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銀の翼を天使と呼んだ  作者: 早藤 尚
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そしてふたりはまた出会う②

 鳥籠を出ると薄暗い廊下がまっすぐ伸びていた。

 明かりとしてはやや頼りない小ぶりの燭台がしかし消えずに灯っているおかげで、見通しは悪くない。


「一本道か。突っ切るしかないな」

「言われなくても!」


 隣に並ぶ香姫へ力強く頷き、アリスは駆け出す。と同時に、呪文詠唱。


(素質ある者が、精霊に請い願ってその力を行使する許可を得る――それが呪文。じゃあその素質って何?)


「そんなもん――」


 突き当たりの曲がり角から見えた人影に向かって、勢い良く左手を突き出した。


「エッジストーム!」


 切り裂く烈風が走り、天窓がみしみしと鳴く。


(そんなもん……)


「――わかるか!」


 続いて放たれた香姫の呪文が風を熱風に変え渦を巻く。


(――でも、あたしは今助けられてる。精霊が力を貸してくれてる。それは、わかる。だから、)


「負けられない!」

「当然だ。野分(のわき)末摘花(すえつむはな)!」


 ちいさな火球が強風に乗って飛び散った。その先でかすかなうめき声を聞き、アリス達はいっそう足を速める。


「あの先、もしや階段じゃないのか?」

「たぶん、そうね」


 反響してくる足音からして、さらに奥がある感じではない。となると、


「先に階段をおさえられたら――」


 面倒だ、と言おうとした矢先にかち合ってしまった。

 今まさにこの階へ足をかけた、兵士達と。その数、十数人。突破出来ない数ではない。

 けれど、


(後続がどれだけいるかわからない……!)


 この集団を蹴散らせても次から次へとわいてこられたら結果的にじり貧だ。

 しかしアリス達に残された逃げ道は少ない。

 下か――上。

 悩んでいる暇は――


「アリス! こっちだ!」


 呼ばれて顔を上げるとすでに階段を上り始めた香姫がいた。

 返事もせずそれに続く。

 一足飛びで駆け上がり、香姫を追い越すと待っていたかのように黒髪の天使は呪文を放った。


「朝顔!」


 壁にかけられた花々、それらが一斉に根を伸ばし茎を伸ばし、意思をもって絡み合い巨大な縄となって兵士達を拘束していく。


「ぐああっ!」


 締め上げられたひとりからもれる苦悶の声を横目に、ふたりは無我夢中で上を目指した。


「どういうつもりっ? 上なんて、逃げられるかどうかわかんないのに」

「アリス言っていたじゃないか。ずるずる悩んでしまうと。だから私が決めてやった」

「いろんな可能性があるのよ! まずい選択肢はとれないでしょ!」

「上に逃げるだってアリスが思う以上の可能性はあるぞ! 行ってみなきゃわからない!」


 一見無策過ぎる言動にも思えたが、確かに正論ではある。思い悩んで時機を逃すよりはよほど得策に思えた。


「……そうね。いざってときに必要なのは腹を括る度胸よね」


 無謀でもいけない。慎重過ぎてもいけない。反省も後悔も未練も今は後回し。後ろを向くのはすべて終わってからだ。

 ふたつの踊り場を越え、ふたりは質素な扉にたどり着く。

 錠は――閉まっている。

 だがそんなことは予想のうち。

 アリスと香姫、ふたりの声が重なる。


「大地の精霊よ! 我が手にちからを! ギャレットロアー!」

明石(あかし)!」


 放った呪文はともに粉砕系。掛け合わされた威力で灰色の扉を粉々に吹き飛ばし()ぜ、這い寄る夜気がしっとりと冷たくアリス達を出迎えた。

 開いた穴の向こうに広がるのは紛うことなき深淵だ。何色をも飲み込む絶対の、黒。

 闇より尚深く、暗く、そして、恐ろしい、――化け物。


(違う)


 闇のただ中に、アリスは飛び込んだ。


(恐れる気持ちが、黒夜を生むんだ)


 だからあれは、己の弱い心自身だ。足元から這い寄る、不安や弱音だ。

 今目の前に広がるこれは、ただの夜。何百何千と過ごしてきた、いつもと変わらない夜。

 瞬時にまわりを見回す。一面の空、その奥へ溶け込む屋根、連なる城館。ところどころにぼんやり光る、明かり。魔除けの証。人がいる証。

 一瞬目に留まった、鐘堂。


「香姫! 行くわよ!」


 一切の躊躇なく屋根へ足をかけ、きつい勾配を棟へと登る。一歩でも足を滑らせたら地面へ真っ逆さまだがここに留まるわけにはいかない。香姫がついてくる気配を背中に感じながら屋根のわずかなくぼみへ手をかけた。

 冷たい夜風が壁伝いに吹き上げ、指先の熱を奪う。身震いして見下ろした先は詳細の判別が難しいほど遠く、そして暗い。

 落ちたら終わり。

 しかし今ここで足を止めても終わりなら。


(だったら進むまで!)


 そろそろと、だが急ぎ足で棟上を端へ端へと向かう。


「待て!」


 聞こえる追っ手の声はまだ遠い。おそらくまだ屋内か――それとも扉から出た直後。引き離すなら、今のうちだ。

 やがて眼下に鳥籠を模した半球型の外形が現れ、頼りない足場はそこで終わりを告げる。

 次なる行動は――もう選択してある。


「香姫! あれやるわよ!」

「な、何をだ!」


 そこで初めて、アリスは振り返った。


「――飛ぶのよ。あそこまで」


 指差した夜闇に浮かぶは、真っ白く荘厳な、鐘堂。

「飛ぶ」と前にアリスへ言ったのは香姫の方だ。その方法を、提案したのも。

 予想通り、香姫はすぐに察し、その夜目にも鮮やかな裾を翻してアリスにつかまった。同時に、アリスの踵が屋根を蹴り宙に浮く。

 ふわ、と(やわ)い風がふたりを包む。不思議と冷たさはなく、むしろ心地良いその風にアリスは請い願うのだ。


「風の精霊よ! 我に風の守護を! ウィンダム!」


 ――昔精霊を一度だけ見たことがある。

 とてもちいさくて、けれど生気に満ちた、色鮮やかな。

 それと同じものを、今。

 見た気がした。

 たった一瞬、だったけれど。

 肌を滑る冷えた空気からも、そこかしこから立つざわめきでさえも、すべてを絶って、風は丸い障壁を形作る。

 続いて香姫の凛とした声が響いた。


「連歌! (あおい)帚木(ははきぎ)野分(のわき)!」


 連歌、とは呪文の重ねがけに相当する使い方のようだ。そのぶん威力は桁違いに上がる。香姫が使う力の詳細をアリスは知らないが、紡いだ術はみな風系列だろう。

 以前も、そうだった。

 そして驚異的な風圧で――殴るのだ。


「……っ!」


 アリスはきつく目を閉じて歯をくいしばった。


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