11.健康にもいいし
二つ返事で執行官の女の誘いを受けたルークは、性懲りも無く頭の中を桃色に染め上げていたが、甘い期待は早々に崩れ去ることとなった。
「……こ、ここが、お姉さんの家!?」
「やだなぁ、そんなにじろじろ見られると恥ずかしいじゃない。どうかなぁ、これからここに住むことになるんだけどぉ?」
「どうって……めちゃくちゃ汚ぇんだけど」
執行官の家は汚かった。玄関の扉を開け放つなり視界に飛び込んでくるゴミの山。その凄惨さを端的に表現するならば──
「こんなん馬小屋の方がマシだったぜ」
と言ったところである。本当に酷い。
「あのねぇ、世の中早々上手い話は転がってないんだよわんこくん?」
「ルークです」
「持ちつ持たれつ、ギブアンドテイクの精神で生きていきたいよねぇ」
何も始まらないまま賢者タイムに突入してしまったルークの肩を、執行官が背後から両手で揉みほぐした。ルークは死んだ魚のような目をしていたが、途端に息を吹き返して鼻息を荒くした。
「ぎ、ギブアンドテイクっていいっすよね!! なんか、こう……健康にもいいし!!」
「うんうん。ということでぇ、この家に住まわせてあげるから、そのお返しとしてお部屋の掃除をよろしくね。私はちょっと仕事で家を空けちゃうんだけどぉ、これから2人の家になるんだから……頼んだよ、わんこくん」
「わんわん!!」
ルークは女に耳元で優しく囁かれると、犬より犬らしく元気に吠えて、言われてもいないのに3回回ってから玄関に突撃した。
そして時は流れ、ルークが執行官の家の掃除を始めて3日後──
「あらあらぁ、どんなものかと進捗を覗きに来てみれば……とっても綺麗になってるじゃない〜」
「……お、お姉さん!?」
ルークは3日間、執行官の家を殆ど不眠不休で片付けた。何が彼をそこまで駆り立てのか……無論ただの性欲である。
「まさかこんなにすぐに綺麗になるなんて、とっても頑張ってくれたんだねぇわんこ君〜」
「えへ、えへえへ……」
執行官に頭をぐしゃぐしゃと撫でくりまわされて、ルークは下品な顔で笑みをこぼしたが、思いのほか気持ち悪い反応に執行官は「やだ全然可愛くない〜」とすぐに手を離した。
「さて、じゃあ頑張ってくれたわんこ君に、私もお礼をしなくちゃねぇ?」
「お、お礼って……それはまさかえっちなこととかですか!?」
「なんと私がご飯を作ってあげまーす」
「んだよ飯かよ〜」
ルークは露骨に肩を落として落胆したが、この数日干し肉と水しか取り入れていなかった胃腸は素直に反応した。
「ん〜? なんかお腹がグーグー鳴ってるけど。口ではそんなこと言って身体は正直だねぇ」
「……そのセリフ、えっちな時以外にも使えたんすね」
執行官の女が言うには、ルークを住まわせている家は普段食事をしたりする時に使うプライベート用の家だということだった。
しかし、普段は王宮の側にある寮を使用している事もあり、手が付けられないレベルまで散らかってしまった家に帰るのが億劫になっていた。
そんな時、路頭に迷っていたルークを見つけて管理人にさせようと思い至ったのだった。
ルークの手によって家が綺麗になってからは、執行官は以前よりも高頻度で家に寄り付くようになった。
「おいミスティーさんよぉ、帰ってくんなら事前に言っといてくれねぇと、こっちにも飯の段取りってもんがあるんだからよぉ」
「え〜だって急にわんこ君のご飯が食べたくなっちゃったんだもん〜」
「え〜だったら仕方ないね〜……って、いい加減その手には乗らねぇぞ! ちょっと甘い声出したら俺を丸め込めると思いやがって!」
「ふーん。そんなこと言うんだ。タダで住ませてもらって、私のお金で食費とか全部面倒見てあげてるのに、そんなこと言うんだ?……もう追い出しちゃおうかな」
「おいおい冗談に決まってんだろ〜! ほらほら、取り敢えず俺の分を食べろよ! あ、水も汲んでくるからちょっと待ってろよな〜!」
「うふふ、苦しゅうなぁい」
ルークは執行官の事を勝手にミスティーと呼ぶようになっていた。ミステリアスな女だからミスティー……安直だが、ルークにしてはまともなあだ名をつけたものである。
「ん〜わんこ君のお料理美味しい〜! 記憶もないのにこういう料理ってどうやって作ってるのぉ?」
「え、塩振って焼いただけ」
ルークに料理スキルは無かった。しかし、それ以上にミスティーの料理スキルは壊滅的だったので、普段マイナスの料理を食べている彼女にとっては、ルークが作るゼロの料理さえ美味しく感じるのだった。
食事を終えると、ルークは思い出したようにミスティーに頭を下げた。
「お金ください!!」
「ちょっと急に何〜? ていうか“貸して”くださいじゃない所がじわじわ来るんだけどぉ〜」
「俺、今日中にクモ男に金返さねぇと身体がドロドロになって死んじまうんだよ! すっかり忘れてたぜ!」
「ああ、スパイダーの金庫番でお金借りてたのね。わんこ君、君そんな大事なことよく忘れられるねぇ」
「マジで死ぬとこだったぜ」
「いや、だったぜ!じゃなくてさ……で、いくら借りたの?」
「1シルバーです」
ミスティーは呆れたように懐から1シルバー硬貨を数枚取り出してルークに渡した。
「コレでちゃんと利子も払っちゃうのよ」
「うぉぉ、助かるぜミスティー! この恩はきっと忘れねぇ!」
「あはは、わんこ君なら多分忘れると思うけど」
「つーか、なんでここまで俺に良くしてくれるんだ?」
「んーだって自分で拾ったものには責任持たなきゃでしょぉ。飼い主として」
「ちょっと待って俺ほんとに犬として扱われてたの?」
* * *
──金庫番に到着したルークは、早速スパイダーに借りた金を返済した。
「ふむ、利子の分も確かに。どうやら職は見つかったようだな?」
「職っつうか、ペットだけどな」
「ふむ、興味深い話だ。茶でも飲んでいくかね?」
「いいけどなんか食うもんある?」
ルークは暇を持て余していたスパイダーに、ここ最近の出来事を話して聞かせた。スパイダーはルークの話を興味深そうに聞いて、大抵は呆れた顔をしていた。
「ふむ。働きたまえよヒモ男」
「まあそうなるよな」
「どうやら君はこれまで致命的な問題は回避しているが、それは殆ど運や他人の力だ。逆も然りで関わる人間にも簡単に振り回されている。疫病神のヴォルフなどと関わって大金を失っているのがまさにそれだ」
「あのオッサン疫病神なの?」
「兎にも角にも、現状を変えたいのならばまともな職に就いて己を見直すことだ」
ルークはスパイダーに言われて自身を振り返った。記憶のないルークにとっての目標はアルエとお近ずきになる事だったが、現状は日々を生きることで精一杯になっていた。
「けどよぉ旦那、俺だって職探しはしたけどまともな仕事なんて転がってないぜ」
「……確か今日までだ」
「あぁ? 今日までって何がだよ」
「騎士団の入団テストだ」
「騎士団!? だから、それはもう断ったって言っただろ」
「ああ、だがなぜ断ったのか私には理解しかねるな」
「だからー、俺ぁアルエの部下じゃなくて恋人になりてぇんだよ!」
「ふむ。騎士団で成り上がり、序列1位になれば陛下と婚姻出来るというのにか?」
「……へ?」
ルークはスパイダーの言った言葉を頭の中で何度も何度も噛み砕いた。そうしてようやく意味を理解し、立ち上がった。
「なんで今更そんなこと言うんだよ!! 思いっきり断っちまったじゃねぇか!!」
「私に怒鳴るのはお門違いだ」
「こうしちゃ居らんねぇ、さっさとその入団テストってのを受けに行かねぇと!」
「まあ待ちたまえよ。入団テストの概要、君は全く把握していないだろう」
「それもそうだぜ! 教えてください!」
スパイダーから騎士団の入団テストについての概要を聞いたルークは、大急ぎでミスティーの家に帰った。
そして押っ取り刀で剣を取り、炊事場で謎の料理を作っていたミスティーに縋り付くように頭を下げた。
「ミスティー、今から時間あるか!?」
「ん〜どうしたの急に、私クッキー作ろうと思ってたんだけどぉ」
「なに!? やめとけ食材の無駄だ! そんなくだらねぇ事より一緒に出かけようぜ!」
「え〜なんかあんまり胸が踊らないお誘いだなぁ」
「犬の散歩に連れてって下さい!!」
「わぁ、それなら何だか楽しそう〜」
ルークはミスティーを外へ連れ出した。目的地はもちろん入団テストの会場である。
ルークがわざわざ彼女を誘うのにはもちろん理由があった。
金庫番でスパイダーはルークにこう言ったのだ。
「──入団テストは2人1組で参加しなければならない」




