きみをたずねてどこまでも③
「突然の帰還命令だったので驚きました」
窓の向こうへ油断なく目を遣りながら、ベルジェは苦笑った。
黒髪の少女と銀髪の青年、と頭のなかで繰り返す。見過ごすわけにはいかない。詳しい事情までは聞かされていないが、敬愛してやまない陛下からの直々の任務。全身全霊をかけて遂行しなくては。
「それはまた、何で?」
「帰還の理由ですか? 新王が決まるというので、実家から軍経由で召集されました。我が家は代々軍人として王に仕えているせいか、そういった節目には父が必ず召集をかけるのですよ」
先代のフリッツは長らく肺を病んでいた。彼は結局、己が死ぬまで王位を手放さず、あれをこそ強欲と言うのだろうとベルジェは思う。
意識を外へ向けながら、ベルジェは会話を続ける。
「礼節を重んじるのは良いのですが、いささか困った父です」
おかげで派遣先から慌ただしく帰還するはめになった。
しかしケーニヒが次の王になる瞬間を目にすることが出来たのだから文句は言えない。彼がいなかったら真の愛国心など持ち得なかっただろう。
そばかす兵士が嬉しそうに声をあげる。
「でもその時期なら、戴冠式見れて良かったじゃないすか!」
――戴冠式。
ベルジェの脳裏に、当時の情景が鮮やかに甦る。
『――俺は正式な法に則り王位を継承した。化け物? 簒奪者? 好きに呼ぶがいい。それくらいはおまえ達の自由だ。俺を引きずり下ろしたけりゃやってみな。
だが今日から俺が王だ。俺がおまえ達の頂だ。
俺が――東ワールゲン第十三代国王だ』
うつくしく、力強い言葉だった。
真っ赤に燃え上がる言葉だった。
それでいて、おそろしく――つめたく。
夕陽に焼けた空と同じ色が、赤い飛沫を撒き散らした。
その場の誰もが畏怖を覚えた。
だがベルジェが感じたのは――
*
門を抜けてすぐ、街道脇に建つ灰色の建物を見て香姫が尋ねた。
奥に立ち並ぶ民宿や土産物屋とは一見して趣の違う、飾り気のない外観。およそ生活感のない四角い箱に、これまた事務的な台と窓口が広く開いており、手前に座る若い門番のほか、なかからは複数人の話し声が聞きとれた。
「そこは何だ?」
「詰め所、よ。国境だもん、防衛とか、情報収集だとか、あと徴税のために役人が配置されるのよ。メルフェス、ってそっちの国の名前だけど、メルフェスはそのへん厳しくないけど、この国はどこの門もこうみたい」
「敵ではないのか」
「今のとこは、ね。そう早く情報が回るもんかしら……とにかくおとなしくしてて」
小声でそう香姫へ告げ、窓口へ近寄る。勝手に通り抜けることは出来ない。そんなことをすれば即捕縛扱いだ。
内心鼓動を速めながら広く開いたそこを見上げた。床があるぶん、あちらの方がやや高く、成人男性ならまだしもアリスくらいの背丈だとちょうど目線の高さが窓口の帳簿台だ。
「入国の目的は?」
「旅行よ」
「商売は?」
「日銭くらいは稼ぐわ。……芸人の一座なの」
「ふたりだけで?」
「本隊とはぐれたの。とりあえず目的地に向かってる」
矢継ぎ早に投げられる問いへ当たり障りなく答えていく。あくまでも普通に、疑念なく抜けなければいけない。
「目的地とその滞在期間を」
「王都、よ。期間は……その、座長が決めるからわからないけどそんなに長居はしないと思う」
「短期滞在、……と。出国はどちらへ予定を?」
「ソルダリルの方」
「北へ」
復唱しながら、門番は記帳していく。
国境での尋問内容はどの国もそう大差ない。あとは多少の金額と所持品をあらためられる程度で本来なら終了である。
このままうまくやり過ごせそうだ。
アリスはそっと胸を撫で下ろした。
「――ところで」
「へっ!?」
「道中、なにか変わったことはなかったか」
「変わった、こと……」
「不審人物、出来事、または見慣れない――衣服や容姿の者を、見かけなかったか」
アリスは黙って首を振った。
と、門番の視線がアリスの背後へ転ずる。
――まさに、見慣れない衣服を着た、香姫へと。
「この子は踊り子で、これが衣装なのよ。かわいいでしょ? お兄さんも一度見に来てね」
とっさについた出まかせにしては上出来だったと思う。うろたえれば余計怪しまれる。
門番はアリスの軽口にとりあわず、かといってさらに追及する様子もなかった。どうやら鎌をかけられたわけではなく本当にただの質問だったらしい。
(でも、普段はこんな質問ない――)
背中を冷や汗がつたう。
何か変事があったことは伝わっているのだ。確実に。
問題は、それがどの程度か、だが。
(顔までバレてたらもうあたしは捕まってるはず……だから捜しているのは、見慣れない衣服や容姿の者)
つまりゼロだ。
やはり、狙われているのは彼ひとりなのだ。
沈みかける気持ちを叱咤して息を吐く。
彼の安否はまだわからない。捜されているということはまだ相手側には捕まっていないのだろうと楽観的な推測しか出来ない。実際、ゆっくり考えをまとめる暇もなくここまでやって来たのだ。
(行き当たりばったりもいいところね)
「では所持品の提出と――」
*
――あのとき、皆々の顔に畏れと怯えが浮かぶなか、ベルジェが感じ取った感情、それは。
まぎれもない、崇敬の念だった。
あの王は、誰よりうつくしかった。
「陛下ばんざーいッ!!」
突如奇っ怪な喚声を部屋中に響かせ、金髪の青年は振り返る。輝かしい眼差しと表情で。矛を向けられた兵士は突然の事態に椅子から飛び上がった。
「いきなりなんすか!?」
「戴冠式で思い出しました、いえ、まざまざとこの胸に蘇ったと言うべきでしょうか……」
*
「……かばんざーいッ!!」
「!? なに!?」
アリスは思わずあたりを見回した。
が、声――そう、声だ。奇声と言っていいほどの――は間違いなく屋内から聞こえた。
この詰め所の、なかから。
伸び上がってなかを見たくともちょうど門番の身体が邪魔をして見られない。
「……ああ、気にしないでください。盛り上がっているだけなので」
門番は表情ひとつ変えず、というよりやや辟易気味に言った。
「は、はあ……」
ひとまず頷く。
が、アリスはちいさな引っかかりを覚えた。
さっきの声――
(なんか、)
聞き覚えが、あるような。
*
「な、なにがですか……?」
ベルジェの目はもはや外など眼中になく、己の裡にあふれた光景へ心身ともに没頭しているらしい。幼子のように瞳をきらきら輝かせ、そばかす兵士へ身体を寄せる。
そのさまは端から見れば睦言をささやいているようで、もしもこの兵士が女性だったなら間違いなく胸を高鳴らせただろうと思われるほど、心を蕩かせる微笑みだった。行動の奇嬌さはさておき。
「戴冠式の前に、継承の儀があるのですが……王族やそれに近しい貴族、主要役職の諸候だけが参列する内的な儀式でして」
「へ、へぇ……それで?」
反射的に問う兵士は壁際まで後ずさる。上官の突然の変貌ぶりにただただ狼狽するばかりだ。窓口に座る兵士へ助けを求めるも、兵士は我関せずとばかりに旅人の相手をしていてこちらを振り返りもしない。
「……ああ、気にしないでください。盛り上がっているだけなので」
盛り上がっているのは金髪士官ひとりであって兵士は巻き込まれているだけなのだが。勝手にひとくくりにするとは薄情にもほどがある。
兵士が胸中で唾を吐く間にもベルジェの語りは止まらない。
「――素晴らしかったんです」
「はいっ?」
「ですから、継承の儀での陛下が、あまりにも、素晴らしくて、美しくて……!!」
「は?」
目が点になった。
恐る恐る、目の前で握りこぶしを作って力説する上官へ、訊いてみる。
「あ、あのー、ブラン少尉?」
「はい、なんでしょう!」
気さくかつ甘い微笑でベルジェは応えた。
「ブラン少尉……実はそっちの気があるとか?」
静かな、しかし重い一瞬だった。
どんな状況にしろ、階級が遥か上の上官へ対して訊く台詞ではなかった。だがベルジェの親しみやすさが災いしたのか、兵士が鉄の心臓を持っていたのか、それは言葉として発せられてしまった。
窓口の兵士は思った。
あ、俺達クビになるかも。
*
無事入国を果たし、店々がずらりと軒を連ねる大通りへの入り口にさしかかった頃。不意に歩く足を止めて、アリスは後ろを振り返った。
「どうした? 敵か?」
「ううん、なんか……」
訝しがる香姫へは生返事をし、とりあえずまた歩き出す。のろのろと。
「なんだ、煮え切らない」
そう口を尖らせるさまが見えたものの、やはり視線はちらちら遊んでしまう。前を向いては振り返り、気を取り直してはまた振り返り。
そんなアリスに香姫が苛立つのも当然といえた。
「一体どうしたというのだ!」
「あーもーごめんってば! だから……」
口ごもり、うまい言葉を探して唸る。
「だから……さっきの、あそこでさ。あれ、知ってる人の声だったような気がするの。今さらだけど。んんでもこんなところにいるわけないし、だいいち王都に住んでるって言ってたし」
「なら別人じゃないか」
「……そうよねー」
頷きながらも、どこか腑に落ちない。
(聞き間違い、だったの?)
太陽に透かすときらきら輝いていた、彼の甘い金色の髪を少しだけ思い出してから、アリスは軽く肩をすくめ、いまだくすぶる疑念を頭から追い出した。
*




