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銀の翼を天使と呼んだ  作者: 早藤 尚
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「あなたは何故神なの?」「それは誰かが神と呼んだから」③

 今にも拍手喝采しそうなおべっかぶりだ。

 対するイェンゼンは相も変わらず無表情だが、その瞳に多少辟易の色が見えるのはサリエリの勘違いではないだろう。

 イェンゼンは彼にしては珍しく眉間に深い皴を刻むと、


「レバッハ侯。そちらの名前で呼ぶのはお止めくださいと何度も申し上げておりますが」

「何をおっしゃる! 素晴らしい名前ではありませんか!」

「ええ、確かに。ここが帝国ならばそうでしょうとも。けれど王国の、しかも王族に生まれた子どもへ『皇帝』の名をつける馬鹿な親がいるかと思うと、すでに墓の下とは言え恨めしく思わずにはいられないのです。私とレバッハ侯はそれほど歳が変わらないというのに、私ときたら至らないところばかりでお恥ずかしい」


 レバッハのおべっかに負けず劣らずこちらも見事な謙遜ぶりである。しかしレバッハはイェンゼンの台詞に本気で気を良くしているあたり、やはり元王族現宰相の方が数枚上手か。

 その一見病人男は静かに目を伏せ、とどめの一言を放った。このうえない美声で。


「あなたのように、身内同士の談笑に厚かましくも乱入出来る豪胆さが欲しいものです」

「……っ!」

「あなたの父君には幼少の頃大変お世話になりましたが、親族同士の話には決して立ち入るな、ときつく釘を刺されていたものですから。ですがどうやら侯はそのような教育を受けなかったご様子。やはり次期国主に擁立されんとする者と諸侯の者では躾に違いがあるのですね。そうそう、どうしてかある時期からぱたりとお出でにならなくなりましたが、父君はお元気でしょうか?」


 口を挟む(いとま)すらもない。

 今度こそレバッハは怒りに顔を染めたが、


「……ち、父上は息災だっ!」


 かろうじてそれだけ言うと、サリエリには目もくれずその場を去っていった。


「おやおや……なんと話し甲斐のない」

「なるほど、それが人付き合いってやつか」


 ケーニヒは冗談めかして口にしたつもりだったのだろうが、応えるイェンゼンは至極真面目だ。


「ええ。陛下はまだまだです」


 わざとらしくため息を吐いたケーニヒを尻目に、イェンゼンはそれでは、と一礼をする。そしてあっさりとその場を辞した。


「相も変わらず、変わった奴だな」

「……慕われているのでしょう」


 各々(おのおの)心持ちは違えど、目の前の青年に尽くし仕え支えるという点においては、サリエリはイェンゼンを同志だと思っている。


「さて、どうだか」


 しかし王は薄く苦笑いを零した。一転すぐに真面目な顔つきになり、サリエリに向かって顎をしゃくる。


「――で?」

「ご報告があります」


 黒鷹隊隊長としての任務はもちろん、常に王のそばにいてお護りすることだが、急いで来た理由は他にもあった。


「……場所を変えよう」


 さっと周囲を一瞥してから、ケーニヒは(きびす)を返す。

 確かに、どこに耳があるかわからないこの場所で話せる内容ではない。サリエリは黙って頷き、鮮やかに揺れる夕焼け色の後を追った。




 執務室の南側は一面硝子張りになっている。外の景色を一望出来るのは良いことなのだろうが、警備の面から見れば手薄だと言わざるを得ない。窓を破って不埒な輩が侵入してきたら、歴代の黒鷹隊達は一体どうするつもりだったのだろう。

 サリエリは常々疑問だった。


(エルの場合は、例外だ)


 体調さえ万全ならば、侵入者のひとりやふたり楽に退けるだろう。その場に自分もいれば、なおさら王に近づけさせるものか。

 しかしその余裕のせいなのか、ケーニヒはしばしばサリエリを撒いて単独で行動することがあった。今日のように。


「……」


 ケーニヒと目が合う。

 彼は執務室に足を踏み入れるなり、ぴたりと動きを止め、まるで何かを問うようにサリエリを見るのだ。


「何か?」


 気配を探ってみるが、不審なものは何も感じられない。


「……いや。何もないならいい」


 呟いて、ケーニヒは首を振った。


「不都合があるならば場所を移るべきだと思うが」

「大丈夫だ。ここで聞く」


 すたすたと歩き、窓に背をあずけてもたれかかる。

 そんなケーニヒを横目に見ながらサリエリは扉の鍵を確認し、


「陛下。もし下に弓兵や魔道士が隠れ潜んでいて機を窺っていたら、どうなさるおつもりですか」


 窓辺に姿を現したケーニヒは格好の的になるというのに。


「サリエリ、お前は俺に一生引きこもってろとでも言いたいのか? 何のためにお前が居るんだ」

「ならばひとりで出歩かれることは止めていただきたいものです」

「それはお前の力不足だろ?」


 痛いところを突かれた。我が身の情けなさに眉根を寄せつつ、まずはするべき報告を行うことにする。


「さきほど、『鳥』が来ました」

「鳥? ……ああ、ブラン家のか」


 そう言って向けられたケーニヒの視線の先には、青空を渡る鳥の群れ。


「ブランからの報告によると、件の人物はまだ国境を越えていないそうです」

「大層なものを持ち出したわりには、状況は芳しくないな」


 鳥達を眺めたまま、ケーニヒは顎に手をかけた。何事か思索しているのか。


「メルフェスに残った部下達は――。……撒かれたようです」


 ケーニヒ達に会う直前、伝令として馬を駆ってきた部下はそれはもう、平身低頭するばかりだったことが思い起こされる。


「ますます芳しくないな」

「……申し訳ございません」

「撒かれたのに、入国していない、か」


 その台詞にサリエリは顔を上げた。まだ報告すべきことが残っている。


「そのことですが」

「――顔ぶれが変わっていたんだな?」

「……よくおわかりで」


 内心驚嘆するが、ケーニヒはたいしたことじゃないと首を振る。


「いいか。あの街道を進んだのなら、未開の地にでも行くんじゃない限り、この国に入るしかないんだ。そして、あの方角から入国出来る門はひとつのみ。ルートが判っているにもかかわらず目撃出来ないってことは、捜してる目的の方に変化があったと考えるのが普通だろ」

「確かに」

「お前、ベルジェに何て伝えた?」

「銀髪、二十歳前後の青年と黒髪で魔道士風の少女のふたり組だと」


 答えながら、口のなかに苦い味が広がっていくのをサリエリは感じていた。


「で、実際は?」

「部下達の証言によると、青年の方は見当たらず、少女は同じ年頃の少女を連れていたということです」

「肝心な方を見失ったか……」


 微かな苛立ちを含んだ声で、ケーニヒは唇を噛む。荒っぽく髪をかきあげると、


「本当に、優秀な部下達を持ったもんだ」


 投げやりに放たれる皮肉にもサリエリは反論の術を持たない。まったくもって面目ないとはこのことだ。

 それからしばらく、ケーニヒは口を開かなかった。片腕を組み、指先を顎の輪郭にそってしきりに滑らせている。わずかに俯いたその表情は、サリエリからは窺うことが出来なかった。

 いくばくか待った後、投げられた台詞がこれだ。


「……『天使』は空を飛んでたよな」

「ああ。そう見えたな」


 空というよりは、宙に浮いて移動していた、の方が正しいと思うが。


「サリエリ。仮にお前が空を飛ぶ翼を持っていたとしてだ。どこかへ行こうとする場合、徒歩を選ぶか?」


 サリエリはしばし黙考した。


「何の支障もないならば、飛んでいくだろう」

「その通りだよ」


 ケーニヒはぱちん、と指を鳴らす。


「飛べる翼があるのに何故わざわざ陸路を行く? そう出来ない理由があるからだ。……案外、それは人間の方なのかもしれないぜ」

「あの少女のことか?」

「仮に。主はあくまでも人間であって『天使』じゃあない、とすると」

「……」


 サリエリにしてみれば一介の人間――しかもあのような年端もいかない少女が、『天使』を連れている、ということの方がにわかには信じ難い。

 ――いや。


(……あるのだろう。そのようなことも)


 ただ自分の価値観では量れないだけだ。

 ケーニヒはまだ何かを考えこんでいる。


「……来るな。ここに」

「さすがに王都に来ることは避けるのでは?」


 言わば敵の本拠地だ。みすみす向こうから姿を現すとは思えない。東ワールゲンはそれなりに広い。たとえ王都を迂回しても充分に抜けられる。

 目的地が国内でなければの話だが。

 しかしケーニヒは強い口調で否定した。


「いや、来る」


 それはまるで()()()()()()()()()かのように。きっぱりと断定する。

 サリエリの眉間に皺が増した。


「そう渋い顔するなよ、サリエリ」


 ケーニヒは宥めるようにてのひらを振り、


「どうせ賭けごとじみた追跡劇なんだ。上手い一手になるか最悪の一手となるか……試してみたって構わないだろ?」

「私がとやかく言えることでもない」


 冷静に応えるが、ケーニヒは面白くなさそうだ。


「嘘つけ。鏡でも見てこい」

「言ったところでエルの意志が曲がるわけもないだろう」

「よく知ってるな」


 笑いながら茶化すその瞳に、しかし楽しげな色などまったくない。その証拠に、次に放たれた台詞はこのうえなく冷徹な響きだったのだから。


「――なら、いちいち顔に出すな」

「……努めよう」


 ひやりと背筋が凍る。

 他の臣下と違ってサリエリがケーニヒに抱く感情は信頼や親愛などであって、臣下というよりは身内のそれに近い。だがそれ以外のものがこの胸の裡に確かに存在することを、ときおり思い知らされる。

 すなわち、自分はこの青年に、紛れもない畏怖を抱いている、ということを。

 そしてそのたびに思うのだ。

 ――彼を主に選んだことは、間違いではなかったと。


「もうすぐ昼の鐘が鳴るな」


 どこか物憂げに、ケーニヒが呟く。


「一手を、指しますか」

「ああ。良い手を思いついたんだ」


 口の端を吊り上げるケーニヒの視線は窓辺に注がれている。洒落っ気のない硝子の向こうで、紫色の蝶が柔らかに舞っていた。


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