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 両国の国境地帯は、ローズが思っていたよりも何もない地点だった。

 国境というと一本の見えない線でピッと綺麗に分けられているようなイメージを抱く人もいるかもしれないが、この世界における国境とは非常に曖昧なものである。


 ここからここまでは領地はリィンフェルトで、ここからは領地はリィンスガヤ。

 そんな風に厳密に領地を決めてしまうと、そこを何かのアクシデントで超えてしまったり、不測の事態が起こってしまった場合に、大事になってしまう。


 そのため二つの国は、領地同士が重ならないようにある程度のスペースを保つようにしているのだ。

 緩衝地帯として置かれているその場所の広さは、少し見渡しただけでは端が見えないほどに縦にも横にも広い。

 目の前に広がる荒野を見ながら、ローズはぼうっと景色に見入っていた。


「ふわあああぁ……」

「トッド様、お紅茶です」

「うん、ありがと――ぶうううううっっ! ちょっと、これ塩入ってるよ!?」

「あら、申し訳ございません。塩と砂糖を間違えてしまいました」


 ローズはポカをしたマイヤに呆れながら、急いで替えの紅茶を作る。

 トッドの方は喉がヒリヒリするよ……とだけ言うが、特にマイヤを叱りつけたりするような様子もない。

 上の立場の人間が下の人を怒らない、というのもローズには未だ慣れない感覚だった。


 作法を教わり、今ではずいぶんと紅茶を淹れるのも上手くなった。

 コポコポと音を立てるポットを見て頬を弛めながら、ローズは手を止めた。


 トッドにはあらかじめ、道中少しでも疑問に思ったことは聞いていいと言われている。

 なのでローズは自分の知的好奇心を満たすことにした。


「トッド様、どうして兵が一人もいないんでしょうか」

「いや、厳密に言えば、この空白地帯を埋めるような形である程度数は揃えてるよ。まだ休戦期間中だから、どっちも結構おざなりではあるけどね」


 リィンフェルトとリィンスガヤは、仮想敵国でありながらも今は友好的な関係を築いている。

 和平条約の期限が未だ残っている今は、露骨に自国の兵を置いたりするわけにはいかないのだ。

 そんなことをすれば、アキツシマに参戦の大義名分を与えてしまうことにもなりかねない。

 両国の戦力は拮抗しており、アキツシマがどちらに肩入れをするかで趨勢が決まってしまいかねない。

 現在の情勢は、三すくみになっていると言っていい。


「それならリィンスガヤに入ることは簡単なんですか?」

「それが案外そういうわけでもないんだよね」


 両者の間に兵が置かれていないのなら、密入国でもなんでも簡単にできるかと思うが、そこまで単純ではない。

 両国とも、国境地帯付近の国防上重要な位置には、辺境伯と呼ばれる強力な軍権を持つ大貴族を置いている。

 そのため国境を越えること自体は簡単にできても、実際に領地へ入り何かをするということは難しいのだ。


 流れ者が作った開拓村や寒村で居場所を作ることができるものもある程度はいるが、行き場もなく野垂れ死ぬ……というようなパターンが一番多い。


「でもそれがわからない人もいる。誠に遺憾だけど、うちにもあっちにも義務教育制度はまだないからさ」

「ギムキョーイク……?」

「誰でも最低限の常識を身につけられる、基礎教育を受けさせるための制度だ。そう遠くないうちに、試験的に実験するつもりだよ」


 トッドが何を言っているのか、彼はいったい何がしたいのか、ローズには半分もわからなかった。

 けれどトッドが彼にとって大切な何かをしようとしているのは、おぼろげにわかった。


 トッドの横顔を見て、彼のその才覚の片鱗を見て取ったローズは――視界の先にある、とある光景に目を奪われる。


「きゃあああああっっ!!」

「お母さん、お母さんっ!」

「ぎゃはははっ、ひっさしぶりの女だぁ! 野郎共、壊すんじゃねぇぞ!」


 叫んでいるのは、まだ若い女性だった。

 彼女は娘一人と息子一人を引き連れて、国境を越えようと歩いている。

 三人ともその身なりはみすぼらしい。


 彼女達を襲っているのは、武装した男達だ。

 装備は貧弱だが、その数は多い。


 力なき者が襲われる。

 この世の摂理は、どこにいても変わらない。


「こうやって国境を空白にすることで、ああいう手合いも生まれてくる。人攫いとか盗賊とか、まあそんなところだろうね」

「あの人達は――リィンスガヤへ向かおうしている人達なんですか?」

「そう、つまりは――僕達の領民ってわけ」

「ということはまた兵士達に……って、え?」


 ローズの頭が真っ白になる。

 気付けばトッドは、見たことがない装備を身に纏っていた。

 その装備は、完全にトッドのことを覆い隠してしまっていた。

 声を聞かなければ、彼だとはわからなかっただろう。


 それを例えるなら――身につける城塞、だろうか。

 すごく大きくて、メタリックで、強そうで……ローズは一目見ただけで、それに心を奪われた。


 トッドはクスリと笑ってから、部下よりも先に前に進む。

 そしてそこから始まったのは――蹂躙だった。


「ぐあああああっっ!?」

「なんだこの化け物はっ!?」

「ひいっ、逃げろ、逃げろおっ!」


 振るった剣は、盗賊を真っ二つに絶ち切り。

 トッドが思い切り放り投げれば、人がボールのようにバウンドして吹っ飛んでいく。

 その拳打は腹に大穴を空ける。


 その戦闘能力はあまりにも圧倒的だった。

 ローズは気付けば頬が紅潮し、トッドの戦いに見とれていた。

 いやもしかすると、トッド本人に見とれていたのかもしれない。


 昂揚しながら、拳を握っていた。

 目の前で繰り広げられている戦闘は、自分がかくありたいと思えるような圧倒的で、鮮烈だった。


 あっという間に、盗賊達は全員倒れてしまう。

 戦いが終わっていたことに物足りなさを感じたローズは、自分が完全に見入ってしまっていたことに気付きハッとする。


 トッドはあの鎧に身を包んだまま、怖がる三人の家族に何やら話しかけていた。

 その光景が、母が子供達を守ろうとしている様子が何かに重なった。


『ローズ……あなた達は私が、守ってあげるからね』


 母のマイヤのかつての言葉。

 屋敷を追い出されて途方に暮れるローズ達を、震えながらも引っ張っていったあの時のマイヤの姿がフラッシュバックする。


 三人の姿が、自分達と重なる。

 トッドが救いの手を差し伸べているその構図は、今正に自分達が味わっているものだった。


「俺はトッド様は、信頼できる人だと思う」

「お兄ちゃん……」


 気付けば近くにきていたカルラの言葉に、ローズは頷いた。


 どうやらトッドは、ただの甘ちゃんというわけではないらしい。

 先ほどの戦闘を見れば、トッドがスラムのチンピラ達などとは一線を画すような実力者であることはわかる。


 彼は弱いのではない。

 己の牙の隠し方と、それを使って獲物を仕留めるタイミングというものを知っているだけなのだ。


 そう理解したとき、ローズの中にあったトッドへのわだかまりは解けていた。


 トッドが連れてくる三人は笑顔だった。

 自分達もあんな風にもう一度、笑い合うことができるのだろうか。

 ローズはそんな風に思いながら、新たな同行者を連れて、無事リィンスガヤへと入国するのだった――。


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