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短編集・散文集

冬の朝

作者: Berthe

 目を覚ますと、部屋は依然ほの暗く、カーテンの裾から差し込む明かりがうっすら青く淡いので、(あや)()はまだ明け方だろうかといぶかりながら、ひっそりと寝息のきこえない彼の睡眠を邪魔しないよう、共に毛布に包まれたその体をまたぐようにそっと素肌の腕をのばして、小さなナイトテーブルから置時計を取り上げると、案の定まだ七時を過ぎたころである。


 外灯が隙間からやわらかに差し込むなか、それでははっきりとは時間が見えないので、置時計についているボタンを押してランプを点灯させると、針と数字がぱっと照らされ夜陰に浮かびあがり、綺麗な色、と惹かれながら三時をまわろうとしていたのをぼんやり覚えているのだけれども、そうすると四時間ほどしか寝ていない計算になる。


 二十代の半ばに差し掛かる綾音は、早くも学生時代より眠りが浅くなっていることに心づき、それを気にしていて、本当なら仕事のある平日でも六時間は横になっていたいのに、とうに癖がついている夜更かしがたたってか、それとももう年を取り始めたのか、今ではきまって五時間を待たずに瞼がぱっとひらくので、自然就寝時間もさらに遅くなり、ついつい深夜になってもうだうだ時を過ごすようになった。


 そしてまだ瞼が重くならないうちに明日のことを思ってようよう寝床につくと、眠気が来るほどもなく夢うつつになり、心地よい夢に浸るうちふっと気がつくと、セットしてある目覚ましが鳴るより先にひとりでに目が覚めていて、綾音はそれに朝からいくらか苛立ちながら、二度寝をして寝過ごすわけにもいかず、せめてもうしばらく横になっていようと目をつむりごろごろするうち、出社の準備が頭をよぎり、駅まで歩いて狭苦しい電車にゆられるところがいやでも浮かぶうち、ついに夜具の上に半身を起こし、それからおもむろに立ち上がって独り溜息をつきながら支度にとりかかる。


 が、それは無論せわしい平日に限られるべきことではあるし、拘束のない自由な休日には、昼近くまで寝ていたっていいし、あとからちょっぴり後悔することもあるとはいえ、昼を過ぎてなお寝過ごしても構わない道理であるのに、どうしたわけかいつもより長く眠ることは叶わず、平日と変わりなく五時間ほどできまって起きてしまう。


 それが時々今日みたいに四時間になったりして、今一度寝ようにも寝つかれぬままベッドでぐずぐずするうちふと時計をみると、時間だけが無駄に流れ去り、体は目覚めたときから露も変わらず、依然疲れが残っていて余計に気が滅入った。


 昨晩彼と二人でいる間は、一週間心待ちにしていたこともあり嬉しかったのは勿論、少しばかり酒をひっかけていたのも手伝って、疲れは吹き飛んでいたものの、今独り目覚めてみると、どっと疲労が全身に漂い、綾音はもう一度眠りにつこうと毛布を顔まで引き上げ瞼を閉じてみるけれども、目はもうぱっちり冴えていてどうにも寝つかれない。


 綾音は夜具のなかで隣へ向き直ると、彼はいつしかあちら側へ顔をそむけているので、首を持ち上げながらのぞいてみると、相変わらずしんとしている。ふと髪にふれたくなったものの、それは抑えてひとり静かに寝床を抜けでると、あたたかなスリッパへ足を差し入れて立ち上がり、くしゃくしゃに捨て置かれた部屋着を拾ってトイレへ立った。


 洗面台で歯磨きをしながら鏡に顔を近づけ目もとを見ると、目立つような隈はない。肌に出来物もなく、涙袋を引っ張って眼球をくるくる確かめても充血もないし、これまでは寝不足が格別体に障っているわけでもないかもしれない、とほっと安堵するまま部屋へ戻るうち、けれども調子がいいのは今だけかもしれない、眠れるときにはきちんと眠るようにしなければと思い直しながら今の体調を測ってみると、寝てしまいたい気持ちとは裏腹に目はすっきり冴えてきて、起き抜けにあった頭の重さも今はすでに無くなっている。


 彼にくっつきたいけれど、すやすや寝入っているその邪魔をするのはいけないし、といって大人しくベッドに入ったところで眠れるはずもないし、と思うまま姿見のそばに落ちていた櫛を拾い、寝乱れた髪をとかしたのち、部屋着を脱ぎ捨ててぐっとつま先立ちに伸びをすると、綾音はそのまま洋服に着替えて彼のもとへ静かに立ち寄り、こちらを向いたまま目を閉じているその顔へ小さく手を振った。


 姿見の前にもどってコートに袖を通し、マフラーの巻き方を幾度か吟味するうち一応納得する形をみつけると、綾音はもう一度彼のそばへ寄り、しばらくその若い寝顔を見守りながら、ちょっとお散歩してくるけれど、ちゃんと帰って来るからそれまであなたはぐっすり寝ていなさい、とお姉さんらしくつぶやいた。


 暖房の部屋から外へ出てみると、表は予想にたがわず寒くて、のみならず時折顔をおそう冬の風がいちいち肌を刺すごとく冷たいので、綾音は出て来たことをもう後悔しながら、鼻先までマフラーにうずめて腕組みをするままぶるぶる足早になるうち少しずつ冷えにも慣れてくる。


 最初のつもりでは、角を四度曲がって、つまり一周して彼の部屋に戻って来る予定であったのが、その折れるべきところを横目に通り過ぎて、赴くままに足を運ぶうち、道路を渡って左手に彼の行きつけのスーパーが見えるので、あそこまでと決めるまま進んでいるとそこも通り越してすたすた歩むうち気づけば線路の前である。折よく電車が一本、下りへと音を立てて流れてゆくのを見送って、綾音はようやく落ち着いたのかくるりと踵を巡らして帰路についた。


 綾音は思いのほか疲れを覚えながら、それでも彼の待つ部屋へと浮き浮き帰り着き、鍵をあけたままのドアノブを静かにまわして中に入ると、ほっと暖かい。そっとドアを閉めて腰をおろし、靴をぬぎ立ち上がると、しずしずと部屋へ行く。


 彼を見ると、まだこっちを向いて目を閉じている。先程とちょっとも変わらない表情と姿勢に、綾音はふいと嬉しくなって、じっと優しく見つめながらおもむろにマフラーを解いて畳み、洋服を丁寧に脱いで片寄せると、彼の後ろへとまわり、毛布のへりをそっと持ち上げるまま静かに体を滑り込ませ、外気に冷えた手のひらをひとつ、その背にあてがうと、背骨の浮き出た引き締まった体がびくんとふるえ、何事もなく鎮まった。

読んでいただきありがとうございました。

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