思い出ケチャップライス⑥
「実の親が亡くなった時に来ないで、おばあちゃんが亡くなった時に来た人も遺産目当てでしかないよね」
織衣の言葉に息をのむ。
小夜も自称・伯父たちと同じだ。茂が亡くなった時に来なかった。そして久理子が亡くなった時には駆け付けた。
織衣からすれば、小夜も遺産目当てでやって来たと思われても反論できない。
「織衣ちゃん」
満子が慌てるも時すでに遅し。
「パパが亡くなった時に来ないで、なんでおばあちゃんが亡くなったときは来るのよ。遺産目当てなんでしょ」
織衣に睨まれ、胃に痛みを覚える。
「それはないな」
場違いなのんきな声をあげたのは尾崎だ。尾崎を見れば、お茶菓子の器に盛られた煎餅に手を伸ばしている。
「ここの土地と家は小夜ちゃんとそのお母さん名義。久理子さんの預貯金は織衣ちゃんの大学までの学費の足しにして、借金がないだけマシってとこだからな」
煎餅を割った尾崎はそこで話を切り、煎餅を口に運ぶ。バリバリと煎餅をかむ音が居間に響く。
「ちょっと待ってください。ここの土地は元々、佐久間さんちのものですよ」
「元々は、な」
「それを小夜ちゃんとお母さんが持ってるってどういう……?」
満子が疑問を口にするも、尾崎は残りの煎餅を咀嚼中だ。
「茂ちゃんの借金だべ」
今まで沈黙を貫いてきたときが口を開く。
「保険もろくに入ってねえ。でも変なところからの借金はある。そいづ払って、織衣ちゃん育てなきゃなんね。そしたら、久理子さんが頼んのは元嫁に決まってっぺ」
「決まってって……小夜ちゃんのお母さんは、久理子さんからすればもう他人でしょ」
「離婚したって、茂ちゃんは小夜ちゃんの親でもあっぺ。まともなどこならまだしも、変などこから借りでっから。どっかから調べられて小夜ちゃんどこに取り立てに行かれて、何があったらどうすっけ」
ときに言いこめられ、満子が黙る。ときと満子の言い合いは日常のようだ。
「ばあちゃんの言うとおりだろうな。万が一、小夜ちゃんを探し出されて何かあったら怖い。だから久理子さんは小夜ちゃんの母親である元嫁さんに連絡した。元嫁さん、小股の切れ上がったいい姐さんなんだろうな。事情を察した元嫁さんが久理子さんから土地を買って、それで借金返済させたんだろ。ついでに家も建ててやって、久理子さんは元嫁さんと小夜ちゃんから賃貸してるってかたちなんだろ?」
「えぇ、まあ……」
尾崎に話を振られ、歯切れの悪い返事を返す。
すべて尾崎の推測通りだが、織衣の前で全肯定するのも気が引けた。両親が離婚した時、すでに小夜は中学生で多少の物事は理解していた。
だが織衣は違う。久理子が言わない以上、両親がよくないところから借金していたことも父親に自分以外に子どもがいたことも知らないはずだ。織衣の記憶にあるのは、幼い自分を愛してくれた優しい両親の姿だろう。
満子がため息をついて肩を落とす。
「それじゃあ、織衣ちゃんはどうなるのよ。家もお金もないなんて……」
「だから満子さんに頼みたいんだよ」
尾崎に名指しされた満子が、怪訝そうに尾崎を見る。
「織衣ちゃんを一人にするわけにはいかないし、久理子さんの微々たる貯金を食いつぶさせるわけにもいかない。だから小夜ちゃんがこの家に来るから」
「絶対嫌!」
織衣が声を上げる。
「嫌ならどうする? この家は小夜ちゃんとそのお母さんのものだ」
「……家賃払えばいいんでしょ」
「ほお! 築十年ほどの戸建ての家賃が払えると! 世のお父さんたちが住宅ローンで四苦八苦してるってのになあ!」
「ちょっと織衣ちゃん、なんで子どもあおってるんですか!」
前半は織衣を止めるように、後半は尾崎に怒りをぶつけるように満子が声を荒げる。
「そりゃあ、現実知らないからだろ。あの伯父さんたちはどうか知らねえが、小夜ちゃんは親父さんが亡くなった時に来れない状況だった。あの時の状況を考えれば、仮にうちの母ちゃんが亡くなっていたとしても、俺も息子に来るなって言うわ。なあ、満子さん」
「私は来てほしいですけど」
当然というように答える満子は、尾崎に得体のしれないものを見るような目を向ける。
「おらは来るなって言う」
「お母さん! なんで、もう」
満子と正反対の意見を口にしたときに、満子が食って掛かる。
「おら、やんだ。もうあんなの見だぐもねえし、見せだぐもね」
ときが首を振っても、満子はまだ顔に不満を色濃く残している。
ときが「あんなの」と表現したのは、震災直後の変わり果てた街の姿だろう。小夜は映像を通して目にしただけだが、知っている街の知らない景色に絶句したのを覚えている。
「続きは家に帰ってからやってもらうとして」
満子とときのやり取りを何度か目にして慣れてしまった尾崎が仕切りなおす。
「質疑応答は後で受け付けるから、俺に最後までしゃべらせてくれ。いいな? 今後のことだけど、小夜ちゃんがこっちに来て食堂を再開させる。当然、ここに住むわな。織衣ちゃんは嫌かもしれないけど、小夜ちゃんにも住む権利はある」
嫌そうな顔をした織衣を瞬時に黙らせ、尾崎は続ける。
「急に腹違いの姉妹だって言われても実感ないだろうから、小夜ちゃんのことはお姉ちゃんって呼ばなくていいし、お姉ちゃんだと思わなくていい。下宿先の寮母さんだ。それなら一つ屋根の下でも暮らせるな? はい、ここまでで質問は?」
「急に食堂やるって大丈夫なの? 暮らしていかなきゃいけないんだよ」
「いざとなったら任期付き教員の職探して、翌年の採用試験受けるから大丈夫。次は?」
「またあの伯父さんたち来るかもしれないじゃない。織衣ちゃんと小夜ちゃん、二人で大丈夫なの?」
「防犯カメラつけるし、次来たら警察に相談する。他は?」
「織衣ちゃんをここから追い出すってことは?」
「ねえよ」
当事者の織衣ではなく満子の質問が続くことに、面倒になってきたようで尾崎は投げやりに答える。
「ここは小夜ちゃんとお母さんの家なんですよね。二人でお父さんが浮気してつくった子どもだから出ていけって言うことだって」
浮気の言葉に、小夜は思わず織衣を見る。織衣は目を見開き、耳を疑うようにゆっくりと顔を上げ、小夜と視線がぶつかる。
織衣は茂の離婚理由は知らないはずだ。事情を知っている尾崎も浮気であることは黙っていた。
それはすべて織衣のためだ。
「満子」
ときが珍しく満子を咎めるも、満子は語気を強めたままときに反論する。
「だってそうでしょ。浮気相手の子どもなんて面倒みてやる必要ないじゃない!」
「満子!」
「私なら絶対嫌! ざまあみろって思うわよ」
言い切った満子は満足そうに鼻から息を吐く。充実感あふれるその顔を見る限り、隣で織衣が真っ白な顔で唇をかみしめていることには気づいていないようだ。
生まれてきた子どもが責められるべきことはない。
浮気した茂を責められるのは明美だけだ。だから明美は茂に即離婚を言い渡し、家から追い出した。無職の茂では慰謝料も養育費も取れない。無職の身で家から追い出すことだけが、明美ができたせめてもの仕打ちだ。
離婚すると言う話が出た時、小夜も茂を問いただしたい気持ちはあった。だが茂が亡くなって時間が経ち、小夜と織衣以外に子どもがいないということだけを考えれば許容の範囲内になってしまった。許したわけではない。許容せざるを得なかっただけだ。