12 本気
どのくらい時間が経過したのだろうか?
さっきまでとても癒されていた時間だったのに今はメンタル攻撃を回避不可の状態で喰らっている。
魔王…いや、母親という我が家のボスに帰りが遅いと熾烈な『口』撃を受けていた。
常盤さんはとても優しかった。
俺が泣いている間ずっと頭を撫でてくれていた。
まさか…泣くだけでスッキリするとは思わなかった。
あの時俺は何も話さなかった。
でも常盤さんは何も聞かないでいてくれた。
時間にして十分くらいかもしれないが、俺は一時間以上泣いていたように思えた。
泣き止み、常盤さんから離れた俺を常盤さんは「スッキリした?」とだけ言ってくれた。理由も聞かず、その一言である。
俺は気恥ずかしいのもあったので、頷くことしかできなかった。
その上、常盤さんのタンクトップが俺の涙と鼻水でべちゃべちゃになっている。これはマズイ!
「あ、あのその!」
必死になって何とかしようとポケットを探す。何かないものか?
しかし、俺のポケットには気の利いたものは何もない。
こういう時はせめてポケットティッシュくらい持っておくべきだろ、俺!
「いいよ、気にしなくて。よっぽど辛いことがあったんでしょ?でなきゃ高校生の男の子がここまで泣くことないだろうからね」
普通ならひっぱたかれてもおかしくないことを俺はしたと言える。
香織にこんなことをしたら俺はこの後、天に召される未来しかないだろう。
それなのに、笑顔で俺の行為を許してくれた。本当に女神様である。
「あ、ありがとう…ございました」
何を言えばいいのか分からないが、まずはお礼を言う。
「お礼なんていいよ。人は誰かに頼って生きているものよ。それが今回、空くんは私だったわけで、私も誰かに頼ることもあるし。そうやって循環して世の中が成り立ってるわけだしね。何よりお互い何も知らない間柄でもないでしょ?」
常盤さんと話していると香織が尊敬していると豪語していたのも納得である。常盤さんの彼氏って幸せなんだろうなぁ。
「私、今忙しくないから、もし私で良ければ話聞くよ。自分で溜めて変な思考になったらだめだよ」
俺、そんなに思いつめた顔してたんだ…。そりゃあ心配されても仕方ない…いや、そもそもこんな夜遅くに公園のベンチで一人座っている高校生自体かなりヤバイよなぁ…。
「まあ、さっきよりスッキリした顔してるみたいだし、今は大丈夫みたいね。遅い時間だから早く帰った方がいいんじゃない?お母さん、心配するよ?」
再び「よっこいしょ」と言って立ち上がる常盤さん。
口癖なのかな?
それにしても美人の言う「よっこいしょ」って変にドキドキするのは俺だけかな?
「あーそうそう。香織には内緒にしておくね。空くんとこんな時間に話してたって言うと香織…あーうん。とにかく余計なことは話さないから」
急に歯切れの悪い常盤さん。もしかして常盤さんも香織、苦手なのかな?
何よりこんなこと、香織に話されたら明日は俺の命日となる。
恐怖の想像をしていると常盤さんは「じゃあね、ばいばい」と手を振って元来た道を戻り公園を出ていった。
俺も応えるように手を振り、常盤さんを見送った。
そして、ふとスマホの時間を見て我に返る。
二十三時十分。
俺は慌てて家に向かってダッシュを始めたのであった。
どうしてこうもメンタル削ぐのが上手いんだ、母親よ。
説教が終わり、ふらふらになりながらも風呂と晩飯を終わらせると日付が変わったどころか、深夜一時である。
夜更かしはあまり得意ではない。
好きなゲームをしていても二十三時には眠気が襲ってくるぐらいなのだが…最近、シエロのせいで寝る時間が遅くなっていて、学校でかなり眠いのだ。
しかし時間は巻き戻せない。諦めて部屋に入る。
まあ予測はしていたが、非道な猫が俺のベッドの上から俺を睨んでいた。
「よぉ、大人の胸に抱かれてリフレッシュできたのか?」
本当にコイツはムカつく。
さっきのを見てたのだろう。本当に気味が悪い。俺のことを監視している…そんなとこだろう。
「無駄な時間使ったから明日から死ぬ気でやってもらうからな。今日は早く寝ろ」
シエロって俺を挑発して楽しんでいるのか?
よくもまあ次から次へと俺をイラッとさせてくれるよな!
もしかして、オーチェから疎まれて追い出されてここにいるとかじゃないだろうな?
あまりにもムカついたので俺はシエロの言葉を無視すると無言でベッドのタオルケットを勢い良く引っ張ってやった。
すると案の定、シエロは足を取られてベッドを上を転がった。
「お前、導くとか言ってたけどさ、俺を怒らせてばかりだとナビゲートどころか心が迷ってしまうんだけどな!」
「じゃあ迷えばいいさ」
少しは考えるかと思いきや、むしろ肯定してきた。
迷えばいい!?ふざけるな!
「何か勘違いしてるけどな、俺のナビゲーターとしての役割は戦い方や修行、もしくは戦闘中について、だ。それ以外のことは自分で何とかするんだな。悪いが腐った生ごみメンタルのケアをするほど暇じゃない」
ここ近年、自覚したことない感覚。
体温の上昇の実感。
怒髪天を衝く。
俺の中で何かがブチ切れた。
「腐った生ごみメンタル大いに結構。でもな、それってケアしてくれた常盤さんに失礼だろ!」
こんなヤツ、叩きだしてやる!
俺は指先に光を集め、その指先をシエロに向ける。
「俺に対しての暴言は我慢できる。でもな、それはせっかく俺に優しくしてくれた常盤さんへの暴言と同じだ!謝ってもらおうか」
脅しだ。本気で撃つ気は無い。だが、少しくらいは言葉遣いを考えてもらわないと毎度毎度イラッとさせられてはたまらない。
「じゃあ言い直そうか」
さすがのシエロもランデルーズを放たれては避けようもないことは察したのかな?
そうそう、お互い分かり合うことが大事だよな。
「私情でスピリットスキル使うなんて…生ごみ未満だな。生ごみも腐れば肥料くらいになるわけだしな」
シエロの言葉を聞き俺は思わずランデルーズを…撃ってしまった。
朝が来た。
俺は疲れというものがあったから眠れたが、目覚めは最悪だった。
足元にはシエロが丸くなって寝ている。
夜の事を思い出すと、コイツが改めてただの猫ではないと実感してしまう。
俺は気にしてない風に装い、学生服に着替える。
認めたくないが…シエロは…強い。
俺より…強い。
「学校か?帰って修行する気になったら声をかけろ。あと、昨日の事は俺は気にしてない。お前が気にするかどうかだけだ」
階段を降りようとする俺に向かって投げかける声に返答をしなかった。
シエロ…あいつ、何者なんだ?
俺はあの時、怒りに任せてランデルーズをシエロに放った。
本当に殺したと思った。
何せ焦馬相手に放った距離より近い距離のランデルーズだ。光の速さを猫が避けられるはずはない。
そう思った瞬間、シエロの目の前でランデルーズは…霧散した。
例えるならガラスを地面に叩きつけるかのように。
四方八方に飛び散り、小さくなって消えた。
まるで見えない壁にあたったかのように。
シエロはその場を動くことなくランデルーズを消し去ったのだ。
驚く俺を見て、シエロは何も言わずにため息をついた。
そして俺のベッドの隅で丸くなるとそのまま寝てしまったのだった。
俺も何をどうすべきか分からず、しばらくはシエロを見つめていた。
だが、時計が目に入ると慌てて電気を消しベッドに潜り込んだ。
その時、シエロを蹴った気もするが…。
少なくとも俺の光の攻撃は何らかの方法で防がれた。
その技、対戦相手が使う…なんてことはないよな?
朝食を済ませるといつものように学校へと向かう。
今まで金曜日は心踊る曜日だった。
明日は授業も午前中で終わる。待ちに待った週末…なのだが、月曜日にまた戦いがある。
少年誌の主人公ならこんな時、過去のことを割り切り、立ち直り、次の戦いの修行を始めているのかもしれないが、俺にはまだ迷いがある。
常盤さんのお陰で気分は軽くなったものの、問題は解決したわけではない。
俺は…どうしたらいい?
そんな悩みを抱えて登校していると不意に首に腕を回された。
「あんた、忘れてないわよね、今日のこと!」
女王香織様、今日もご機嫌…ちょい悪いかな?首に回された腕の力がいつもより強い。
「雫との約束、忘れてないわよね!」
…そうか、そういえば焦馬がいた時、焦馬は雫に今日返事するって言ってたっけ?それを俺がしなきゃならないってことか。
てかそれ、昨日終わった!片付いた!
ん?雫から香織に連絡はきてないのだろうか?
「そ、それなんだけどさ」
俺は爆弾処理班顔負けの慎重さで言葉を選び香織に説明をした。
「空…断った…の?」
これは…失敗した…のか?香織の反応が未だかつてないほどの驚きを見せていた。
持っていたカバンを落とし、歩みを止め、まるで目の前に宇宙人でも現れたかのような顔をしている。
「し…雫のどこがダメなの!?」
やっと振り絞って出たように震えた声で俺に聞いてくる香織。おい、俺の行為はお前をそんなに驚愕させるほどの事なのか!?
「さっきも言ったけど…今は想いに応えられそうにないんだよ。逃げてるとかじゃなくてな。ちょっとやらなきゃならないことがあってさ。一か月後くらいに改めてって言ったら雫、待てないみたいでさ。だから…断った」
もしかしてこの雰囲気って…俺、処刑されちゃうんじゃないか!?
そうだよな。友達が告白しようとして、それを手助けしたのに俺が無下に…ではないのだが、そんな感じに断ったんだもんな。
「やらなきゃいけないことって…何?」
まだ夢でも見ているかのようなキョトンとした香織が無感情に聞いてくる。
しまった…答え、考えてない…。
「えっと…その…詳しくは言えなくて…でも…その…俺にとって大事なことで…」
言葉がまとまらない。
それは俺の頭の悪さもあるが、香織の毒気を抜かれたような…女王様気質を感じない「素」の香織が思った以上に可愛かったのが一番の原因であった。
「そ、そう」
短く答える香織。
その後、追及はされず、沈黙が流れた。
何だ、この展開は!?
香織に殺されたいわけではないが、こんなこと予測していなかったので対応に困るじゃないか!
「あ…でも、雫の人間性とかが嫌ってわけじゃないから。あいつは本当に行動力もあるし、可愛いし…何と言えばいいか…」
本当なら俺じゃなく焦馬に惚れてたわけだし…。
「ま、まあ、空の気持ちもあるだろうし、こればかりはどうしようもないもんね」
…あれ?分かってくれた?香織が理解してくれたってことでいいか?
「ほ、ほら、学校行くよ!遅刻するでしょ!」
我に返った香織がスマホの時間を見て俺に叫ぶ。
まだ大丈夫だとは思うけど、余裕があるとは言えない。
何にせよ処刑回避できただけで俺は嬉しかった。
それにしても…女の子の気持ちってわからない…。
俺に女の子の気持ちを理解できるときは果たして来るのだろうか?
そんなことを思いながら、昼休みにまたもや同じことを思う。
今日は母親が朝、寝坊したために弁当が無い。ゆえに昼休みはパンか学食という二択を選ばなくてはならない。
財布の中身が厳しい俺はパンを迷わず選ぶ。
しかも一つしか買えない。
成長期の男子にとって、食えないというのは苦行である。
昼休み前の授業中から思考に思考を重ね、購入するパンはカレーパンとなった。
カロリー高めで満足感もあり、比較的リーズナブル。
ここに焼きそばパンも欲しいところだが、そんなことをすると飲み物代が厳しくなり、水でカレーパンと焼きそばパンとなってしまう。
飲み物は妥協したくない気分なのだ。
何よりカレーライスなら水でいいのだが、カレーパンが水で味が薄まるのは個人的に許容できないのだ。
「空くん」
カレーパンを確保しようと教室から出てすぐ、誰かが俺を呼んだ。聞き覚えのある声だ。
「し、雫。ど、どうした?」
昨日のこともあり、妙に意識してしまう。
顔が熱くなるのを感じた。
今まで意識してなかったときは普通に接することができたはずなのだが…。
「お、お昼…」
いきなり上擦った声で話し出す雫。俺は思わず「お、お昼ですね」と改まって丁寧な口調で返してしまう。
「い、一緒に、た、食べませんか?よ、良かったら、ですが。つ、作り過ぎたような、気がするので」
はて?俺はいつ日本語を理解できなくなったんだ?
いや、まさかお昼を一緒に食べるって言ってた気がするんだが、俺の理解は果たして正しいのだろうか?
あ、そうか。
香織と俺と三人でってことね。
雫が両手で持っている女子が持つ弁当箱とは思えぬ大きさの手提げカバンを持っているのを見て驚いたが、作り過ぎというのも頷ける。
作り過ぎたのか。その量だと香織と二人では食べきれないよな。
そこで知り合いの食べ盛りの俺に救援を求めてきたってことか。
「あ、うん。いいよ。今日はパン買いに行こうと思ってたから」
花が咲く。
そんな言葉がぴったりな笑顔をする雫。余程作り過ぎて困っていたのだろうか?
俺の食欲が誰かを助けることになる日が来るとは…人生分からないものだ。
「じゃ、じゃあ行こ!」
雫は俺の手を掴むとぐいぐいと引っ張り出した。どこに連れて…いや、拉致するかのような勢いである。
俺はされるがまま、雫に導かれていった。
着いたのは校舎裏にある少し広くなった場所。周りにある桜の木も今は皆緑一色になっている。
そこにひとつの切り株があった。
ただ、一つなのだが、地面から少し出たところで二股に分かれたのだろうか、木の切り口が二つ、まるで椅子として作られたかのような切り跡である。
確かこれも桜だったが、去年台風で倒れかけたので切り倒したとか全校集会の時に言ってたような気がする。
切り株が三つあれば、俺と香織、雫の三人で丁度いいイスになるんだが…まあ、俺が地べたでもいいんだけど。
「日陰で涼しいな、ここ。こんな穴場あったとは知らなかったよ」
「ここの存在、もしかしたら私しか知らないのかも。何度か使ったことあるけど、誰とも会わないし」
それは無いとは思うが、そこを茶化せる余裕は俺には無い。
なんせ今は雫と二人なのだ。変に意識してしまう。
俺の気持ちを他所に雫はビニールシートをその二つの切り口に敷き「どうぞ」と俺に座るように促した。
それにしても用意がいいな。
促されるままにシートの上に座ると、隣で雫が手提げカバンを開けて…俺は目を疑った。
手提げカバンから出てきたのは…俺はテレビや広告でしか見たことない三段の弁当…箱ではない、重箱である。
しかも、見た目高そうな黒…それも何と言えばいいか…鮮やかで心が洗われるような黒に金の絵柄の細工が施されている。
鶴や見たことない模様が重箱の側面いっぱいに描かれている。
そんな俺と目が合った雫が何かを思い出したかのように急に俯く。
「あ、そ、そう言えば空くん、好き嫌いとかアレルギーとか…あるのかな?」
「あ、いや、特にないけど…」
気遣いありがとうございます…ではない!
これ…作り過ぎたってレベルじゃない…よね?
「お、多かったり、美味しくなかったら無理しなくていいからね!」
これなら、この手提げカバン…よく見たら内側が保冷できるタイプのやつだし、チラッと見えたけど…デザートらしき器もあったぞ…。
現実の出来事に頭の追いついていない俺をよそに雫はテキパキと準備を進めていく。
お茶も水筒から紙コップに注がれ、さながら小さなパーティーが始まるようである。
その上更なる用意をする。
重箱の入っていたカバンの横から組み立て式の小さなテーブルを出して、重箱を一つずつ広げて並べていく。
そして、重箱の中身に俺は思わず感嘆のため息を漏らしてしまった。
一言で言えば売り物。
美しく整い、綺麗な盛り付けをされている。
こういうの、年末におせちの広告で見たことあるような気がするくらいである。
ただ、中身は分かりやすい、高校生男子の喜びそうな揚げ物や肉類を中心に作られているし、彩の野菜も旬の新玉ねぎのサラダから、緑鮮やかなアスパラガスをベーコンで巻いたもの、ニンジンとごぼうのきんぴらという和の物もちゃんと入っている凄さ。
「あ…えっと…これ、雫が作ったのかな?」
俺は勇気を出して聞いてみた。
買ったとか、お母さんがほとんどやったんだよ、という答えを期待して。
「これくらいなら私自分で作るよ?」
天才料理人、水野雫様だな…。
「ちなみに…どれくらい時間かかったのかな?」
雫は可愛らしく人差し指を頬に当て上を向きながら思い出す仕草をする。
「うーん、二時間くらいかな?」
さらりと答える雫に俺は…再び広げられた重箱を見る。
俺は料理をしないので二時間が早いか遅いかは分からないが、少なくとも朝四時くらいから作らないと学校に間に合わないだろう。
…頼む、香織、来てくれ。…何かこれ、ヤバそうだよ。
てかこれ本来は焦馬がこういう目に合うってことになるのか?
羨ましくもあるけど…ちょっと重い気もする…。
俺は初めての女の子の手作り弁当を…いや、手作り御重を昼いっぱい堪能することとなった。
味がめちゃくちゃ美味しい。
美味しいはずなのに…雫の想いの重さが増すのは…なぜなのだろうか…。
答えはもっと大人になったら出るのかもしれない…。




