陽光のムニエル
人事異動で無職になってから、ほんとに碌でもない人生だよ。真っ先に駆けつけたのは母親。父親とは殴り合いのケンカになった。
近所には、「光輝君、新しい就職先は見つからないの?」と噂される始末。世の中、そういうもんだと悟った。
生活のありとあらゆる事は母親におんぶに抱っこ。そういう生活を二年ほど過ごしている。俺といえば、寝室の暗がりの中でSNSをしていた。
「──ムカつく……」
俺には嫌いなフォロワーが居る。そいつが最近、料理を始めたのだ。子どもでも作れるであろう簡単な粥や野菜炒めで、『いいね』を稼いでいる。
同じ引き籠もり系なのに。粋がりやがって。
「俺は……もっとこう、ムニエルとか。作ってみっかな……」
季節は秋。秋鮭を使ったムニエルは、大根サラダを添えれば、さぞかし映えるだろう。
(たまには、本格的に料理でもしてみるか)
引き籠もりらしからぬ言葉が浮かんだ。SNSで嫌いな奴が盛り上がっていたら、潰してやるのが俺の生き方だ。
単純に、『絶対にコイツよりはマシ』と思いたかったのかもしれない。
俺は、シャワーをして、伸びた髪をドライヤーで乾かした。時間がかかったそれをゴムで束ねる。ヒゲを剃って、外出にふさわしい格好をした。
世の中には、病気で仕方なく引き籠もる奴も居るが、俺はそういう類いの人間ではない。特に家から出る理由が無いから。それだけの理由で引き籠っていたのだ。
飯も、掃除も、家事も、近所付き合いも、すべて、母親が何とかしてくれるから。しかしそうなると、俺という存在の必要性もなくなる。
(ははは、会社での俺と同じだな)
辞めさせられるときも、俺は全くの空気だった……なんて、暗いことを考えたって仕方ねぇよな。だって、無職だろ。今更何を思い、何を言おうが、説得力ねぇもん。
玄関で家の鍵をジャラジャラ鳴らしていたら、母親が「こう君、どこ行くの!?」と、目を丸くしていた。
「スーパー」
「え、スーパー。何を買うの?」
「秋鮭とか大根サラダとか」
俺の返答に目をキラキラさせる母親。
「こう君えらい! 外に出る気になったのね!」
……。
俺、今年で30歳なんだけど。母親には何歳に見えてるんだ?
(まぁ、迷惑かけてる点でいえば十分子どもか)
◇
とりあえずスーパーへ。道端の金木犀の匂いやら空の呑気な色やらが、ぷらぷら歩く俺を歓迎してくれた。ように感じた。
スーパーでは、生鮮食品の棚の前で話すおばちゃん達が邪魔で、睨みつけてやった。俺の視線は彼女らを撤退させる程の力はなかったらしい。ずっと喋っている。
「ウチのるりってば、またバレーボールで表彰されてねぇ!」
「いいわねぇ!ウチの子は読書感想文しか表彰状貰ったこと無くて」
……子ども自慢か。
よくこんなとこで、個人情報ペラペラ喋れるな。
「あら、よく見れば柊さんちの光輝君じゃない」
やべ、この二人も俺の噂知ってるのか!
「大変ねぇ。いいとこの大学出たのに」
「それが無職になっちゃうなんて、可哀想……」
全然心配してない感じで同情の言葉を使うな。腹が立つだろ。
「……まぁ、新しいとこ探してるとこっす」
一応、ベタな返し方をしておいた。ようやく俺の視界に気づいたらしい。おばちゃん達は、秋鮭コーナーへの道を開いた。
「秋鮭。おいしいものねぇ」
「お父様も、喜ぶと思うわ」
?
俺は気分転換のために料理をしようとしただけだが。それに、一緒に住んでいるのは母親だ。父親なんて関係ないじゃないか。
「ほら、うしろ……」
おばちゃんの一人が俺に耳打ちをする。振り返ると、作業着を身に着けた父親がいた。
「定年退職後に、バイトを始めたそうよ」
「俺が家族を支えるんだ、って」
久しぶりに見た父親は、細く猫背で、年下上司にヘコヘコしていた。一応それなりの会社に勤めていたんだけどな。俺の知っている父親の面影は微塵もなかった。
「そうっすか……」
バレたら気まずい。俺は隠れるように秋鮭を籠の中に入れた。大根サラダの場所がわからず、ウロウロしていると、棚だしをしている父親と目が合ってしまった。
「ゲ!」
同時に声が出た。カエルがつぶれたような声だ。知人が仕事をしている姿は見たくないし、見せたくない。ましてや家族とは……。
沈黙があったが、父親の方から棚だしついでに寄ってきた。ちょうど大根サラダを持っている。
「……料理。するんか」
「ま、まぁな」
「…………そうか」
どんどん陳列されていく野菜達を見ながら俺は、
「ムニエルを作るんだ」
そう言った。
父親は、「そうか」とだけ言って、空になった段ボールを持ってスーパーの奥へと行ってしまった。
《ムニエルを作るんだ》
最初はただの対抗心。謂わば思いつきだったが、この言葉を勢いでも何でも実行しようとしている俺に、少しだけ自信が持てた。
俺には、待っていてくれる母親と、支えてくれる父親が居る。
(俺。このまま腐っちゃいけねぇわ)
◇
秋鮭と大根サラダを買った帰り道。
金木犀を太陽が照らしていた。まぶしい。空の色は光に塗り潰されて分からなかったが、おそらく澄み切った青色だろう。
「おかえりなさい!」
「ただいま。待ってろ、今ムニエルつくっから」
「わーい♪」
「……期待すんなよ」
母親が部屋を掃除したのか、至る所が換気されている。開いた窓からは、心地よい風と、陽光がさしていた。
「ほらよ」
作ったムニエルをテーブルに並べる。初めての料理だ。盛り方も彩りもあまり映えないが、陽光に照らされたムニエルは、親からたくさんの『いいね』を貰った。
「あ、SNSに載せるの忘れてた」