バレンタインデー異聞
生徒会から「卒業生へ送る言葉」なんてものを書いてくれと頼まれて2週間。
忙しさにかまけているうちに締切日が来てしまった。
それを書き終えたのが、18時過ぎ。職員の多くも帰ってしまって、職員室の
中にいるのは若手が5人程。仕事の話しか雑談なのかは判らないが、時折笑い声
が聞こえる事を考えれば、深刻な話ではなさそうだ。
「お先に失礼します。」彼らにそう言い残し職員室を出る。
2月の半ば。期末考査の1週間前&部活禁止というこの時期、校内に残ってい
る生徒はほとんどいない。
駐車場への道すがら、晩飯は自炊にするか、行きつけの定食屋にするか、はた
またホカ弁で済ますかと考える。
一人暮らしも20年ちかくやっていると料理の腕は上がるが、反比例して面倒
臭がり屋になってしまう。今日はホカ弁の焼肉弁当とビールに決めた。
自宅に帰りついて、とりあえず暖房を入れる。
いつか誰かと所帯を持つ事もあるだろうと考えて購入したマンションだが、単
り身には広すぎて、結局はリビングと寝室以外はほとんど使っていない。同じ間
取りの隣室で暮らす6人家族に申し訳なさを感じてしまう。
ユニクロで買ったスウェットと毛玉がつきまくりのフリースに着替えて、居間
のソファーでホカ弁を広げる。
ドライビールのプルタグを引き、弁当のふたを開けたところで「ピンポーン」
と訪問者を知らせるインターフォンの音。
丁度、ネットで頼んだハードカバーの本が届く頃合。宅配便のあんちゃんだと
思って、インターフォンを取り上げる。「もしもし」
小さな液晶の向こうには、どこぞのテーマパークのキャラがしているような大
きなリボンを付けたどこかで見たような顔・・・・・。
「先生、メリー・バレンタインデーだよ!」
2年3組。出席番号27番の五十嵐芽衣がそこにいた。
全俺一致でポメラニアンまたはスピッツを連想させる五十嵐芽衣は、俺が担任
を務めるクラスの生徒だ。
正月に駅に近い本屋で偶然会い、腹が減ったというのでファミレスで昼飯をご
ちそうしてやって以来、懐かれてしまったのだ。
「五十嵐。お前、何しに来た。」つとめて冷静な声で質問する。
「何ってバレンタインのチョコ持って来たよ!」さも当然のように明るく答える。
そういえば、昨日、チョコ楽しみにしてねって言われたような・・・。
「教師が生徒からチョコ貰う訳にいかないんだよ。」だから持って帰れ。
「そんな、せっかく作ったんだよ。それにプレゼントも用意してあるから。」とに
かく部屋に入れて!
いかん、こいつをエントランスの中に入れたら大変な事になる。本能がそう告げ
る。
押し問答をしていると、一人の女性がモニターに映り、カードキーをレシーバー
にかざす。音を立てて自動扉が開く。
モニターの向こう側で五十嵐がにんまりと笑い、踵を返すと自動扉をすり抜けて
エントランスに侵入した。いかん第一防衛ラインが突破されてしまった。
俺の部屋は2階。非常階段のすぐ横。玄関ドアを施錠してない事を思い出して慌
てて玄関に向かう。第二防衛ラインは死守しなければ!
玄関ドアの鍵をかけた瞬間、扉の向こうから駆けこんでくるような足音。
そしてピンポーンという音。除き穴の向こうには赤いリボン。
「先生、チョコとプレゼントのお届けに来たよ~。」玄関扉をドンドン叩く音。
向こうが諦めて帰るか。世間体を気にした俺が扉を開けるか。闘いは佳境を迎える。