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夢の寿命の限りまで  作者: 真神
第一部
16/50

パンドラだーれだ


 式典の会場であるマガドヴィウム魔導学園の大講堂は、荘厳の一言に尽きる。建築にも美術にも詳しくはないが、それでも感動の溜息が漏れるほどだ。

 来賓席に着くエルグニヴァルを案じながら、ハノーニアは視界の端に映る天井や柱、煌く照明などを一瞥していく。怪しいものは今のところない。怪しい者というか、不躾な視線は四方八方から感じるが。


「クレヅヒェルトの者が何故帝国の軍服を着ている?」

「あぁ、あれが…。黒鷲閣下の御気に入りの…」

「オオカミ犬か。しかし…エルグニヴァル総統以外が御せるのか…」


 久しく聞いた呼び名に、ハノーニアは自分の唇がつり上がらないよう耐える。

 黒鷲――エルグニヴァルの御気に入りと言われるのは一向に構わない。オオカミ犬と言い表さられる事だって、嫌いではなかった。だのに、どうしてか気持ちがざわめいて仕方がない。


(ほんっと、人に因るなぁ)


 ゆっくりと瞬きをし、細く長く息を吐く。

 目を開ければ、エルグニヴァルと視線が合った。瑠璃色が一瞬秋空に変わって、それに気が付いた隣のシジルゼートは微苦笑を浮かべている。


(閣下)


 思わずハノーニアが微笑めば、エルグニヴァルも柔らかく目を細めて微笑を返してくれた。

 それだけで十分だ。ハノーニアはぐるりと顔を巡らし、自分を注視する好奇の視線たちに向かって、きゅっと口の端を上げて笑ってやった。


「ッ」

「?!」


 息を呑み慌てて視線を逸らした者は、小者として意識の外へはじき出す。


「…ほぉ」

「ふむ…。なかなかにいい顔をするではないか」


 楽しげに、もしくは面白そうに笑い返してくる輩は、警戒対象として認識する。

 値踏みをされて、し返して。そんなささやかな攻防を繰り広げているうちに式典は始まる。

 各国の留学生団の代表がそれぞれ挨拶を述べ、誠実に学ぶことを宣誓し、クレヅヒェルト側から謝辞が贈られた。

 壇上に姿を見せたのは、一人の礼装軍服をまとった麗人だ。毛先に向かってゆるく巻いた灰髪は艶やかで、黒革の眼帯で覆われていない紫の左目は穏やかに大講堂のすべてを見渡す。

 クレヅヒェルト王国が女王ノエリアの登場に、水を打ったようになる。


「改めて、ようこそ。クレヅヒェルトへ」


 女性としては少し低めの声が、柔らかく響く。歓迎から始まった言葉は、短く簡潔にまとめられ、こう締めくくられた。


「汝らの学びに実り多からんことを」


 降壇する女王を見送りながら、ハノーニアは背筋が伸びる思いだった。届かないと分かっていても、目礼をする。


(お変わりないようで…何よりです、女王陛下)


 すでに五十歳に差し掛かる頃だったと記憶しているが、今見ても若々しい。前世で言う美魔女とは彼女のことかと頷いた。実際、ノエリアのあだ名には『魔女王』なんてものもある。見た目の美しさもさることながら、強大な魔導師としても名を轟かせているのだ。その代償として、ノエリアは若き日に右目を失ったと聞く。

 一留学生であった以前とはまた立場が違うが、もし機会がもらえるのであれば、是非とも挨拶したい一人だ。

 さて。式典もこれにて無事終了だ。

 用意された寮へ向かって案内されていく留学生たちを横目で見送りつつ、立ち上がるルシフェステル――に扮するエルグニヴァルとシジルゼートに従って、ハノーニアも大講堂を後にする。

 しばらく歩けば、滞在場所が異なるため自然と他国の要人たちとも別れていく。

 そうして一つの中庭に面した通路に差し掛かった辺りで、ハノーニアたち以外には案内兼護衛役のクレヅヒェルト軍人たちだけになった。

 ふと目をやった中庭は案外広く、見える空も大きい。その片隅にも国花であるリインの花が咲いており、風で時折山吹色を揺らしていた。


「……。……――」


 それは反射的だった。

 ハノーニアは磨き上げられた石の床を蹴る。エルグニヴァルと中庭の間に着地すると同時に、両手をいっぱいに広げて隅々まで行き渡らせた魔力でもって防壁を張る。

 次の瞬間。上空から、少女が降ってきた。――否、突撃してきた。膨大な魔力をまとって、


「――ぐッ!!?」


 ハノーニアが間一髪で張った防壁の魔力と、少女が全身にまとう魔力が衝突する。衝撃で吹き荒れる空気は、暴風と言うに相応しい。制帽が吹き飛び、礼装を彩るモールが暴れて邪魔だ。


「何者だ!?」

「衛兵集まれー!!」


 緊急事態に、しかし混乱しかけるのは一瞬だけ。流石魔導大国の軍人――魔導師たちだ。即座に防壁を展開し守りを強化してくれた彼らに感謝を直接伝えるためにも、この場を早く脱しなければならない。伝令に駆けていくクレヅヒェルト軍人を守るため、防壁の範囲・強度を上げるため、ハノーニアは『バイカラー』となる。

 中庭の中央辺りに着地したまま俯き加減だった少女が、反応して顔を跳ね上げた。


「ッ、『バイカラー』!」

「あの軍服…ミノーレアのか! 留学生が何故!?」


 未だ音を弾けさせて衝突する魔力の中。下が紫、上が明るい琥珀色――自分と似て非なる『バイカラー』の輝きを目にして、ハノーニアは絶句する。そしてすぐ、絶叫した。心の中で。


(――ちょ、は、え……ヒロインんんんんん!!?)


 膨大な魔力に、宵の薄明の『バイカラー』。小国ミノーレアの生まれ。容姿はゲーム主人公ということもあって、鍵である目の色以外は特に明記されなかったが、ほぼ間違いない。対峙する少女は、この世界と瓜二つであるゲーム『薄明の輪廻』の主人公だ。

 それは分かった。だがしかし。

 ヒロインであろう彼女から、まるで親の仇を見るような――射殺さんばかりの視線を向けられているのかは、まったくこれっぽっちも分からない。


「ッ、なぜ…どうして!! どうしてお前がそこにいる!! どうして閣下のお傍にいるんだ!! リンシュガルデン!!」

(待って誰それ!!?)


 色々とツッコみたい。沢山聞きたい。訂正したい。しかし、そんなハノーニアの気持ちなど欠片すら伝わらず、少女は魔力をたぎらせて力の限り地面を蹴った。

 叫ばれた名前に身に覚えなどなかったが、ギラギラと魔力光をたたえる『バイカラー』の目は明らかに自分を狙っている。舌打ちして、ハノーニアは最前線へと飛び出した。


「ハノーニア!!」


 エルグニヴァルの声が聞こえた気がするも、先ほどより至近距離でぶつかった魔力の衝撃音でかき消された。

 少女の細腕から繰り出された手刀とは到底思えない重さに、腕を交差させて強度を増し増した防壁で受け止めながら、ハノーニアは歯を食いしばる。厚さのために範囲を狭めたため、弾け飛ぶ余剰魔力が頬や軍服を掠り、幾つも傷を生む。


「――ッ舐めるなよ!!」

「きゃあ!!」


 魔力量では、例え『バイカラー』になったとしても基礎値が違うため敵わない。だがしかし、経験値ならば負けない。負けていられない。

 盾としていた防壁をずらすと同時に、少女の足元目掛けて蹴りを見舞う。バランスを崩した彼女の腹部へ、防壁をまとわせた手のひらを力一杯叩きつける。手加減なんぞ欠片もない。中庭の反対側まで吹き飛ぶ華奢な体を見ても、そんな気持ちはこれっぽっちもわかなかった。

 頑丈な石壁に力なくもたれ咳き込む少女から視線をはなさず、ハノーニアは携帯を許されていた拳銃をホルスターから抜く。


「っ、う…」

「動くな」


 撃鉄はすでに起こした。向こうからの宣戦布告もなしの戦闘だが、流石に殺してしまうのは国際的にまずいだろう。しかし、また跳びかかってこられてはたまらない。

 独断専行にはなるが、足と手は潰しておいた方が安心だ。痛みで集中を欠き、魔力行使に支障が出ればなおのこといい。


(あぁよし、撃とう)


 ハノーニアが引き金を引く――その一瞬前だ。


「っ、ぅ…ッ、何故です、何故ですか閣下!!

 どうしてハノーニア・ヅスク・リンシュガルデンを!! 裏切り者なんかをお傍に!!」

「――…は?」


 少女の涙混じりの叫びに、ハノーニアはそれ以外の言葉を失った。

 だから誰だそれは。私じゃないぞ。そんな気持ちを言葉にするよりも早く、この場に新たな人物が登場する。


「――おぉ、あらまぁ。これは…さてさて、どうしたことか」


 一人は、くすんだ金髪の中性的な男性だ。丸眼鏡の奥で、鮮やかな紫の瞳が愉快そうに煌いている。


「どうしたもこうしたもない。

 ミノーレアの『バイカラー』を拘束しろ。吸魔の手錠の使用を許可する」


 もう一人は、輝く灰髪をゆるいオールバックにまとめた、目つきの鋭い青年だ。同じ紫の目は、眼光鋭く少女を真っすぐに睨みつけている。


「ま、待って! やめて!! 私じゃない!! リンシュガルデンの裏切り者は!! ハノーニアはそこに――」

「黙れ」


 エルグニヴァルの、たったその一言で、その場は沈黙に支配される。

 青年の命令を受けて動き出したクレズヒェルト軍人たちも。拘束から逃れようと、痛みに喘ぎながらも足掻いていた少女も、固まる。吹く風さえも止んだ。


「黙れ。これ以上聞くも見るも耐えん。

 二度とわたしの前に出すな」


 言い終わったエルグニヴァルは、青年に向かって顎をしゃくった。横柄極まりない態度での指示だったが、青年は何も言わず、改めて部下へ拘束の命令を下した。


「…ぁ、あ…あ、まって…お、お待ちください、かっか…閣下!」


 エルグニヴァルは少女に見向きもせず、ハノーニアの元へやって来た。

 拳銃を握る手をそっと包まれて、そう言えば未だ構えたままだったと、ハノーニアはされるがまま腕を下ろす。


「ハノーニア」

「……閣下、しょう、かん、は…。…私、は……」

「あぁ、わたしの可愛いハノーニアだ」

「、」


 秋空の目で見つめられて、優しく抱きしめられる。

 エルグニヴァルの抱擁にもっとひたりたくて、そんな場合でないと分かっていても、ハノーニアは目を瞑った。

 閉じられる視界の端で、拘束された少女が目を見開いて愕然としているのが一瞬映り込む。

 音で少女が青年率いるクレズヒェルト軍に連行されていくのを感じながら、ハノーニアは自分の頭や背中を優しく撫でるエルグニヴァルの手によって、気持ちと呼吸を落ち着けていく。


「…さぁてと。

 良い所大変申し訳ないんだけど~、事情聴取させてほしいな~、なんて」


 かけられた声に顔を上げれば、へらりと笑う丸眼鏡の男性と目が合った。

 近付く音がまったく聞こえなかったことに警戒を抱きつつ、エルグニヴァルへ目礼したハノーニアはそっと抱擁を解いてもらった。

 改めて相対した彼は、ハノーニアと似た背格好だ。同じくらいの高さで、紫の目が柔らかく笑う。


「やあ。久しぶりだね、ノイゼンヴェール嬢。憶えているかな、僕のこと…」

「はい、勿論であります。

 お久しぶりでございます。シュエンディル・ノイザ・ヴォルフォツェール王弟殿下。この度は…多大なるご迷惑をおかけしましたこと、心よりお詫び申し上げます。小官如きの命で贖い切れるとは到底思えませんが…何卒、何卒ご寛大な処置を…」


 ハノーニアは即座に膝をついて礼の姿勢を取ると、一息に言い切った。

 憶えているかな?なんて冗談もいい所だ。数年前の留学時代に縁があった彼は、ノエリア女王の実弟である。姉弟揃って現役軍人――魔導師であることも有名だ。

 そんなやんごとなき貴人たるシュエンディルは、相変わらず朗らかに笑って答えた。


「あっはっは。相変わらず真面目ちゃんだねー。可愛いかわいいノイゼンヴェールちゃん。

 そうだねぇ…うん、なら。お嫁においでよ」

「は?」

「僕の妻になって」


 思わず顔を上げたハノーニアは、甘く笑うシュエンディルと目が合って――しかし、すぐさまエルグニヴァルによって抱き上げられる。


「ぅわっ!? かっ――准将!?」

「あっはっはっは!! やー、悪かったって! ごめんよトゥエルリッヒ! 心から謝るから暁の薄明で睨み付けるのはやめてくれって!」

「……え…」


 大きく声を上げて笑うシュエンディルの言葉に、ハノーニアは息を呑んだ。バレている――いや、はじめから知っていたのか。

 ハノーニアとエルグニヴァルを見つめる彼の紫の目は、親愛に満たされている。


「いやぁ…噂は聞いていたけれど…ふふふッ! いいねいいね!! 君のそんな顔初めて見たよトゥエルリッヒー! あぁもう、人間らしくていいじゃないか!」

「やかましい。相変わらず貴様の声は頭に響く」

「あっはははははは!!!」


 シュエンディルの笑いのツボが何処にあるのか全く分からない。分からないが、彼が笑えば笑うほどに、エルグニヴァルの眉間にしわが刻まれていくことは分かった。

 ハノーニアは落ち着いた気持ちが再びざわめいていくのを感じる。もっとも、先ほどと種類が違うことは分かっているけれど。


「っは~…笑った。笑ってお腹痛い。これも初めてかな?」

「知らん。どうでもいい」

「っ、くくっ。いいね、本当。

 君のその顔も。君がエルンスト君の姿形をしていることも。あぁ全部、君のお陰なんだろうね。ノイゼンヴェールちゃん」

「!?」


 名前を呼ばれて、ハノーニアは姿勢を正した。エルグニヴァルに抱えられたままなので、どれだけ格好がついたのかは不明だが。


「さ。立ち話もなんだし、場所を移そう。君たちのこともっと教えてよ。諜報部からの伝え聞きって味気なくってさぁ」

「え」

「あぁ、ミノーレアの留学生のこともちゃんと聞くから。ついでに。

 あぁでも――医者が先かな」

「え、…っ、う、…?」


 そっちの方が大事では?大事で国際問題では!?と忙しなかった思考は、微笑みから一転して痛ましそうな表情を浮かべるシュエンディルと目が合ったことで、止まる。

 その代わり、不意のえずきに襲われた。咄嗟に抑えた手のひらに、閉じた唇の隙間から生温かい赤色が付いた。


「え? …――」

「ハノーニア!!」


 世界が急に暗くなる。その中で、エルグニヴァルの叫びが聞こえた気がした。


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