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銀の翼を天使と呼んだ  作者: 早藤 尚
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人は誰しも守りたいものがある②

 まるで薄い衣でも被っているようだ、と心のなかで呟く。うっすら夜闇薫る庭内は底知れぬ仄暗さをたたえながらも尚美しいが、あいにくゆっくりと観賞してはいられなかった。

 行き先は判らない。追いかけているのは兄の背中で、ベルジェはただ歩いているだけだ。どこまで行くのだろう、という疑問より先に裡へ沸き上がったのは、えも言われぬ懐かしさ。胸を満たしても尚あふれる懐古感。

 必死で追っていたあの頃を微笑ましく思って、ベルジェは口許を緩めた。

 背丈こそ変われど、昔も今も尊敬すべき背中であることは変わらない。変わらないのだ。

 不意につと、前を行く足が止まる。

 一拍遅れてベルジェの足も止まり、目をすがめてその後ろ姿を熟視した。

 光が眩しかったわけではない。なにせ今夜は月のない夜だ。眩しかったのは、目の前の――いつも前にあった――背中だ。

 眩む視界を、鋭い声が通る。


「お前の目は何を見ている」


 面影の兄が問う。


「お前の剣は、どこへ向かっている」


 よく見なくてもやはりそれは今の兄で、つかの間現れたのは感傷が見せたまぼろしだったのだろうと、一抹の寂寥(せきりょう)感とともに思考の隅へ追いやった。


「兄上。この剣は――国の、ために。父上の、ブラン家の教えの通りです」


 見据えた視線は真っ直ぐに兄を捉えた。

 ぴり、と自分によく似た顔が歪む。


「ならば何故、あの王に加担している」

「加担などしているつもりはありません」

「たとえお前にその気がなくとも、周囲の者からすればお前は立派に陛下側の人間だ」


 宵闇に慣れた目へ飛び込んだ、鈍く光るきらめき。

 それが何なのかを察するより早く、口が動いていた。


「兄上!」

「お前は変わったな。ベルジェ」


 静かに、ただ静かに紡がれる声は聞けても、兄の表情は夜に沈み判別出来ない。

 その、心裏(しんり)でさえも。

 向けられた切っ先と暗い紺青だけが兄の台詞を裏付けるように冷たく、そして遠かった。


「兄上、話を――聞いてくれは、しないのですね」


 揺らいだ視線が、兄の手に構えられた覚悟へと辿り着く。

 兄はみだりに剣を抜くような人ではない。

 ……つまり、そういうことだ。

 ならば自分も覚悟を決めなくてはならない。

 言葉で解り合えないのなら、ともに武家に生まれた者同士、剣を以て語り合うよりほかない。

 きっとその方が、お互い言葉よりも雄弁なのだから。

 ベルジェは静かに息を吐いた。

 剣の柄へ、手を伸ばす。


「――お相手願います」


 すらり。

 銀色が夜を切り裂いた。



         *



「それ、痛むのか」


 香姫の目がアリスの左腕をいたわしげに見つめる。袖の裂け目から覗くのは真白い包帯で、昼間黒鷹(こくよう)隊と戦ったときについた傷だった。


「んーん、そんな気にするほどじゃないわよ」

「刃物でついた傷はやっかいなんだぞ」


 そういえば手当てをしてくれたソーニャも似たような台詞を言っていた。「刀傷は見た目よりも傷が深いこともあるのでしっかり処置をしないといけない」と。

 そのソーニャも今は作業中らしく姿が見えない。脱出や抵抗のためなどではなくただ純粋に話をしてみたかったが、仕事では仕方ない。一段落ついたあたりに声をかけてみよう。どうせ、夜は長いのだ。

 左腕にそっと触れてみる。

 言われてみれば痛まなくもないが、行動に支障をきたすほどでもない。相手が遥かに格上だったとは言え、自分が未熟だっただけのことだ。

 次は、同じ失敗をしない。


「それよりさ、香姫の話を聞かせてよ。天界のこととか、せっかくなんだし、いろいろ聞いてみたい」

「……あいつには聞かなかったのか?」


 香姫が不思議そうに首を傾げた。


「うーん、聞いたは聞いたんだけど、なんて言うか、途中で終わっちゃったっていうか、あたしが知らなさすぎて本当に簡単な説明しか聞いてないっていうか」


 苦悩の影で彩られたゼロの微笑が眼裏(まなうら)に浮かぶ。


「それに、まだよく知らないんだって。生まれたばかりだからって言ってた」


 思い返せばともに過ごしたのはほんのわずかな時間だけだ。アリスの人生のなかでもそれこそ、取るに足らないと言ってしまえるくらいの、短い間。

 だから、あんな顔しか見られなかったのか、もう少し――もう少し長く一緒にいたなら、また違う表情を見る機会にも恵まれたのだろうか。

 それとも――


「そうだな。あいつはまだまだ下っ端だからな。ちなみに私はあいつよりずっとずっと先輩なんだぞ」


 えへん、と香姫が得意気に胸を張る。


「でも香姫の方がゼロより年下に見えるけど?」


 ゼロは二十歳前後に見えたが香姫の見た目はどう見ても十四、五歳。アリスと同じ年頃だ。


「むっ。私は子どもじゃない! うぅ……肉体が重ねる歳月と魂が重ねる歳月、は似て非なるもの、特に天界では、なのだ」


 ところどころつっかえる話し方からなんとなく、誰かから教えられた言葉をそのまま口にしているのだろうと感じた。


「ふうん。特に、ってことは人間もそうなの?」

「人間界のことを私が知っているわけないだろう」


 それもそうだ。

 そもそもこんな質問をしてきちんと答えられた香姫がすごい。


(あたしは、全然わかんないや)


 自分が住む世界のことなのに。

 ただ当たり前に年をとって、成長して、老いて、そして生を終える。そこに理由があるのかなんて考えたこともなかった。

 でもきっと。

 今のアリスには見つけられない因果が、きっとあるのかもしれない。


『それでも尚知りたいのなら、自分で踏み込め。真理の裾野から、頂へと』


 王の台詞が脳裏をよぎる。


『嘘ではない、すなわち真実とは限らない。が、見せられた側面、それがすべてだと信じ込んでいても人は充分生を全う出来る』


 それでも。


(知りたいのなら、か――)

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