爪
僕の爪はかたい。
この“かたい”というのは、硬いや堅いのような、漢字や既存の言葉で定義できる紋切り型の表現じゃない。もっとあやふやでふわふわしてて雲をつかむような、それでいて地に深く根ざしているみたいな、そういったものだ。どうしてかと問われてもはっきりした根拠はこれといってなくて、ずっとそんなイメージがひたすらまとわり憑いてくるんだ。ただ、それだけ。
黒曜石にも似た大型肉食獣顔負けの爪は、陽光を受けると乱反射してギラギラテラテラと輝く。それらがことさらおっきな毛むくじゃらの手のうちにおさまっているのだから、我ながら不思議でしょうがない。両の手のひらの淡いピンク色の肉球はベンタブラックをまぶしたような体毛と強いコントラストをなして、遠くからでもよく目立つなんていわれたりもする。
この爪は僕の短い半生において、ある意味呪われた存在としてたびたび顔を出してくる。
ものごころつく頃にはすっかりこんなになっていたものだから、親や親戚の白い爪に幼いながら半ばコンプレックスを抱いていた。タチの悪いことにこれまでオシャカとなった爪切りは安物から高級品まで数え切れない。現在でさえ切れ味が良いと評判のものを買ってもときたま壊してしまうあたりひょっとしたら、ダイヤモンドなんか目じゃないほど“かたい”のかもしれない、なんて思うことすらある。
意図せず起こしてしまった傷害沙汰もたくさんあった。
例えば小学校の同級生の女の子を振りむきざまにヒュッと顔をかすめてギャン泣きされて、一人職員室送りにされたり、低学年のときはこれ以上面倒をみきれないと判断した先生に、幼稚園生用の爪キャップを装着することを強制されたり。ヤスリで限界までならさずただ切り揃えるだけだと際限なく自動的に尖っていってしまう性質が判明したのは、この時期だったろうか。
極めつきは河川敷堤防沿いの巨大コンクリブロックに爪だけ引っかけ何回懸垂できるかという、小学生を折りかえす歳の男子にありがちなこれといって意味もなにもないチキンレースでのこと。
あたり前ながら同じ地区に住む同年代の獣人の爪は重いものを吊りあげる、まして自重を支えるようにはできていやしない。皆一様に二、三回で音をあげてリタイアが相次ぐ中で僕の番が回ってきた。見るからに大した筋肉のないヒョロヒョロの黒猫がどこまで粘れるか見ようとして、注目が集まるのを感じる。——結果として腕の限界まで、十回の爪立て懸垂をすることができた。無論、爪は無事だ。典型的に単純な男児らばっかだったので新記録を打ちたてたということで、すぐさまお祭り状態になる。一躍ヒーローってほどでないものの友達にここまでもてはやされたのはこの時が初めてだったので、よく覚えているんだ。そこへ突然、ガキ大将的なポジションの虎の子が発奮した様子で出しゃばってきた。おおよそメンツを潰されたと思ったんだろう。僕を強引に押しのけコンクリに再び爪を立てはじめた。五回目の時点で先端に血が滲み出てるのがはっきり見てとれて無茶だやめろと、まわりからも制止の声があがる。脂汗の浮かぶ余裕の表情でそんなのお構いなしに続けようとしていたところで急にベリッと嫌な音がしてドスンと地面に落ちた。なんだなんだと下をいっせいに向くと、あおむけで地面に横たわって苦痛に顔をゆがめる虎の子の姿。手のかけてあった場所に残された、剥がれてまだ間もない赤と肉にまみれる生爪。そのまま一騒動になって、僕含む悪ガキどもはかつてないほど理不尽な大目玉を喰らう羽目となったのだった。
こんなひどいエピソードばかり続くとこの爪にはホントに疫病神でも宿っているんじゃないのかって、誰であれ考えるかもしれない。いつか人生を大きく左右する要因になる可能性すら、十分にあり得るだろう。そんな一方でたった一度だけ、忌まわしい爪どもに命を救われた思い出がある。
小五の時分。晴天と土砂降りと星空を繰りかえすような七月の梅雨が明けたばかりの季節。当時まだまだヤンチャざかりだった僕は同じクラスの筋金入りに阿呆な白い狼の幼なじみに誘われて、区内の有名な廃団地で肝試しをすることになったんだ。
阿呆の幼なじみとは小学校に入る前からの親友で、通っていた幼稚園は違えどご近所ということもあってしょっちゅうつるんでいた。ふこふこした短毛でマズルの小さい黒猫である僕からするとさらさらで純白のいい毛並みを持ち大あくびをかます狼の友達はとても魅力的で、当時はよく一緒にスキンシップしたり毛づくろいごっこしたりとしたものだ。とにかく向こうみずに探検や冒険をすることが大好きなヤツで、裏路地探検から自転車小旅行まで日がな一日僕がつき添っては色んなところを巡って楽しむのが常だった。学年が上がるとオカルトや都市伝説に興味が湧いたようで、図書室に入り浸ってはお化けや幽霊が出る本を読み漁っていた姿が印象に新しい。曰くのある地点へ自然と足を運ぶこともこの頃からはじまった。この話はそんな好奇心の延長がきっかけだ。
廃団地というのは都が造った昔流行りの高層団地群のことで、聞くところによればはじめは入居の募集をかければすぐに枠が埋まってしまうような中々賑わいのあるありきたりな公営住宅だったらしい。ところがあるとき変死者が出て、それを皮切りに次から次へ身投げやら一家心中なんかがバタバタと増えていった。自殺団地なんて周りからの悪評がすごかったし、引っ越していく住人もあとを絶たなかったけれど、役人さんはなす術がなかったそうだ。そんな状態が続いたものだから経営があっという間に傾いて、都もおそらくそうしたくなかったろうに建設から二、三年で閉鎖が決まってしまった。しまいはクモの子を散らすように夜逃げしてゆく家族も多かったとのことだ。
ところでその曰くありげな廃団地群の一部は地域の小中学校の通学路に面していた。それゆえか「窓から手まねきする白い人影が見えた」だの「黒いもやが建物に入っていった」だの、小中学生のあいだに限らずそういう場所にはありがちな噂がひっきりなしにささやかれていた記憶がある。元から立入禁止にされていたけど、学校のほうも改めて近づかないよう定期的に注意を呼びかけていた。こういう場合、必ず教員の見回りや保護者のパトロールをかいくぐって我こそは忍び込んできたぞ、なんて武勇伝を語るような輩が出てきそうなものだ。でも不思議とそういった情報を耳にすることはこれまで一度もなかった。今になって考えるに廃墟化しても取り壊しが計画されるまでいくぶん期間が空いていたのを含め、なにかのっぴきならぬ事情があったのかもしれない。
建物についての説明はこれくらいにしておこう。さっき述べたとおりアホと僕は放課後になってから目的地へと向かったわけなんだ。けどそこへたどり着くにはなんとかして大人たちの監視の目をまく必要がある。そこでどうしたかといえば、このシーズンにありがちなゲリラ豪雨ばりの重い夕立を利用することに決めた。濡れる覚悟のない大人どもはすぐに屋内へ避難するだろう、という安直な見込みだけが頼りの甘い作戦だ。空がゴロゴロと鳴って、嵐の予兆に胸が高鳴る。いざ雨が降り始めてさてチャンスってので、僕たち傘もささずにバカ丸出しでギャーギャー騒ぎながら蒸し暑い空気の中およそ2kmを全速力で駆けていった。もちろん毛皮と服はビショビショだし運動靴は泥まみれだしランドセルにいたっては中の教科書がふやけてしまったけれど、それでもそのときは楽しかったんだ。
乱雑に積みあげられたバリケードをよじ登り表玄関へ到着すると同時にその場にへたり込んで、ゼーハーゼーハーと荒く息をする。耳にはザーザー降りの雨音と二匹の呼吸しか聞こえてこない。しばらくしても誰かが追ってくる気配がないのでうまくいったなとハイタッチして、互いに疲れて笑い合うアホと僕。まだ入ってすらいないのに。
落ち着いたところで目の前のガラス戸にドキドキしながら手をかけ開こうとする。が、ビクともしなかった。考えてみればカギがかけられているのは当たり前だ、おおよそ僕らみたいな不届き者への対策だろう。うんともすんともいってくれない扉をがむしゃらに相手して諦めずにふんばっていると、アホはおもむろにどこからか大きめの石を取り出し玄関扉に向けて勢いよく投げつけた。途端にガシャンと音を立て粉々に砕け散るガラスの板。どうせ取り壊されるんだし誰も来ないからといってのけ、唖然とする僕を置いて無理やりあけた穴から内部へと入っていった。あわててその背中を追う。