伝承と噂話はそれほど変わらない②
ケーニヒはなるべく無関心を装い、
「どのブランだ? 当主は覚えていない。兄と弟なら判るが。それがどうした」
「弟の方です。ベルジェ・ブラン」
今度は足を止めた。無言で振り返る。
イェンゼンの表情は起伏が乏しい。現に今もほぼ無表情だ。
褪せたような色調のなかで唯一鮮やかな蒼海色の双眸が、静かに問い質す。
「――何か、言いつけましたね」
ケーニヒはわずかに片目をすがめた。
目の前の男の語調は決して波立つことがない。いつでも恐ろしいほど平淡で、そのくせ雄弁だ。
そして、すこぶる勘が良い。
同じ年長者とは言え黒鷹隊の隊長より遥かに扱い難いこの男を、しかしケーニヒは絶対的なところで信用してもいる。
ただ、真意を量りづらい。今に始まったことではないが。
ケーニヒはちいさく諦観の吐息をもらした。
「……野暮用だ。気にするな」
「お答えいただければ以後気に致しません」
即答である。
げんなりと半眼で睨むケーニヒなど意にも介さず、イェンゼンは歩を進め、自身の主と並び立つ。差し込むきららかな光を眩しそうに――本当に眩しそうに見上げ、
「私を宰相に任命したのは他でもない陛下ご自身。のけ者にされてはさすがの私も心が痛みます」
「宰相は国のための仕事だろ。今回は俺個人の私用だ」
「黒鷹隊だけならいざ知らず、ブランまで使って?」
投げかけられる鋭い視線に少しもひるむことなく、ケーニヒは足早に廊下を進む。
「血族より長年王に仕えた忠臣の方が信用に足りますか」
「家なんか関係あるか。たまたまあいつが手空きだっただけだ」
ややあって、そうでございますか、と抑揚のない声だけが返る。
そのまましばらく、お互い口を開くことはなかったが、広間へ通じる扉の前に至るとイェンゼンはおもむろにこんなことを呟いた。
「ブランは昇進する気がないのでしょうか」
ケーニヒは気怠げに扉のノブに手をかけ、
「ベルジェのことか? また脈絡のない話だな」
一気に押し開く。冷涼な風がふわりと舞い込んだ。それとともに、かすかな喧騒。これから繰り広げられるであろう応酬を思うと自然に寄る眉根をそのままに、ケーニヒはがらんとした広間を見渡した。
その横にイェンゼンが並ぶ。
「脈絡なら多少ございます。難儀な陛下のために僭越ながらご説明致しましょう」
やや慇懃に、イェンゼンは胸に手を添えると、
「彼は記録を見る限り士官学校を首席で卒業しているのですが、いざ軍に配属されてから現在に至るまで、めっきり昇進に縁がありません。名門ブラン家の出であるにもかかわらず」
「それでもあの歳にしたら良い階級だ」
「ごく一般の軍人ならばそうなのでしょうが。首席卒業、そしてブラン一族ともなれば、今頃は若き将校として名を馳せていてもまったくおかしくないのですよ。彼の、兄のように」
ケーニヒは髪をかきあげた。
「……やる気がないんだろ。それに俺は、家柄だけで優劣はつけないからな」
応えながら、人懐こそうな微笑を浮かべた青年の姿を脳裏に思い描く。
確かに、飾り気のない軍服にその身を包んでいるより、上流階級の貴族然とした華やかないでたちをしているほうがよほど似合いそうではある。
彼の甘い蜂蜜色の髪と、昔は冴え澄んだ金だったのだろう、隣に並ぶイェンゼンの飴色の長髪を束の間比べ、そして窓硝子に映る己の容姿へとケーニヒは冷ややかな眼差しを向けた。
ごく微細なその挙動が、宰相の目に留まることはなく。何事もなかったかのように会話は続いた。
「ええ。陛下はそうでございましょうとも……。ですが、先代陛下の時代からあの調子のようですから」
なるほど、と胸中でごちる。
確かにあの家柄至上主義のもとでなお、昇進知らずだったのなら、現場での評価が相当悪かったのか、そうでなければ意図してそう立ち回ったか、だ。
ケーニヒ自身は、どこか憎めないあの青年を優秀な人材だと思っている。
「実際、ブラン家でも手を焼いているとかいないとか」
「……」
イェンゼンの語り口はまるきり他人事といったてい。
「自ら派遣願いを出すほどだった人間が、代替わりした王の勅命に率先して動くとは、さて如何様な心境の変化があったのだろう……と。結論は推測出来るのですが、そこまでに至った経緯に興味を引かれます」
「俺に言うな。本人に聞いたらどうだ」
「もちろんそう致しますが、額面通りに受け取られては、いささか困りますね、ケーニヒ陛下」
「……何が言いたい」
睨めつけたところで相変わらずの無表情は揺るがない。
「察してはいただけないのですね。――聡明なる我が国王陛下」
つまるところ、厭味か、でなければあてつけなのだろう。
彼の与り知らぬところで動いたことへの。
「案外妬み深いんだな」
「――まぁ」
さも心外だというように目を剥いてみせるイェンゼン。
それを見て、自分の側近は誰も彼もひねくれた人間ばかりだと、ケーニヒは心中毒づいた。軽く舌打つが、それを窘めるお目付け役は不在だ。
ふと思い立ち、何気ない口調で尋ねる。
「……イェンゼン。お前は神というものを信じるか?」
「いいえまったく」
「神による奇跡も、忌呪も」
「陛下の仰せならば月をも手折りましょう」
交わされたのは、東ワールゲンに古くからある問答句のひとつ。
あまりにもあっさりとしたその返答ぶりに、年若き王は口の端を歪めて笑んだ。
「はっ。本当にお前は変人だよ。東ワールゲンは――いや、ワールゲン王国は、神の国だってのに」
「恐れ入ります」
頭を垂れるイェンゼンのぱさついた髪が、はらりとなびく。どこからか風が入ってくるのか。
広々とした吹き抜けのホールを見下ろすように吊るされているのは、月を模した豪奢な飾り燭台。鎖に見立てた硝子の装飾がきらめかしい。
この国では照明器具に月を象ることが習わしではあるが、まるで月を捕縛したかのようなそのかたちをケーニヒはあまり美しいとは思えなかった。愚かな迷信に固執する、自国の重鎮達の姿が重なるせいかもしれない。
(――俺も同類か)
なんてことはない。
迷信も伝承も、そして信仰すらも。興味のない人間から見れば、それらに囚われて右往左往する者達は等しく十把一からげであるのだろう。それが事実だ。
(だが真実じゃあない)
まさにその迷路のなかに居てこそ、知ることが出来るものがあるはず。
――違う。
知るためには、居なくてはならない。
すべての欠片渦巻く中心に。うねる混沌のただなかに。
踏み出す足が鳴らす靴音は鋭く高らかに空気を刻み、王の来訪を知らせる。
ホールを横切ればそこにあるのは目的の部屋。
ケーニヒ自ら手をかける前に、イェンゼンが銀縁の扉をしずしずと押し開いた。
居並ぶ顔ぶれが一斉にこちらを見る。奥行きのある室内。長々と鎮座する卓。まばゆい日差しが生む逆光のせいか、今が朝であることを疑いたくなるほど蒼茫とした室内は、まるで澱んでいるよう。
そんな光景にちいさく鼻で笑い、ケーニヒは毅然と背筋を伸ばした。
「――ご機嫌よう皆様。空澄み渡る、良い朝ですね」
艶のある声音でさらりと刺を刺す。薄く浮かべられた微笑に温かさなど微塵もなく。
朝の白い光とは似ても似つかぬ鮮やかな夕焼け色をなびかせ、東ワールゲン当代国王は、会議の卓についた。
*
遠く鳥の声を聞き、その青年はまだ薄青い空を見上げた。
きらめく光にいっそう輝きを増すのは、深い蜂蜜色の髪。すっきりとした輪郭に、端正な目鼻立ち。どこか凍てついた瞳は、映しとったような空の色で。
その薄青に、黒い点が走る。
一羽の鳥だった。
滑空するそれは一見黒に見えたが、実際は灰霞む黒なのだということを青年は知っていた。背に一筋の白縞があることも。
通常の生態系には属さない鳥。
それは、彼の家に下賜された魔道具、告鳥だ。
「……」
滑るように降下する、その方角を見て青年の眼差しが険しいものへと変わる。
「――急用が出来た。俺の代理が来るまでしばらく待機」
少し離れた場所に控えていた兵士へ告げて、彼は足早にその場を立ち去る。
翻すのは明るい紺青色の軍服。いくつもの飾りがついた徽章を胸に輝かせ、青年――リカール・ブランは王城へと向かった。




