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銀の翼を天使と呼んだ  作者: 早藤 尚
27/75

朝に轟く②

 ――用が果たせない。

 心中ほとほと困りつつ、ゼロはいまだ紫鳩(しばと)と戦っていた。

 そもそもゼロは、自分を追っているはずの火神使徒を探していたのだ。目の前で槍を振るう少年も火神使徒だというのは僥倖(ぎょうこう)だが、これでは話をする暇もない。


(一体何人で俺を追ってるんだ……)


 まさか本当に、火神使徒全員に追われているとは思いたくない。が、しかしあの火神ならばそれも有り得そうで怖い。宿屋で会った、黒髪の少女の方なら少しは面識もあったのだが……。

 それでも最初は、話をしてみようとはした。明らかに軍の関係者ではなさそうだったし、それでいてゼロを探していたということはすなわち天界の者である。おそらく、火神の使徒。それが何故かいきなり戦うはめになり、今もこうして戦闘を続けている。ゼロには紫鳩と戦う理由などないのだ。

 どうやら向こうにこちらの言葉を聞く意思がなさそうだ、ということは解った。だから受け身ではあるが相手をしている。


(ものすごく打たれ強いのか?)


 さっきからずいぶんと蹴りまくっているのに、一向に諦める気配がない。そうなるとやはり――いっそ完膚なきまでに倒すしかないのだろうか。

 余罪が増えそうだが、こちらもあまり紫鳩にばかり構っていられない。

 ゼロは話をしにきたのだ。

 ひゅんっ、と振り下ろされる槍を手のひらで受け止め、それを軸にゼロはくるりと身をひるがえす。背後に回り込み、後頭部へ狙いを定め、脚を振り上げた。


「ぐっ――!」


 避けきれずよろけるその足をすかさず払えば、案の定紫鳩は体勢を崩す。膝をつき、槍を杖代わりとして身体を支える姿を横目に、ゼロは高く跳ぶ。うずくまる紫鳩へ向かって。そして落ちるがままに、蹴りを繰り出した。


「……!!」


 たまらず紫鳩がわずかに身をひねる。


「ち……っくしょ!」


 狙いを外して着地したゼロの隙をつき、紫鳩がそのみぞおちめがけて勢いよく両足を叩き込んだ。


「蹴りはなぁー、お前だけの専売特許じゃねえんだよ!!」


 ゼロは吹っ飛んだ。

 紫鳩が素早く起き上がって槍を引っつかむ。無防備に宙を舞うゼロへためらわずに投擲。そして自身ももう一方の槍を手に走り出す。

 投げられた槍を、ゼロは空中で無理矢理身をよじってかわすが、すでに紫鳩が目前に迫っていた。回避出来る距離ではない。

 ――ばしっ!

 振り払われる槍の柄に肩をしたたか打たれ、ゼロはぶざまに転がった。じんじんと痛みを感じるが、それは頭から追い出してすぐさま身を起こす。


滄牙(そうが)! ここに!」


 紫鳩が呼ぶと、投げられたまま茂みに消えたはずの槍が瞬時に姿を現した。地を蹴り、両手に二本の槍を携えて、紫鳩が渾身の力でゼロへ叩きつけたその瞬間――

 天を()くような爆発音が、朝の森を揺るがした。

 ――そして、場面は戻る。





「――東雲(しののめ)てめぇ俺に当てる気満々だったろ!? ……って、ぎゃ――――!!」


 地面にめりこみ、いまだしゅうしゅうと立ち上る灰色の煙を見ていたゼロは、紫鳩の台詞につられて顔をあげた。

 そこ、正しくは手を伸ばせば届きそうな高さ――にあるのは、何もない空中からにょきっと出現する腕。

 ゼロはそれを凝視した。

 ……腕、でいいはずだ。おそらく、肘から先の。


(なんだ、あれ……)


 胸中で思わずごちる。

 あれ、と言ってはいるがあれは腕だ。それは判る。

 黒い袖に包まれた腕にはやはり手がついていて、そこに握られているのは、――銀色に光る、拳銃だった。銃口からかすかに煙がたなびくのが見える。知識として知ってはいたが、現物を見るのは初めてだ。

 たぶん、この腕の持ち主も火神の……使徒なのだろう。

 ゼロは腕が出現する瞬間をこの目で見ている。腕が現れる前に、淡く輝く紋が描かれた。あれは火を象る、火神の紋様だ。ならば、その紋を突き破るように生えてきたあの腕も、きっと火神に属するものに違いない。

 それに、この腕の持ち主を、おそらくゼロは知っている。銃を扱うとは知らなかったが……。

 と、そこでゼロは、頭を抱えて地べたにうずくまり、がたがた震えている紫鳩に目を遣った。さっきから意味不明な叫び声をあげている。


「やめろー! もう言うなぁぁ! 黙れこのばか……ああああやーめーてーッ!!」


(……俺は、なにも言ってない)


「無理無理無理無理! お願いだから今すぐ口閉じろ」


(口は、閉じてあるし)


「切れ切れ切れさっさと切ってくれ!」


(そう言われても刃物も持ってない)


 心の言葉で律儀に返していたら、不意に紫鳩がびくっ、と肩を震わせた。

 なんとなく、つられてゼロは身構えた。

 紫鳩がおずおずと、顔をあげてゼロを見る。弱り切ったその瞳に、涙があふれんばかりにたまっていた。……ものすごく、怖いことがあったのだろうと推測する。何があったかは知らないが、同情した。

 紫鳩がおもむろに口を開く。


「……あ、あの、さ」


 朝の光が、緑の森に染み渡る。わだかまっていた闇は溶けて消え失せ、白い日差しに、朝露に濡れた草木がきらきらと輝いた。

 ――ついでに、目の前で子犬のように震える少年の瞳にも、きらりと光るものが溜まっていた。


「あのさ……、えっと、」


 何か話しにくいことなのか、それとも別の何かが原因なのか、妙にどもりながら紫鳩がゼロに話しかける。


「……あ、あのな? 東雲、知ってる?」


 うずくまる紫鳩は、立ち尽くしたゼロを見上げるような格好だ。


「ああ」

「……なんでそっちは知ってんだ……」

「いや、火神――様の代理で、よく朱夏宮に来るから」


 代理というよりは、もっぱらその後のフォローに、だが。ゼロはぎこちなく頷き、ちらりと空中に浮かぶ腕を見遣る。黒衣に包まれた、しなやかな腕。しかしその手に握られているのは、えらく物騒なものだ。

 ゼロの視線の意味を感じたのか、


「そう、それ。そいつ」


 紫鳩はこくこくと頭を振った。しかし決して腕を見ようとはしない。むしろ目を泳がせ、顔を背けている。……気の毒なほどの豹変ぶりである。

 ともあれ、あの腕はやはり東雲のものらしい。黒い服、という時点で薄々予想はしていたが。


「そいつが、……こっち来いって」

「こっち……?」

「天界」


 紫鳩が立ち上がった。ふらふらと足取りが覚束ない。


(大丈夫なのか、あれ……)


 自身が置かれている立場も忘れて心配してしまう。ゼロは心持ち紫鳩に歩み寄って、


「天界と言われても、俺は」

「あ、違うそーじゃなくて、うちに――ってええ!?」


 戸惑うゼロの台詞を遮った紫鳩は、何故か自分の台詞に驚くと、困惑気味にゼロを見た。


「……なんか話すことがあんなら、火神の廷に来いって」


 ゼロの眉がぴくりと動く。


「あと、火神さまもお前に話があるって」


 これは、願ってもない機会だ。ふたつ返事で了承したいところだが、問題がひとつあった。


「行くのは構わない。でも……どうやって行くんだ?」


 天界からこちらへ来る手段はいくつかあるが、こちらから天界へ行く手段は限られる。そして、そのどれもを今のゼロは持ち得ていなかった。

 しかし紫鳩はたいして気に留めず、けれどこのうえなく憂鬱そうに、


「アレ」


 と、宙に浮きっぱなしの腕を指差した。


「……まさか、」

「アレにつかまって行く」


 ゼロの予想通りの答えを紫鳩が口にする。

 そこで紫鳩は、ゼロの肩をつかんで彼の身体の向きを無理矢理変えた。その背中に隠れるようにぴったりくっついて、ゼロを急かす。なんだか盾にされているようだ。


「早く行けよ! お前アレつかめよ。俺はお前にしがみついてるから」

「槍は?」

「あれはいーんだよ、手から離して少し経つと勝手に戻るんだ。ていうか早く行け」


 すでに目的の腕は眼前に迫っている。


「……銃、持ってるんだが」

「たぶん撃たないからそのままつかまれ」


(……たぶん?)


 不安や警戒は多々あったが、ゼロはそれらを振り切って、黒衣の腕をつかむ。手首のあたりを、しっかりと。背中に紫鳩が腕をまわしてしがみついた。次の瞬間、強い力で引っ張られる。


(――……!)


 淡く揺らめく紋章陣が、ゼロを飲みこんだ。


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