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銀の翼を天使と呼んだ  作者: 早藤 尚
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黄昏の王と黒い夜③

 すっかり消沈しながら王の背について悄々(しょうしょう)と歩く。先頭が王、次にアリス、香姫、しんがりは黒鷹隊隊長だ。

 常日頃強気と前向きが取り柄のアリスも今回ばかりは俯くしかない。呪文を使えないことがこれほど不安になるとは思いもしなかった。いつだってアリスの自信の源はそこで、そしてそれしかなかったのだ。呪文がなければ、この事態を打開する(すべ)なんて思いつかない。考えられない。

 知らず知らず噛んだ唇が痛い。

 先を歩く王の背中を睨みつけながら、アリスは己の至らなさを痛感した。

 まだまだ子どもなのだ。自分が思っている以上に。

 だから安易に信じては裏切られたと相手を詰って。呪文が使えないだけで自信をなくして。


(こんなあたしは、嫌なのに)


 もっと強くなりたい。

 他人に対してではなく、自分に対して。

 もっと。もっと。


「これはこれは……ケーニヒ陛下。そちらにお連れのお嬢さんは、もしや?」


 粘ついた声がかかると同時に、目の前の背中が前触れなく止まる。慌てて足を止め声の主を見ると、恰幅の良い男性が近づいてくるところだった。


「……またお前か」


 王の台詞は酷くつれない。好意など微塵もない、と言外に言い切られているのが判っているのかいないのか、男性は陽気な笑顔を崩すことなくアリスへ視線を投げた。

 じっとり、と舐め回される感覚。不快以外の何物でもないが、普段のように無鉄砲をする気概も今のアリスにはない。せいぜい嫌悪を顔に出さないようにするので精一杯だ。


「もしや、何なんだ」


 王がこのうえなく面倒臭そうに尋ねる。

 聞いてもらえたことに気を良くしたのか、男性はますます目を細めた。


「ええ、もしや近頃噂の、陛下のご縁談の相手かと……世継ぎは大事ですからなあ!」


 がっはっはと笑うだみ声が静かな城内にひときわ響き、笑っているのが男性だけであることをより強調する。


「レバッハ」

「はい! なんですかな陛下!」


 ちらりと見えた王の横顔は身震いするほど酷薄な笑み。


「こんなガキが俺の相手に見えるのか。それともお前は年端もいかない相手に劣情を抱く趣味でも持っているのか?」


 言い放った言葉の効果は覿面(てきめん)だった。男性の顔がみるみる羞恥に染まる。まなじりが吊り上がるが、それでもあの陽気な笑顔を張りつけたまま、


「ごっ、ご冗談が過ぎますな、陛下は……」

「冗談で済ませたかったら、そのくどい視線を止めるんだな」

「……っ!」

「これは俺の客だ。それをよく覚えておけ」


 泡でも食ったのかと思うほど男性は口をぱくぱくと動かしていたが、結局そのすべてを飲み込み、苦々しさを多分に滲ませて一礼をした。


「……しっ、失礼、します……!」


 去っていく背中を見るのはなかなかに痛快だったが王は見向きもしなかったようだ。しなやかな足が再び歩き出す。


「あれは臣下のひとりだ」


 台詞を向けられた相手が自分だと気付くのにいくばくかの間。


「……えっ?」


 真意が掴めず訊き返しても、王はまったくもって取り合わず。すたすたと先を行くばかり。


(なんなのよ、もう……)


 軽く頬を膨らませて、揺れる橙色の髪を見上げる。その向こうに、美しい曲線で形作られた天井を認め、思わず息を飲む。

 まるで絵画のように描かれた緻密なレリーフ。壁を飾る窓は皆アリスの背丈ほどもある馬蹄型で、均等に並ぶ光景はただただ豪奢の一言に尽きる。それらを支える太い柱や梁は優雅さを残しつつも重々しく、まさに大国の城にふさわしい荘厳さでアリスを見下ろしていた。

 そういえば、と心中で呟く。


(今初めてきちんとお城のなかを見たかも……)


 それどころではなかったのだ。今もそれどころではないが。

 天井を目にして改めて、自分がずっと俯いていたことを知る。

 確かに今はどうしようもない八方塞がりで、自分自身にだいぶ嫌気がさしてもいるけれど。

 アリスはうん、とひとつ頷いた。

 俯くのは止めにしよう。


(どんなにへこんでても、顔だけは上げていなくちゃ)


 いざというときに、進む先が、見つけられないから。

 いつでも胸を張れる自分でいると、そう決めたのだ。

 ――あのとき恋をした、その瞬間から。

 静かに深呼吸をして、しっかりと前を見る。

 すると心なしか幾分視界が晴れたような気がした。さっきまでよりも周囲がよく見える。

 今歩いているのはどこかの広間らしい。と言ってもアリスの感覚から見て広間だと思うだけで、本当はただの通路なのかもしれなかった。

 とは言え、それなりに開けた場所であるのは事実だ。高くから差し込む眩しい日差しが、天蓋に散りばめられたきらびやかな照明に反射して、まるで別世界のようだった。

 まるでも何も、一国の城など庶民のアリスにすれば別世界そのものである。見かける人影は兵士を除けばほぼ全員、身分や地位を誇示するような服装だったし、そうでない者はもれなく軍服を纏っていた。東ワールゲンは絶対王政だが、確か王族の次に権力を持っていたのが貴族だった気がする。


(貴族と軍人の国、か)


 何から何まで故郷とは大違いだ。

 それから王は、たまに立ち止まっては何度か貴族達と一言二言言葉を交わし合った。どういう意図なのかその都度同様に紹介していく。臣下だ、親戚だ、などなど。王は誰に対しても態度は相変わらず、逆にこの方が公平なのかもしれないなどとアリスが思い始めたとき。

 ふと、気づいた。

 王と話をする者、せわしなく歩く者、あちらこちらで談笑している者達。

 誰もかれもが、アリスを見ている。

 当然だ。アリス達はこの場では異質なのだから。見せ物にでもなった気分でいるしかないと、潔く腹をくくる。が、何か違和感が拭えない。

 もう一度ぐるりと見渡す。

 そして、判った。

 見られているのは、アリスではない。香姫でもない。

 手を伸ばせばそこにある背中。目を惹いてやまない夕陽色。

 注目を集めているのは、王、その人だった。

 ……解らないでもない。城外での印象と城内での印象はどうやらだいぶ差があるが、彼らにしてみれば自国の王だ。多少は野次馬根性だって出るだろう。注目の的。なんら不思議はない。

 ――けれど。

 これは違う。そういう視線ではない。

 気になって仕方がないのに、距離を詰めることはせず、あくまでも遠巻きに眺める。

 それは好意からのものなんかじゃない。どちらかと言うと――


「なあ、アリス」


 それまで無言を貫いていた香姫が突然アリスに話しかけてきた。潜めてはいないが、最小限抑えた声にアリスも小声で返事をする。


「なによ」


 これからのことでも訊かれるかと思えば、


「王は(めかけ)の子なのか?」

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