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思い出ケチャップライス②

 小夜は一度目を閉じて、小さく息を吐く。

 前回、喪服を着たのは去年の夏だ。受け持ちの女子生徒の母親がガンで亡くなった。享年三十九歳。若いがゆえに進行は早く、ガン発覚から一年ほどでの旅立ちとなってしまった。

 父親から覚悟はしておくようにと言われた彼女は、自分なりに母親の死を覚悟していたそうだ。両親ともに一人っ子で自身も一人っ子の彼女は、通夜の席でも父親の隣で背筋を伸ばして座っていた。それでも弔問に訪れた小夜と学年主任の原芳子先生姿を見ると、ぼろぼろと涙をこぼして子どものように泣いていた。

 自分の胸に顔をうずめて泣く彼女を、小夜はただ頭をなでるくらいしかできなかった。その間、芳子先生はずっと彼女の背中をさすり、一方の手では小夜の腕をつかむ彼女の手に自分の温かい手を重ねてくれていてくれた。

 あのときはベテランの芳子先生がいてくれたが、今日はいない。

「久理子さんから、小夜ちゃんは東京で中学校の先生してるって聞いてたんだけど。今、何年生持ってんの?」

「二年生です」

 去年、一年生から付き合った三年生を送り出して、今年は二年生の担任だった。

「今はまだ春休みじゃねえか」

「そうですね。三年生は卒業して春休みですけど、一、二年生は来週半ばからですね」

「忌引きは三日だろ。それ終わったらとりあえず東京帰って、成績表配んのか」

「えぇ。成績表を配りに帰るみたいですけど」

 成績表はもう記入済みで、あとは配布するだけだ。だから副担任の間山先生でも構わないかもしれない。けれど一年間付き合ってきた生徒たちだ。最後は自分の手できちんと渡したい。

「来年度はそのまま持ち上がりで三年生か?」

「それか一年生ですね」

 昨年度の生徒たちを送り出してから、一年生の副担任になるかと思ったら二年生の担任だった。どうせなら二年生の子たちと一緒に進級して、彼らを送り出したい。母親を亡くした彼女も、元気に笑顔を見せてはいるが心配だ。

「そうなると、織衣ちゃんはどうすっかなあ」

 運転席の後ろに座る尾崎が頭を掻く。

「高校も決まってるし、家に一人で置いておくわけにいかねえし」

 尾崎が太く息を吐く。

「織衣ちゃんのお母さんのお身内の方っていうのは……?」

 茂は一人っ子だから父方の伯父叔母はいない。茂の再婚相手のことを、小夜は全く知らない。知っているのは茂の浮気相手に子どもができて、両親が離婚したということだけだ。

「久理子さんも知らんっちゅーんだな。戸籍から調べてみとるけど、人が死ぬとそれをかぎつけた変な親戚が出てくるからなあ。パッと見、久理子さんの相続人は織衣ちゃんだけに見えるから、亡くなったお母さんの兄弟だとか言って出てくる奴がおらんとも言えん」

 久理子の夫――茂の父であり、小夜と織衣の祖父――は茂が幼い頃に亡くなった。久理子の親族は小夜と織衣だけだ。

 どれだけの遺産があるかはわからないが織衣を引き取り、遺産を管理すると言って自分たちで使い込みをする可能性は考えられる。最悪、無一文で放り出されるのは織衣だ。

「あの土地建物は小夜ちゃんとお母さんの共有なんだってな」

「えぇ。震災で倒壊する危険性が出たので」

 その間、久理子は織衣と仮設住宅に入っていたと聞いた。

「久理子さんは離婚したお父さんのばあちゃんだろ。それがなんで、お母さんが?」

「父も亡くなって、祖母には孫以外に身内がいなくなったので母が」

 土地は佐久間家が持っていたものだ。それが諸事情で名義が愛澤に変わり、建物は母・明美が当時住んでいた市中心部のマンションを売却して資金を出した。そうすれば将来、久理子が亡くなった時、相続のごたごたには巻き込まれないだろうという明美の判断だ。

「しっかりしたお母さんだな。久理子さんが小夜ちゃんを頼るのもわかるわな」

 確かにしっかりした母だ。浮気して、よその子どもをつくった元夫の母親――元姑――の面倒をみる義理は明美にはない。自分も大変だからと知らないふりをすることもできたはずだ。

 それでも明美は、他に頼るべき身内がいない久理子を案じた。知らない者同士でも助け合わざるを得ない震災の現場を見ていたからかもしれないが、他人に言わせると明美は懐と情が深い人だ。

『おばあちゃんが亡くなったなら、あの子どうなるのよ? あんた、一応お姉ちゃんなんだからね。私もできる限りのことはするから』

 昨夜、久理子が亡くなったことを伝えた際の明美の反応だ。その言葉を聞き、茂は人を見る目があったのだと思った。

 自分たち妻子を捨て、他の女のところに走った元夫の遺児の心配をする女はそういないのではないかと思う。自分だったらそこまで気が回らないだろう。

「遺産なんてスズメの涙程度だろうけど、それも織衣ちゃんの学費にあてるつもりだったんだろうからな」

 久理子は食堂を経営していた。店の名は名字にかけた「咲くま」だ。

 夫を早くに亡くし、茂を育てながら食堂を切り盛りしていた。茂が成人してからは趣向を変え、近所の人たちのお茶のみ場となっていたが、それは束の間のことだった。

 震災だ。

 久理子は震災で両親を亡くした織衣を引き取った。年金受給者の自分一人ならお茶のみ場のような食堂でもいい。だがこれから学校に通わせなければならない織衣がいれば、そうはいかない。

 咲くまは再び食堂として、リニューアルオープンすることになった。久理子、七十歳の時のことだ。

 明美出資ということもあり、小夜も設計の段階から知っている。広い間口も段差のないフラットな設計も、明美と久理子が業者と相談して決めたものだ。かつては自宅と店舗は同じ敷地内にある別の建物で、いったん外に出ないと行き来できなかった。

 それを店舗兼住宅としたのは幼い織衣と高齢となった久理子のためだ。久理子が店にいる間、家に一人で淋しくなった織衣がすぐ久理子の元に行けるように、カウンターの裏は居住スペースにつながっており、久理子がちょっと声を掛ければ織衣が飛んでこられるように考えられている。

 小夜は年に一度、咲くまに来て久理子と束の間のおしゃべりを楽しんだ。間取りは知っているが、居住スペースには上がったことがない。そこは久理子と織衣、二人の家族としての場所であり、家族ではない小夜が立ち入る場所ではないと思っていたからだ。

 久理子と最後に会話したのも、咲くまだった。

 平日の午後二時前――久理子が休憩に入る直前――に小夜が咲くまを訪れ、久理子とたわいもないことを話しながら食事をするのが常だった。カウンターに久理子と並んで座り、一緒に親子丼を食べていた。とろとろの卵とぷりぷりの鶏肉、上に飾られた三つ葉の緑色は卵の黄色に引き立てられていたのを思い出す。

 木製スプーンで親子丼を大きくすくい口の中に運べば、口の中はたちまち幸福に包まれる。その日もそうして親子丼を口に運んだ小夜の食べっぷりを、久理子は満足そうに目を細めて見ていた。

『小夜、お願いがあるの』

『ん?』

 咀嚼しながら、目だけで「何?」と聞いた小夜に久理子は続けた。

『おばあちゃんに何かあったら、織衣ちゃんをお願いね』

『……何かあったの?』

 体調が悪い、健康診断で再検査になったという言葉が続くのだろうと覚悟した。若く見えても、久理子は八十歳だ。五十代後半の明美も、夜勤が辛いとこぼしていた。

『何もないわよ。だけど、おばあちゃんもいい年齢だもの。いつ何があるかわからないからね』

『……うん』

 空気がちょっと重くなったことを機敏に感じ取った久理子は、明るく続けた。

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