5.ミステリアスな女って
──見知らぬ女を追って中庭から城内へ入ったルークは、あまりの光景にほんの一瞬足を止めた。
上下左右……天井から床、壁に至るまで、城内は一面真っ白で覆われていた。室内に雪が降り積もったのかと錯覚するほどの純白は、まるで灰色の髪と黒い外套のルークを異分子だと言っているようですらあった。
「……こうまで白いとなんか不気味だぜ」ルークは前を行く女に聞こえないくらい小さな声で呟き、そしてゆっくりと後をつけた。その姿は、まさしく不審者であった。
女は白い廊下を淀みなく歩き、途中にあった上り階段で一つ上の階へと進んだ。ルークも距離をあけながら追従する。その姿は、まさしくストーカーであった。
(……つーか、自然に尾行してるけど別に隠れるこたぁねーんだよな。顔を拝みてぇだけなんだし、普通に話しかけりゃあよ……これじゃまるで不審者──)ルークがようやく己の猟奇的な行動に気付いた時だった。廊下の角を曲がった筈の女が姿を消した。
「──動かないで。動いたら死ぬよ」その声はルークの背後、いやそれよりももっと近く。ルークの耳元で発された。ルークは固まったようにジッとして、ゆっくりと視線を下げた。ルークの喉元には、ギラリと光る短剣がぴったりと突きつけられていた。
「君誰かなぁ? なんで私のことつけてたの〜?」女はおっとりとした口調で右手に持った短剣を喉に押し当て、左手でルークの手首を掴んだ。
「……お、落ち着け、こんなもん突きつけられてちゃおっかなくてお喋りなんか出来ねぇよ……」
「ふーん。話せないなら殺すけど」女の短剣がルークの喉を撫でた。
「うおおぉい!? まてまて分かった! 話す、話すから!!」
「……話す?」喉に触れた短剣よりも冷たい声色で、女が言った。
「は、話します! 話しますから殺さないで下さい!!」
「……じゃあ改めて、君誰? 何で私のこと尾けてたの〜? 簡潔に5秒以内で答えてね」女は取り繕ったように優しい声でそう言った。
「お、俺はルーク! さっき中庭で見かけたナイスバディのお姉さんの顔が気になって尾けてました!」ルークは簡潔に自分の下卑た行動を白状した。
「……なんて下卑た理由!」戦慄の理由に女は驚愕の声を出した。
「下卑ててすみません!!」下卑た青年ルークは罪悪感など微塵も感じさせずにそう言った。
「でも気に入ったわ〜」女が言った。
「ほんとすみませ……ん、なんて?」ルークは途端に脈絡が迷子になったような気がして、間抜けな声でそう言った。
「聞こえなかった? 君が気に入ったって言ったのよ」女はルークの耳元ではっきりとそう言った。
「……それは、なにゆえに?」ルークは困惑した。自身の行動において、剣を突きつけられる謂れはあっても、気に入られる謂れは全く無いからだ。幸いそれくらいの自覚はあった。
「私ねぇ、君みたいにバカで素直で単細胞な子、嫌いじゃないんだぁ。その必死な感じ、なんか発情期の犬みたいで面白いし……あ、ワンって言ってみてよ〜」女はクスクスと笑った。
「ふ、ふざけんな! んなこと誰が言うか、下手に出てりゃあ好き放題言いやがって……俺にだってなぁ、プライドってもんがあんだよプライドってもんが! 犬畜生の真似するくらいなら死んだ方がマシだね!!」ルークは鼻息荒くそう言った。
「へー、そっか……じゃあ殺そ」ルークの首元の短剣がギラリと光った。
「ワンワンワンワンワンワンワンワン!!!!」ルークは光の速さで吠えた。吠えまくった。
「……あれぇ? プライドってやつがあったんじゃなかったっけ〜? どこいっちゃったの〜?」女はルークの喉に短剣をぺしぺしと当てながらそう言った。
「へっ、プライドなんて便所の紙にもならねぇもん、犬に食わせてやったぜ。そして犬になったのさ」ルークはドヤ顔でそう言った。
「……ふふ、君やっぱり面白いね。いいよ、そんなに見たいならどうぞ」女はそう言ってルークの首元から短剣を離した。
ルークは安堵の息を漏らし、ゆっくりと背後の女へ向き直った。
「……な、なんだと……」ルークは驚愕した。短剣を突きつけられまでして拝みたかった女の顔……その顔が──
「み、見えねぇ……」見えなかったのである。なぜなら、向かい合った女は目元に黒い布を巻いていたからだ。まるで目隠しをしているように。ルークはそれを見て困惑した。
「えー、顔は見えてるでしょ〜?」女は少し不満げにそう言った。
「いや、確かに全体的には見えてるけどよぉ……つーか、そもそも何でそんなもん巻いてんだ? 前見えてんのかそれ?」ルークは女の白い髪や肌をジロジロと見回して、歯痒そうに目元の布を睨んだ。女は目元以外は文句のつけようの無い容姿をしていたからだ。
「この目隠しは職務上必要だから付けてるの。前ももちろん見えてるよ〜……ていうか、執行官も知らないなんて……君、この国の人じゃないにしてもいったい何者なの〜?」女はお返しとばかりにルークの身体をジロジロと見回した。
「あー、まあ、それは俺も知りてぇっつうかなんつーか……実は俺、記憶喪失? てやつみたいで自分の事も何もわかんねぇんだよな」
「あはは、なにそれ〜何でそんな可哀想な人がここにいるの〜?」女はニヤニヤしながらそう言った。
「可哀想な人とか言うんじゃねぇよ……俺がここにいるのはあれだ、この国の聖騎士王様? って奴を助けたらなんか連れて来られたんだよ」
ルークの言葉を聞いて、女の口角がほんの一瞬下がった。
「……聖騎士王って、アルエ陛下のこと?」
「え? ああ、そう。アルエだよアルエ……てか、やっぱマジで偉いやつだったのか、俺めちゃお手柄じゃん」ルークは誇らしげに、仁王立ちでうんうんと頷いた。
「そうだね〜きっと凄いご褒美貰えちゃうんじゃないかなぁ、本当だとしたらだけど〜」
「なんだよ、疑ってんのかよ。言っとくけどマジだからな? いやー、アンタにも見せてやりたかったぜ、あの化けもん相手の大立ち回り! なんで誰も見てなかったかなぁ〜」
「はは、誰も見てなかったんだ? ますます怪しいなぁ」女はルークの顔を覗き込むように身体を傾けてそう言った。
「ま、なんとでも言ってくれよ。少なくともアルエが信じてくれてりゃあ俺はそれでいいんだ」
「……へぇ、それってご褒美が貰えれば何でもいいって話? それとも〜……もしかしてそれ以外の事を陛下に期待してたり〜?」
「ばっか、お前、期待とか全っ然してねーし? 確かにアルエはめちゃくちゃ可愛いし、つーかタイプだし、名前付けてくれたし……いや、でも別にあわよくばこれを機にお近づきになれねーかなーとか、そんなこたぁ全く思ってねーっつーか……」ルークは廊下を左右に行ったり来たりしながらそう言った。女は呆れたようにその様子を眺めている。
「……盛り上がってるとこ悪いけどぉ、流石に素性の知れない記憶喪失の余所者は、陛下とお近づきにはなれないと私は思うなぁ」女の言葉を聞いて、ルークがピタリと足を止めた。
「……やっぱ、だめ?」
「ふふ、だめでしょ〜」
「そうだよなぁ……」ルークはがっくりと肩を落とした。
「そもそもねぇ、記憶無いんだったら女にちょっかいかける前にもっとやる事あるんじゃないかなぁ? 宿無し文無しでやっていけるほど今の世の中甘くないよぉ?」
「言いてぇことは分かるしもっともだがよー、こちとら自分の名前すら覚えてねぇ有様なんだぜ? もう何から手ぇ付けていいのか分っかんねぇんだよ」ルークは不貞腐れたようにそう言った。
「だからって目に付いた女の子に片っ端から突進していくのはどうかと思うけどなぁ……とにかく、まずは今晩凍えて死なないために宿を確保したほうがいいよ〜この街の西側、『ヴォルフストリート』っていう所に行けば余所者でも格安で泊まれる宿があるから、あてがないならそこへ行くといいんじゃないかなぁ」女は懐から小さな皮袋を取り出すと、それをルークに手渡した。ルークが皮袋の止め紐をゆるめると、中には数種類の硬貨が入っていた。
「これ、もしかしなくても金……だよな? いいのか?」
「君の事気に入ったって言ったでしょ~あとナイフ突きつけたお詫び。まぁ、どうせ陛下からもそれなりに貰えるだろうけど、新生活の足しにしてよ。私これから用事あるから、それじゃあね〜」女は踵を返して歩き出した。
「あ、ちょっと待てよ! 俺は名乗ったけどアンタの名前まだ聞いてねぇぞ!!」ルークが呼び止めると、女は立ち止まって振り返った。
「私? ごめん〜悪いけど、職務上教えれないんだぁ。じゃ、そゆことで〜」
女が廊下の先の階段を降りていったところで、ルークもまた中庭へ続く道を引き返し始めた。ルークは真っ白な廊下を歩きながら、なにやら神妙な面持ちを浮かべていた。
「──ルーク殿! ここにおられましたか! 陛下がお呼びです故、早速玉座の間へ……と、どうかされましたかな? 何やら神妙な面持ちですが」中庭近くの廊下で出くわしたボリスは、ルークの異様な雰囲気を察してそう尋ねた。
「え? ああ、いや……別にたいした事じゃねーから気にしねーでくれよ」ルークはそっけなくそう言った。
「むぅ、ルーク殿にとって私めは今日知り合ったばかりの他人同然……しかし、私にとってルーク殿は陛下の命を救って下さった大恩人なれば!! その様に眉間にシワをつくられていては話を聞かぬ訳にもいきませぬ!!」
初めこそルークの事を訝んでいたボリスだったが、アルエの口添えもあり人知れずルークへの好感度がぐんぐん上昇していたのであった。
「……そ、そこまで言うなら白状するけどよー」
「うむ、どんとこられよ!!」ボリスは自分の胸を拳で打った。
「……ミステリアスな女ってなんかえっちじゃね?」ルークは先程の娘の事を思い返してそう言った。
「……何言っとんじゃ貴様は」
ボリスの中で、人知れずルークの高感度が急下落したのであった。