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銀の翼を天使と呼んだ  作者: 早藤 尚
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待ち合わせはお城の前で③

 ひらひら。

 紫の蝶が舞っている。

 それは執務室のなかをまるで我が物顔で――と感じるのはケーニヒが少しばかり苛ついているからなのか、ともかく蝶は本物さながらの動きで空を踊っていた。

 蝶の向こうから流麗な声が億劫そうに話し出す。


「ブラン家の魔道具ですが、あれを少しいじりました。と言っても、ブラン家のものを、ではなく、基礎設計を拝借し別物として造り直したのでございますが。生物を模した魔道具、というのも非常に興味深いものですね」


 ケーニヒは頬杖をつき、表情を変えぬまま蝶から視線を上げると、


「ああ。新たな探究心に目覚めて何よりだ。盗聴した甲斐があったようだな? イェンゼン」


 皮肉を投げられた痩せぎすの男もまた眉ひとつ動かさない。


「盗聴とはまた酷い言い草もあったものです。陛下のお力添えになりたい一心でしたが……。聴くのみならず伝えることもできますよ? 事実、お役に立ちましたでしょう?」

「はっ! あの程度で? 思い上がるなよ。だいたいあれは何だ」

「何だ、とおっしゃられましても」


 イェンゼンの素振りはとぼけているようにしか見えない。


「私に見当がつかず、陛下の手中の範囲外なのでしたら、それこそ陛下がお探しのモノ――ということでは? いやはや、魔道も奥が深い」

「深い? どこが」


 ケーニヒは吐き捨てる。


「あんなものただの精霊の狂気だ」


 イェンゼンは何も応えず、簡単に蝶の羽をつまむと、いつものように平淡な声音で言った。


「ところで。陛下に謁見願いたいと申す者がいるのですが」

「……そういうことは早く言え。誰だ」

「リカールでございます。将軍ユスタクラージャですよ。ブラン家の」


 名前を聞いてケーニヒの眉がぴくりと跳ね上がる。


「お前がそんな通り名を使うとは驚きだ」

「なかなか洒落た愛称だと思いますよ。ユスタクラージャですか。ゲノーの戯曲によれば乱世を平定した英雄の名ですね……彼の功績にはお似合いでしょう? あいにく芸事は門外漢ですのでそちらは陛下の方がお詳しいかと存じますが。兄弟仲は良くないと耳にしておりましたけれど、リカールの様子から見るに、それほどでもないようで」


 その台詞から青年将校が謁見を願い出た理由を察した。それが宰相の推察通り兄弟愛によるものなのか、はたまた逆の思いからくる行動なのかは、彼に会ってみない限り判別はつけ難い。


「いいだろう」


 ケーニヒはひとつ頷く。


「リカールを呼べ」




「エル」


 イェンゼンが退室すると、それまで隅で影のように佇んでいたサリエリがケーニヒを呼ばわった。

 視線だけで返事をする。

 隊長はいつもと変わらぬ渋面だ。思えば彼が寛いだ表情などほとんど目にしたことがない。ケーニヒの人生において、人間の部類では最も付き合いが長いのにもかかわらず、だ。

 それはお互い様か、と自嘲する。

 自分とサリエリが穏やかに談笑などした日には大臣達の目が飛び出るに違いない。それはそれで愉快だが、サリエリが切り出したのはとうてい談笑とは程遠い話題だった。


「あの娘達の扱いをどうするつもりなのか」


「見ての通りだ。話を聞く。その目的が達せられる前に去られては困る。だからあのような処置をした。扱いと言うが、扱い方としてはこのうえなく丁重だろ? くだらない天牢も役に立つものだな」


 少女達を入れた部屋は前国王が愛妾を囲う目的でわざわざ作らせた場所だ。近年稀に見るろくでなしだったとは言え、王は王だ。世継ぎを作るために愛妾のひとりやふたりいたところで文句は出ないが、あの一面硝子張りの部屋を寝室代わりにしていたのかと思うと萎えるどころの話ではない。理解出来ない、したくもない性癖だ。


「与えた心証は最低のようだったが」

「そこまで忖度してやる義理はない」


 サリエリが重いため息をついた。

 ケーニヒはそれをただ見つめる。


「エルの考えだと、あの娘達はどこかへ向かう途中なのだろう? 連れが変わったのは私達の目を欺くためか」


「どうだろうな。他にも何か問題があったのかもな。いずれにしても目的を持って移動していたことに変わりはない。それに、片方は十中八九『()使()』だ」

「なんと……!」

「まだ推測だ。魔道を使う瞬間を見られればすぐに答えが出るんだが」


 その肝心の魔道はケーニヒ自らの手で封じてしまった。解くことはたやすいが今行うわけにはいかない。

 しばし考え込んだのち、サリエリがぽつりと呟く。


「彼らはどこへ向かうはずだったのだろうか」

「どこへ?」

(かた)や人間の娘、(かた)や天使。そんなふたり連れが我が国内にどのような用があったのかと……少し気になっただけだ」

「さあな。そんなに気になるなら本人に訊いてみろ」


 手ぶりで上の階を示す。そして窓外の景色に目を向けた。遥か遠くの何かを探すように。


「『天使』――神の使いか。人間の方は知らないが、天使なんてモノが訪れそうな場所が、俺の国にはあるだろ、サリエリ?」


 ケーニヒの台詞に黒鷹隊の隊長は双眸を細めてその意を問う。


「そうは言うが……民は神をあまり信仰してもいない」

「ああ。あいつらに根付いているのは神じゃあないからな」

「神にゆかりのある地など……、」


 そこでサリエリはわずかに目を(みは)った。


「あるだろう? ふさわしい場所が」

「エル。あれは噂の類だ。確認する術もないほど昔の話だろう」

「そうだな。噂だ。神話伝承も結局は噂だ。真偽など誰ひとり知らない。話の出所もわからない。あの荒野に真実神殿が建っていたかどうか、信じる信じないはお前の勝手だ」


 こんこん、と規則正しいノックの音が鳴り響く。


「ケーニヒ陛下。第参番ブラン隊所属リカール・ブラン、ただいま参上致しました」


 現世における英雄ユスタクラージャの、登場である。



 名門ブラン家の兄弟と言えば、まるで正反対の性質であることで有名だ。

 朗らかで人当たりも良く話題に長けた弟、誰に対しても素っ気なく無駄な馴れ合いを嫌う兄。

 軍で目ざましい功績をあげ続ける兄と、落ちこぼれ一歩手前の弟。

 まさに真逆。何もかも。性格も、軍人としての評価も――ケーニヒは執務机を挟んで対峙した相手を改めて注視する――そして、見た目が醸し出す雰囲気も、だ。

 切れ者と評判の青年は自国の王に跪ずき頭を垂れた。

 その深い蜂蜜色の髪に向かって命ずる。


「顔を上げろ。立て。ここは謁見の間じゃあない」


 無言で従った青年はいささか硬さを帯びた声音で、


「初めて執務室への入室許可をいただいたもので、失礼致しました。不作法お許しください。しかし、座られている陛下を見下ろす不敬を働くなど」

「ああ。俺を見下ろしただけで失せる程度の敬意なら元々ありもしないってことだ。問題ない。そうだろリカール?」


 絶句するリカールをケーニヒは静かに観察した。

 背格好、顔立ち。髪の色、肌の色、瞳の色。よく似ている。しかし違いは明らか。ベルジェは貴族時代の癖が抜けないのか指の先まで不必要に優雅だが、リカールの動作は完璧に軍人のそれだ。機敏で、無駄がない。

 歳は確か自分と同じかわずかに上だったかとケーニヒは思い起こす。こうして面と向かって相対するのは、公的な場以来だ。


「……俺の顔に何か」


 しげしげと眺めているうちに立ち直ったようだ。寒空のような瞳がこちらをじっと見つめている。

 およそ感情の伴わない台詞にケーニヒは緩慢と首を傾げ、


「いや? ベルジェと似ているなと思っただけだ」

「よく言われます」

「そしてちっとも似ていないな」

「その言葉もよく言われます」


 彼が喋るたびに鮮やかな紺青の軍服がかすかに揺れ、胸や肩に飾られた徽章がきらめく。ケーニヒはリカールに褒章を与えた記憶はないので、あれらはすべて前王の時代のものだろう。


「ケーニヒ国王陛下。俺が今回謁見を願い出た理由も、その不肖の弟でございます」

「そうか」


 唯一弟と似ていない切れ長の目が剣呑に染まる。


「単刀直入にお伺いしたい。陛下は俺の弟に何を吹き込みましたか」

「……吹き込む、だと?」


 唇が歪む。薄く、薄く、弓なりに。

 今の自分はさぞ愉悦をたたえた表情に見えるだろう。


「無礼を承知で申し上げます。弟を誑かすのは止めていただきたい。魔道具まで持ち出させ、何をさせているのですか」

「国境検問の査察さ。ああいうのはそれなりに階級を持った奴じゃないと向こうの兵も張り合いがないだろ? 加えてあいつは暇だからな。うってつけだ」


 机上に肘をつき、手に軽く顎を乗せ。挑発めいた視線を送る。


「何か質問は?」

「……たったそれしきの任務であれが告鳥(つげどり)を使うとは思えません」

「勅命だったからな。あいつなりに張り切った結果だろ。それに、」


 ケーニヒは目を凝らした。相手の一挙一動も見逃さぬまいと。


「そうだと判っていたから直接俺のところに来たんだろ?」

「……ええ、その通りです」


 かの英雄の名で称えられる彼は、身じろぎひとつ、眉ひとつ動かさなかった。

 代わりに、凍てつくような視線が突き刺さる。


「……あれは何故か、貴方にご心酔のようなので」

「ああ。酔狂だな」


 リカールは応えない。


「話はそれだけか」

「はい。失礼します」

「リカール」


 きびきびと一礼をして背を向けたリカールをケーニヒは呼び止める。

 振り向く肩ごしに、薄い空色の瞳と目が合った。


「最近徽章が増えないな」

「ええ。フリッツ様の代と、陛下の代では軍もだいぶ変わりました。しかし、陛下」


 再び相対する、すらりとした紺青。


「俺は栄誉や名声を欲して剣を振るっているのではありません」

「へえ。そりゃ初耳だ。――ではリカール、お前は何のために剣を振るう?」


 リカールの腰に挿された剣は、軍支給のものより細く、そして長い。彼のためにあつらえられた特注品だ。

 その鞘を撫でるように指先を踊らせてリカールは言う。


「――俺の剣はただ、『国』のために」


 迷いひとつない台詞だった。


「ああ。良い働きを期待してるぜ。……俺の国のために、な」

「もちろん。それが東ワールゲンのためならば」


 暫時、視線を交錯させたあと、ユスタクラージャと呼ばれる男は今度こそ退室した。隅に控えるサリエリへ去り際に黙礼をし、軍服の裾を翻す様は涼やかな風のよう。

 ケーニヒは息をついて背もたれに身体を預けた。


「面白いほど詐欺師扱いだったな」

「お言葉ですが陛下の日頃の言動のせいかと」

「サリエリ。お前いっぺんそこに頭打ってみろ。世界が変わるぞ」

「打ってブランの態度が好転するなら喜んでこの頭を差し出そう」

「ちっ。使えない自己犠牲精神だな」


 毒づきながら見遣れば、暗色の翳りもない真っ青な空。さきほどまで目にしていた紺青と重なる。

 話題の弟が帰城するのは、そろそろだろうか。


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