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銀の翼を天使と呼んだ  作者: 早藤 尚
24/75

未明の攻防①

 何もかも、自分のせいなのだと、思った。



 ――時刻は少しさかのぼる。

 見上げた空がまだ、「夜空」と呼べる時間帯の頃。深い藍染めの空に、それでもだいぶ傾いて浮かぶ真白い月。今もなお、暗い夜陰(やいん)をはらむ森の、少しひらけたあの場所で。


「一緒に行こう、東ワールゲンまで」


 そう言って、差しのべてくれた彼女の手を、自分はとらなかった。いや、とることは――出来なかった。

 彼女――アリスは、自分の道をまっすぐ歩んでいる。自分で選び、納得して、そして決めた道を。

 ゼロの瞳には彼女がとても眩しく映る。何故なら、彼女のすべてが、自分と真逆だからだ。

 あれから一晩経った。あちらとは時間の流れが異なるので正確な表現ではないが、体感的には一晩だ。

 とてもとても大切にしていた、日だまりを汚したあの日から。

 それほどの時間をかけてようやく、冷静な心で自分自身を省みることが出来た。


(アリスに出会わなかったら、きっと俺はいつまでも逃げていた)


 今、ゼロの傍らには健やかに寝息をたてるアリスがいる。丸くなって眠る様子はまるで猫のようだ。目を細めて彼女を見つめる。最初に出会ったときは、食い逃げはするわ一般人に呪文を放つわ、とんでもない人間だとゼロは思った。

 けれど、今は……アリスにとても感謝をしている。彼女のおかげで、自分自身と向き合う決心がついたのだから。


(不思議だな……。俺の方が、長く生きてるはずなのに)


 ゼロの半分以下の年月しか生きていない彼女の方が、ゼロよりずっと、自分らしい生き方をしているように見える。

 ゼロはそっと立ち上がる。そして、眠ったままのアリスに向かってささやいた。


「ありがとう。……行ってくる」


 くすぶっていたたき火の火を足で消し、最後にもう一度だけアリスを見つめてから、青灰色の髪の天使は森のなかへとその姿を消した。

 二度と、振り返らずに。



         *



 ゼロがアリスのもとを離れた頃よりさらに時間はさかのぼって。


 広大な森に、手加減など微塵も感じさせないほどの破壊音が響き渡る。後ろを振り返れば、そこには見るも無惨な木々の光景。そのほとんどが葉を飛び散らせ、枝は折れ曲がり、あるいは幹をへし折られて横たわっていた。容赦も何もない。


(うーわー……)


 今ほど自然破壊に心を痛めたことはなかった。半ば哀れみの表情でそれらを見つめ、紫鳩(しばと)は前を行く香姫(こうき)へ視線を戻した。

 さきほどから呪文を連発している香姫の、後ろ姿だけでその表情までは判らない。しかし場違いなほど弾んだ声が彼女の機嫌を物語っていた。

 要するに、とても楽しそうである。


(この森壊滅するんじゃねーの?)


 あながち否定できない想像に、紫鳩は顔をひきつらせた。このまま進めば、ゼロを捕まえられる。――そのはずだが、どうも釈然としない。自分の直感が、何か違うと訴えている。

 ちなみに紫鳩は、察しは良くないが勘は良い方だ。


(……ってことは、勘に従えってことだ!)


 即決して、紫鳩は脇道に入った。脇道と言っても、獣道ですらないような木々の間に、するりと身体を滑り込ませる。


『どこ行くの? 紫鳩くん』

「――うわっ! ……な、なんだ東雲(しののめ)か。急に話しかけんなよ」


 唐突に頭へ響いた声に、紫鳩は飛び上がって驚いた。


『迷子になるから戻っておいでー』

「なぁ馬鹿にしてるだろ? お前俺のこと馬鹿にしてるよな?」

『あっはっは』

「否定も肯定もなしかオイ……!」


 紫鳩が額に青筋浮き立ててうめくと、東雲は爽やかに、


『馬鹿になんてしてないよ。ただ可愛がってるだけです』

「うあぁそっちの方が気持ち悪ぃ!!」


 ぞわぞわと背筋を這い上がる悪寒に、紫鳩はたまらず両の腕で肩を抱いた。寒い。急激に寒い。


「いいからちょっとは黙ってろ!」

『――はいはい』


 呆れまじりの返答をしたあと、それっきり東雲は本当にしゃべらなくなってしまった。見知らぬ暗い土地でひとり黙していると、なんだか見離された気さえする。


(いやいやいや……いない方がいいだろ、絶対)


 自分で自分に突っ込んで、紫鳩はあたりを見回した。あいにく明かりを持っていないので視界は良くないが、葉の海のわずかな隙間から絹糸のように降りる月光のおかげで、少し目が慣れればそれほど見えにくくはなかった。


(なんでこっちの夜って暗くなるんだ? すげー不便)


 内心でぼやきながらも、紫鳩は本能のおもむくままに歩みを進める。その間枝に顔をぶつけ、すねをひっかき、木の根につまづくこと数回。あちこちぱきぱきと音をたてながら、暗い夜道を歩く。そうしていくばくも経たないうちに、紫鳩は見つけた。昏黎(こんれい)薄闇(うすやみ)に場違いな、白い人影を。

 急ぎ勇んで木々の間を駆け抜ける。


「やーっと見つけたぜ! やっぱ俺の勘は当たってた!」


 幾分ひらけたその場所で、月明かりに照らされて佇むのは、色白の、青灰色の髪の青年の姿。

 ――朱夏神使徒、ゼロ。

 その姿を見つけるやいなや、紫鳩は額のサークレットに――正確には、その髪留めに――手を伸ばす。


「発現しろ! 俺の滄牙(そうが)!」


 触れた指先からまばゆい光が放たれ、二本の光条を描く。それらは瞬く間に長大な槍となって、それぞれの穂先が月光を反射しきらめいた。片方だけに結われた玉飾りがぶつかり合い、ちりんと清らかな音をたてる。

 両手に槍を携え、かけ声もなく紫鳩は一直線にゼロへと跳んだ。朱夏神使徒の、その白い相貌へ狙い違わず槍を振りかぶる。


「――ッ!?」


 ゼロは一瞬だけ驚愕に目を見開いた。が、すぐさま腰を落とし腕で防御の型をとるが早いか、そこへ紫鳩の槍が叩き込まれる。

 がんっ、と嫌な音がした。

 ゼロが後ろに跳びすさる。

 その双眸はいまだ困惑の色を浮かべていたが、紫鳩は気にもとめずに右の槍を突き出した。

 身体をずらし、最低限の動きでそれをかわすゼロ。対象物を失い、槍はそのまま、ゼロの背後の樹に穂先をめりこませた。めきめきと、幹に深い亀裂が走る。


「ここじゃ思う存分振り回せねぇ……。おいコラ、もっと広いとこ行くぞ」


 不満そうに口をとがらせて、ゼロを連れて行こうと紫鳩は彼の腕へ手を伸ばした。

 とたんに、腕をひっこめられる。


「……」


 差し出した手に、何故か哀愁を感じる。

 もう一度、今度はもう片方の腕に手を伸ばしてみた。

 ――やっぱり避けられた。

 胸の(うち)にこみあげる、怒りとも悲しみとも区別出来ない、なんとも言えない寂寥感に紫鳩は肩をふるふる震わせ、地を這うような唸り声をあげた。


「て……めぇ、今すぐ決着つけてやる!!」

「いや、待っ……」


 何事か言いかけるゼロの言葉をさえぎり、紫鳩は問答無用で槍を薙ぎ払う。続いて幹に刺さっていた槍を力任せに引っこ抜き、さきほどの攻撃を回避していたゼロに向かって振り下ろした。

 これもゼロは身体をひねってあっさりとかわす。

 しかし紫鳩は、振り下ろした槍を止めることなく身体ごと回転して今度は水平に薙いだ。まずは右の槍を、振り返りざまに左の槍を。

 そのことごとくを、ステップを踏むがごとく紙一重でゼロはかわし続けた。


「てめぇ避けてんじゃねーよ!」


 あまりにもかわされまくるので、たまらず紫鳩はわめいた。言ってることがめちゃくちゃだとは思うが、猛烈に腹が立つのだ。そんな怒りもこめて振るった槍が、ぴたりと止まる。


「……?」


 ――槍の柄、穂先ぎりぎりのところを、ゼロの指がつかんでいた。

 舌打ちして槍を引くが、意外に力が強く、多少ひっぱったくらいではゼロの体勢は崩れそうにない。


「――避けなければ、いいのか?」


 淡々とさえ言える口ぶりで、ゼロが問う。

 その瞳にもう戸惑いはなく、ただ静かに紫鳩を捉えていた。

 気圧されるように、ごくりと唾を飲む。

 紫鳩は頷いた。


「ああ」


 その瞬間、ゼロが大きく踏み込んだ。同時に、つかんだ槍を引く。

 突然のことに反応出来ずに紫鳩はつんのめる。とっさにもう一方の槍を手のなかでくるりと持ち替え、ゼロを突く。

 しかし鋭利な穂先はゼロの身体を貫くことなく、逆に絶妙な手首の返しにいなされ、こちらもつかまれてしまった。


(くっそー!)


 紫鳩の心に焦りが走る。

 と、あろうことかゼロが両手につかんだ槍を支点にして跳びあがった。

 あ、と思ったときにはすでに遅く、跳び上がったゼロの痛烈な蹴りが紫鳩の顔面にきまっていた。


(痛――……ッ!)


 ゼロは槍を離し、そのまま紫鳩を飛び越えるように半回転して地に降りる。

 淡い星彩が、ふたりを照らした。

 ゼロがおもむろに口を開く。


「避けなかったぞ」

「あ?」

「だから、避けなかった」


 ………………。


(いやそーいうことじゃねぇっつーか、そうなんだけどああコイツほんと腹立つ!!)


 ふつふつと沸き上がるやるせなさを無理矢理飲みこんで、紫鳩は改めて朱夏神の使徒を見た。

 真っ先に感じることは、色が白い。肌の色も、まとっている服も、珍しい髪の色も。ふと、逆に見た目も中身も真っ黒な青年を思い浮かべてしまったが、それには見なかったふりをしておいた。百害あって一利なし、だ。

 意識をゼロに戻す。

 こちらに向けて油断なく構えているその体つきは、――はっきり言って華奢だ。殴りでもすれば簡単に吹っ飛びそうに見える。


(なのに俺は、いまだに一撃すら与えてねぇ)


 これはかなりの屈辱だ。このままでは火神使徒の名がすたる。

 ゼロが動く気配はない。

 紫鳩はもう一度ゆっくりと二本の槍を構えた。


(落ち着け、俺。ちゃんと見極めろ)


 ――深く息を吐いて、紫鳩は槍を突き出した。


          *

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