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夢の寿命の限りまで  作者: 真神
第二部
47/50

10:ヒュプノスを祓う_2


 ――弾けた笑い声は、エルグニヴァルに扮するルシフェステルが片手を一振りすることでピタリと止む。

 とは言え、止んだのは声だけで。シュエンディルとシジルゼートの顔は心底楽しげに歪んでいる。

 そんな二人を視界の端に映しつつ、ハノーニアはルシフェステルと対峙する。


「はは、やはりお前は分かるか。ノイゼンヴェール。

 いやはや、これが愛とやらの力か。見せつけてくれる」

「…愛、ですか」


 椅子の背もたれに身を預けて微笑んだルシフェステルの言葉に、ハノーニアは僅かに自分が顔をしかめるのを感じた。


「あぁ。違うのか? 好きだろう人間は、そう言うのが」

「…小官も、嫌いではありません。…ですが…これがそれに当てはまるのかは、正直分かりかねます」

「ふむ、そうか」


 ルシフェステルは何かを考えるように目を瞑る。その姿は誰が見てもエルグニヴァルだった。


「…やはり、お前は分かるか…。

 教えてくれ。何が違う。どこがおかしい」

「……何が、どこが…とはっきりお伝えすることは、やはり出来かねます。

 しいて言うならば、におい…とお答えします。ですが、それもすぐに混ざって分からなくなります。記憶に一番長く残るのは匂いと聞いたことがありますが、慣れて利かなくなるのが早いのも嗅覚かと」

「なるほど。確かに。今後の参考としよう」


 背もたれから身を起こした彼は、机の上で両肘をつき、組んだ十指で口元を隠した。

 秋空色の目と視線が絡む。


「さて…何はともあれ、無事で何より」

「あ、いえ…はい。勿体ないお言葉であります。その…大将閣下には、大変よくしていただきました」

「んふふ、どういたしまして。

 そりゃあおもてなししますとも。大事で可愛い子だもの」

「攫っておいてどの口がほざくか」

「まぁね! 攫ったけど! 目の前で!」


 素晴らしい笑顔で言ってのけるシュエンディル。執務机で顔をしかめるルシフェステル。そして必死に声を押さえている笑顔のシジルゼート。三者に囲まれたハノーニアは胃の辺りをさすりたくてしかたなかったが、空気を呼んで耐えた。


「あぁ。ものの見事に攫ってくれた。お陰で、奴を取り押さえるのは予想よりも手こずらなかった。だが、よほどショックだったと見る。

 奴め、“休む”と言って部屋に籠ったきり、音沙汰がない」

「…は…」

「あらやだ。トゥエルリッヒったら、フラれたショックで死んだの?」

「ヒュっ」


 ハノーニアは吐いた息を勢いよく呑み込む。

 ルシフェステルがジトリとした視線を向けるが、シュエンディルはどこ吹く風。浮かべる笑みを深めるだけだった。


「や、休む…と仰ったのですよね。えっと、つまり…ど、どこか、お体の具合がよくないのですか?」

「いや、体に異常はない……いや、あるか。

 奴はな、ノイゼンヴェール。患っているんだ。分からないか? 実はわたしもはじめは分からなかった。

 奴はな、恋を患っているんだ。他ならぬ、お前に恋患いをしているんだ、ノイゼンヴェール」

「……は、え?」


 言われていることに理解が追い付かない。ハノーニアはせめてと、半開きになりかける口を引き結ぶ。

 頬杖をついた男が、空色の目を細めて微笑む。


「今更だろうが、何度目だろうが、言ってやろう。

 奴をわずらわせる原因理由はお前だ、ハノーニア・ノイゼンヴェール」


 ハノーニアは奥歯を噛み、床を踏みしめる。空色の目を真っ向から見つめ返した。


「なに、わたしはいっこうに構わん。何せ不治の病だ。

 この先、一週間でもひと月でも、一年でも…好きなだけ臥せっておればよい。その間、わたしが此処に身を置くだけだ。

 元より、この席にはいつか座ることになっていた。それが早まっただけのこと。

 クーデターでもなければ、勿論革命でもない。誰かが死ぬことはない。首を挿げ替えるだけ。なんと簡単で平穏なことだろう。

 ……だが、お前は不満のようだな? ノイゼンヴェール」

「…不満など、とんでもございません。…ですが…閣下は、あの方は、どうなるのでしょうか」

「どうも? なにもならんさ。

 それより。奴の事ばかりで、わたしの心配はしてくれないのか?」

「そん、な…事は…ありません」


 つっかえての言葉だったが、悪くはなかったらしい。空色の目は相変わらず、柔らかいままだ。


「誰も分からんさ。お前くらいだ」

「………そんな、事は…。…小官よりも優秀な方が、総統府(ここ)にはたくさんいらっしゃいます」

「ふむ…優秀という点では、そうかもしれん。まあお前も、決して凡庸ではないが…。

 だがな、やはり違いが分かるという一点においては、お前くらいなのだ。

 言い方を変えてやろう。分かろうとする者は、お前だけだ。奴を知りたい、分かりたいと思うもの好きは、お前くらいだと言っている」


 ハノーニアは目を瞬いた。


「お前は周りに慕われているだろう。慕ってもいるだろう。だのに何故、よりにもよって怪物なんぞに心を寄せた」


 深く呼吸して、ハノーニアは口を開いた。その時、自分の唇が薄っすらと弧を描いていることに気が付く。


「それは、あの方だったからと答える他ありません。

 小官があの方をわずらわせるというのなら、恐悦至極。そうお聞きして喜びを感じずにはおれない小官は、そんな小官こそ、とっくの疾うに患っておりますのでしょう」


 言い終わって、しんと降りる静けさの中でハノーニアは思う。


(そうだ、そうだとも。恋も愛も、ある種の狂気だって…ずっと昔(前世)に読んだ、気がする)


 なるほどと思いつつも、そんな狂気はきっと自分には縁のないものだろうと。安心したような、諦めたような。

 まさか、生まれ変わってからそうなるなんて。誰も思わない。


「…そうか。

 ノイゼンヴェール。やはり、わたしではないか?」

「…はい。貴方ではありません、閣下」


 もう一度「そうか」と苦笑と共に呟いた彼は、椅子の背もたれに身を預けた。


「……答えは分かっていたが、くるものだな、これは。だが…くくッ、癖になるとは、こういうことか…」

「え…」

「あらまあ、此方も此方で進行しちゃったかしら。罪作りねぇ、ハノーニアったら」

「エ」

「はてさて。どちらを応援すればよいか…迷いますなあ」

「………」


 急に陽気さをはらんで膨らんだ室内の雰囲気に、ハノーニアは目を白黒させる。ひとまず、よく分からない一難は去ったとみたい。


「ノイゼンヴェール中尉」

「は、ハッ!」

「接待ご苦労。シュエンディル(それ)の相手は疲れたであろう。今日は帰宅し、体を休めよ。

 ……そうだな。気が向いたらでよい。臥せっている鷲の様子でもみておいてくれるか」

「え、あ…はい。御意の、ままに」

「命令ではない。気が向いたら、だ。万が一、お前の意にそぐわない事をされそうになったら、迷わず殺せ。よいな?」

「……御意。殺したあと、小官も自死いたします」


 小さく息を呑んだ後にするりと出てしまった言葉は、三人を苦笑させるには十分だったらしい。


「まったく、そんなに奴がいいか。

 フン、不思議と俄然やる気が出てきた。必ず此方に心を移してもらうからな。首を洗って待っているがいい」

「し、失礼いたします」


 ハノーニアはビシッと敬礼をして、素早く退室する。

 部屋を出たところで、一歩後ろを付いてきていたシジルゼートから、ウインクと一緒にいくつか言葉を貰った。


「副官のシュッツエ准尉が第一駐車場で待機中ですので、そちらを使ってお帰りください。

 それにしても、お見事です。久方ぶりに胸が高鳴りました。

 何卒ご武運を。小官、心よりお祈り申し上げております。…ふふ、だって言うじゃありませんか。恋は戦争、と」


 素敵な微笑みに見送られて、ハノーニアは駐車場へ急ぐ。

 人気(ひとけ)がないところは何度か窓から飛び降りる等(ショートカット)をした。途中デーメルにそっくりな誰かと一瞬目と目が合った気がしたが、それを振り切って到着した第一駐車場で、待機していたシュッツエの元へ駆け寄る。


「待たせた。出してくれ」

「…了解しました」


 心なしかシュッツエの三白眼気味の目が「また跳んできたな」と言うようにジトッとしかめられている気がしたが、ハノーニアはそれも見て見ぬふりを決め込んだ。

 運転席にシュッツエが、助手席にハノーニアがそれぞれ乗り込んで、車は走り出す。

 徐々に速度を上げていく車。その窓から過ぎ行く帝都の街並みを眺めながら、ハノーニアは溜息を吐いた。


「…ままならないな…」

「何が、とはお聞きしませんが…そんなものです」

「…はは、確かに」


 苦笑したハノーニアは、ハンドルを操るシュッツエにふと視線を向ける。


「どうかしましたか?」

「ん…気になったから、聞くんだが…。…だから、うん、答えなくてもいい。

 准尉は、好きな相手とかは…いるのだろうか?」


 運転に乱れはなかったが、シュッツエは一度息を止めたようだった。一拍ほど置いて、彼の大きくて深い溜息が車内に響いた。


「じゅ、准尉?」

「…ったく、あなたという人は、ほんとうに…」


 三白眼気味の菫青の目に一瞥されて、ハノーニアはギクリとする。

 シュッツエはフと笑って、すぐさま視線を進行方向へ戻す。


「嗚呼本当に、あなたという人は。

 何もこんな枯れた中年にそんな話を振らなくともいいでしょうに。もっと同年代の、ほら、ご学友の方々との方が、話に花も咲くというものでしょう。まったく」

「あ、あぁうん…そ、だな。うん、すまない」


 どうやらお小言の導火線に火を点けてしまったらしい。ハノーニアは明後日の方向を向くしかなかった。


「…ふ、くくっ」

「…准尉?」

「……あなたよりもうんと年上ですから、とだけお答えしておきましょう」

「う、うん? 分かった」

「いえ」


 そんなやり取りを経て、ハノーニアはエルグニヴァルの私邸へと帰宅した。


「おかえりなさいませ、ノイゼンヴェール様。わたくし共一同、お帰りを今か今かとお待ちしておりました」

「あ、えっと…ただいま、帰りました。その、昨夜はすみません」

「お務めですから、どうかそのあたりはお気になさらず。

 では…閣下の御部屋へ、ご案内いたします」

「…はい」


 広い玄関ホールで執事をはじめとする一同に出迎えられたハノーニアは、しかし言葉もそこそこに案内される。シュッツエとは、シジルゼートから渡された指令書通り此処で別れることになった。

 長い廊下に敷かれた絨毯は、相変わらず分厚く、靴音を微かにする。要所要所に飾られた絵画などの美術品は、詳しくなくとも息を呑む。たった一日の外泊であるのに、懐かしさと安堵を乗せて溜息が零れる。その事に、ハノーニアは微苦笑するしかない。


「――此方になります。

 中で…閣下がお待ちです」


 当然と言えば当然だが、主人たるエルグニヴァルの私室へ足を運んだことは今までない。

 振り向いた執事としばし見つめ合って、ハノーニアは大きな扉を見つめる。至る所に繊細な彫刻が施され、金色に眩い装飾がなされているその扉は、まさしく主人たる人物の部屋に相応しい。


「ノイゼンヴェール様。ノイゼンヴェール様がお強いのは承知しております。ですが、もし万が一、貴方様が望まぬ事態となりましたら、声の限り叫んでください。

 不肖わたくし、この身、この命を懸けて盾となります。お助けすると言い切ることが出来ない情けなさを、どうかお許しください。幾らか腕に覚えはございますが、ノイゼンヴェール様や閣下には負けます故…」


 深々と頭を下げた執事に、ハノーニアは目をぱちくりと瞬いて微笑んだ。


「いいえ、頼りにしています。…では…。

 …閣下。お休みの所大変申し訳ございません。ノイゼンヴェール中尉、参上いたしました」


 ノックの後そう声をかけたが、待てども返事はない。

 もう一度ノックをしてから、頭を下げる執事に見送られながら、ハノーニアは扉をそっと開けた。

 カーテンが締め切られている室内は、日中とは思えないほど暗い。とは言え、順応できないほどではない。扉の隙間から体を滑り込ませたハノーニアは、足取り確かに部屋の中を進む。

 主人の部屋であるから、当然広く、当然豪奢だ。ただ、生活感というか、生きもののにおいというのか、温度と言うのか。そういうものがとても希薄だと感じた。

 たどり着いた先――これまた大きく豪奢な天蓋付き寝台の上で、掛け布団もかけず、その上で仰向けになっているエルグニヴァルの姿がある。長い足はきちんと揃えられて、胸の下で手を組むその姿は、棺桶の中で永眠する誰かに重なって――ハノーニアは頭を振ってその既視感を吹き飛ばした。


「……閣下。エルグニヴァル閣下。……トゥエルリッヒ様。ただいま、帰りました」


 エルグニヴァルは動かない。それでも、瞼の下で秋空色の目が此方を見ている気がした。


「ただいま、帰りました。遅くなって申し訳ございません」


 枕元まで近づいたハノーニアは、眠っていると仮定してひそめた声で続ける。


「…トゥエルリッヒ様。

 あなたのことが、好きです。心から。…それと同じように、同じくらい、あなたが、怖い。心から。

 そんな私ですが、こんな私ですが…、」


 此処まで来て、喉奥の詰まるような痛みに耐えかねて、ハノーニアは言葉を区切ってしまった。

 目をギュッと瞑れば、笑うシュエンディルの言葉が脳裏に木霊した。

 恐る恐る目を開ければ、変わらずに動かないエルグニヴァルの姿がある。この上なく無防備な姿に、思わず唾を呑み込んだ。

 深呼吸を一つして、ハノーニアはエルグニヴァルを見据える。


「……起きてください。お願いです、トゥエルリッヒ様。でないと…でないと、キスしますよ?」


 ぴくりとエルグニヴァルの体が微かに跳ねた、気がした。

 しかしハノーニアは構わず、寝台の上に乗り上げる。覆いかぶさるように、エルグニヴァルの体の両脇に手を付いて、身を乗り出す。


「いいんですね?」


 軍人として常人以上に鍛えているから、片手で自重を支えるなんて朝飯前だ。黄朽葉を思わせる金髪をそぉっと撫でて、ハノーニアはゆっくりと顔を近づける。

 目を瞑り、ちょんっと合わせた唇は、やはりというか乾いていた。けれども、温度はちゃんと感じることが出来て、ハノーニアは微笑む。

 吐息を感じる距離で、瞼がゆっくり開き、秋空色の目が此方を見て和らいだ。



(22/05/05)


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