花冠の君
ワイルダー公国のクレイ公爵領は、かつては気候に恵まれない荒れ果てた土地だった。
しかし第三王子のクレイが自ら望んでその土地に居を構えるようになってからは、少しずつだが緑が増え始め、それに伴い気候も穏やかになりつつある。大気が安定して乾いた大地が潤うようになると再び柔らかい緑が絨毯のように土地を覆い、ついには可憐な花を持つ草木の姿がそこかしこに見られるようになった。
麗かな日差しの中、心地良い風に当たりながらクレイとサラは子供達が走り回る姿を見つめていた。
今日は野外演習の一環として、領内でも風光明媚な一画を訪れている。
野外での剣の稽古場を見つけることよりも、屋敷内の庭園とはまた違う、しかし王都の温室のそれでもない自然の美しさに皇子達も皇女も魅了されてすっかり興奮し、あちこちに散らばって従者達の手を煩わせていた。
「まるで君みたいだな」
その様子を眺め、クレイは笑いを噛み殺す。
「私? どういうこと?」
「婚約中だった頃、監視役から届いていた君に関する報告そのものだよ。いつも森に入って忽然と姿を消すから、部下達は毎日君を探し回っていた」
「…お母様の所に行っていたのよ。あなたの部下を一緒に連れて行くわけにはいかなかったし、まさかあんな風に一日中警護されることになるなんて思ってもみなかったもの」
クレイは愉快そうに笑うと、悪戯っぽい瞳でサラの目を見つめた。
「今なら彼等や僕に気の毒なことをした、と思えるかい?」
「ええ…そうね」
サラは根負けしたように頷く。同じ「王」という身分でも、人のそれとサラの世界のそれとは随分違う。しきたりも、決まりごとも。
そしてこれがワイルダー公国の「普通」なのだ。
剣の稽古とは名ばかりの単なるピクニックに、この物々しい警備。例え第三王子でも、ワイルダー公国王はクレイの身辺警護を怠らなかった。
それは妃殿下であるサラに対しても同様で、かつてのクレイの懐刀であったデラが今はサラの騎士として周囲に目を光らせている。しかし婚約中はそのデラが討伐部隊に入隊したので、代わりにクレイは私設騎士団の一個連隊をサラの村に派遣した。
リブシャ王国では、王女のエリーですらここまでの警護は受けない。ハーヴィス王国でもここまではしないとエリーが言っていた。
お陰で子供達も危険に晒されることなく健やかに成長しているのだが、無事に同盟を成功させた張本人が未だにこのような扱いを甘んじて受けている事に、サラは納得がいかなかった。
「…君には大袈裟に思えるだろうけど、戦いの民はこのくらい臆病で慎重な方が良いんだ」
「え?」
考えを読まれたようでどきりとしたサラに、クレイは穏やかに微笑む。
「子供達にも、それはきちんと教えておきたい。戦って怪我をすれば痛い思いをするし、運が悪ければ死ぬ。壊れた物は修理できるが、元の姿に戻すことは出来ない。民を苦しめるだけの戦なんて、なるべくしない方がいいんだ。だから火種は未然に防ぐか、それが叶わなければ早目に消しておく。それが古くからのワイルダー公国のやり方だ」
「これが私達の為だということは、良く分かっているわ。だからこそ、この土地に緑が戻ったと思うの」
サラに促されて、クレイは再び草原に視線を移した。
リブシャ王国の森で過ごしたあの日々を思わせる、新緑と明るい日差しが降り注ぐ光景は、かつてサラを視察に連れ出した時には草一本すら生えていなかった土地だったとはとても思えない。
「これにはデラが一番驚いているよ。デラが最後にこの土地を出た時は、辺り一面は焦土だったらしいからね。それが今はこんな…」
「皇子。軽食の準備が整いました」
件のデラに呼びかけられ、二人は従者達が準備した場に腰を下ろした。そこは少しだけ小高い丘のようになっていて、子供達の姿だけでなくその遥か遠くまで見渡せる。
それは子供達にとっても好都合だったようで、思い思いの場に散って草木と戯れていた子供達は、やがて両親が落ち着いた場所を目指してわらわらと駆け登って来た。
二人の一番近くで遊んでいた末っ子の長女レイラが一番乗りで、後ろ手に隠しているつもりが全く隠れていない花冠を持って、息を弾ませながら近付いて来る。
「レイラ。何を隠し持っているんだい?」
一人娘にとことん甘いクレイが優しく尋ねると、レイラは頬を薔薇色に紅潮させて花冠を掲げ、爪先立ちになってクレイの頭上に載せた。
「これをおとうさまに、あげます」
キラキラした瞳で宣言する、クレイの座高にすら満たない小さな姫を、クレイはたまらず抱き締める。
「ありがとう。素敵な王冠だ」
「お母様の花冠はこちらです」
二人から一番離れていたはずの長男のリアムがいつの間にか息も乱さずそこにいて、レイラに続きサラの頭上に花冠を載せた。
「僕は腕輪を」
兄の次を待ち構えていた次男のルークが今度はサラの右腕に花輪を通す。
「ありがとう、リアム、ルーク。上手に編めたわね、みんな」
「三人で相談して作ってくれたのか。嬉しいよ」
二人に褒められ、子供達は照れ笑いしながらお互いに頷き合った。その様子を見てクレイはふと尋ねる。
「リアムとルークがレイラに編み方を教えたのか?」
「はい。僕達がレイラに教えました」
リアムが胸を張って答えると、ルークも誇らしげに頷く。
「さすが母上に習っただけはある。レイラも良い師を持ったな」
クレイが感心していると、皇子達はぽかんとして顔を見合わせ、再びクレイの顔を見た。
「いいえ。僕達は母上から習ったのではありません」
「デラ師匠からです」
先程と同じように歳の順に報告した皇子達は、むしろクレイが知らない方が不思議だと言わんばかりだった。
「デラが?」
クレイが驚いて側に控えていたデラを振り返ると、デラは気まずそうに目線を泳がせる。
「剣の稽古ばかりでは集中力が続きませんので…。せがまれて昔話をした折に、花冠に興味を持たれたものですから」
「昔、マイリがデラに編み方を教えたみたいよ」
「手先が器用な男だとは思っていたが、ここまでとは」
サラが編んだと言っても遜色のない出来に、クレイは感心した。
「おとうさまは編めないの? レイラがおしえてあげましょうか?」
「ああ。なるべく簡単なものが良いな」
「かんたんよ! お花をあつめてくるわ」
ぴょん、とクレイの膝からレイラが飛び降りると、兄達は「僕達も手伝うよ」と言ってレイラの後を追った。
去り際にクレイに意味深な視線を送る皇子達に、クレイはやれやれと天を仰ぐ。
「デラ」
「はい、皇子」
「それからここに控えている全員に命令だ。皇子二人と皇女から目を離すな」
「御意」
デラを先頭にして従者達が素早く三人の後を追う姿を、サラが不思議そうに見送る。
「急にどうしたの?」
「ここなら君の力が充分に及んでいるから、子供達はまず心配無いだろう?」
そう言ってクレイは立ち上がると、近くで咲いていた花を一輪摘んだ。そして今度は恭しくサラの前に跪き、それをサラの耳元に飾る。
「僕の女王。皇子達の配慮に感謝して、しばらくここで二人きりの時間を楽しもう」
子供達と同じ鳶色の瞳に覗き込まれて、サラは少女のように頬を染めた。
クレイの肩越しには随分遠くまで行ってしまった子供達と、デラを始めとする従者達の姿が見える。
「…ええ。花冠の君」
耳元のクレイの手に自分の手を添えると、サラはそっと瞳を閉じて夫からの口付けを受けた。
実は本編中ですらイチャつくシーンが皆無に近かったこの二人。結婚して子供も三人もいるのに未だにそういうシーンが出てこないのはちょっと…と思い書き始めましたが、結局またラストシーンにちょっとだけ、という結末に。
二人がイチャつくのは、人目が無い場所限定ということにしてしまおうかな。
クレイとしてはデラの「昔話」の内容がさぞかし気になることでしょう。