3.とりあえずは
「──ここは……どこだ?」目覚めたばかりの娘は酷く混乱した様子だったが、青年は突然の事でしばし声を発する事が出来なかった。
「……だ、誰だ、貴様は……この私に何を……!」自分の格好に気付いた娘は、青年を見る目つきが途端に険しくなった。
「お、おお! 目ぇ覚めたのか! どうだ、身体は大丈夫か!? どっか痛いとことかないか!? てか、普通に言葉通じて……」ようやく他人と意思疎通をはかることができた青年は、興奮気味に話しながら娘に歩み寄った。しかし、言いたい事を全て言い切る前に、青年の身体が宙を舞った。
「……ぐえっ!!??」青年は娘に投げ飛ばされ、背中から床に叩きつけられた。
「いいか、私の質問に答えろ。貴様は誰で、ここはどこだ!?」悶絶していた青年はうつ伏せに転がされ、腕をうしろ手に捻られた。
「いでででで!?……知らん知らん! 俺ぁなんも知らねえよ!!」
「ほう、しらを切るつもりか? よし──」娘は青年の腕を一層強くねじり上げた。青年はあまりの激痛に声も出ず、ブーツの先で床をドンドン叩いた。
「もう一度だけチャンスをやろう。貴様は誰で、ここは何処なのか……口の利き方に気を付けて答えろ。次は折るからな」娘は青年の腕を捻っていた角度を少し緩めてそう言った。青年は娘が本気で腕を折るつもりだと悟った。
「……分か、分かりました。全部正直に話す。話しますから、落ち着いて聞いてください、ほんと」
「……よし、言え」
青年は痛みに耐えながら、大きく深呼吸した。
「……お、俺が誰かって話ですけど……実は、俺も分かんねぇんです……」娘は黙って聞いていたが、青年の腕を捻る力が少し強まった。青年は叫び出しそうになるのを必死に堪えて続けた。
「……で次に、ここが何処なのかって方ですけど……たぶんホワイトシェルの、エヴァンスガーデン? ってとこかと……もっと詳しく言うと宿屋のウィットリー……です」青年がそう言うと、娘は腕の力を少し緩めた。
「……なるほど、信じてやらん事もない。場所についてはな。だが──」
「お、俺の素性については信じられないっつうんでしょ!? そりゃそうだ。俺だって逆の立場なら信じねぇですわ……けど、マジで俺には記憶がなくて、気が付いたらこの街にいて、自分の名前すら思い出せねぇし、もう何が何だか……」青年の声は段々と尻すぼみに小さくなり、最後は小さなため息に変わった。
「記憶が、ないか……ふむ」娘は少し考え込むように呟いた。
「いいだろう。ひとまずお前の素性は捨て置くとする……では次に、私は何故このような格好で、記憶を失った余所者と宿屋にいるのだ」娘は先程までよりも随分と落ち着いた声色で青年に問いかけた。
「ええっと、俺が街を散策してたら、森の方から光が見えて……そんで気になって見に行ったら、でっけぇ化け物にアンタが殺されそうになってたんで……助けました。アレで、あの右側のやつで。左のはなんか落ちてたから拾って来ました」青年は部屋の隅を顎で指した。娘が視線を向けると、そこには無造作に立て掛けられた二振りの剣があった。
「……助けた? お前が私を?……そう、か……いや、しかし……」娘は青年の言葉を聞いてしばらく考え込み、そして青年の拘束を解いた。
「……し、信じてくれました? もう殴んない?」青年は恐る恐る起き上がり、娘からジリジリと距離をとった。
「お前を殴った覚えはないが?」娘は片眉を吊り上げてそう言った。
「……確かに。じゃあ、投げ飛ばして腕へし折ろうとしねぇですか?」青年はわざとらしく腕をさすりながらそう言った。
「……ふう、分かった。さっきはすまなかったな。神イリスに誓ってこの埋め合わせは必ずさせてもらう」娘は青年の目を真っ直ぐに見据えてそう言った。
「いやいや、そんな気にしないで下さいよー……って言いてぇとこですけど、ぶっちゃけマジで困ってるんで期待してます。埋め合わせ、マジで」青年が冗談とも本気とも聞こえるような声でそう言うと、娘は少し呆れたように微笑んだ。
* * *
「──ルークというのはどうだろうか」と、扉の向こう側から娘の柔らかい声が聞こえて、青年は我に返った。
「……あ、ええっと、ルーク、ですか?……何が?」青年は会話の脈絡を辿ろうとしたが、すぐに断念して間抜けな声で聞き返した。
「君の名前だ。記憶がないとはいえ、とりあえずでも名前がないと不便だろう」娘が言った。
「あ、ああ! なるほど! そうっすよねー……じゃ、じゃあ今から俺はルーク? ってことでー……」青年は少し前の会話をさっぱり聞いていなかったため、何故ルークという名前になったのかは分からなかったが、たいして気にはしなかった。というよりも、今はそれどころではなかった。
「気に入ってくれたようで何よりだ。で、ルーク。随分と声が上ずっているが、もしや私の裸でも想像していたのか?」扉の向こうから娘が言った。
「……なな、何言ってんすか、やだなーもう! んなわけないじゃあないですかー! ははは……」青年……もといルークは実際、娘の裸を想像していた。正確には扉の向こう側の娘の着替えを、だ。
「い、いやーそれにしても服とか探せばあるもんなんですねー」ルークは話を逸らそうとテキトーな事を言った。
「ああ、この街も一昔前はそれなりに栄えていたからな。鍵がかかっている仕立て屋を探せばこの通りだ」
「なるほど……盗るもんがあるから鍵を掛けてると」
少し前に宿屋を出たルークと娘の第一の目的は、ずばり衣服だった。娘は下着のような生地の薄い服しか身につけておらず、ルークがその娘に外套を貸すと今度はルークが凍えてしまうといった有り様だったからだ。そんなわけで、現在ルークはこの仕立て屋の廊下で娘が着替えを終えるのを待っていた。
「……てーか、俺に名前付けてくれたのはいいんですけど、俺まだアナタの名前聞いてないんでよねー」ルークはなんとか扉の向こう側を覗けないかと考え、ドアの鍵穴に顔を貼り付けるようにしてそう言った。こうすれば覗けるかもしれないというどうでもいい事を、記憶は無くとも本能が覚えていた。
「これはすまない、そういえばまだ名乗っていなかったな」ルークが鍵穴の向こうを覗くと、ニッコリと微笑んだ娘と目が合った。
「……げ、ちょ!? ぐべっ!?」ルークは勢いよく開いた扉で顔面を強打し、廊下の壁に激突した。
「私はアルエだ。よろしくルーク」紺色の外套を纏って扉から出てきたアルエが、そう言ってルークに手を差し伸べた。
「……よ、よろしくどーぞ。アルエ」ルークはアルエの手を取って立ち上がった。
「よし。服の調達で時間も潰せたことだ、そろそろこの街を出ようか」アルエは事も無げにそう言った。
「……出ようかって、出れるんですか?」
「出れるとも。ルーク、お前だって一度この街を出て私を助けてくれたのだろう?」
「いやまあ、そうなんすけど、そういう意味で言ったんじゃなくて……」ルークが言いたかったのは、軽装備の自分達がこの街から安全などこかへ辿り着ける手段があるのか……という事だったが、アルエの様子を見る限り街を出る事は容易なのだろうと解釈した。
「……てか、アルエ靴履いてないですけど、先に靴調達した方がいいんでは?」仕立て屋で服は調達出来たものの、アルエはまだ裸足のままだった。
「いや、靴くらい無くても構わないとも。これでも聖騎士の端くれでな」アルエは外套の隙間から剣を覗かせてそう言った。ルークが拾った剣はやはりアルエのものだったのだ。
「……聖騎士?」ルークは聞きなれない言葉に首を傾げた。
「ふむ、聖騎士の事は覚えていない……いや、知らないのか? ルーク、君の記憶事情は複雑だな」アルエは言いながら仕立て屋を出ると、裸足のまま近くの広場まで歩いた。
「……よし、この辺りでいいか」広場で足を止めたアルエは辺りを少し見回すと、突然腰の剣を抜き放った。
「え、なになになに!? やっぱさっき覗いたの怒ってんですか!? さっきのは違くて、その……逆に覗かないと失礼かなっていうか!?」両手をぶんぶんふって狼狽するルークをよそに、アルエは両手で握った剣を天にかざした。すると、アルエの剣から微かな光が漏れ出した。
(……け、剣が光って……!?)異変に気づいたルークが眼を丸くした瞬間……アルエの剣から凄まじい光が溢れ出し、柱となって天を貫いた。この世のものとは思えないほど美しい青い光は、ルークが先刻森で見たものと同じだった。
(……綺麗だ……けど、なんか冷たい光だな……)
ほんの数秒で光の柱が消えると、アルエは剣を一振りして鞘に納めた。
「……これで私の場所が伝わった筈だ。すぐに迎えのものが来るだろう」
「……アルエ……あんた一体何者なんだ……」ルークは唖然としてそう言った。
「何者、か……そうだな、私は君に命を救われた聖騎士であり、君の名付け親でもあり、そして……」
その時、アルエの言葉を遮るように、2人の真上に巨大な影が落ちた。
「──陛下ァァー!! ご無事ですかああああ!!」けたたましい声が響いた刹那、巨大な塊がルークの側に落下し、気がつくとルークの目の前には剣の切っ先が突き付けられていた。
「……へ?」尻餅をついたルークは状況を飲み込めず目を白黒させた。ルークの眼前には、白銀の鎧をきた白髪の男と、男が乗っていた巨大な怪鳥がいた。
「……ボリス。今すぐその者から剣を退けよ。彼は敵ではない、私の恩人だ」アルエがそう言った。
ボリスと呼ばれた壮年の白髪男は、一瞬目を見開き「御意に、我が王よ!!」と言ってすぐに剣を納めた。
「……ええっと、アルエ、さん?」ルークはゆっくりと立ち上がって、改めてアルエの姿をまじまじと見た。
「ふむ、私が何者かという話の途中だったな。では仕切り直そう……私は君に命を救われた聖騎士であり、君の名付け親であり、そして、グランフォースが四王国の一つ、ホワイトシェルを統べる十五代聖騎士王アルエ・アイギス・クロッセルだ」