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銀の翼を天使と呼んだ  作者: 早藤 尚
32/75

誰でもいいから俺の話を聞いてくれ

「せっかく来てもらったのにほったらかしてごめんね。――それじゃあ始めようか」


 良質な長椅子へ深く腰かけて、火神の第一使徒はにこやかにそう告げた。彼にぴったり寄り添うように、無言の少女が隣に座る。

 ここへきて初めて、ゼロは落ち着いて周りを見回すことに成功した。

 広い部屋だった。広間と言ってもいい。天井も高い。真白い壁の天井近くには、火神の紋様が透かし彫りにしてあり、それらは日を浴びてみな淡い金朱に色づいていた。向かって正面と、左隣の壁には大きな窓。そよ風を受けて揺れるカーテンから薄く覗くのは、白い空と大輪の花々だ。本来の通用口たる扉は右後方にある。さきほど目にした限りでは、そちらもまた絢爛豪華な造りであった。

 何もかも、大違いだ。

 ゼロの主が住まう朱夏宮(しゅかきゅう)とは。朱夏宮はもっとこぢんまりとした造りだし、これほど装飾過多でもない。庭の植物ひとつとっても、(おもむき)の違いは歴然だった。そして主の性質、ひいては使徒の性格も。

 ゼロは火神と火神に属する者達がいささか苦手だった。

 もちろん、この――、一見人当たりの良さそうな笑みを張り付けた黒衣の青年も。

 一呼吸置き、その彼へと注意を戻す。

 優雅に脚を組んで座る火神使徒との間を隔てるものは、形ばかりのティーセットが用意されたローテーブルだけだ。

 東雲(しののめ)が口を開いた。


「本来なら我が火神様が話をするところなんですが、あいにくユリウス様は頭に血がのぼって血管ぶち切れそうだとおっしゃってますので、代わって僕が話を進めます。それでいいね?」

「ああ。構わない」


 ゼロは言葉少なに頷いた。

 火神のことが苦手なのは単純に反りが合わないからだ。だが、もしかしなくとも彼の方がずっとやりやすかったのかもしれない。

 考えてみれば、ゼロは東雲と挨拶以上の話をしたことがなかったように思う。

 東雲が確認するように、手を胸にあてた。


「ところで僕のことは知ってるよね?」


 無言で頷く。

 東雲は次に、彼の左向かいに座る人物――ゼロから見れば右向かいだ――に手を遣った。


「火神ユリウス様も知ってるね?」

「……もちろん」


 再び頷いた。

 東雲の言葉通り、火神は憤懣(ふんまん)遣る方ないといった面持ちで、ひたすらただ一点を見つめていた。おそらくゼロを見ないようにしているのだろう。普段は長く艶やかな黒髪が今は乱れており、憤怒の表情にいっそうの凄みを増している。


紫鳩(しばと)くんも判るね。紫鳩くんが名乗るまでは誰だか知らなかったみたいだけど」

「え、あ、いや……」


 口ごもってゼロは紫鳩を盗み見る。

 火神とは反対側の部屋の隅っこで、膝を抱えて丸くなっている少年。哀愁が漂うその背中は、何故かやたらちいさく見えた。


「で、この子は三番めの使徒で、(さきは)と言います。よろしくね」


 と、いまだ一言も喋らない少女の肩に、東雲は手をかけた。それでもなお少女は無表情で、まるで人形のようだった。


「それじゃあ本題に入ろうか」


 ゆったりと脚を組み替え、東雲が薄く微笑む。

 なんとなく居住まいを正して、ゼロは真正面から黒衣の使徒を見据えた。


「そんなに気張らなくてもいいけどね。……そうだなあ、こちらはこちらで君に話があるけれど、――君の話を先に聞こうか。そっちの方が手っ取り早そうだ」

「俺の、話……」


 そう、と黒衣の使徒が爽やかに微笑む。


「君は僕らに話すことがあるはずだ。僕としては、それを是非拝聴したいね」

「話すことは……」


 ――ある。

 それは確かに、あるのだが、目の前の彼が所望しているのは果たしてこのことだろうか?


(……やっぱり、やりづらい……)


 胸中でごちて、ゼロは東雲を観察する。

 あいにく、好青年然とした笑みを浮かべるその表情からは何も窺い知ることは出来なかった。

 わずかに眉をひそめる。

 ……どうも、見透かされているような気がしてならない。ゼロは反射的に目を伏せた。一筋縄ではいかない、とはまさにこのことだ。

 けれど。


(俺がするべきことは、変わらない)


 目を閉じて、精神を落ち着かせる。


(――大丈夫。もう迷わないと、決めた)


 ゆっくりと、閉じた双眸を開く。


「……俺は、」


 顔を上げて東雲と向き合う。相変わらず、黒衣の使徒は真意が窺えない表情をしている。


「俺は、罪を犯した。それは事実だ。でも、もう逃げたりはしない」


 その言葉に、火神がぴくりと身じろぎする気配を感じつつ、ゼロは続ける。


「だから、俺を追うのを止めてもらいたい」

「それはまぁ、君が逃げなきゃいいだけの話だね」

「もう逃げたりはしない」

「……ふぅん。ま、いいでしょう」


 そう言って肩をすくめる東雲は、心なしか残念そうな面持ちで、やはり彼が真に聞きたかったのは別のことなのだと、ゼロは確信した。


(俺から何を聞きたいのかは知らないが、……事実は変わらない)


 そう。――変わらないのだ。


「……火神には、もうひとり……使徒がいるだろう。今、人間界にいる――」

「ああ。香姫(こうき)だね。なるほど、あの人間の女の子を巻き込みたくないのかな」

「そうだ」

「そうだねえ、一応、不干渉が基本だからねぇ……」


 そこで切ると、東雲は沈黙していた火神に話を振った。


「――と、いうことですが。どうしましょうかユリウス様?」


 問われた火神は、その凛々しい眉を最大限に寄せ、無言のまま立ち上がってゼロを見下ろした。

 ゼロも席を立ち、真っ向からその視線と対峙する。


「……謝罪だ」


 低い、しかし苛烈さを秘めた声音で、火神が言葉を放つ。


「罪を犯したことを認めるのならば、この場で謝罪しなさい」

「……それで許されるのなら、俺は何度でも謝罪する。……でも、――あなたに謝る謂れはない」


 火神はたじろいで目を剥いた。


「俺が許しを請うのはただひとり、朱夏神エリアーデ……その人だけだ」


 静かだが芯の強いゼロの台詞に、火神はぐ、と呻いたが、すぐに気を持ち直す。少々苛立ち気味に、


「――なら! これからすぐにでも朱夏宮に赴いて――」

「それも出来ない」


 首を横に振り、きっぱりと拒絶の意を示すゼロ。

 またもや出端をくじかれた火神は、ぴりりと眉を跳ね上げた。


「なんなんだ! あれも出来ないこれも出来ない、では何もまとまらぬではないか!」

「それは――……」


 何かを言いかけ、しかしうつむいて逡巡する。

 そんなゼロの様子を、火神だけではなく東雲と紫鳩、つまり幸以外の全員が注視していた。

 三対の視線を浴びながら、それでもゼロは迷いをふっ切って言葉を続ける。


「約束、したんだ。一緒に行くと、……彼女に」


 人間界で出会ったひとりの少女。

 いつも前向きで、こちらがびっくりするほど明るくて。

 自分は彼女に迷惑ばかりかけたと思う。そしてそれは、今も続いている。迷惑をかけたまま、放り出してきたのだから。


「……あなたが俺を許せないと思うのは理解する。俺は別に許されようとは思っていないが、主様に――エリアーデ様には、会わなきゃならない。どんな償いもする気はある。何年でも、何百年でも。

 ――ただその前に、アリスとの約束を果たさせてほしい」


 決然たる口調で、ゼロは火神に、その場にいる全員に告げる。


「だから俺は、もう一度人間界へ行く」


 しばし、余韻が響いた。

 誰もが口を閉ざすなか、沈黙を破ったのは火神の強張った声だった。


「それはお前の身勝手だ」

「充分承知しています」

「私は行かせないぞ。信用ならん」

「俺はあなたに従う理由はない」

「なんだと――!?」


 勢いあまって火神は腕を振り上げ――


「ユリウス様。ここは落ち着いて」


 低く静かな、だがよく通る声が火神の昂りを諌めた。主の腕をつかむその先で、黒衣の使徒はお決まりの薄い笑みを相貌に浮かべた。

 火神はその手を振りほどこうと、


「だが東雲! これでは……!」


 憂い顔で自分の使徒を見返したが、当の東雲は、火神と目が合うなりにまりと口の端を吊り上げた。


「――そのことでちょっとお話が」


 そして火神とふたり、ゼロに背を向けて何やらこそこそと話し始める。

 あからさまに怪しい。

 だがゼロはその様子を、ただただ見つめるしかなく、棒のように突っ立ったまま困惑していた。


(いや……、でも問題はない。何と言われようと、俺は人間界に戻る)


 ひっそりと、しかし力強く拳を握る。


(何もかも放り出したままで、主様には会えないからな……)


 脳裏に日だまり色の髪が揺れる。優しい木漏れ日のなかで、記憶のなかの主が、こちらを振り返る……ゆっくりと――


「うわ、すっげー暗いカオ」


 急激に呼び戻されて、ゼロはしばし呆けた。頭が覚醒するより先に、視覚が枯れ草色の髪の少年を捉えた。

 いつ復活したのか、気付けば隣に紫鳩が立っていた。

 彼は嫌なものでも見るような目つきで、


「人生のどん底って感じじゃん」

「…………」

「な、なんだよ!」

「……いや」


 むしろさきほどまでの紫鳩の方が、よっぽど人生のどん底のように見えたとは、言えない。

 紫鳩は納得のいかない顔をしていたが、それ以上言及はしてこなかった。

 代わりに、気安く訊ねる。「お前さぁ、なにしたの?」と。


「え?」

「だからー……」


 と、そこで紫鳩は声を潜め、ゼロに耳打ちをする。


「なんか怒られて追われるよーなことしたんだろ?」


 知らないのだ。

 ゼロの罪状を。

 それは幾分気が楽なことのように思えた。


「――ああ。酷い、ことを……言ってしまったんだ」

「ふーん」


 自分から訊いたわりに、紫鳩の関心は薄かった。彼にとってはそれこそ世間話程度の認識なのだろう。その証拠に紫鳩はもうゼロに興味をなくしたようで、己の主と同属へと視線を向けていた。

 火神と東雲、ふたりはまるで悪だくみでもしているかのように背を丸め肩を寄せ合っている。

 ぽつり、と紫鳩がこぼした。


「お前が何したか知らないけどさー」

「……うん?」

「たぶんあいつ面白がってるだけだぜ」


 あいつ、とは東雲だろう、おそらく。


「あんま信じるなよ。あいつの言うことたいてい嘘ばっかだし」

「おや。どのへんが?」

「そりゃ全部だよ全部……、――うあぁぁぁ!」


 紫鳩の行動は実に素早かった。

 驚いて飛び上がると獣じみた動きでゼロの背中に隠れる。しかし目だけは油断なく相手をねめつけていた。


「……俺が嫌いなんじゃなかったのか?」


 意地悪くそう言ってやる。だが枯れ草色の髪の少年は酷く真面目な顔で、


「嫌いに決まってんだろ」


 と言い放ち、次に問題の声の主を指さすと、


「でもあいつの方がもっと大嫌いだ」


 きっぱりとゼロに告げた。

 どう反応すれば良いか判らず、ゼロは指さされている本人を見遣った。

 本人――東雲は、至って涼しい顔でこちらを面白そうに見ている。紫鳩の言など気にも留めていないようだ。

 背後に火神もいることを見ると、内密の話し合いはどうやらまとまったらしい。


「さあ、どうぞ座って」


 相談していたのは十中八九自分に対する処遇で間違いない。

 問題は――どんな話が来るか、だ。

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