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銀の翼を天使と呼んだ  作者: 早藤 尚
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王都の罠②

 馬車を降りたアリスと香姫(こうき)がまず訪れたのは、王都の中心部である大広場だった。

 勾配にそって三段に分けられた敷地を、広々とした階段が繋ぐ。脇を流れる水路はさながら小川のせせらぎのような音を奏で、高くにのぼった日を反射してきらきらと輝いていた。

 美しく整備された色とりどりの花壇を眺めながらしばらく歩く。国境の町ではまだ朝方だったので人もまばらだったが、そろそろ昼近いこの時間、王都の広場はさすがに賑わっていた。ゆったりと散歩を楽しむ者もいれば、静かに本を読む者、話に花咲かせる者達、皆それぞれに満喫しているようだ。とても居心地が好い場所である。まさに住民達の憩いの場、なのだろう。それはいい。

 問題は、自分達に向けられている視線だ。

 さながら珍奇なものでも見るかのようなよそよそしさをもって突き刺さるそれは、こころなしかだんだんと増えている気がする。

 いや負けるなここでうろたえたら終わりだ、と必死に自分へ言い聞かせ、アリスはちいさく拳を握った。何に負けて何が終わるのかは、自分でもいまいち不明である。

 あやうくつきかけたため息をぎりぎりで飲みこみ、アリスは香姫へと目を遣った。元凶であるところの天使は、水路そばにある石碑をなにやらしかめっ面で睨んでいる。


「……ねえ、あたし達、ものすっごく目立ってるわ」

「ふーん。そうか」


 返る台詞は酷く素っ気ない。


「そうか、じゃないわよそうか、じゃ!」


 まったくこの天使ときたら肝が太いのかそれとも重度の鈍感なのか。


「あ~やっぱあんた着替えさせればよかったかなあ」


 今となってはもう手遅れの後悔を口にしながら、肩を落として香姫のそばへ寄る。

 その香姫は石碑に刻まれた文字から目を離さず、


「だって堂々としてろと言ったのはアリスじゃないか。うろたえたら怪しまれるとも言ったぞ」

「そ、そうだけど!」


 アリスは一瞬周囲へ気を配り、声を潜めた。


「今までの見られ方と何か違わない ? なんて言ったらいいか……あたし達が物珍しくて見てるって感じじゃない気がして」


 好奇の目線で見られるならまだしも、人々はアリス達を見てはなにやら目配せしたり、囁き合っているのだ。勘繰るなという方が無理である。


「むー……私に言われても。だが確かに敵意は感じられないな」


 そう。敵意、ではなく、これは――……。


「それよりアリス。これ読めるか?」

「え?」

「これ。文字だろ? 私には読めない」


 やけに熱心に石碑を注視していると思ったら自力でどうにか解読しようとしていたようだ。


「えーと、なになに……。栄光ある……誓う……独立の?」

「独立?」

「うーん、要するに、独立記念に建てたって感じでしょ、たぶん」


 おおいにかいつまんで意訳すると、香姫はあからさまに不満の色を浮かべて、


「なんだ。アリスも読めないんじゃないか」


 口を尖らせる。


「違うってば! 読めるわよ、文字くらい。ただなんか文法が古いっていうか、うちの国の言葉とちょっと違うっていうか……」


 正直なところ単語しか理解出来ない。しかし十中八九独立記念碑で合っているだろう。


「文字も天界とは違うのだな……」


 香姫のその台詞にどこか寂しさを感じて振り向くも、続いた言葉はいつも通りの彼女だった。


「で、どうやって王に会う?」


 馬車を降りる前。この先どこへ行くのか、と訊いた香姫へアリスが答えた目的は、「王様と話をする」だった。

 もちろん、ただ城を訪ねたところで門前払いで終わるに違いない。普段ならば。

 では仮に探されている方から出向いた場合、どうなのか。

 だいぶ甘い考えにも思えたが、馬車で出会った人達から受けた王の印象は、話し合いが出来る可能性もあるかもしれない、とアリスに思わせるには充分な心証であったのだ。


「そうね、ひとまずは――」

「ねぇお姉さんたち」

「え?」


 突然かけられた幼い声に、ふたり揃って振り返る。


「こんにちは」


 まだ十歳にも満たないだろう少年が、にっこりと笑っている。


「え……えっと、こんにちは」

「こんにちは?」


 無言で香姫の後頭部をはたく。

 純真無垢な笑顔を浮かべる少年の背に隠れるようにして、さらに年下の少女がくっついていた。顔立ちが似ているので兄妹なのかもしれない。

 身なりから一見して育ちが良いと判る兄がアリスの顔をまっすぐ見上げ、


「お姉さんたち、メルフェスから来たの?」

「――!?」


(なんで知って……!?)


 思わず身構えるアリス達をよそに、少年はさらに尋ねる。


「違うの?」


 アリスは香姫と顔を見合わせた。そこにあるのはお互い困惑の表情だ。

 何にせよ黙りこくったままでは状況が好転しそうにない。少年と目線を合わせるためにアリスは身を屈めた。


「え、えっと……そうだけど」

「やっぱり! じゃあ王様のことも知ってる?」


 顔を輝かせる少年の物言いはどこまでも屈託がなく、害意や悪意は感じられない。余計真意が判らないとも言えるが。


「王様……?」

「そうだよ。この国の王様だよ」


 胸を張って少年は応える。その姿がさきほどの老婦人と重なるも、すぐに別の懸念が頭をよぎった。


(……もしかして、手配書でも回ってるとか?)


 だとすれば、必要以上に注目を浴びていたことも頷ける。


「会いに行く前に捕まりそうだな」


 とどめは香姫の一言だった。

 一瞬にして青ざめる。すぐさまこの場から逃げ出したい衝動をなんとかこらえ、必死にかぶりを振った。


(いやいや違う! 捕まえるつもりなら国境で出来たし、わざわざ王都に来させる意味がないし、それに――)


 もしそうなら、今ここで兵士に取り囲まれていたっておかしくはないのだ。何より、手配された人間に対するものにしては、この少年の態度は腑に落ちない。


「お姉さんたちは、王様を助けてくれた人たちなんでしょう?」


 そう、まるで善人を目にしたときのような――


「って、……え?」


 少年は満開の笑顔で繰り返す。


「王様が、メルフェスでとっても親切にしてもらったから、お礼がしたいって捜してるんだ。今朝お知らせが……えっと、お母様は公示って言ってたかな? あったんだよ?」


 声を弾ませながら少年が指差したのは、広場の片隅にある掲示板。正しくは、そこに貼り付けられた一枚の紙。

 ここへきてようやくアリスは周囲から向けられる視線の意味を悟った。


「……親切になんて、したのか?」

「した覚えもされた覚えもないわよ……」

「お礼だって」

「絶対違う意味のお礼だと思う!」


 冗談じゃあない。これでは建前が違うだけでまるきり指名手配だ。


「やっぱりお姉さんで合ってるよね! わあ、ぼくこんなに早く見つけちゃった」

「よ、良かったね」

「うん! じゃあ、お城へ案内してあげるから早く来て!」


 これを渡りに舟と見るか、相手の一手が早かったと捉えるか悩むところだが、明らかなのはただひとつ。

 この衆人監視のなか、少年の誘いを断れるはずもない。


 ――そして、現在は牢のなかというわけだ。


            *

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