そしてふたりはまた出会う③
予想通り、敷地内に哨戒する兵はひとりも見当たらなかった。結局飛び越えた城壁も、杞憂するだけ損だったように何も変化はなく。
ゼロと紫鳩はいとも簡単に王城の庭へ降り立った。城そのものへはまだ遠く、ましてや目指す城館などさらに遠い。
夜目にも美しく整えられた庭園は、人影すらちっぽけに思えるほど広く、且つ複雑だった。緩やかな曲線に沿って造られた花壇、小路と小路を結ぶ緑のアーチ。なんとも優美な迷宮がそこにはあった。
身を隠すにはもってこいだがなにしろ見通しが悪い。安全を確保しつつ進まなくてはいけない。
試しに気配を探ってみても、相当上手く隠れているのでもない限り無人かと思えるほど人気がなかった。
いくら古くからの風習だからと言え、あまりにも手薄な警備は逆に猜疑心を生み出す。すなわち、何か裏があるのではないかと――。
「そんなもん考えるだけムダだろ。だってわかんないんだからさ。そんなことより早く進もーぜ」
返事も聞かずに走り出す紫鳩の行動力を多少羨ましく感じる……ことも事実だが、しかしそれにしたってもう少し慎重に動いてもいいと思う。言っても聞かないだろうが。
みるみるうちに闇へ溶け込む火神使徒の背中を仕方なく追いかけ、ゼロは真夜中の庭園奥深くへ入り込んだ。涼風に運ばれる草木の匂いがかぐわしい。夜だというのに天高くで鳥の羽ばたきを聞いた気がした。
確かに視認出来る範囲に衛兵はいなくとも、さきほどの爆発のせいか慌ただしい喧騒が微弱ながら感じ取れる。動くならあちらに気をとられている今が好機かもしれない。
「誰かに見つかったらどうする?」
「そりゃあ倒すだろ」
「それが戦える人間じゃない――つまり、使用人とか、ただの貴族だったら」
「そ、れ、はー」
不干渉の不文律は守られるべきだ。そう紫鳩も判断したのか、やや不満気にこう答えた。
「逃げる」
無言でゼロも頷いて、
「俺もそれがいいと思う」
頭の片隅に黒い軍服が浮かぶ。しかし、これだけ広い城だ。そうそう遭遇する事態には、ならないだろう――こちらの居場所は知られていないのだから、見つからずに事を終えることも……。
(それは、楽観的すぎるか)
何にせよアリス達も移動しているのならあまり時間をかけては助ける前に見つけられなくなる恐れがある。
慎重、且つ迅速に動かなければならない。
木陰から木陰へ、明かりを避けて足早に移動する。
東ワールゲンの王城は、本館とも呼ぶべき最も大きい建物、その四方を他の比較的ちいさい建物や塔が不規則に並び建つ造りになっている。それだけでもやっかいだというのに、おそらくこれも侵入者対策なのだろうがそこかしこに階段と坂道があり、庭園よりもさらに複雑怪奇な構造をしていた。
自然と眉間に皺が寄る。
「バレちゃまずいのはわかってっけどさ」
唐突に紫鳩が口を開いた。
いつの間に登ったのか、枝振りの良い樹上にまたがり遠くを――騒ぎが起きている方を注視していたが、身軽な動きで飛び降りるとゼロを促し再び走り出す。
黙ってその斜め後ろにつくと、さも簡単だとでも言うように紫鳩が、
「飛んでったら楽じゃん」
「飛ぶ?」
「翼で」
――それは頭にものぼらなかった、けれど、
「翼は……」
「あんま出しちゃいけないんだろ? 別に火神さまにそう言われたわけじゃねえけど、普段出さないよな、翼って」
「ああ……俺も、そう……」
使うなと命じられた覚えは一度もない。だが積極的に使用していいとも言われたことはない。
しかし。
しかしだ。
「翼の出し方を俺は知らない」
振り向いた紫鳩と見事に目が合った。
「お前……出してたじゃん」
「あのときは、勝手に」
ともに東ワールゲンまで行こうというアリスの誘いを安請け合いなんてしたから。
あの宿場が火事になったのは――アリスをあんな事態に陥らせてしまったのは、自分が彼女を安易に巻き込んでしまったからだと、思っていたから。
「……とにかく、助けなければと。そうしたら、翼が」
あのときは、知っていた。解っていた。
翼の広げ方を。
でも、あれっきりだ。
前にも後にも、ゼロが翼の使い方を知っていたことはそれまで一度も、今このときでさえ、ない。
紫鳩は、知っているのだろうか。
尋ねるより早く答えはやってきた。
「なんだそりゃ。まあ、俺もやり方なんてわかんねーけど」
「そうなのか?」
「そうだよ。何か悪いかよ」
「いや、別に」
「だって……」
ばつが悪そうに、紫鳩は口を尖らせ、
「翼があんのはわかってても使うときなんかなかったんだよ」
(使う機会のない翼……じゃあ何のために、使徒には翼があるんだ?)
ふってわいた疑問は、今この場で解消するには複雑過ぎた。
「他の使徒も、同じなのだろうか?」
「あー東雲は知ってっかもなあ、つか知ってるだろ絶対。知らなくていいことまで知ってるような奴だからなアイツ」
香姫はどうなのだろう。確か火神使徒では東雲の次に年長のはずだ。
「自由に空飛べたらこんなふうに地面を走ることねーのに」
紫鳩の独白じみた台詞がゼロにある考えへ至らせた。
――肌を焼く猛火の唸り。
腕に抱いた、少女の温もりと。
ただ、一心に、脱出する術を欲していた自分。
今もまざまざと脳裏に蘇るあの火のなか。
宿泊した部屋は三階だった。飛び降りられる高さではなかった。だからこそアリスは動けずにいたのだが。
そこから降りた。そう、降りたのだ。
飛んでは、いない。
(屋内は火がまわっていた。あそこから脱出するには、そのまま外に出るほかなかった)
飛ぶという方法があってあの結果になったのではなく、脱出を願ったその手段が浮遊めいた降下だったのだ。
要するに、つまり。
(翼は)
ざっ、と石畳を滑らせて紫鳩の足が止まる。
ぶつかる直前で、ゼロも静かに動きを止めた。
城内は、街中よりも明かりが多い。輝かしいとは決して言えない程度ではあるがそれは確実に闇を退け、ゼロと紫鳩の前に暗色と白色のまだら模様を描く。
そのなかから、一際濃い闇色が姿を現した。
東雲、ではない。
背丈は、あの黒衣の使徒とほぼ同じ。しかし身体つきは明らかに違う。軍服の上からでも判る鍛えぬかれた肉体が、一切の迷いなくこちらへ近付いてくる。
かつ、かつ、かつ。
石畳に軍靴が鳴るたび、その人物の容貌を光明が照らし出す。
黒鷹隊の、隊長の姿を。
「……飛行が出来ないなら、身体能力はそう変わらないな。空を逃げられる心配もない」
(――翼は、飛ぶための力じゃ、ない?)
隊長の手が腰に挿した剣の柄へとのびる。
ゼロも紫鳩も、暗黙のうちに戦闘の構えをとった。
と同時に、気配で理解した。
悠長にしゃべっていられる相手ではないことに。
重さのある低い声が、抑揚なく告げた。
「さて、任務を遂行しよう」
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