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銀の翼を天使と呼んだ  作者: 早藤 尚
31/75

きみをたずねてどこまでも④

「そっち?」


 ゆっくり(かし)いだ首に合わせて、彼の金(こま)やかな髪が揺れた。微笑を浮かべてはいるが、その声音には確かな疑問符が感じられる。尋ねた兵士にしてみれば鉄槌の合図にでも見えただろうか。さすがに頬を冷や汗が伝った。

 しかし事態は予想外の方向へ転ぶ。

 ベルジェはにっこりと笑みを深めると、


「美しいものはみんな好きです」


 考えようによれば恐ろしい発言をした。そして思い返したように顔を窓へ向ける。


「ついつい目を離してしまいました。どうもケーニヒ陛下のこととなると他に目がいかなくて」


 いささかばつが悪そうに髪をいじるベルジェをふたりの兵士が思い思いに見つめる。さすがに、「別人かと疑いたくなるほどの変わりぶりでした」とは言えない。言えないが、心のなかではしっかり思った。


「特に変わったことはないですよ。ああ、でもさっき、変な服を着た女の子が通りましたね。舞台衣装って言ってましたけど」


 本隊とはぐれたらしいけど平気かなぁ、と兵士は呟いた。


「珍しい服?」


 訊き返して、ベルジェは窓から身を乗り出した。国内の方角へ目を凝らす。


「ええ、なんか細かい模様の入った鮮やかな服で。こう、なんて言うんですか、帯?で締める感じの。でも女の子だったし、連れの方も同じ年頃の女の子だったんでそのまま……」


 もしや自分の判断は間違ったかと、内心冷や冷やしながら兵士はベルジェの顔色を窺った。

 だが当の青年は視線を外へ向けたまま、訝しげに眉をひそめているばかり。

 ふたりの兵士は顔を見合わせた。


「どうかしましたか?」


 そばかすの兵士が訊く。


「いえ……何でもありません。ちょっと、知り合いに似た方を見まして」


 でも他人の空似ですね、とベルジェは苦笑う。室内に視線を戻し、


「東ワールゲンにいるはずのない人ですから」


 にっこりと笑顔を浮かべる青年士官に、兵士達は揃って曖昧な返事をした。


「それにしても……だいぶ陽も昇りましたが。(くだん)の人物、現れませんね。本当に我が国を目指しているならそろそろでしょうに」


 腕を組んで首を傾げる。


「とりあえず陛下へご報告申し上げるべきでしょうか……。その間、お願い出来ますか?」

「そりゃあもうお任せください! ――って今からお城戻るんすか!?」


 部屋を出て行こうとするベルジェをそばかす兵士が慌てて呼びとめた。ここから王都へは馬を早駆けさせても相当の時間がかかる。ベルジェは早朝に国境へ到着したが、それはつまり彼が真夜中に王都を発ったからにほかならない。

 だがベルジェはさして気に留める様子もなく、


「いいえ。あなた方も耳に挟んだことはありませんか? 国王からの誉れの証――魔道具の噂を」


 そう言って、胸の記章へ手をかけた。

 それは赤銅色の鳥の形をしていた。

 記章とは階級を識別するための留め具である。この場にいる兵士達や下級の者は各色の刺繍があしらわれた布を縫い付けるだけだが、階級が上がるにつれて記章は金属製の細工へと変わり、装飾も華美になっていく。褒章や勲章の類いとは異なるため、人によってはきらめかしいほどの徽章を身に付けることもあった。

 また、識別章である、故に東ワールゲン軍の人間は入隊時にそれらを覚えることが必須事項だ。

 だがどちらの兵士もその記章に見覚えはなかった。


「魔道具……って魔道の力を組み合わせて作られた機械のことっすよね? 王都はそこらじゅうに魔道具があるって聞いてます」

「ええ。わかりやすいところで言うと外灯などがそうですね。火の灯りとはまた違った趣で、王都の夜は美しいものです。――その昔、褒賞として珍しい魔道具が下賜される時代があったのだとか。賜るのは個人でも、それらは言うなれば家の誇りです。なかには残念ながら絶えた家もありますが、我がブラン家のように、今も受け継いでいる家もある、ということです」

「すごい! ブラン少尉すごいっす!」


 手放しで誉めそやされベルジェはやや眉尻を下げた。


「すごいのはブランの家で、私ではありませんが……」


 しかしそばかす兵士はしきりに「少尉すごいっす!」を繰り返す。

 ベルジェはますます困惑し、彼にしては珍しく曖昧な微苦笑を浮かべた。

 するとかたわらで帳簿をめくっていた別の兵士が手を挙げ、


「その魔道具を使って王城まで戻られるんですね?」

「ええ。そう言って差し支えないでしょうね。実際に能力を披露してさしあげられないことが実に残念でなりません」


 と、ベルジェは無念そうに肩をすくめた。



         *



 国境の町から王都マルキスへは徒歩で約一日半。乗り物を調達出来れば約半日……と、故郷に来ていた行商人は教えてくれた。国の規模に対してそう遠くないのはたまたまメルフェス側の国境が王都から近いだけだろう。故にこちら側から国を抜ける、ないし他の市街地へ赴くには当然王都へ寄った方がなにかと便利だ。交通の便も整っているし物資の補充も出来る。

 東ワールゲンは王都を中心として造られた国なのだ……とは、父親の台詞だったろうか。

 なんにせよ問題なのはうかうかしていると日が暮れる、ということだった。さすがに二日続けて野宿は遠慮したい。

 アリスは手持ちの荷物を確認して、次に周囲へと視線を遣った。

 静謐な早朝の空気は早々と薄まりつつあり、さきほどまで閑散としていた通りのあちらでもこちらでも軒先から幌が広げられつつある。きっと昼にもなれば行き交う人々と店々の呼び込みでたいそう賑わうのだろう。整然と敷き詰められた色とりどりのタイルへ目を落とすと、自分のつま先が見えた。どこへ向かうかいまだ決めかねている、そんなつま先が。

 ひとまずは場所を変えなくてはならない。こんな大通りの真ん中で立ち止まっていては香姫(こうき)が目立ちすぎて仕方ない。これからますます人目も増えるというのに。

 どこか建物の陰へ行こう、と声をかけようとして、気付いた。


「ねえ」

「なんだ」

「何……してんの?」


 見れば香姫は立て看板の陰に身を隠しながら首だけを出してしきりに、通りの(まる)く開けた場所――広場と言うにはやや狭い――を窺っていた。衣装がとか言う以前に怪しい。挙動からして怪しい。


「アリス、あれは何だ!?」

「どれ? って……あれのこと?」


 そばへ行ってその背中に寄り添う。はたから見ればふたり揃って挙動不審者だ。確認のため指差して尋ねるとこくこく頷いた。

 それはアリスから見れば充分に立派な荷台を牽いた驢馬(ろば)だった。


「うまか! あれがうまだな!」

「はあ? あんた馬見たことないの?」

「見たことはないが知っているぞ!」


 香姫は得意気に胸を張り、


「王子が乗ってくるやつ!」

「何その偏った情報は」

「だってそうだろ?」

「合ってなくもないけど! でもあれは違うの、馬なんてお金持ちか偉い人しか持てないんだから。あたし達庶民は驢馬(ろば)に乗るの。驢馬(ろば)だけど馬車って言ってまあ、乗るは乗るけど一定料金払えば誰にでも乗れる公共の乗り合い馬車で――」


 とそこまで説明したところで、はっと口を閉じ、アリスは馬車を凝視した。()いでまた懐具合を確認し、再び馬車へ視線を転じる。そしていまだ物珍しそうに驢馬を見つめる香姫の肩をむんずとつかんだ。


「なっ――」


 もがく香姫を物陰まで引きずり、勢いよく壁へ押し付ける。


「何をする!」

「聞いておきたいのよ」


 アリスより小柄な天使はその双眸にささやかな怒りの色を燃え上がらせたが、かけられた次の問いに目を丸くしてこちらを見上げた。


「あんたはこれからどうするつもりなの?」

「どうする、とは? ――お、置いていかれたら困ると言ったじゃないか」

「そうよ。でもあたし気付いたんだけど、確かにあんたもあの軍服達から追われる立場になっちゃったかもしんないけど、でも、あんたは自分の世界に――天界に帰ればいいだけじゃないの? 任務があるにしてもこのままあたしと一緒に行くよりいったん帰ってまた来るとか、まだましな方法がいくらだって、」


 早口でまくしたて、息を吸ったところで香姫がうつむいていることに気付く。


「……言ったじゃないか。知らない世界の知らない場所だと、言ったじゃないか」


 こころなしか答える声もか細い。


「私は帰れない。帰るための力がないし……」

「帰るための力? ってなにか特別なものなの?」

「そうだ。父様から(たまわ)る転移術だ。人間界へ行く、許可の証だ。私は――黙って、来た、から」

「じゃあどうやって来たのよ」


 さらに詰め寄ると目に見えてうろたえ、


「そ、それは……(みち)を……」

「みち? えっ、歩いて来れるもんなの?」

「天界から人間界へ抜ける通り(みち)が、ある」

「そんな道初めて聞いたわ」

「人間界側からは手順が必要なんだ。迷って入れる径じゃないからな。でも、誰でも通れる」

「その道を通って来たと」


 綺麗な黒髪を結い上げた頭がこくりと縦に振れた。


「なあんだ。じゃあ帰れるんじゃない」


 アリスの台詞に今度はふるふると首を横に振る。


「帰れない! だってあそこは……なんか暗いし……怖いし……とにかく通りたくないんだ! それにあそこから帰るにはまた向こうへ引き返さないといけないんだぞ!? あの軍服達と会ってしまうじゃないか!」

「それもそうね」

「だからお前と一緒に行く! そしてゼロを見つけるしか私にはないのだ! 別れると言われてもついていくぞ」


 香姫はふんっ!と鼻先をそむけた。これでは脅しているのか頼み込んでいるのかまったく謎だ。


「あっそ。じゃあこの先は一蓮托生ってことね。わかった、あたしもそのつもりで行くわ」


 すなわち香姫の危機は自分の危機も同様と思わなくてはならない。

 ――ゼロを見つけるまでは。

 まだしばらく、この共闘状態は続くようだ。


「そうと決まれば」


 アリスはもう一度香姫の肩をつかむ。ひっ、とちいさい悲鳴をあげて怯む香姫をまたぐいぐい引っぱり、再び通りの中心へ出た。


「待ってー! それ乗ります!」


 手を振って声かけた先は、今まさに手綱を引こうとしていた馬上の御者だった。


「ほらあんたも急いで! あれは王都行きなのよ!」


 事態が飲みこめないまま戸惑う香姫を急かし、アリスは馬車へ乗りこむ。遠く霞む山々が背負う朝日は、国境の町を柔らかく照らし、アリス達を見守っていた。


          *

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