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銀の翼を天使と呼んだ  作者: 早藤 尚
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「あなたは何故神なの?」「それは誰かが神と呼んだから」②

「とうとう、着いちゃったわね……」


 ひとりごちて、深く息を吸う。今の気分はさしずめ、売られた喧嘩を買ったようなものか。ちらりと盗み見た香姫の表情は硬い。アリスはその頬を軽く引っぱった。


「ほら! 何怖じ気づいてんの。あたし達も降りるわよ!」

「か、勘違いするな! 誰が怖じ気づいてなどいるものか! ちょっと物珍しかっただけだ!」

「あーはいはい。そういうことにしておくから」

「……! 信じていないなアリス!?」


 そんな掛け合いをしていれば当然というか何というか、降りる乗客はアリス達が最後だった。行き交う人々の邪魔にならないように端へ寄ると、とっくに降りていたらしい老婦人がアリスと香姫に向けて微笑みかけてきた。


「ここでお別れね、お嬢ちゃん達」

「はい! いろいろお世話になりました」

「私こそ、楽しい道中になって良かったわ。お嬢ちゃん達がどこへ行くのか知らないけれど、この大通りから逸れてしまうと案外入り組んでいるから、迷わないようにね」


 私も昔はずいぶん迷子になったのよ、と老婦人は照れ笑いをしてから、別れの挨拶をした。


「さようなら!」


 角を曲がる老婦人の姿が見えなくなるまで手を振る。


(そういえば、名前聞きそびれちゃったな)


 もしもまた会う機会があったなら尋ねてみようと心に決めて、アリスは香姫に向き直った。


「さ、あたし達も行きましょ」

「どこへだ」

「そりゃあ――」



        *



 大通りから横道を入った先に、もう一本の馬車道があった。大通りに比べればいささか狭さを感じるものの、それでも多様な店が連なる立派な通りである。

 老婦人は待ち合わせのものがまだないことを知ると、気ままに歩道を歩き始める。

 ほどなくして、賑わう店先を覗く老婦人のすぐかたわらに一台の馬車が停まった。質素だが見る者が見れば高級な馬車だとすぐに判っただろう。


「お出迎えご苦労様、カミラ」


 なかから手を差しのべる、ふくよかな年配の侍女に対して、老婦人は労いの言葉をかけた。


「もうっ。心配しましたよう」

「ただ実家に顔を見せに行っただけじゃない」


 さきほどまで座っていた乗り合い馬車とは雲泥の差にも思える柔らかな座席へ腰を下ろし、老婦人は向かいへ目を遣った。侍女はまだしかめっ面のままだ。


「私の可愛いリカベルは元気?」

「兄君の方はご健勝であらせられますけども。弟君の方は……今日も朝早くからどこかへ行ったっきりですわ」

「相変わらずねぇ」


 老婦人は楽しげに笑うが、メイドは困り果てたという面持ちで、


「相変わらず、仲もお悪い様子でございます」


 苦々しく言うと心持ちうなだれた。心痛のひとつなのだろう。


「今日はね、土産話があるのよ。楽しい女の子達と仲良くなったわ。久しぶりに賢雄テディウスの劇を観たいわねぇ」

「奥様。今はどこも上演してはいないでしょうよ」


 そんな彼女らのよもやま話を乗せて、馬車は王都の奥、貴族達の屋敷が並ぶ区画へと去っていった。



          *



 遡ること数刻。

 陽光まばゆいホールの片隅に、己の主の姿を認めてサリエリは足を向けた。姿勢は乱さぬまま、けれど急ぎ早に。

 主であるケーニヒは柱に背を預けて腕を組み、顔を背けている。彼にとって何か面白くない話をしているようだ。しかしあの青年は、何事も斜に構えた態度で臨むのが常時であるため、機嫌の良し悪しまでは判断出来ない。


「――」


 陛下。そう発せられるはずだった言葉は、もうひとりの人間により、絶妙としか言いようのないタイミングで遮られる。


「早いお目覚めですね、サリエリ。また無理矢理眠らされてしまったようで」

「……ええ」


 ついさきほどまでケーニヒと会話をしていた枯れ木のような男の台詞に、一拍遅れて頷く。自国の宰相でもある彼へ、サリエリはかろうじて苦笑いと呼べる曖昧な表情を浮かべてみせた。

 するとケーニヒが今気付いたかのようにサリエリを見上げて、


「なんだ、本当に早いな。耐性でもついたか」

「そうだとしたら有り難いことですが」


 苦味を含んだサリエリの返事に、眠らせた張本人は悪びれもせずただくつくつと喉の奥で笑うばかり。どうやら機嫌は悪くないようだが、だからと言って扱い易くなるわけでもないのでそのあたり実に面倒臭い。


「サリエリ。先日渡したあれの効果はいかがでしたか」


 枯れ木のような男――イェンゼンが尋ねる。

 彼の病人かと思わせる青白い顔へサリエリは向き直ると、


「いえ……試す前にやられましたので」

「なんと不甲斐ない。しかしそうですね……確かにそれは盲点」

「お前達何の話をしてる?」


 問うケーニヒへ答えたのは宰相の方だった。


「陛下の奇々怪々な技を防ぐための魔道具を、サリエリに渡したのです。なかなかの自信作だったのですが、次は携帯出来るものに致しましょう。据置型ではどうも役立たずのようですから」

「申し訳ございません」


 滔々(とうとう)と語る宰相と失態を詫びる隊長の姿を交互に半眼で眺めたあと、やがて興が醒めたかのようにケーニヒは舌打った。


「陛下」


 すかさず注意を飛ばす。

 すでに癖になっているのか、何度(たしな)めても一向に直らない。とは言え舌打ちひとつですべての不満や愚痴を済ませているのだから、止めろと言うのも酷な話だが、いかんせん一国の王として甚だ行儀が悪いことも事実だ。

 その当人は冷めた顔つきのままイェンゼンを睨むと、


「お前ももっとましなもの開発したらどうだ。それでも魔道具開発の第一人者か?」

「お言葉ですが……。陛下の御業(みわざ)を防ぐことは魔道具において多大な進歩を促すものになり得ます。魔道具の更なる発展をお望みならば、いっそ陛下ご自身を改良させていただくくらいのことはご協力願いたいところです」

「ふざけたことをぬかすな」

「戯れ言ではありませんよ、親愛なる我が陛下。……まあ、私にしても(えき)を思って魔道具いじりをしているということでもございませんから、ここは一旦引きましょう」


 言葉通り、さして口惜しくもなさげにイェンゼンが一歩引く。その目線がサリエリの後方へ移ると同時に、思わず顔をしかめたくなるようなだみ声が三人を襲った。


「これはこれは! 黒鷹隊の隊長さんがやっとお出でになられましたか!」


 振り向けば、恰幅の良い身体に陽気な笑顔。しかしどことなく粘着質めいた印象を与える、四十代の男がそこにいた。


「レバッハ」

「陛下、ご機嫌麗しゅう。うむ、やはり我が国の王たるもの、かたわらに騎士を控えさせておかないと様になりませんな!」


 レバッハと呼ばれた男はさも愉快そうにがははと笑う。

 その影でイェンゼンがちらりと目配せをした。

 サリエリはちいさく頷く。

 さきほどまで行われていた会議。騎士を随伴していなかった王を、同席した貴族達はさぞかしあてこすったのだろう。容易に想像出来る。


(そうなると、解らなかったわけではないだろうに)


 サリエリが見つめる先では、酷薄めいた微笑を浮かべるケーニヒの姿がある。


「そりゃ良かったな。理想の王の姿にお目にかかれて」

「はっはっは! 理想とは実現してこそ。陛下には我々の期待がかかっておるのですからな!」

 そこで闖入者はいっそう粘りつくような視線をケーニヒに投げかけると、


「是非とも、期待を裏切らんでくださいますよう、お願い申し上げる所存でございます。――ケーニヒ陛下」


 (うやうや)しく頭を垂れてみせた。


「わざわざ来て言いたいことはそれだけか」


 ケーニヒの邪険とも言える言い草にもなんら臆することなく、レバッハは見かけだけは陽気に笑う。陽気だが、見ているこちらは決して明るい気分にはなれない。そんな笑顔だ。


「親睦を深めることは大事ですぞ、陛下。陛下はまだお若い! これから人付き合いの何たるかを学んでいくのも良いでしょう」

「そうだな。四十路で不健康そうなお前より俺の方が余生は長いからな。しっかり学ばせてもらうさ」


 これにはさすがにレバッハのこめかみがひくつくが、彼は即座に気を取り直し次なる標的をイェンゼンに定めた。


「カイザー卿! 今朝も見事な議事進行でしたな!」

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