日々の悲愴
私は、幼い時から何も得ることのできない、もっと具体的で奇妙で、本質的な不幸体質だった。
私の両親は、親という存在とは、少し違う生き物のように感じた。
母親は、親というよりもメスという生き物でよく違う男と寝ていた。
自分が起きると知らない男が家に裸で朝日を観ながらコーヒーを飲んでいるという光景は、生きている間でもなかなか観られることではない、
父親は、決して悪い人間ではなかった。
私を高校時代まで面倒を見てくれていたし、よく一緒に出かけたりもした。
しかし、出かけることを拒むと途端に怒り、よくぶたれていた。
どちらかというと友人のような間柄だったと当時を振り返って私は思う。
小学生から高校まではいじめを受けろくに学校も行かず、日々葬送と過ごしていた。
日々、自分という自我が社会に生きる適応できた猿たちの自我に侵されていくのが辛かったのだ。
いじめというは、理不尽なものでいじめをされた理由はわからない。
私自身も一度も恨んだことがない。
加害や責任というのは、いつも突然に、そして理不尽に自分の自我とスタイルと安定を奪っていく。
仕事も続かず、毎日生きるので精一杯だったと感じる。
生きること自体が辛いものだとしたら
それを何度も繰り返すことに絶望をした。
運という要素は、変わらないのだ、いつも、そしていつの時代も
酒に溺れ、メスに溺れ、名前も覚えられないくらいのメスと寝た
ただ、心がつらかったのだ。
生きていても、現実なのに、現実感とリアリティがなかった。
そこにある、事実を事実として受け止めることは、簡単だという人もいる。
しかし、ただ雪かきをし続けることを楽しいと思えるのだとしたら常軌を逸していると私は思う。
そんな狂った人間だけが生きていけるのだ
この排他的で、うす簿らしい、狂った世界に。
私は、よく登山をした
社会と自然は、よく似ていると感じたからだ
休みの日には、山に出かけた。
mont-bellの青いミリタリージャケットに、登山用のブーツ。
行きつけのカフェからもらったコーヒー豆から作ったエスプレッソを少量長年愛用した傷だらけの魔法瓶に入れ山頂でLAWSONのサンドウィッチとほうばる。
味はしない。
それは、社会人になってからずっと。
ただ、それがおいしいのだろうということはわかるのだ。
自然というのは、晴れているときや入った序盤は、とても綺麗でまるで自分が一部に入っていくことを歓迎していくように熊笹が風になびかれ、土の匂いを感じることができる。
しかし、奥や道に迷うと本質的な恐怖と牙が人間たちを拒むのだ。
社会と似ていると感じた。
出た杭は打たれ、裏切り、自分には関係ないと言い聞かせる
登山は、私を諦めさせてくれていた。
この、悲惨な人生と、このリアリズムな時代とアンバランスな世界に。
居場所なんてものはないのだ
どんな世界にも、
いつでも死んでいいと思っていた。
ただ、絶望が生存本能を追い越すことを、まるで冬が過ぎ去るかのように、髭を剃り、待ち続けていた。
事実は解釈だけであるという阿呆がいるが。
解釈だけだったら、そもそも直せるものなのだ。
戦争をしていること自体がおかしい。
希望は悪だ。
生き地獄なのだ。
解釈という話ではない。
人間は見えている世界やモノ、匂いまで次元が違うように互いに不確かな壁があり、それを取り除くことは、絶対にできないのだと思う。
何度も死を考え、3回首をくくった。
どれも失敗であった