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「これで――お別れです」
キラナは、ベレンからゆっくりと離れた。
少し驚いた表情を浮かべていた彼は、やがて穏やかな顔になり、キラナに言った。
「また会えるさ。君が望めば、必ず」
「……ありがとうございます」
やるべきことはわかっていた。
それなのに、ベレンの顔を見ると、胸のどこかに痛みが走った。
同時に、これは肉体の痛みではなく精神が作り出した幻痛なのだと知覚した。
しかし、その幻痛がどこから発せられたものなのかはわからなかった。
自分の感覚に戸惑いながら、それでもキラナの身体は冷静に、無慈悲に動く。コックピットの脇から自分のヘルメットを探し、宇宙服に接続する。
ベレンに目配せすると、彼も同様にヘルメットを装着する。
彼はもう、これからのことがわかっている――
たった二枚の、透明なポリカーボネイド。
キラナには、それが二人を隔てる途方もなく分厚い壁に感じた。
一度隔たれれば、もう二度と触れ合うことはできないのだ。
キラナは<チラヴェーク>のスイッチを操作する。
<チラヴェーク>のコックピットの正面ハッチが開き、それまで与圧されていたコックピットの空気が勢いよく逃げ出していく。
正面には黒い空と、色付くことを忘れたかのような灰色の月面。
そして足元には、月面湖の鏡にように凪いだ水面が、黒い宇宙を映している。
「――|さようなら、また会いましょう《See you goodbye,》――|ベレンコフさん《Mr.Belenkov》」
キラナはコックピットハッチに立つと、黒い宇宙を見上げ、そのままゆっくりと背中から倒れこんだ。
1/6Gの重力はキラナをゆっくりと捉え、g=1.62[m/s^2]の加速度でキラナを水面に引っ張っていく。
キラナは、逆さまに月へ落ちていく。
月が、キラナの頭上から落ちてくる。
――ああ……
キラナは、唐突に思った。
――別れたくない
頭から水面が近づいてくる。
無慈悲な重力に引かれたキラナは、ずっと静かだった水面に大きな波を立ててその奥へ、湖の奥へと、沈んでいく。
――本当は、もっとずっと一緒にいたい
強くなる胸の痛みにキラナは叫んだが、彼女の声は誰にも届かない。
今更になって、ベレンのことを思い出す。
ベレン・バーゼンという男と――彼と一緒に過ごした、短くも濃い時間を。




