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銀の翼を天使と呼んだ  作者: 早藤 尚
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そしてふたりは出会う④

 饅頭の代金をきちんと払い終えたあと、アリスについていくがままたどり着いた場所はそこそこに大きな町だった。

 傾斜に合わせて造ったのだろう、緩やかにうねる通りを取り囲んで立ち並ぶ店々はどれも賑わっており、時間帯のせいか空腹を刺激する匂いがあちらこちらから無言でゼロをいざなう。

 充分に傾いた西日が見るものすべてを朱く染め、昼間とはまた違った趣を醸し出していた。

 見たところ飲食店や宿屋が多いようだ。都市と都市の中間で、皆休む場を求めているのだろう。


「……」


 行き交う人の波を物珍しげに眺め、それから改めてゼロは周囲を観察した。

 人、人、人。どこもかしこも人だらけだ。


(当たり前、か)


 ため息にもならない吐息をもらし、そっと視線を落とす。

 綺麗に除草された地面はさまざまな足跡でかたどられている。乾いた土がさらさらと流れてはまた誰かに踏まれていく様子を、ゼロは見るともなしに眺めていた。

 いつまでも未練がましく悩んでいてはいけない。

 考えるべきことは、これから……この先のこと、のはずだ。

 みずからを叱咤する意味もこめてむりやり顔を上げ、前を行くアリスの後ろ姿を見た。


 ちいさい背中だ。しかし迷いがない。

 旅に手慣れているのか、それとも繁華街特有の空気に慣れているのか、その足取りは軽く伸びやかだ。

 そう――彼女と、約束を、したのだから。


(約束、なんて)


 して、良かったのだろうか。

 こんな状態で。

 こんな場合なのに。

 どうしたらいい。どうしたら。さっきからそればかりだ。

 やるべきことは頭で解っているのに、まるで進むことを止めたがるように思考は堂々巡りを繰り返す。

 進むのは、機械的に動かす足、二本だけ。


「ねえ」


 唐突にアリスが振り向いた。

 危うくぶつかりそうになり、つんのめるのをこらえて立ち止まる。


「……どうした?」

「うん、あんたってさー、もしかして結構いいとこの人?」


 どことなく言いづらそうに、彼女の目線は上下左右行ったり来たり。


「……何故?」


 ゼロからすればアリスの頭はちょうどゼロの肩あたりに位置する。不揃いに切られたその黒髪も今は茜色だ。


「んーなんとなく、こういう人混み初めてっぽいし、あとその服」

「服?」


 遠慮もなくつままれたのは、上衣の裾。

 真白い生地に施された銀の刺繍をアリスは指で撫でながら、


「ほら、これもかなり上質の布でしょ? うち商家だからわかるのよ。それにしてはお供がいるわけでもなさそうだし、だいいち徒歩で旅するような格好じゃないもの」

「それは……急いでいて」


 口をついて出た台詞は言い訳にしてもあんまりな出来だった。


「急いでたのに行くあてはないんだ?」


 きっとたやすく看破されている。

 しかしアリスはそれ以上追及せずに、うん、とひとつ頷くと、


「そんな無防備で歩いてたら追い剥ぎされても文句言えないんだからね。あたしと一緒にいて良かったでしょ? ほらほら!」


 朗らかに笑った。


「そう、か」

「だからもっと前向いて歩いたらいいんじゃない? せっかく知らない町に来たんだし、下ばっか見ててもつまんないじゃない」


 それは何の含みもない額面通りの言葉だったのかもしれないが。

 沈みかけていた心を掬うには充分すぎるものだった。


「そうだな」


 きちんと笑みを返せたかは判らない。何しろこれまで笑おうということにすら思い至らなかったから。

 それでも強張った筋肉は多少ほぐれたように思う。

 そして、周りの気配に注意を傾けるだけの余裕も、少しは。


「そうそう、観光気分でいいんだからさ。そういえばゼロってお金持ってるの?」

「いや……持ってない」


 するとアリスはやや逡巡したあと、


「じゃあ安い部屋でいいよね? 調度もそれなりになっちゃうけど」

「俺は構わないから、アリスはちゃんとした宿をとればいい」

「えっ?」

「……え?」


 きょとんと見返されてゼロも同様に目を丸くする。


「……こんな見ず知らずの男と相部屋する気か? 無防備なのはどっちだ」


 これでは人のことなど言えないではないか。

 ゼロは半ば嘆息混じりに肩をすくめるが、アリスは当然だとでも言わんばかりに言葉を続ける。


「見てるし知ってるし節約出来るし得しかないでしょ」

「とにかく駄目だ」

「……わかったわよ」


 こちらが折れそうにないことを察したのか、アリスは渋々了承した。しかしその声音からは納得いかないという主張が聞こえるようだ。

 ――逸らした目線の意味を問われてはならない。今は、まだ。

 町中をさまよわせた視線に、ふと気になる影が入る。

 が、注視はせずさっと首を巡らせるに留めた。


「仕方ないか。そうしたらあのへんかなぁ」


 独り言のように呟いてアリスは通りにいくつも伸びる横路のひとつを指し示す。

 いくつもの看板がひしめくそこは、人通りも多く他の通りよりも繁盛しているようだった。やはり曲がりくねった道路の奥に、赤土色のひときわ大きい建物が見える。あれが今宵の宿だろうか。豪奢ではないが大衆的な趣だ。

 宿のことはさておき。

 日没後を危ぶんでか足早に向かうアリスの背中へ問いかける。


「近辺で何か事件でもあったのか?」

「え?」


 振り返るアリスは心当たりなどまるでないような表情。


「事件て? まさかまださっきの共犯根に持ってるの?」

「いや、それは」


 確かにあれも事件と言えば事件だが。


「そうではなくて……何か町が全体的にぴりぴりしているような」

「んー?」


 アリスは眉根を寄せて首を傾ける。

 気付いていないのか、それとも自分が勘繰りすぎなだけでさしたる異常ではないのか、その判断はゼロには難しい。何せゼロは()()に来るのが初めてなのだから。

 とりあえず、当たり障りのない程度に濁して伝えてみたが、やはり思い当たることはないようだった。


「そろそろ国外れで国境近いしね。トラブルなんて日常茶飯事なんじゃない? あたしの故郷もそうだったけど、自警団が巡回してるみたいだし。その気配、とか」

「ああ……。そうだな、きっと」


 自警団とも、住民ともとれない、ましてや旅人とは明らかに異なる挙動の人影を複数見たことは、今は伏せておく。いたずらに気を揉ませても仕方がない。ここはアリスの土地勘を信じよう。

 ほのかに夜の帳降り始めた夕暮れの路地を、ゼロはアリスの背中追いかけて歩き出した。



          *



 同時刻。同場所。

 夕餉の匂いあふれる通りの一角。土産物屋が軒を連ねるその端で、ひとりの男がそっと佇んでいた。

 フードを目深にかぶった様子から表情や顔立ちは窺えず、丈の長い外套も、彼の身なりを悟らせまいとでもするようにすっぽりと全身を覆い尽くしていた。


「物見遊山もほどほどにしたらどうだ」


 背後からかけられた低い声に、彼は別段驚きもせず応える。


「直に見るのも悪くないぜ」

「ならせめて国境を越えてから」

「馬鹿だなお前は」


 多分に揶揄を含んだ口振りで、彼は忍び笑いめいた吐息をもらす。


「越えてないからいいんだろ。おかげで面白いものも目に出来た」

「面白いもの?」


 問いかける相手の台詞に微か見えるのは、警戒の色。


「目が合った」

「誰……いや、何、と」

()()


 それきりフードの彼は黙りこむ。はなから伝える気など毛頭ないらしい。

 相手の男は慣れているのか、渋面を作ったのは一瞬で、すぐにまた平静を取り戻すと、


「今夜はどうする」

「そうだな……あそこに泊まる。他の奴らにもそう伝えておけ」


 指差された先にあるのは、赤土色の民宿。粗末ではないが、間違っても高級などとは謳われない安宿だ。

 男の心情を察知したのか、フードの彼はとん、と男の胸を叩いた。


「そうかりかりするな。どうせ顔なんて知られちゃいない。気晴らしだと思って付き合え」

「……承知した」


 あくまでもひっそりと交わされた会話はそれから続くことはなかった。

 何故なら、フードの彼は赤土色の民宿へ、相手の男は町の雑踏へとそれぞれ姿を消したからだった。

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