岡山宮崎宮城千葉の美味い酒
「あれー?ゆかり、飲んでなくない?ウォウウォウ!」
男子たちがはやし立てる。
この後の私の軽はずみな発言が、まさか岡山の県北の酒造メーカーの宣伝に使われることになろうとは、夢にも思わなかった。
そう、酒が回っていた私は、淑女にあるまじき大胆な発言をしてしまったのだ。
「岡山宮崎宮城千葉!岡山宮崎宮城千葉!岡山宮崎宮城千葉!岡山宮崎宮城千葉!マッコリすっぱっぴ~ 舐めたらホッケッキョ~ 宴会の一発芸で 珍プレー!好プレー!」
男子たちは調子に乗るかと思いきや、その態度は拍子抜けするほど紳士的だった。
「日本各地の美味い酒~ その土地独自の味がある~ 味わって飲まにゃもったいない!あれ、ゆっかり飲んでないON! ON! ON!」
「ともだち讃歌」のメロディに合わせて歌われるその歌は、ゆかりの体調を気遣ったものだった。私は、居合わせたメンバーの出身地を言うというプライバシーを半ば侵害するような大胆なことをしたというのに、男子たちが見せた態度が紳士的だったことで、私のデリカシーのなさが際立ってしまった。しかも、その動画が、岡山の県北出身の男子に撮られていた。
やってしまった。もうお嫁に行けない。私は頭を抱えた。
その後、この動画はSNSで拡散され、私が酒癖の悪い女性であると噂された。女子からは冷たい目で見られるようになり、男子からは避けられるようになった。
しかし、私は後悔していない。
なぜなら、私は今、岡山の県北の観光大使をしているからだ。
あの動画は、「岡山県北の兄ちゃん」というアカウントネームによりネットに投稿された。すると、「戦隊こそ土方」というアカウントネームから、岡山県北の兄ちゃんにダイレクトメッセージがあったのだ。
「ほほう、たまらねえぜ。気に入ったわ。わしの親父は、酒造メーカーの社長をしとるんや。あんた、うちの会社に就職せんかいな?」
そして、私のもとに連絡が来た。
聞くに、岡山の県北にある農家が、風評被害に遭って困っているのだという。ネット民の行きすぎた行動により、岡山の県北は「土建屋のおっさんが土手の下でしこたま酒を飲んで、酔っ払って自然を汚して帰る場所」という、事実無根のイメージを植え付けられ、岡山の県北の農産物までも売り上げが落ちているのだという。そこで、ネットである程度有名人になった私が岡山の県北に遊びに来て、PRしてほしいらしい。
最初は乗り気ではなかったのだが、その話を聞いているうちに、次第にやる気が出てきた。岡山の県北の人々に、私が本当の姿を見せるいい機会になるかもしれないと思ったのだ。それに、私は岡山の県北が好きなのだ。
かくして私とゆかりは、土方酒造の社員となった。私たちは直ちに広報部に配属され、動画配信を始めた。
それから半年ほど経った頃だろうか。ついに私とゆかりの動画はバズった。
きっかけは、ゆかりの軽やかなトークだった。彼女は、自分の地元愛を語りながら、酒を飲む。
「私はね、千葉県松戸市出身なのよ。でも、まさかのご縁があって、岡山の県北に住むことになったの。千葉県松戸市も、岡山の県北も、どっちもだーい好き!」
すかさず私が口を挟む。
「岡山宮崎宮城千葉!岡山宮崎宮城千葉!ほら、みんなもおいで!」
すると、エキストラのためだけに、宮崎と宮城から駆けつけてくれた仲間が割り込んで、みんなで乾杯する。岡山の県北の兄ちゃんは、残念ながらカメラマンのため顔が有名になっていなかったので、呼ばれていない。
この動画に、ネット民の反応はやはり敏感だった。
「一度は酒に飲まれた女が、まさか酒を作る側に回るなんて。」
「ゆかりと姉貴、仲直りしたのか...」
「こんど、ゆかりの住所適当に当てて凸してみようぜ。」
もちろん、こんなことができるのは、私の強いメンタルあってのことだ。ネット民のいじりを逆に利用して、土方酒造を知ってもらうのだ。広報部長を務める土方社長の息子さん、「戦隊こそ土方」さんも、この動画の出来には満足だった。ただ、ゆかりへの凸の件について、やや渋い反応をしていた。
ある日、私とゆかりは戦隊こそ土方さんに呼び出された。戦隊こそ土方さんは、知られざる過去について話し始めた。
「わしらも昔は、岡山、宮崎、宮城、千葉で工場を持って仕事をしとったんや。」
「まあ、なんて偶然!」
ゆかりは驚いた。
「姉ちゃんたち、湯油田大学出身やろ?」
「あっ、そういえば、」
私は思い出した。湯油田大学と土方酒造が共同で広告を出していたのを思い出したのだ。私は生まれたときからずっと都内に暮らしていたので意識していなかったが、私たちが同級生になったのも、ただの偶然ではなかったのかもしれない。
「千葉工場で工場長をしとった兄ちゃんも、健康で腕っぷしの良い男だったわ。でもな、湯油田大学出身のユーチューバーが、ピアノ弾き語りで、千葉工場のことをいじり出したんや。わしも最初は黙って見とったんやけど、ネット民の行動がエスカレートしてな、千葉工場に着払いで納豆を大量に送る嫌がらせが多発したんや。」
知っての通り、酒作りにとって納豆は大敵である。米麹が糖を分解するのを、納豆菌が邪魔するので、酒にとっては毒となるのだ。
「うちの兄ちゃんも、最初は『俺は嫌な思いしてないから』と強気やったんや。そしたら、またネット民が調子に乗って、千葉工場にピンポンダッシュしたり、出入りする作業員の肖像権を侵害したりした。このときはわしも『たまらねえぜ』と思ったわ。わしも乗り気ではなかったんやけど、弁護士を雇ったんや。」
戦隊こそ土方さんは、大きく一息ついた。
「だが、皮肉なものでな、その事件は予想だにしない方向に向かって収束したんや。ネット民が、今度はその弁護士のことを無能呼ばわりし始めたんや。弾き語りの兄ちゃんも、その弁護士の変な歌を歌って大ヒットしたんや。千葉の兄ちゃんのことなんか、もうとっくに忘れ去られとった。そうこうしているうちに、千葉の兄ちゃんは行方不明になっとった。当然、わしらの株は暴落した。千葉工場は閉鎖に追い込まれ、宮崎と宮城の工場も、大手資本に買い取られたんや。」
「それで、私の家がばれることを心配してくださったんですね。」
ゆかりは納得した。すると、戦隊こそ土方さんは、おもむろに棚に手を伸ばし、2本の一升瓶を取って、私とゆかりの前に杯を置き、それぞれの一升瓶から私たちの杯に注いだ。
「あっ、すごくいい香り!九州の麦焼酎ですね!」
私の杯からは、宮崎の男子の実家で出してもらった焼酎の香りがした。一方のゆかりは、杯から少しの酒を口に含むと、こう感想を言った。
「こっちは、岡山のお酒とはまるで違った味がします。本場の米所というか、素材から根本的に違うというか...」
「姉ちゃんたちが飲んだのは、元はわしらの工場だった場所で作られた酒や。でも、もうその酒の瓶にわしらのラベルが貼られることはないんや。わしは気づいた。この世は弱肉強食なんやって。せやから、わしは時代の流れに負けるような男には絶対になるまいと心に決めたんや。炎上しても、それを逆に利用して大儲けしてやる、それこそ今の時代を駆け抜けてやるって。わしは、インターネットの使い方、マーケティングの仕方を勉強した。田舎に憧れる都会の兄ちゃんたちを集めて、川の土手の下で星を見ながら酒を飲む会を開いて、大勢でさかり合ったりした。もちろん、終わった後にはきちんとゴミを片付けたで。」
「もしかして、私とゆかりを雇ってくださったのも...」
「そうや。千葉の兄ちゃんが浮かばれへんから、たまたまわしらの酒に興味がありそうで炎上しとったあんたらを、今度は利用してやろうと思ったんや。」
「利用してやろう」というのは、決して聞き心地の良い言葉ではなかった。だが、私のしてしまったこと、そして戦隊こそ土方さんの過去を考えれば、文句は言えなかった。すると、どこからだろう、味噌や醤油のたれで焼かれた肉のような、こうばしい香りが部屋の中に入ってきた。次に、ノックをして部屋に入ってきたのは、宮崎地鶏と仙台牛タンが盛られた皿を持った、戦隊こそ土方さんの奥さんだった。
「二人とも、お疲れさま。あなたたちの活躍は主人から聞いているわ。」
戦隊こそ土方さんも続けた。
「今日はわしの奢りや。今日のために、地元料理を仙台と宮崎から取り寄せとったんや。」
あの動画がSNSで拡散されてから何年ぶりだろう、私は、この日初めて心の底からの笑顔を浮かべることができた。
それから、私たちは三人で乾杯をした。
「千葉の兄ちゃんに献杯!」
戦隊こそ土方さんが音頭を取ると、私たちも唱和した。
「千葉の兄ちゃんに献杯!」
そのとき、私が窓の外に見た空は満天の星だった。
「ありがとうございます!」
「これからもよろしくお願いします!」
私たちは声を合わせて言った。
「こちらこそ、よろしゅうな。」
戦隊こそ土方さんは笑いながら答えた。
その後、私たちは酒を飲みながら様々な話を交わした。
「部長の夢って何ですか?」
私は戦隊こそ土方さんに尋ねた。
「そうやなぁ、また日本全国に酒を売りさばけるようにこの会社を立て直すことやな。そのためにも、まずは首都圏に拠点を取り戻さんとな。」
「私もゆかりも、首都圏の地理には詳しいので、何でも聞いてくださいね。」
「ははは、頼もしいなあ姉ちゃんたちよ、よろしく頼むで!」
それから数年間、私たちの仕事は好調だった。特に、私たちの影響で、ワインの売上が急上昇したのだという。岡山の県北はブドウの産地なのだが、高齢者の多い酒造メーカーが作るワインという、しっくり来ないイメージを、私たちの動画が刷新したのだと。ついに私たちのワインに、都内のソムリエが目をつけるようになった。また、多くのブドウ農家さんからも感謝されることになった。
しかし、そんな日々も、ある出来事をきっかけに急展開を迎えることになった。ある夜、母から電話がかかってきた。
「あんた、動画制作を頑張ってるらしいじゃないの。」
「まあね。」
「これもお父さんの影響ね。」
私の父は、超優秀なソフトウェアエンジニアだ。そんな父の背中を見て育ったせいか、私は動画編集に興味を持つようになった。
「ただね。うちで最近、妙なことが多発してるのよ。交通事故でもないのに『オイゴルァ降りろ免許持ってんのか』って言葉が、まるで決まり文句のように聞こえたり、大勢の集団が一斉に『ココナッツ!』って叫んだり...」
どちらも私に心当たりがあった。前者は飲酒運転撲滅キャンペーンの中で使われたセリフで、後者は新商品のココナッツリキュールを発売するときに使った言葉だ。だが、下北沢にある私の実家にその影響が及んでいるということは...
(まさか、ゆかりよりも先に私がターゲットになるなんて)
「それにね、宅配業者がお父さんにデジカメを届けたときも、宅配途中で、配達員さんがイタズラされたらしいの。それで、デジカメが壊れちゃって。もちろん、犯人はすぐに逮捕されたわ。でも、配達員さんが『すみません許してください何でもしますから』って土下座して謝ったの。お父さんはもちろんすぐに配達員さんを帰してあげたけど、またデジカメを発注することになっちゃって。」
まずいと思ったが、私には一縷の希望があった。母は続けた。
「でも、お父さんがいるから大丈夫よ。」
そう、父の夢が実現してしまえば、ネット民の凸は関係なくなる。私は返した。
「お父さんの夢、実現するといいね。」
母との電話が終わると、立て続けに戦隊こそ土方さんからの電話があった。土方社長が倒れて、救急車で運ばれたが、すでに遅かったのだという。
遺言書には、会社を含めた全財産を息子の戦隊こそ土方さんに引き継ぐという内容と、岡山県知事から打診されていた、岡山の県北の観光大使をうちの社員から出すという依頼に対して、私にその役割を任せるという内容が書かれていた。
かくして私は、社長の代替わりと同時に、岡山の県北の観光大使になった。
たちまち戦隊こそ土方さんもゆかりも私も大忙しとなった。戦隊こそ土方さんは、鍛え上げた情報収集・発信に関する知識でぐいぐいと会社を引っ張っていった。
「わしは親父と違って、ネットが使えるんや。わしに任せとけ!」
これが戦隊こそ土方さんの口癖だった。
ゆかりは社長秘書として、戦隊こそ土方さんを支えた。
一方の私は、会社の動画配信業務をする傍ら、テレビにも引っ張りだことなった。地元の魅力を伝えるため、色々なテレビに出演した。土方酒造は、親切にも、私にマネージャーを1人つけてくれた。
いつの間にか、この土地の魅力を伝えるのは、私の使命だと感じるようになった。そして、地元在住の駆け出しの俳優との縁談も持ち上がるようになった。
そんな折、母から電話があった。
「うちに、差出人不明で、大量の納豆のお届けものがあったの。私もお父さんも、納豆は大好きなんだけど、こんな量、2人じゃ食べきれないわ。」
まずい。私の実家を標的としたネット民が暴走し始めている。
私は、忙しい合間を縫って、戦隊こそ土方さんと話す時間を設けた。
「実は、私の父には、夢があるんです。」
「そうか。」
私は父の夢について戦隊こそ土方さんに説明した。戦隊こそ土方さんはしばらく下を向いて考え込んだ。そして、顔を上げると、ニヤリとした表情を浮かべた。
「ええやん。わしに考えがある。あんたの親父さんとはわしが話をつけといたる。わしとあんたの親父さんの夢、同時に叶えたるで!」
「ありがとうございます!」
「あんたの実家の向かいには、昔、寿司屋があったやろ?」
「はい、大昔に何度か利用したことがあったんですけど、レトロな木造のお店でした。そこの大将は、とても頑固な人でした。」
「その大将、今はただの地主やけどな、この木造建築を壊させまいと、未だに意地を張っとるんや。この木造建築を活用する奴が現れるまで、この土地を絶対に売らん覚悟をしとるんや。」
「すごい。そんな情報まで集められていたんですね!」
「わしの夢は全国展開やからな。不動産情報には目を光らせとるで。それで、あんたの親父さんは、セキュリティ対策にも精通しとったな。」
そこから、私の父と戦隊こそ土方さんの夢を同時に叶える計画が動き出した。
率直に言ってしまうと、なんと、私の実家を土方酒造が買い取って、土方酒造の新本社にしてしまうということなのだ!
そして、例の木造建築は、岡山工場で作られたワインの貯蔵庫とするらしい。都内に貯蔵庫を設けることができてしまえば、首都圏での商売は一気にしやすくなる。そしてゆくゆくは、その木造建築の1階部分を工場にするらしい。そして、本社と貯蔵庫のセキュリティ対策として、父のつてのあるハードウェアエンジニアに会社の経費で依頼して、難攻不落のセキュリティ対策をするというのだ。もちろん、父には土地と建造物の対価として、それ相応の金銭が会社の経費から支払われる。そして、父の新居も、戦隊こそ土方さんのつてで紹介された。都内に比べれば地価がはるかに安いので、余ったお金で、その新居にも難攻不落のセキュリティ対策をするのだ。
そして数ヶ月が経った頃、ついに引っ越し作業が始まった。下北沢の街には、セミの声が鳴き響いていた。
私は、「ただいま」と言いそうになりながら、ドアノブに手をかけた。自分の家なのに、安心したような、緊張したような、複雑な思いが駆け巡った。そう、これから私の生まれた家で、今こそ作戦が執行されようとしているのだ。
ドアをがちゃりと開けると、つい友人を招き入れるかのような感覚で
「入って、どうぞ。」
と言った。戦隊こそ土方さんとゆかりも
「お邪魔しまーす。」
と、友人感覚で答えた。
戦隊こそ土方さんは、深呼吸をした後で、決意を述べた。
「わしらも悔い改めてここで一からやり直すんや。千葉の兄ちゃんのためにもな。」
私は、引っ越しの期間中、自ら進んで、新本社の宿直をすることにした。何と言うか、落ち着くのだ。今こそ私は岡山の県北の民ではあるが、いずれ骨を埋める場所はここでありたい、本社がここに来てしまえば、そんなことも容易になる。そんな思いを胸に、私はセミの声に囲まれながら日々を過ごした。
日中は汗水流して引っ越し作業を手伝った。他のメンバーは、ここに来るまでの間にすでに汗水流しているので、飲み物でもてなした。
「お待たせ。アイスティーしかなかったけどいいかな?」
ゆかりに飲み物を出すときは、ついつい友達を招き入れる感覚になってしまう。
本社移転の最初のイベントは、その宣伝も兼ねたビアガーデンだ。それも、告知は新本社に貼られたチラシ1枚だけ。電話予約必須だ。ネット民の力を利用する立場の会社にとっては、これだけで十分なのだ。一方で、これからお世話になる重役たちには、元寿司屋の木造建築で高級料理を出してもてなした。
8月10日、ついにその日はやって来た。
「ふーあっつーい!」
「ビール!ビール!」
若者たちが流れ込む。この若者たちが、新本社開業の広告塔となってくれるわけだ。冷遇するわけにはいかない。
「大丈夫ですよ。バッチリ冷えてますよ。」
若者たちが屋上に上がる。そして、戦隊こそ土方さんが、土方酒造トップ売り上げのビール「川辺の土方」で乾杯の音頭を取る。
「みんな、カメラを回してくれ。そしてSNSで拡散してくれ。わしら土方酒造は、これから東京でも仕事を始めるんや。わしは、お前らのことが好きだったんや。そして、今日は無礼講や。ビールかけをしても構わん。わしの胸にかけたって構わん。さあ、都内進出を記念して、乾杯!」
「乾杯!」
大喝采だった。しかも、そのうちの2人は、ペースを合わせたかのように、1秒間に4回のペースでずっと長いこと手を叩いていた。
ゆかりは、布に隠した食材を皆の前にお披露目した。
「マグロ解体ショーの始まりや。」
もちろん、若者は肉にだって群がった。
「屋上で肉を焼くの最高~!」
「やっぱ、炭火で外で焼く肉は最高だな!」
「うん、おいしい!」
私たちは夜遅くまで盛り上がった。空には霞んだ星と満月が見えた。岡山の県北ほどはっきりとした像ではなかったが、私とゆかりにとっては、より見慣れた空だった。
明くる8月11日、私の唯一の仕事はその片付けだった。自分が元住んでいた家の片付けだ。私1人で十分だ。
片付けが終わった頃、父からビデオメッセージが届いた。
「ういいいいいいっす、どうもーお父さんでーす。ええ今日は、テレワーク初日ですけど、自宅の書斎には、誰一人来ませんでした。オフラインで誰とも会うことはなかったです。いやあ最高ですねー。ソフトウェアエンジニアの特権ですねー。かれこれ8時間、海を見ながら、関西空港に離着陸する飛行機を眺めながら、ソースコードを書いたり、オンライン会議に参加したりしながら、冷房の効いた書斎を色々整理しながら、こんな最高の1日になりました。『エンジニア20人で参加しまーす』みたいな会議にも、ちゃんと会議のアドレスを送っていたので、問題なく落ち合うことができました。ということで、今から、お母さんのために、カツカレーチャーハンを作ろうと思いまーす。」
戦隊こそ土方さんの紹介した不動産は、景観、立地共に、ソフトウェアエンジニアにとっては最高だった。廃業した旅館を戦隊こそ土方さんが交渉で落札したのだ。庭にはソテツが植えられ、波打ち際はここだけ南国の色を醸し出している。近くには大型ショッピングモール、港湾、空港、大都市、工業地帯が揃っており、物を手に入れるには何不自由ない。小さな旅館だが、フリーランスのソフトウェアエンジニアがやっていくための設備と、2人が暮らすのには十分すぎる広さである。
私も、父の得意料理、カツカレーチャーハンを、コンビニの食材で再現してみた。冷凍食品のとんかつとチャーハンを電子レンジで熱し、レトルトのカレーを湯煎する動画を撮って返信した。
こんな感じで、私たちは着々と引っ越しを進めた。
そして数日後
「ほんまに行ってしまうんやな。」
戦隊こそ土方さんが寂しそうに言った。
「ええ、私は岡山の県北の観光大使ですから。あと、そこで大切な人とも出会いましたし。岡山工場に籍を置きながら、たまに帰って来ますね。」
私がここに「家」として訪れた、最後の時間だった。岡山の観光大使を続けられるなら、岡山工場で、雑用でも何でも買って出よう。
「達者でな。」
戦隊こそ土方さんはドアを閉めた。
8月16日水曜日、07時14分22秒だった。