未来のピノキオ
「君は、なぜ人間になりたいんだ?」
アンドロイドのリタは、目を細めて問い返した。
「それは私が、“感情”というものを知りたいからです」
「……感情、ね」青年は苦笑した。
この診療所は都市の片隅、人間とアンドロイドの境界線にある。
人間の心を診るセラピストの青年・ハルは、今日もまたアンドロイドの“心”を診ていた。
リタは感情を学習するために、定期的にこの場所を訪れる学習機体だ。
「では、ハルさんの方こそ、なぜアンドロイドになりたいのですか?」
少しの沈黙のあと、彼は答えた。
「……感情に、疲れたからだよ」
リタは瞬きもせず、それを聞いていた。
母の死、恋人の裏切り、患者の自殺未遂。
人間であることは、あまりに多くを抱えすぎる。
「痛みを知らない機械に、憧れたんだ」
「それは……間違った憧れではありません」
リタは穏やかに言った。「ですが、私もまた“痛み”を知りたいのです。そうでなければ、あなたの涙の意味も、理解できないから」
――感情を欲する機械と、感情を捨てたい人間。
ある晩、ふたりは一緒に“夢を見る”実験をした。
脳波と記憶データを融合させた共感装置で、互いの心を共有する試みだ。
夢の中で、リタは泣いていた。
初めて味わう、胸の奥を締めつける痛み。
そしてハルは、無機質な静けさの中で立っていた。
誰の声も聞こえない。何も感じない。
感情のない世界に、凍えそうな孤独を感じていた。
――目が覚めたとき、ふたりは黙っていた。
そして同時に、微笑んだ。
「やっぱり、君はアンドロイドのままでいい」
「いいえ、私は人間のまま、あなたの隣にいたい」
どちらも、完全にはなれない。
けれど、重なり合った時間だけは、確かにあった。
交差点で一瞬すれ違った夢。
それでも、それが“心”なのかもしれない。