともなげに、しかしその実かなりの勇気を振り絞って1歩脚を踏み出した。アーチの向こう、白石の石畳から雑多な煉瓦道へ。しかし、この街において異物扱いされていたはずのルークを拒む視線など一つもありはしなかった。それどころか、通りに連立する屋台から食欲をそそる香しい香りが雑踏の合間を縫ってルークを迎えた。
無意識に唾液が溢れるような香りにエスコートされ、ルークは吸い寄せられるように肉の串焼きがジュウジュウ音を立てる屋台へ向かった。傍の看板には『モーマウの串屋』と朱色の塗料で書き殴られている。
「いらっしゃーい! モーマウの串焼き10ヘルだよー!」屋台の前に立つルークを迎えたのは、頭から獣の耳が生えた栗色の髪の少女だった。
「殺人的ないい匂いだな、一本くれ。そっちのでかいの」ルークはピコピコ動く少女の耳をチラリと見ながらそう言った。
「まいどありーお兄さん! 大串は15ヘルねー!」少女は素早い手付きで串を引っ掴むと、空いた左手をルークへ差し出した。先ずお代を払えと言わんばかりに。
「ふーん。15ヘルね…………なぁモーマウさんよ、さすがに15ヘルはぼったくりすぎじゃねぇか? 俺を田舎もんだとみくびってんならとんだお門違いだぜ」ルークは懐から取り出した革袋の革紐を指に通し、クルクル回しながらそう言った。ヘルという通貨価値、ましてや屋台の相場など知る由もないルークだったが、本能的な行動だった。
「……ぷ、ぷふ、モーマウは私の名前じゃなくてこのお肉の動物の名前だよー田舎者のお兄さんー!」少女は一瞬呆気にとられたような顔して、すぐに意地の悪い笑みを浮かべそう言った。
「……そ、そうかよ。そりゃ悪かった。けどぼったくりの方を否定しねぇってことはちゃんと適正価格で売る気になったってことでいいんだよなぁ?」ルークも負けじと屋台越しの少女に詰め寄った。
「お兄さんヘンな人だねー。ここらでは見ない顔だし田舎臭いのに、妙にやり方はわきまえてるっていうか……いったい何者?」少女は訝るような目線を向けた。
「俺もそれが知りたいんだよ。あとこの肉の適正価格も」
「あーはいはい分かったよ。大串10ヘルねー」少女はため息を1つついて再び右手を差し出した。
「なんだよやっぱぼったくってやがったなー危うく5ヘル損するとこだぜ」ルークは言いながら懐から金貨の入った革袋を取り出した。
その瞬間、少女の頭に付いた獣耳がピクピクと小刻みに動いたのを、ルークは視界の端で捉えていた。
「……あー、これよく考えたらあれか。まあいいや」ルークは何かにふと思い至ったように呟くと、しかしそのまま革袋の中から金貨を取り出して少女に見せた。
「これ金貨なんだけど、釣りは出るか?」
「……な、な、金貨!? うそ、本物!?」少女はルークの指につままれた金貨を凝視してそう言った。
「言っとくけど絶対本物だからな。アルエから貰ったやつだし」
「……あ、アルエって……王女殿下、いや聖騎士王陛下!?」金貨を見るために前のめりになっていた少女の体が、じりじりと屋台の奥へ離れる。
「で、お釣りでるのか?」
「でるわけないでしょ!? ていうかほんとにアンタ……いや、貴方何者なんですかぁ!?」
「だから俺も知らないんだってば……はい、10ヘルってこれで合ってるか?」半ばパニックに陥る獣人の少女を尻目に、ルークは執行官の女から貰った革袋から硬貨を取り出して見せた。
「あ、合ってるけど……5ヘルでいいです。ほんとは5ヘルですから、ごめんなさい」少女は恐る恐るルークの掌から5ヘルだけ摘みあげると、大きな肉が刺さった串を差し出した。
「まだぼったくられてたのか!! まあいいや、ついでに聞きたいんだけどさ、この金貨どっかで両替したりできるとこ知らないか?」ルークが串を受け取りながらそう言った。
「えーと、金庫番のスパイダーさんのとこなら両替も預け入れもしてくれると思います……通りの一番奥に看板が建ってるから行けば分かるかと……はい」少女はルークの方をちらちらと気にしながら屋台から身を乗り出して通りの奥を指差した。
「スパイダーね、こりゃあいい事聞いたぜ。ありがとなー!!」ルークは串を片手に満足そうに手を振った──




